和文日記2021

もとタイトル

un étrange sens  de la liberté et  de l'aventure

和文日記を数年間つづけている。


20211226

アフリカから「カエル飛び」が来る

日本はアフリカの南部に小さく埋まるサイズだそうだ。世界の4人に1人はアフリカ人になる時代が30年後らしい。いつかいろんな国がテクノロジーで一挙に先進諸国をごぼう抜きするだろうとわたしは思っていたが、それには名前がついていて、リープフロッグというようだ。

コトバンクによると「《蛙跳 かえるとび の意》順序どおりでなく、一気に飛び越えて進むこと。一足飛び。」であり、例えば、「新興国のリープフロッグ型発展」などと使う。

YouTuberの中田敦彦さんも話していた。アフリカのサイズは日本の80倍であり、中国やインドや欧米や日本を入れたサイズ。世界地図を描き変えねばならない。人口は若く、GDPもすごい。

世界的YouTuberであるナス・デイリー(Nas Daily)も言っていたように覚えているのでぱっと見つかったものだけでも参考に挙げておきたい。

流通は日本の40年をITにより1年で作ったとも言われる。アフリカ版TikTok(ティックトック)は『Vskit』(ブイスキット)と言い、そこで物が売れる。もう昔のアフリカイメージとは違う面もあるのだ。ネットではインフルエンサーが売るのだが、KOL(キー・オピニオン・リーダー)と呼ばれ、中国だとこれは桁違いの金額が動き、7兆円も動いていて、テレビ業界だと3分の1の1兆円に下がっている。そういうことらしい。

あるアフリカの地域では成人男性の9割がモバイルマネーを用いていて、M-KOPAという中国製スマホにM-PESAというモバイル決済ができる。年間だと1億台以上も売れて、中国でやインドでよりも売れていることになるらしい。日本ではネットバンキングをまだ出来ない人々が多いぐらいだが、アフリカのその地域ではもう出来ているため個人間でお金のやりとりができる。個人間ですぐさまやりとりという点を見れば、ほぼ映画『タイム』の世界に近い。アフリカではこれから家電や観光などが売れていくのだろう。

しかも一度入れたお金を現金に戻すことやローンも出来る。これで銀行が要らなくなり、フルバンクサービスと言われる。たしかに革命だ。いわゆる世界の繁栄ランキング上位国である日本を超えている諸点がもう出てきているのではないか。他にも中田さんのその動画を見ればドローンがもう日本で使われてる古いものでなく、固定翼式の「飛行機みたいなドローン」だったり。

世界的には銀行口座をもってないひとのほうが多い。Facebookはリブラをやろうとしたが国によりブレーキをかけられてしまった。仮想通過ビットコインは振れ幅が大きく、暗号資産と呼ばれるようになった。では安定しているのはどうすればできるか。国だ。結果的に一番その開始が早そうなのは中国だろうと考えられ、デジタル人民元が始まろうとしている。

こういう風にデジタル通貨がどんどん各国から始まるかもしれない現在その真っ只中ということだから、日本国内でもデジタル通貨を発行するか議論になっているらしく、また、銀行は次世代における役割どうなるのかについて、みずから模索しているように見受けられる。

どんなものであれ、光ケーブルであれ、人間が自然から作り出したものであるからには、長短多様だろうとは思えるのだが、とりあえず、アフリカの一部に最先端のテクノロジー社会が到来していることや地理的なサイズ感はまだ人々のイメージではないだろう。まさに、ジャンボ。

参考

●『The True Size of Africa』Kai Krause 

http://kai.sub.blue/en/africa.html

・『Why are We Blind to Africa?』Nas Daily YouTube 2021/06/20

https://www.youtube.com/watch?v=spG-zBikoZs

・『【超加速経済アフリカ①】アフリカを学べば日本の未来が見えてくる(Super Accelerated Economic Growth in Africa)

2021/07/03』中田敦彦のYouTube大学 - NAKATA UNIVERSITY(ここで参考文献にあがっているのが『超加速経済アフリカ: LEAPFROGで変わる未来のビジネス地図』椿進 東洋経済新報社 https://amzn.to/3x8JCl4』)

・『4000万人が使うアフリカのモバイル決済「M-Pesa」が成長を加速』Toby Shapshak Forbes Japan 2020/04/08

・『アフリカを侮る日本人が知らない超激変のリアル』印南 敦史 東洋経済オンライン 2021/06/30

https://toyokeizai.net/articles/-/435738

20211226

さんまが美味い。サンマは秋が旬のもので、サイラ、セイラ、サヨリ、ガド、バンジョウ、サザとも言い、オホーツク海、東シナ海、太平洋を泳いでいる。人間には全然できないことができる。体重350グラム。寿命2年。

