和文日記2022年

和文日記2021
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English diary 2018
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20220925

花鳥風月。ぬかづけの輝きまぶしく。露に濡れる衣手と花の色を眺め。読書が楽しい。

令和4年(2022年)新年の抱負ぐらいからぬかづけを続けている。すっかりわたしの担当として定着した。この創造的営為がたまらない。うまく夏越えできた。

話を戻して、ぬか漬ける野菜は事前に切り込みを入れると成分が早く沁み込むなど細かいコツも自然に会得してきている。錦秋(きんしゅう)に光る糠床だ。天然塩。良い気分転換。

ニンジンの名産地は北海道、千葉県、徳島県で約6割を占め、各地の気候に応じた時期に生産される。農水省によると原産は中東アフガニスタン辺り。日本の年間総生産約60万トン。

紀元前3世紀の中国最古の辞書と言われる『爾雅』(じが)には塩蔵品の記載があり、日本では平城宮跡から「須々保利、楡木〈ニラギ〉、滓漬」という文字が木簡に書かれている。

また、江戸患いと呼ばれた江戸時代の白米食事による脚気を防ぐ目的もあってぬか漬けが為されたと考えられている。現代のように食べ物は何でも豊富というわけではなかったからだろう。

(参照 全日本漬物協同組合連合会、(公財)日本食肉消費総合センター)

ちなみに、世界各国にも漬け物はいろいろある。そう言えば台風一過だ。水害被災地の復旧を祈る。みな、健やかに。


20220917

うますぎて涙が出るね、いわき梨。かつてはうちの大熊梨が一番だったけど(笑)幸水。夏の疲れを回復するには梨が素晴らしい。疲れ無し。妻ひろこさんが買ってきてくれた。感シャー♪ 

#梨 #いわき市 #大熊町 #福島県 #Fukushima #Japanesepear #pear #Okuma #Iwaki #fruits #幸水 は晩期で最高の美味ですが今はもう #豊水 になってる時期。

20220828

とても暑くなったり雨が降ったり、まさに夏。お盆がきて、涼しいかと思うとまたじりじりして、海に行くと散歩される犬たちも暑そう。盆過ぎは海月に刺されるからだろう泳ぐひとはとても少ないが海を眺める人々は結構いる。セミと青空。近所のこどもとsummer。

今月は2週間ほど前からSNSを休止していた。7月以前よりはずっと減った。ちょっと仕事が増えたからであって特段の意味はない。勉強や読書は良い感じで進んでいる。そんなこんなで、今年の夏は海水浴に行けなかった。イマドキ2週間などというと2ヶ月は経ったぐらいに感じられる。

12年間ずっとSNS続けているので新しいことに挑戦してみたくなった。デジタルデトックスともいう。こうして文章を書いている時点で一般の同年代よりやってるほうかもしれないが、常時接続ユーザーの間じゃ全然少なくなったほうだ。それにSNSでいう長文とは紙媒体で短文のことである。

世界的に著名な写真家であるレスリー・キーさんが福島に来て撮影していくという。ぼくらにもお声がかかった。地元の同級生である堀川静さんからのお誘いであり、ひさしぶりの会話とレスリーさんと、どちらもおどろいた。新聞記事を読んでくれていて嬉しかった。レスリーさんは優しい眼をしている。例えば、窪塚洋介さん、三浦春馬さん、レディー・ガガも撮影している。ぼくらの雑誌『WELTGEIST FUKUSHIMA』を何冊かプレゼントした。

この撮影活動は、新聞にも出ている「ふくしま浜通り国際芸術祭」のプレイベントなのだそう。3年に1度のトリエンナーレを予定している。その実行委員長が、同級生の静ちゃんなのだ。ご成功を祈る。到着した忙しいロケバスは大きくて、チームの人数も多く、目が点になった。じっとり暑いところ、静さんはテキパキと働いていた。

同じ大熊町で同じ高校で旧友の武内雅人君とわたしの妻である吉田博子さんとわたしで3人を撮影してくれた。武内君はNHKなどのメディアに出ている。震災当時、浪江町の小学校の先生であり、あの津波から小学生らを無事に避難させたという凄いことを成し遂げた経験がある。そんな心優しきマサとの付き合いはとても長い。それでも原発事故だけでなくコロナ禍になってから会う機会がもっと減ってしまっていたので会えて嬉しかった。

シンガポール出身のレスリーさんはこどものころの写真がほとんどなかった。一所懸命に勉強して入学した祝いにお母さんからカメラを買ってもらった。しかし直後、病気で亡くなる。当時カメラは高価だった。レスリーさんがカメラにした理由は「妹には子ども時代を思い出せる写真をあげたかった」からだそう*。レスリーさんは歴史が好き。一人が為し遂げる強い力を信じている。レスリーさんが思う世界という舞台がどういうところなのか、ここから感じられる気がした。

最後になるが妻の博子さんとは震災直後のボランティア活動の一環で知り合っている。後に『境界の町で』を出版する岡映里さんによるとある談話会イベントの司会手伝いをわたしがしたときに、博子さんが手伝いに来てくれたのだ。今はなき仮設住宅の集会所で行われた。友達も参加してくれていた。懐かしい思い出だ。妻になるそのひとは肝が据わっていて優れたひとだと思った。インド中央政府公認のヨーガ・セラピストでもある彼女が作ってくれたお菓子を思い出す。

あれは2012年の春だったから、あれから10年後が今である。本当にいろいろあった。いろいろあった。まだまだある、それもセ・ラ・ヴィー(フランス語「それが人生だ」)。最近買ってお気に入りの「痛い足つぼマット」の名前がラ・ヴィーでもある(実に効くよ)。ツボと言えばわたしはツボ押しを20歳に勉強した。何も持たないところから創造される力はすごいと思ったからだ。当時の本を見つけて今また読んでいる。