プランクトンなどを夕方から翌朝ぐらいに食べる。サンマはまた、クロマグロやクジラや海鳥などの重要な餌でもある。北海道や東北地方の海域でサンマ(多い年で)50万トン年間の80%が獲れる。秋の刀は北の魚だった。

江戸時代には「秋刀魚が出ると按摩が引っ込む(さんまがでるとあんまがひっこむ)」と言われるように、栄養価の高い食材として親しまれてきた。サンマが好む海水温度があるので少々移動して漁業が難しくなっていたりするかもしれない。

英名 pacific sauries or mackerel pike, 学名 Cololabis saira, ロシア語名 сайра サイラ, 中国語名 秋刀鱼 qiū dāo yú チウダオユウ, 韓国語名 꽁치 コンチ。

タイヤが一本パンクした。全てのタイヤにひび割れもできていたので全て交換した。クルマは維持費かかる。数か月に1度は空気圧を点検するのがよいのを忘れないようにしたい。そう言えば初期のころ避難区域で走りパンクしたことがあった。

今年はあっという間に過ぎ去っていったが例年よりも明らかに自分なりにあらゆることについて成長できたように思えてたいへん充実した修練の一年であった。しかしまだまだひよっこのくちばし何をか言わんや。坂の上への鵯越はこれからだ。祇園精舎(梵 Jetavana-vihāra)を聞きながら。


20211225

ブッシュ・ド・ノエル (仏: bûche de Noël)(Yule season)。妻の博子さん(Yoshida Hiroko)が作ったケーキ。感謝と祈りを込めて、ありあわせのもので作った。とても美味しかった。感謝。


ユールとは古代北欧の祝祭。古語では「jól」。キリスト教定着以前の北欧では個々の家庭など収穫祭であった。そのときに燃やした薪のことをユール・ログと言い、ビュッシュ・ド・ノエル(クリスマスの薪)というケーキになって伝統的に引き継がれている。会津で民俗会長から頂いたハックスベリーを妻が手作りジャムにした。ミントも会津にて大熊の友人からだいぶ前に頂いたもの。わたしがつくったのは生クリーム。

参考

・『ユール』コトバンク

・『ブッシュドノエルって何?』神戸フランツ 2020年

https://www.frantz.jp/xmas/buchedenoel.html

https://www.frantz.jp

20211219

さかな焼き方ぐらし。

サカナが生きている。タラに味噌をつけて焼いた。塗るではなく味噌などを溶かして漬ければ焦げにくかったと教わる。セブンイレブンのポテサラ。妻の漬物と梅干と梅酢生姜は物凄く美味い。梅干しの赤しそは家庭菜園から。ほかにサラダや私の味噌汁も食べている。

この魚はすでに「切り身」である。生命体としても一部分となった切り身だから、切られたことや血の存在すら忘れ、どんな魚だったか分からない。また、どこの誰がどういう文化宗教的な背景のもとに生活してどういう風に漁業してくれたか知らない。むかしテレビで見たことがあるのは都会の子らがお魚の絵を刺身のすがたで泳いでいるように描いたこと。

高価な漁船により港まで無事に水揚げして、加工・冷凍されたり港で卸売りされたり、商社が管理して卸売市場やスーパーマーケットへだれがどう安全に運んでくれたりしているのか、知らない。かといって高度に近代化された生活を維持しているのだから、昔の暮らしそのまま全体を同じようには回復できない。人間の想像力は補える程度もあり得るだろうが知識や機会がゼロからだと難しくなる。

そういう多様な関係、つまりリンクをいろいろな工夫により、システムとして取り戻していきあたかも生きた繋がり、つまり「生身」とする試みが昨今は続いている。最近わたしがYouTube講義と称して話している鬼頭秀一さんの本『自然保護を問い直す』(ちくま新書)の一部であり、本の後半部分を私なりに端的に書きだしてみた。ある種の本はその性質上、端的に書きだすことは難しいことが多々ある。

いわき市など福島県の浜通りでは漁業も盛んであるため、他の地域と比べれば切り身の関係性も少なく、海や川そのものに日常的に触れて、漁船や海の文化を意識したり、市場で丸ごと並べられた魚を眺めて、魚の種類の貼り紙を見たり、ずっと生身化ができるだけ維持されているとは感じられるので、専門家だけでなく、一般住民から、または、よそ者から、いずれにせよ、より広く何らかのリンクが手渡されて行ける可能性を持っている。

わたしたちは沖縄に旅行したとき、沖縄のかたにとてもよくしてもらって、沖縄のサカナが命がけで釣られていた昔があったことを教えてもらったのだった。一般のかたとの出会いによりユンタク、つまりちょっとしたお話のなかである。

今年はこの数年では珍しい寒さ。日本海側で雪多く、太平洋側では風が吹き急激に冷える。たとえば、海上保安庁によれば、万一通常の着衣で海に落ちた場合は海水温度が15度から20度とすると3時間程度で死の危険が生ずると言われているようだ。

こういう大自然の脅威に囲まれていても近代化の恩恵があり暖房器具のスイッチ一つで命を長らえている。電気もあるが、よく暖房器具でつかう灯油(石油の一種)のほとんどは中東地域から輸入する依存だ。じつは中東からの温もり。

ク シノッ エレクシ ネウサル ヤイコシラムセ イノンノイタク(アイヌ語:わたしは遊ぶ、タラ(エレクシ)、楽しむ、考える、祈り)。アイヌ語で魚はチェプ。沖縄の言葉で魚の総称はイユと言い、食べることはカムンと言う。*

そう言えば母は和食の料理が得意である。『フクシマ発』にも書いた通り、食卓で洋食がいいとこどものワタシはほざいたこともあった。かだってる年齢の前である。「かだる」は生意気を言うことであり、他でも使うと思うが大熊でも使う。

しかし物言わせぬ日本の空気は大日本帝国による戦争の大失敗を招いた。原子力発電所の安全神話もそうだ。あれほどのエリートたちが右往左往していつの間にか戦力何十倍もの米国に戦線布告して利権とメンツの争いにまみれ戦線を大拡大して弱まり潮時も知らず大敗北を喫した。*

歴史にタラレバはないが、いまここにサカナのタラはある(学名・Scientific name: Gadus macrocephalus)(英名・English: Cod or Haddock)。カタカナで美味いサカナだ。疲労蓄積のためマラソンは集中的に一週間ぐらい休んだ。仕事、語学、読書は進んでいる。そうだな、平和への希望と行動をもっタラ、美味い。そのために日本国憲法も誕生し、今日も守っている。

箸置きは会津の起き上がり小法師(Okiagari koboshi from Aizu)だがこれは寝っ転がってちょっと起きの、まるで「寝っ転がってて良いじゃん小法師」、または「腹筋小法師」にも見える。会津ってすごい。負けてらんにぇ。

埼玉でつくられているマコロンというお菓子が美味い。ROLANDさんがテレビで、ホストやってるひとは意外と何でもできる、という趣旨の話をしていた。こういう言葉うれしい。クリスマスというとリアルが充実だ幸せサンタという雰囲気が世を覆ってくるがむしろ『マッチ売りの少女』を思い出す。みなが暖かく過ごせるよう祈る。

*

参照

・『アイヌ語イラスト辞典』共著 知里高央・横山孝雄 蝸牛社

・『沖縄方言辞典』あじまぁ沖縄 https://hougen.ajima.jp/

・『日本人はなぜ戦争へ向かったのか』など多数 NHKオンデマンド 

たとえばこちら無料。なぜか配信が今月まで。たぶんアーカイブの点検や整理のためなのだろうが、ぜひとも太平洋戦争の貴重音声やフィルムなどは日常的公開にしていただきたい。

https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2012041703SA000/?spg=P201100079700000

ご要望こちら(一番下で「配信希望番組」のボタンがあるのでそこから簡単に出来ます。たとえば番組名は簡単に「太平洋戦争の番組を配信希望」でも良いでしょう)。

https://www.nhk-ondemand.jp/share/faq/

*

追記

『【落合陽一】民藝と共生。名もなき職人の手から生み出された生活道具に見出した“美”、そして「身体性」と「論理」の今とは?』NewsPics YouTube 2021.12.18

https://m.youtube.com/watch?fbclid=IwAR1peM5s4HvG9uZAmKwb_k-edKt9jBHkHD1z040Sje0OvA1bRhl5t_shI3I&v=rgsnTpEMwAc&feature=youtu.be

哲学者の鞍田崇さんが落合陽一さんと対談していたのを見た。なるほど勉強になった。オルタナティブ、民芸、そして我田引水かもしれないが、インディーズで総合雑誌、すなわち民俗的なものごとも入りそうだなと。それは古今東西の日常的であるが、何気ないことほど切実なかけがえのなさの深みを実は持っていると思う。