回復力と言えば心理学的にはレジリエンスという。ドイツ語ではWiderstandsfähigkeit(ヴィーダーシュタンツフェーヒカイト)がレジリエンスのようだ。フランス語だとrésilience(レジリアンス)。英語むろんresilience。

そう言えばビーチサンダルは太平洋戦争直後のアメリカ人と日本人が草履をもとに一緒に開発して、特許などがないから今は世界的に使用されていて呼び名もいろいろあって面白い話をチコちゃんが言っていた。いわゆるGHQ占領政策があり、アメリカ人に協力してくれる日本人が少なかった時代の話である。そうだな、人生山あり谷あり、何度でも気力を満ちさせていこう。為せば成る。この月日は、日本中と世界中の人々にもいろいろあった月日でもある。秋の虫たちの鳴き声とともに。ただただ、祈る。

参照

https://www.youtube.com/watch?v=cBYP6J3bqwE&t=326s

『FREEWORLDインタビューVol.8 フォトグラファー Leslie Kee http://freeworld.tv』FREEWORLDtube 2012/06/01

写真

「はるカフェ」大熊町おおくまーと内。ソフトフランスパンとコーヒー。伊勢丹でも売られているキパワーソルトはわたし独自の注文から頂いた。国内外で知る人ぞ知るような貴重パンを焼いてくれる支配人と健康志向が合うのである。



20220807

8月6日、広島に関する報道や表現に触発されて、福島に関して話す動画を作りました。YouTubeでの👍ボタンが押されたら喜びます。

『福島の教訓(Message from Fukushima Since 11th of Mar., 2011)』

https://www.youtube.com/watch?v=oswr1XFW9bs

<< 概略 >>

「戦争してはいけない。原子爆弾を使ってはいけない。」

血で叫ばれる言葉の重みが、今年はいつもより響いている。そして思うのは、沖縄の負担であり、福島の教訓である。いろんな経験者・体験者の人達のことである。

わたしにもきっと、できることがある。

論争と分断のないところで出来ることがある。それは、すべての事故もそうだが特に、レベル7の原発事故を起こしてはいけないと、「言うこと」だ。しかも、絶対安全という安全神話のなか起きたことだった。

むろん理想と現実、国際情勢のリアルなどと思うひとも居るかもしれないが、人間 homo sapiense である以上、わたしたちには理性があり、言葉があり、目的として平和を希求・維持できるのである。

だれにでもわかりやすく、言うことが重要なメッセージを、専門家などでなく、一般のひとが言える社会雰囲気を持続させることが重要だ。近代化の歴史を生活者のこころが作ったように、現代の未来も生活者のこころが作るだろう。

今日、戦争で人生を奪われた人達の写真や被爆者のかたによる文頭のような話がNHK映像で見えていて、触発され、そう思うに至った。人々は77年、続けてきたのだ。今、より勇気付けられ、励まされると感じる。

普段わたしは文章を書く者であり、たまに話もする。基本的には文章を一文字ずつ点検して遺していくスタイルをとっている。それでも、戦争の経験者の人達の映像などを見て、かつ、昨今がYouTube時代であることを考えると、わたしも映像を遺してみようという気になった。

思えば、こういう話を自分からするのは大変な勇気や心身の回復がなければできないことでもあった。ご声援くださるひとたちに御礼申し上げる。

#fukushimaaccident #fukushimadisaster #fukushimaevacuee  #WWII


202200731

雨勝ちの時期は難しいながら、今期の仕事終わり。風景がきれいになると嬉しい。笑顔になってくれる人達もいる。自分でも日ごろの点検しとこう。ロータリーを脱着した写真。コツがあるようだ。#大熊町 #Fukushima 
 
もし保全を放置していたらすぐに森林になってしまい原状回復するのに道のりが非常にかかるようになる。不動産を維持するのはどこでも大変だ。日本の課題でもある。だが区域解除になり対価はどっと減る。

#いわき市
家でつくる手巻き寿司が最高。玉蜀黍のみ。ちいさなしあわせ至福の時間なり。知人や友人、同級生たちが無事で居てくれたらそれだけで十分うれしいことだ。長生きしていこう。
浜通りのほうが会津より最大5度も低い。1週間ずっと35度と30度などだ。だいぶ違う。加えてここは山辺の町だからさらに少し低い。そうか道理で。引っ越したから気温による夏感が減っていたのだ。コロナ禍ステイホームで気づかなかった。

NHKのyoutubeで『[目撃!にっぽん] “ずっと父が嫌いだった” 家族が向き合う戦争の傷痕(NHK)』を見た。「手のひら返し社会」「戦争ボケ、兵隊ボケ」という言葉があった。なるほど、いかにもありえる。いまの自衛隊、自衛官のひとたちもこういう話は肌身で理解しそう。有事と平時。兵士と社会。先祖には先祖の、親には親の、時代がある。

家のなかをよく掃除して気分爽快になっている。運気があがっているかもしれない。最近は勉強の調子がすこぶる良い。

近所のこどもから贈り物をもらう。何度目だろう、3度目ぐらいか。どうやら昨日今日生まれたばかりのような友達は友達にものをあげることで嬉しくなるようだ。

何かと仲良くしてくれるのでわたしからも自分が好きなふ菓子をあげた。知らないお菓子だったようで嬉しい。こないだはローラースルーゴーゴーを見せてくれた。懐かしい。

こどもなのに「ご馳走になります(^^」なんていう笑顔でお礼を言ってくれてどこの紳士かと微笑ましく思った。

ちいさなプレゼントは5個目だ。『あつもり』のカードや彼が育てたミニトマトやチーズや……。同じ日に何度も遊ぼう遊ぼうと家に来るのでこないだ好間のダイユーエイトで買ったフリスビーを投げて夢中に遊んだ。すこし蒸し暑い夏の夕方。少年は元気だ。久石譲summer。

そしてまた遊びに来たので玄関を探してみたら縄跳びを見つけたので縄跳びで楽しく筋トレしてもらった。今度一緒に縄跳びをできるようもう一本買っておくよ。(おじちゃんじゃなくて)、お兄ちゃんは勉強するからまたね。

だがオトナの日常は楽しいことばかりでもないわけで。そんなときは、そうだな。トマトでも食べよう。

NHK BS1 『ザ・ヒューマン』を見た。ピアニスト、アリスさん。ドイツと日本の行き来。人生のこだま。

コロナ禍により社会が分断していると。インスタで楽しそうな練習風景や幻想的な光の空間が見られた。被災地にも来てくれていた。自分がどこから来たかよりも、自分がどこへ行きたいかを考えるようになった、という趣旨のお話もあった。わたしもよく聴くクラシック音楽が聞こえて馴染みの気分になった。

そう言えば30日は郡山市で洪水警報があった。郡山市では時おり冠水のニュースが出る。丘の街だから多様な状況がありそう。

7月31日の日本は猛暑の予想である。危険な状態でもあるから熱中症という言葉がネットやテレビでよく使われて固定化して久しいが、むかしは日射病などと呼んだこともあったよねと妻と話しつつ。彼女はよく家庭菜園の手入れをしてくれている。

この山麓地域でも今朝すでに暑い。ウグイスやセキレイなど小鳥にまじってセミが少し鳴いている。我が家の庭で赤やピンク、黄色、白のグラジオラスは元気に咲いて、家庭菜園の収穫物もだいぶ良い。7月終わりだから今朝はfb日記を出そう。

今朝は英語を書く時間がなかった。
次の機会は英作文したい。


20220717

近隣のカフェで健康本を読んだ。

最近わたしは健康系のユーチューバー始めてます。みなさんもGoogleアカウントをつくってユーチューブにログインしてみませんか。

この数年は特にYouTubeの時代が来てますよ。文字と写真の静的なSNSや映画系だけでは味わえない動的な面白さがあります。

アカウントをつくると分かりますが、じきに皆さんが見たいものをYouTubeが勝手に提案してくれて楽しめます。

というわけでみなさんと長生きしてあれやこれやと健康談義していきたいと思っています。Googleアカウントは匿名も多いです。

吉田のチャンネルにご登録をお忘れなく(笑)

https://www.youtube.com/channel/UCAhM88y7NgW1muQQHJq8KNQ

※写真 いわき市平上平窪羽黒のカフェ『晴レル家』にて、ホットドックとオレンジジュース。ハレルヤとはヘブライ語で「褒め称えよ(ハレル)、神ヤ(ハウェ)を」(הללויה)。カフェは大きな敷地内の一角で野菜の直売もある。


20220714

昨今ニュースのいろいろを理解しようと思うに、古谷経衡さんというかたのYahoo!記事が分かりやすかったと思われる。

20220710

ちょっとした感想なのですが、一回選挙に出てみて負けたらそれで後は政治活動をしない人達を入れ替わり応援し続けていると、既にある野党票を使って戦っているだけで、いつまでも票的には新規が増やせず成長しない人を応援し続けることになりそうだと思うのですが気のせいでしょうか。#参院選2022

20220710

2022年の参院選に投票できた。いわき市の大熊町支所にて。帰りは買い物して定食屋『笑いーと』のカフェタイムに寄っておにぎりを頂いた。お米の一粒一粒がしっかりしていて好み。

健康系の勉強とそのyoutuber発信は楽しんで続けられている。その流れで日本語の『キャンベル生物学』のエッセンシャルを買ってみた。ところで今は線状降水帯の時期だ。

仕事で天気予報はいつも見ているため気象には関心が出ている。コロナも増えて第7波に突入した。ほとんどつけない生活のわたしですらマスク疲れしていて、とにかく無病息災を祈る。

2~3年ぐらいになるか。外国語でことわざや単語を毎日少しずつ見ている。今回転載しておきたくなったのは以下だ。

Short temper causes loss. 短気は損気。Life is but an empty dream.人生は夢に過ぎない。Love begets love. 愛は愛を生む。Campa, cavallo, che l'erba cresce. 馬よ生き延びろ今に草が伸びる(イタリア語)。

単熟語

election of House of Councilors 参院選

Campbell Essential Biology キャンベル生物学

band shaped rain fall areas 線状降水帯


20220702
エッセイ『物価上昇と自己責任の今、考える』 noteで出す

20220701
毎日新聞に掲載されました。
毎日新聞の尾崎修二さん、渡部直樹さん、前田梨里子さん、猛暑のなか町を駆け巡り、まことに御礼申し上げます。
記事内部では少ない文章に見えますが一般的に言って新聞取材で数行も載るのは有難いことです。取材しっかり受けました。
ほか、今回メインの記事になっているひとたちについてぜひともご視聴お読みください。
余談ですが偶然にも吉田淳大熊町町長とわたしのコメントがかぶりましたね。
全力でこの時を過ごしました。あとは社会が福島の避難関係の話を通して日本の将来についてどう思うかなのでしょうね、任せます。
『「前と同じ町には…」「ただいまを」 避難指示解除 住民らの思い 速報 福島 毎日新聞 2022/6/30 22:06(最終更新 7/1 01:37)』
https://mainichi.jp/articles/20220630/k00/00m/040/333000c

20220630

今朝9時に、あれから11年という長きを終えて政府指示が解除されました。記者の渡辺晃平さんより大変丁寧な傾聴と玉稿をいただきました。詳しい記事であり、連載オオトリとのこと、こころよりありがとうございます。

『【復興拠点解除・大熊】古里も生活も大切...二地域居住で生きていく』渡辺晃平、菅野篤司 福島民友新聞 2022年06月30日 09時30分

https://www.minyu-net.com/news/news/FM20220630-713268.php

参考『特別寄稿 原発周辺市町村の再出発』福島民友新聞論説委員 菅野篤司 中国新聞 20190208

https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=89442



20220612

I appear in a famous newspaper "The Asahi Shimbun."  