SNSもそう。ただ流れていくように見えるが、無意味さではない。SNSでしか見られない身体性は今も全体的な形を変えて続いている。ひとが時間を切り取り人生を削って投稿したもの。リアルでもヴァーチャルでも、一見して少しほつれたりした細かいところにも個性が光っているのを見逃さない読者ひいては編集者でわたしはありたい。いろいろなことが関わり、繋がり合いの一部となりえる。

濱田さんの館でわたしが出会い拝見した感覚では、そこが博物館的な場所であり、人工的な電気と隔絶されていることを再び体感したこともあったのを思い出した。それはその作品から放たれている、厳然とした物体として創作された存在という非常に基礎的な気配から感じ得たのかもしれない。むろん、使われていた美であるのだろう。ひっそり、威風堂々としていた。

ただし現代に生きる自分にとってかわいらしい愛しさを感じたのは、手に取って見ることができて、自分が用いることのできる、いま陶芸家の人達によって作られて売られているものたちであったこともまた、覚えている。

20211212

さかな焼き方生活。

秋刀魚が美味い。秋刀魚をフライパンで焼くためには半分にせねばならず、包丁を秋刀魚に入れるのが辛かった。袋のなかで見える血の色。とりだすとき触るのも生の感覚がして身震い。ごめんねありがとうと言いたくなる。

今までわたしは何を食べていたのか。料理してくれる人達の愛情であった。調理をして妻が喜んでくれるのが嬉しい。岩手の秋刀魚。妻つけた漬物。わたしが作る味噌汁。福島の玄米。琉球漆の箸。会津古墳箸置き。

ク チェプ トゥイエ ワ チ ワ シポウシ ワ ケ(チェ)。ソンノ ケラアン。イヤイライケレ。イノンノイタク。(アイヌ語:わたしは魚を切って、焼けて、塩を塗って、わたしは(わたしたちは)食べた。とてもうまかった。ありがとう。祈り。)

(沖縄だとありがとうは例えば「にふぇーでーびる」や「にぃふぁいゆー」。いただきますは「くわっちーさびら」。とても美味しいは「いっぺーまーさん」)

おそらくは思うに、「ケ」はここで「私は食べる」であり東北弁の「食(け)≒食べな」と似ている。さらに「ク」はわたしの名前であり親近感がある。ここでクは「わたし」の意味。ケは「わたしは食べる(ク・エ)」が合体して一文字になるケース(「食え」にも似てる)。チ・エもチェの一字になる。このとき一字になるのはクやチに続く語がア・ウ・エ・オだから。ワは接続。もし間違ってたら教えてください。

ネットで映像学習をいったん切り上げようと思っていたころ、眼がだいぶ疲労していたようで左目のしたが痙攣しだして数日が経ったので危険信号を感じた。映像学習は一年間よくやった。軽く2000本は見た。今年は引き際だ。休もうと思うに至る。これにて「読書生活」が始まれていて楽しい。やはり読書だ。

NHK朝ドラ『カムカムエブリバディ』を見ていると戦争関係で辛いシーンがある。むかしの暮らしは面白いけれど、当然とも言えるが、前の時代とこれからの時代との摩擦はときに避けられないこともあることをひしひしと思った。古い時代は新しい時代の邪魔にもなりえる。自分が前の時代になるとき、未来にとって重荷とならないようにはしたいものだ。過去と現在と未来に祈る。


20211205

冬の空でも太陽は暖かい。焼きジャケと筋子にごはんが美味すぎて痺れる。嗚呼すってんころりんすっとんとん。外はすぶすぶ、どこがほらほら。人生はおむすびだ。

カムイチェプ、ソンノケラアン(神の魚 [サケのこと]。とても美味しい。アイヌ語)(鮭は他にチュクチェプ、チュキペ、シペとも言うらしい)。いつも焼き魚してくれて妻に感謝(ありがとう。イヤイライケレ。アイヌ語)。これからはわたしも精進したい。

ツイッターにいる経済学者のかたによれば先進諸国の多くが100%に近いようなところ、日本は穀物自給率が半分以下なのだそう。地政学の意味で国防が弱い日本なのだ。近代化の繁栄を遂げて予算もたくさんある日本だが、いざというときに食料枯渇する状態なのは異様である。これ抜きの有事議論は違和感。あの戦争を知らないのだろう。

うまい焼肉が調理できるようになった。焼肉屋さんで食べるような感じに近くてたいへん美味い。もっと早く知れたら良かった。この時は試しにいろいろ焼いたが、もうそこまでお肉を食べてない。毎日腹筋などをするようになって2か月ほど経つせいか前よりは小食になりつつある。妻のほうが漬物が上手で美味い。