㊗はじめて朝日新聞に載りました。天気晴朗やさしく丁寧に聞いてくださって、ご取材ありがとうございます。

全文

『解体予定の大熊町図書館で本の譲渡会 町民から惜しむ声続々』酒本友紀子 朝日新聞 2022年5月29日(福島)

https://www.asahi.com/articles/ASQ5X6SVRQ5XUGTB001.html


20220522

福島県浜通りで震度5弱とのこと。皆さん大丈夫ですか。わたしは今回あまり感じなかったのですが揺れは結構あったようです。パンもってうろうろしてました。今年も地震が多いですね。深呼吸。いやはや、建て替えては綻んで、この世はすべて諸行無常でしょうか。

Shindo (Japanese earthquake level) is 5 in Fukushima Hamadori (seashore) area. Are you all right? We are good. I had some bread. Earthquakes happen every year. Deeply breathing. Well well, rebuilding and earthquakes, ...everything is in a state of flux.


20220522

3か月半ぶりの日記投稿になる。改築と片付けが少しずつ落ち着いてきた。長い運転のあと、農機具のない空っぽになった大きな倉庫を強力な清掃器具で可能な限り掃除したり何度も往復して、本を運び入れ整理したり、普段しない動きだと節々に来る。公共事業の関係で満タンの倉庫のほうが多いは多いが。域内での活動は時間制限もあり思いの外いそがしい。

大熊町下野上は7月頃に解除するそうだ。茶碗やコップを少し買ったりした。食器棚など全然ない。空っぽの家。テレビとコタツなどはある。福島県はコタツ文化のようだ。大熊町大川原に帰還している年上の知人のところへ久しぶりに挨拶と談笑を少々しに親と寄った。11年ぶりだろう。震災当時、緊張感ある苦労を共にした。いま双葉郡は、局所的には再生や保全しつつあるが、建物や木々の跡としての立体的な点線のような空間がぼくらの目には見える段階で、地勢以外、まだ透明の町だ。

SNS上では文章に休みをとっている。紙媒体に書くメモは貯蓄し続けていて、少しずつ書き出している。写真は大熊町大川原地区。ところで改築は、前の見た目に出来るだけ近づけた。最新のものを少しは導入し、例えば風呂場が電気とジェットバスになった。我が家の進捗は、再生区域内で最速だろう。大きな寂しさと少しの嬉しさが交錯する。


20220210

Gasoline Price in Japan is 1.45 USD now.
【日本のガソリン価格を見る】

ずっと値上がり。最近やたらガソリン代が高い。レギュラーガソリンのリッター169円など福島県いわき市の最近では見たことない(若松など観光地だったらあり得るが)。ガソリン減ってきたなと思って50リッターなど普通にクルマに給油してもらうがリッター169円と140円では50リットル入れた時1450円も差が出てくる。

2017年以降、世界最大の石油産出国であるアメリカが約1ドルであるところ、日本は約1.45USドル。ロシアは0.68。エジプト0.6。シリア0.3。しかし物価が似ているところで比較しなければならないと思われる。驚くのはギリシャやフランスがアメリカの2倍であり、香港は2.7倍である。日本に近いのは韓国、インド、オーストリアであった。(2016年まではサウジが1位)。

原油産出ランキング
1,アメリカ:1951万バレル/日量
2,サウジアラビア:1181万バレル/日量
3,ロシア:1149万バレル/日量
4,カナダ:550万バレル/日量
5,中国:489万バレル/日量
6,イラク:474万バレル/日量
(ほか中東など)

See: 

GlobalPetrolPrices.com (English)
https://www.globalpetrolprices.com/gasoline_prices/

e燃費 IID, Inc (Japanese)
https://e-nenpi.com/gs/price_graph/4/1/0/

世界の原油産出国ランキング IGグループ
https://www.ig.com/jp/trading-strategies/worlds-biggest-oil-producers-210921#:~:text=%E7%B1%B3%E5%9B%BD%EF%BC%9A%201%2C951%20%E4%B8%87%E3%83%90%E3%83%AC%E3%83%AB%EF%BC%8F%E6%97%A5,%E3%82%92%E6%B6%88%E8%B2%BB%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82


20220206

令和4年(西暦2022年)の春。

わたしの家のある地域が解除となる。しかしコロナ禍のほうは第6波が来ているためせっかく平成23年(西暦2011年)から11年越しの解除と言っても、静かなものになりそうである。

2月初頭の冷える快晴。わたしは書籍の片付けに追われていた。陸前浜街道ろっこく通いの直線ロングドライブは眠くなる。人生で何度この書籍移動や整理をしてきただろう。本棚がないため今のところ平積み。

2011年4月初頭、警戒区域になる前にゴーグルや合羽を着て知人たちと知人の車で会津から大熊へ突撃帰宅して汗だくになりながら書籍を持ち出したのが懐かしい。当時はまだ何もかも未知の世界であり、決死の覚悟に近いものがあった。

こんなことはほとんど誰も、予想していなかった。2011年1月ごろわたしは偶然予想したがそれだけであった。ごくさいきん、数秒以内に起きることをわたしは偶然に言う予知が何度もあって妻と一緒に驚いたりする。人間の時空認識は不思議だが、そんなことがある程度だ。

とにもかくにも、なんとかここまで来れた。お世話になった人達に感謝である。世の中が平和になるよう、梅の花に祈りを捧げる。写真は明治時代 (1868 - 1912) に植えた吉田家の梅の花。剪定は果樹を知る父。本来は家の側面で道に沿って一列ずらりと植えられていたが道路拡幅という公共の交通のためほとんどを提供した歴史がある。

慶応4年(西暦1868年)9月4日以降が明治元年であり、明治45年7月30日以降は大正元年である。大正時代は大正15年(西暦1926年)までであり、12月26日以降は昭和元年となる。

昭和64年は1989年1月8日から平成元年となる。そして平成31年(西暦2019年)5月1日から令和元年である。令和時代は始まって約半年後にコロナ禍の開始であった。

近代以降だけでも、これだけの長きにわたって人々の全てに歴史がある。昔の暮らしぶりがある。そう遠くない未来、わたしたち現代人の暮らしもあれは昔となるのだろう。

そのときまた、ぼくらが友人たちと味わえているような、青春の楽しさをもっていられる社会であるといいなと思う。


20220205

統計を見る ー 旅人の数 ー statistics

2019年ごろは約5000万人も毎月のように日本全国では宿泊していたのに、あのコロナ開始2020年3月ごろから半分にガタ落ちして、4月には5分の1である1000万人まで下がった。それからは回復したり落ちたりを繰り返し大体2~3千万人で推移している。その土地で泊まりも飲食も買い物もせず、関した人々の景気が半分になっている。

出典

・『延べ宿泊者数』統計ダッシュボード 総務省統計局(2022年01月27日閲覧)

https://dashboard.e-stat.go.jp/graph?screenCode=00480


20220204

さいきん成田悠輔さん

という経済学者のかたの出ているYouTube動画をだいたい見終わった。アメリカの歴史あるイェール大学助教授で、専門はデータやアルゴリズムを使ったビジネス・公共政策のデザインだそうである。

家庭環境が大変で苦労してきたようだ。たとえば狭いワンルームに一家4人で暮らし父親が酒癖と借金だった*。自身はひどい睡眠障害。高校時代に父親は失踪。母親が倒れる。そして自己破産となる*。

中学生のとき、著名な柄谷行人氏のグループに成田さんは出入りしたそうだ。インターネットを有効利用して情報を集めた。「学校に行かなくて本当によかった」と彼は述べている。

それから成田さんは東大・東大院で学士修士、MITで博士となり、若くしてイェール大学助教授にまでなって、さいきん日経テレ東大学のYouTube番組で一般の視聴者が見かけるようになったのである。かれはこんなことを述べている(引用*)。

「そもそもファクトやデータというものは、世の中で思われているより弱くてもろいものだと思う。それらが大量になると人の理解が複雑になって、処理しきれなくなって山のようになるからだ。今は、その山に対して切り口を入れて断面を見ているようなものだ」

福島の10年を思い出すとまさにこれは当てはまる。いかに「データ」や「エビデンス」といったことが政争のために振り回されてきたことだろう。わたしがデータとかエビデンスなどと聞こえるときちょっとした警戒感すら覚えるのはこのためである。

「しかし断面の入れ方、切り口を間違えてしまうとファクトが全くない状態よりも悪くなる。かといって、ファクトやデータを全て持ってくることがいいことでもない。問題なのは、どのように切り出すかだ」

ひとびとはデータやエビデンスというものを見るとき、その表示を理解するので精一杯となってそのデータがどういった意味内容を示しているのかや他の判断があり得るか又は他の理解などの可能性を考えられなくなりがちである。重要なのはAを見ておきながら実はAでないこともあることへの自己意識なのであろう。

また、ある記事では「目的を機械的に生み出すことができれば、決断し選択するための労力や時間を節約し、過去の選択に後悔して苦しむこともない。自分探しと自己責任の終わりなきアリ地獄を脱却できる。それは成田が描く未来の社会像だ。」と成田さんの考えが紹介されている。

同じ記事で「データやエビデンスを使って、目的自体を発見していくということが可能だと思うんです」と彼は述べている。これは十分あり得る。ひとは自分の置かれた環境を知ることで自分に出来ることが、あくまで参考のひとつとして、分かってくるからだ。

人物紹介で好意的に紹介したからと言ってわたしがだれかひとの考えや理解または主張といったものを何でも鵜呑みにする人間ではないことは誰もが知っていることだろうと思うので敢えての留保などは付け加えない。

成田さんの動画や記事はいまのところ少しずつまた見て読んで行ってわたしの文章内部で対話していくつもり。ひとを見たら先生だと思って、自分より年齢が若かろうと学び考え、そして虚心坦懐である。わたしはちょっとしたYouTubeの通りすがり視聴者であり何の他意もない。

・『残念家庭の不登校児が麻布へ 先端文化人と交流で転機

エール大学助教授 成田悠輔氏(上)』NIKKEI STYLE キャリア 2021.12.6

https://style.nikkei.com/.../DGXZQOLM248WP0U1A121C2000000/

・『東大・MITで「知」のつまみ食い 気鋭の論客・成田氏

エール大学助教授 成田悠輔氏(下)』NIKKEI STYLE キャリア 2021.12.13

https://style.nikkei.com/.../DGXZQOLM065930W1A201C2000000/

・『日経テレ東大学番外編 成田悠輔氏が考える真実と事実

2021/7/22』https://style.nikkei.com/.../DGXMZO74014460Z10C21A7000000...

・『生きる目的や倫理は蒸発する 人類が行きつく「幸福なデータ奴隷」とは?』Forbes JAPAN 編集部 2019.3.25

https://forbesjapan.com/articles/detail/26062/1/1/1

ちなみに、動画についてはたくさん出ているが、たとえばEBPM(evidence based policy making)で成田氏の名前で検索すると典型的なものが出てくる。

いわゆる、きりぬき動画。

https://www.youtube.com/watch?v=eQQcOLXxpJ0

これなども面白い。カップ麺たべながら考えた話。本当のイノベーションは地味で無名じゃないかという話を洋服のボタンや言葉を例にとっておこない、そういう仕事がしたいという。

『成田悠輔(イェール大学/半熟仮想)3分プレゼン/IU35 Japan』MIT テクノロジーレビュー[日本版] 2022.01.14

https://www.youtube.com/watch?v=_Eb8m0BgiKw

続編はまたそのうち。


20220123

朝焼けの東空は紺色の空で朱色の太陽が見える。水色の西空には白い月が浮かぶ。広大無辺な宇宙空間に太陽と月が相対して向き合っているのを見られて嬉しい。表現じゃない、オリジナル。

いわき市平田町(たいら、たまち)、いわき駅近くに『キッチン・ボヌール』がある。少し前に妻と行った洋食屋だ。初めて入って美味しい料理に出会えるとぼくらはより幸運を感じられる。

ごく若いころ友人たちと田町で飲みに行って見知らぬいかつい大人たちとなぜか腕相撲をして帰った。翌日わたしは黒と金のジバンシー(Givenchy)のライターを失くしていたのが思い出。若いころのわたしは向こう見ずなタイプであり、満ち足りてもいて、凄まじく元気であった。SNSでご覧の通り震災後は身体を悪くして本当にあの世に逝くかもしれなかったがこの5年間でなんとか回復してきた。

今月で41歳になる。もう人生は100人分(ケントゥリア・Centuria・百人隊)ぐらい過ごした気がする。3・11で時はねじれて止まったまま、パラレルワールドに生きている。まさに福島タイムラプスだ。12年前、身の回りからあらゆることが変革する開始だった。どこにいても人類は山あり谷あり、マイケル・コルレオーネ(Michael Corleone)。生きとし生ける者すべて、メメント・モリ(Memento mori)。いつもどおり感謝。まだまだ人生に8ビートのエンジンをかけていきたい。

世界では往来が難しくなってしまって久しい。ひとびとのこころもどちらかと言えば塞ぎ勝ちになっているに違いない。冬のうちに温もりを蓄えて、春の日差しに花が開くように、ふたたび窓が大きく開いていく日を願っている。



20220119

俳優・ミュージシャンの武田真治さんはこの一年ぐらいジョギングを月に1~2回ぐらいしかしてないらしい。以前、コロナとインフルを立て続けにかかってしまい、鍛えた体が同じく強い抵抗力ではないという感覚になったんだそうだ。

鍛えてる有名人たちのコロナ感染に関する幾つかのニュースを思い出すと、同様の結果になっていると思われる。そもそも以前からいわゆる免疫力と筋トレは比例していないとは言われていた。

風邪などを跳ね返す体力を使い切ってしまうほどの運動にはわたしも気を付けていたい。コロナ前の2019年の春ごろ24時間ほど高熱を出したときわたしもそう思ったのを覚えている。

おそらくその感染した有名人たちもそうだっただろう。しかし分かっていても実際に運動量を減らすまでには、わたしも時間がかかった。本当に減らしたのは2021年の秋ぐらいからである。それまで疲労も怪我も多いほうで、だからこそ再認識するに至った。観念したというほうが近い。

社会では常に「生産」とか「成果」とか「活性化」という言葉が日常的に氾濫しているが、「減少」「撤退」「終活」といった言葉のほうは比べればずっと少ない。

参考

・『「コロナ→インフル連続感染」を経験した武田真治が“筋トレ習慣”を見直すまで』週刊SPA! 2022年1月19日

20220116

テレビをつけると深夜早朝から津波の警報や注意報が発表されていた。8つの県20数万人に避難指示が出ている。特に岩手、奄美、トカラ、だが広い地域で1mほどの津波が観測されているようだ。5年ぶりの津波警報とのこと。ご安全に。

地震による津波とは異なっているため、しばらく警戒が必要のようである。オーストラリア東方の海底火山の活動らしい。やはり海沿いの地域や川の側は危ないんだなと思った。2011年の3・11東日本大震災を思い出す。みなの無事を祈る。

ツイッターで欧州のひとが話しかけてくれたり米国のひとが心配してくれているのを見かけたりもした。長いコロナ禍のため、せっかく苦労して日本語を学んできたのに日本に留学や旅行などしづらい状態になっていそうだと思いを馳せる。

たまに私たちが発行している『総合雑誌WELTGEIST FUKUSHIMA』(ヴェルトガイスト・フクシマ)が全巻売れたりしている。ありがたい限りである。通称ヴェルトでの執筆編集そして読者の人達との出会いはわたしにとって奇跡的な出会いだと最近よく思って感謝している。

何気なく窓を開けると静寂。

このあたりはとても静かな農山村であり、いわき市平(たいら)市街地の郊外的な住宅地として注目されている様子が、空き家増加時代にもかかわらずの宅地開発により考えられる。ただし川の水害が数年前に発生して深刻な被害を受けている地点もあり、いまも工事中のエリアがある。

列島全体が注意報や警報に囲まれる、そんな時が何度でもやはり発生するようだから、何度でも記しておきたいが、災害が発生したあとがとても重要である。しかし住む場所や仕事などについて、被災者が復旧復興できる法整備はいまだに不十分だ。日本人の恥であり不名誉である。

先週 * は数年ぶりに福島県会津発のラーメン屋『幸楽苑』へ入った。『㐂伝(きでん)ラーメン』がまた復活したらしく、20代中旬ごろに大熊町のロッコク沿いで食べた* のが懐かしくて思わず久しぶりに注文した。やはり美味かった。

統計局によれば「日本における週の始めがいつか」などの考えはユダヤ・キリスト教から来たものらしく、キリスト教や日本の場合は日曜が始めらしいが、日本では月曜の場合もあるとのこと。特に法令的な決まりはない。

・大熊のは最初は長らく『会津っぽ』だったのでそう呼んでいるひとは今も多い。その時代の内装は濃い黄色であった。会津若松には今も黄色の内装のがある。あの内装のに入ると思わず「半チャンラーメン」と言いたくなる。高校時代には自転車でロッコク沿いに行った(あの頃は会津がそこにあるとは全く考えてないぐらい浸透していた)。

・統計図書館ミニトピックス 号外『週の始めは何曜日なのか?』奥積 雅彦(総務省統計研究研修所教官) 総務省統計局

https://www.stat.go.jp/

https://www.stat.go.jp/library/pdf/minigougai01.pdf

昼頃、一部の警報エリアも注意報になったようだ。


20220112

わたしの10代のころは『BANDやろうぜ』という音楽雑誌がとても売れていて田舎で人々は大勢がロック音楽に憧れていた。雑誌POPEYEとかは横目に少し読むぐらい。

BOØWY, X Japan, B'z, 黒夢, Luna Sea, L'Arc~en~Ciel, The Yellow Monkey, GLAY, Mr. Children, Judy and Mary, Blankey Jet City, ザ・ブルーハーツ 等々、今ではどれも、その前の世代と同じように殿堂入りしているだろう。

そのバンドの雑誌は1988年から2004年に販売していたようでちょうどわたしの同級生が8歳から24歳にかけて売っていたことになる。

当時はギターの演奏の仕方のうち例えばブルースを知りたいとなったら教則ビデオを5000円で買ったりするような時代であり、それ買うだけでこどもにとっては大きい支出であった。それも、いわき市のタカノ楽器(キクヤ楽器だったか?)まで1時間も電車に乗らないといけない。電車賃だけで往復1600円かそのぐらいかかる。大熊の大野駅から南相馬市(当時は旧原町)の駅だといわき市平に行くよりは20分ほど近い。

それだけでなくミュージシャンのプロモーションビデオを見るにはテレビ番組の『ミュージックステーション』が主でありVHSビデオのテープを買うにしても5000円などだったかと思う。カウントダウンTVもあった。ぼくらが高校生ぐらいになるとHi-STANDARDやDRAGON ASHなども出てくる。録音と言ったらカセットテープだった。

いまPV(プロモーションビデオ)は、YouTubeでどれも無料でいくらでもとめどなく手に入る時代になった。いまの一桁年齢や10代20代は、そういう状態からスタートしている。ファッションにしても勉強にしても何にしても同じことが言える。それぐらい過ごしてきた環境が違う。いまの若者はとてつもなく恵まれている(そのぶん窮屈さもありそうだが)。

しかしわたしは、戦争直後ほどで全然ないにしても、あまりモノが無いなかで試行錯誤したことがわたしたちの青春だったと感じられ、それはそれで、おもしろいことだった。イギリスのロックミュージシャンも貧しい暮らしのなかで音楽をしていたことがまた恰好いいと今でも思う。

それに今の恵まれた環境を30代後半から41歳となるわたしも享受できてはいるのだから、まだまだ若者たちには負けられないと思いを新たにしているところ。

20220109

お正月は大熊町から頂いた甘酒「帰忘郷」を飲んだ。新大熊町のお米が一部使用されていてノンアルコール。酒という文字と湯呑みが気分を盛り立ててくれる。ついに「ぬか漬け」を始めた。いろいろ手間かかりそうだからと思っていたがやってみれば家事の一部になれて造作もないことだった。とても美味く、懐かしい香り。いろんな野菜を既に試した。今回は、ごぼう、だいこん、金時人参。妻が喜んでくれた。母はキュウリやナスが美味いと言ってくれた。まだ紹介してない左の焼き物は会津慶山焼。

このニンジンは香川県の坂出市と観音寺市で栽培されていて、全国の8割を占める。農業技術の向上により60年代後半に米が余ることになり、1971年から日本は減反政策を約50年間してきて2018年に終了しているが、全国的に強制一律が約30年間あったため深い傷を残している。そのなかで金時人参も大増産となり、今に至る。福島県もむろんそう。筆舌に尽くしがたい苦労がある。農作物のひとつひとつに深くて長い歴史あり。感謝


20220105

新年の抱負① 読書 】(with English)

2022年は「一年一千冊」の読書を目標で進めてみたい。成果は最低1年300冊、最高1000冊であれば嬉しい。そして一部は感想をつけてひとまずツイッターで写真つき公開していく。

いきなり桁違いの読書力を持っているわけでないのですが、すぐさまできるかできないかでなく、語学も安定してきたので、日本の読書文化に参加するため精進したく存じます。ぜひご覧ください。

https://twitter.com/FukushimaF1981



20220104 格闘技の新しい世界

むかしの格闘技の観戦はファイターの私的物語などをわたしは知らなかったから、試合での技を見るしかなかったが、いまの格闘技は格闘家YouTuberの人達の出現によって非常に様変わりした。

日ごろから格闘家の人達の苦労や努力、面白いところをあれこれ知っている。勝ったら嬉しく、負けたら一緒に悔しく、どちらにせよ面白いのである。彼らは大抵20代。自分はもうすぐ早生まれ41歳だがいま人生で最高のこの体力を維持し続けたいと思えてくる。

わたしはよく朝倉さんの話をするが安保瑠輝也さんグループのYouTubeもよく見る。たとえば「おうちでまじ牛タン」の巻は今でも脳裏に焼き付いている。あの風景がいい。狭い部屋で志ある仲間たちとたわいもない会話。

わたしも昔は狭い部屋で友達と格闘のゲームをファミコンやス-ファミやゲームボーイやネオジオやニンテンドー64それからプレステ1や2などのゲーム機でしていたのを思い出す。たのしかった。いや、あまりにもたのしすぎた。スポーツ遊びは中学ぐらいから全然しなくなった。

たほうこれが、YouTuberでない格闘家を見るとなると、事前の思い入れがないだけに格闘家YouTuberの人達の心境に勝手にこちらもなって相手をライバル視してしまうという味わいもある。ただ、格闘家自体について知識量が増えているため、相手側も練習生活をしてきているという推測もしやすくなった。

物語を知るということはその人々それぞれ独自の視点を知り、世界観をともに作り上げるということなのである。だから勝つ事や格闘技だけでない面白さが格闘技の業界には非常に増えていて、とても意義のあることだと、一視聴者のわたしには思えている。

20220102

年初の大自然も寒すぎて初詣に出かけられないひとが続出していそうであるが物事は捉え方次第なのでいつでも楽しく生きていきたい。正月のわたしは若水を飲んで初日の出を拝んだり新年の抱負を書き初めしたりしていく。今年は読書に精を出したい。

年越し蕎麦やお節やお雑煮が美味かった。妻に感謝である。お節料理は正月節供のため作られる(昔は五節供のときに出す料理を言った)。縁起を重ねる意味合いで重箱に詰められる。神棚に供える神饌(しんせん)とし、後にこれを下げて食べると霊威が身につく。

神饌とは神に召し上がり物として供える飲食物のこと。ミケともいい、ミケは御食の義で、神酒はミキといわれる。神饌は米、酒、塩、水が基本とされ、これに野菜、果物、魚貝類などもいっしょに供えられている。参照コトバンク

RIZIN(ライジン)という格闘技の試合が大晦日にたのしかった(お笑い番組もたのしかった)。むろん出場してるだけでみな歴史に残ることだが、朝倉未来さんが勝って嬉しく、これで良い年を迎えられると思った。正月は中央大学が3位グループにいる駅伝テレビを見ている今。この寒い時期に、すごい。

今年度は秋からコロナ禍が一気に落ち着いたが、正確にいつ頃からだったかもう忘れそうである。日記を見たら9月末頃から第5波の収束だったが9月初頭は非常に多く禍中だったように覚えている。スタート時期のほうは覚えている。全国的には3月中頃だ。なるべく直接のデータを見て考えたく、例年の風邪ぐらいであることを祈る。

今年度の冬はとても寒いようで裏日本はよく雪である。晴れの多い浜通りですら大晦日も寒かった。急いでホッカイロを開けたり、震えながらなんとか大熊町からいわきに戻ってきた感じ。ロッコク沿いの大熊は建物がだいぶ減って様変わりしていた。もと醤油屋の建物とかまだあるのだろうか。わたしも場所は知らないが、かつてあったらしい。こういう細かい歴史を知らないひとは地元でも多そうである。民俗学的には中央だけでなく地方別で、さらには大字でも小字でも家ごと又は個人の文化レベルでも学んでいくのが基本だ。

新しく解除された久しぶりの通りから大熊に入ると(その入口は地元のひとしか走らないところであり、震災前から押しボタンを直接に押して信号が変わる [※ロッコクへ出るとき ])、めずらしく雪景色であった。すぐ融けるだろう量だが、素晴らしい眺めだった。帰宅して風呂がすばらしい。外は強風になる。もし暖房器具がなかったらと思いを巡らせる。

冬はむかしの人々よく生活できたな東北よと。いわき市の勿来での展示を見たことがあるが、むかしの庶民は浅い板箱の中にむしろや藁などを敷いて、上に綿入れのような上着をかけて眠っている暮らしもあるようだった。みんなが豊かな布団ではなかった。むかしは温暖化ではないのだから、雪が今よりももっといっぱい降っていただろう。

わたしの育った大熊町でも雪でカマクラが作れたぐらい30年ぐらい前は降った。長靴にスパイクが付いたのを親戚から貰ったりした。むかしの日本家屋は今と違って気密性が低く風通しがよいのだから、秋や冬は隙間から凍てつく風がびゅうびゅうであろう。生きているのが不思議なぐらい寒そうである。

戊辰会津の『ある明治人の記録』を思い出す。むかしの暮らしは長距離を歩くことで実感したものだったが、厳しい冬を思うとき、完全に神の技が如くである風雪という大自然と生き残りのやりとりをすることになっていそう。庶民の文化はすごい。みなのしあわせを祈る。

写真:うちのもと梨畑に雪が降った2021年の大晦日。草ぼうぼうになってないのはむろん一年中、手入れしているからである。

英作文の日誌については、いつも瞬時に書いてるのでちょっと未熟な表現が多いと思います。すみません。


20220101

令和四年(2022)

本年も宜しくお願い致します。

※お祝いの言葉は控えます。

The 1st of January, 2022

We pray for your happiness. 

吉田博子 吉田邦吉



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