すまいる農園のりんごがとても美味い。さわやかな香り。頂いて感謝。北欧神話ではイズンまたはイズーナ(idunまたはiduna)という女神がいて、神々に永遠の青春と生命を与える不老不死のリンゴの番人とされている。そんな赤いりんごに唇よせているからか、生活は順調。

写真

右上 手作り焼肉、手作り漬物、玄米

左下 長野県小川村すまいる農園のりんご

左上と右下 東京餃子にてラーメン

※一応リンク 

リンゴの唄 - 並木路子、霧島 昇 (1946)

https://www.youtube.com/watch?v=Gf0jDTOyF4U


20211203
さきほど6時半ごろ、山梨県大月市で震度5弱だそうです。まだ大震災の余震か何か、日本列島全体になにが起きるかわかりませんね。ご無理なきよう、深呼吸してご無事でお過ごしください。
※追記 その3時間後、和歌山にも震度5弱とのことです。今年も地震が多かったですね。関東直下や南海トラフの関係でしょうか。翌朝は長野県震度3。今年も地震は多い。
In Yamanashi Pre. a little big earthquake happened 30 min ago, 6:30am. Have a really safe month. (Also, 9:30am, the same size earthquake did in Wakayama Pre.)

20211121

なつかしの奴田山(青木山)。名前が気になって歴史を調べ、蝦夷が食べただろうと思い、地域を歩いていて知っていたフキノトウのためここに妻と遊びに行ってみたら滝沢さんに出会い研究会にお声がけ頂いた。妻がカギとなる場所へ散歩に行こうと言った。

ここにわたしたちの住まいはもうないが、道と山と思い出は詰まっている。毎日ジョグした。昔の人々にとっても同様だろう。避難区域もそう。まったく何も無いということはない。今月初旬、会津に行ったとき久しぶりに撮影した。

・読みの徹底

 たぶんわたしは普通には早いほうだと思うが、おそらく世界でも類例のないエリート法曹ほどの読書速度には遠い。彼ら彼女らは日本人なのだ。それでも語学や日々の鍛錬で上がってはきたと感じる。各数十巻もあって一巻が数冊分はあって内容も難しい定本・柳田国男全集や折口信夫全集そのほか哲学や歴史や文学一般など全集シリーズそれから理数系シリーズを眺めて死ぬわけにはいかない。だいたい日々、運動と語学と執筆と映像学習で終わっている。ここらで本気を出さねばと日々思いを強くしている。


洋書読み Reading in English. 

今年計8冊の総語数計約47500。

・"The Battle of Newton Road" by Leslie Dunkling Penguin readers

読了(『ニュートン・ロードの戦い』Leslie Dunkling ペンギンリーダーズ)

 町の通りを拡幅する工事の話があがる。建設業者が住民に代わりの家や庭を遠くに作るからと説明会をする。人々は新しい家や庭に一瞬こころが動くが、教師がリーダーとなって友達や学校の距離が大事だと反対する。学生も参加。そのうち互いに譲歩しあう気持ちになって、建設業者が和解案をだし解決した。あっという間に読み終えられる1冊。1649語。

・"Sherlock Holmes: Two Plays" Sir Arthur Conan Doyle Oxford Bookworms 56頁

"The Red Headed League" and "The Three Students"

2つの戯曲『赤毛連盟』『三人の学生』

 赤毛連盟はシンプルなものだったが、三人の学生のほうは犯人の若者をかばったのが親に使えていた召使であり息子に出直しを助言したというからなんとも来るものがあった。約5900語。冊子の後ろに付いている多めの問題を読んだだけで後回しにしてしまった。

日本語は青空文庫にどちらもあった。今回わたしが読んだのは学習用に書き換えられているものだがこちらはそのままだろう。

https://www.alz.jp/221b/holmes/redh.html

https://www.aozora.gr.jp/cards/000009/files/54915_68372.html



20211120

すばらしい。会津城の天守閣。

こんなところに居られたんだな。

https://www.facebook.com/aizuwakamatsu.city/photos/a.1783310665106496/4137579246346281

20211114

会えた、食べた、話せた。

11月初旬。2年ぶりに拙誌WELTGEIST FUKUSHIMAに関わってくれている友人たちのいるちょっとしたお茶会に参加できた。場所は三春ハーブガーデン。いわき中央ICから行くと船引・三春ICで降りて2~30分ほど。

福島県の中通り地方の地形を知るひとは少ないだろう。凹凸起伏あり「丘の国」だ。すぐに昭和らしいドライブインの長屋状の建物が見えて昭和だなどと思っていたら今風のお洒落なカフェやお茶や雑貨などの売り場やビュッフェある長屋状の建物ある丘に着いた、三春ハーブガーデンである。包装を減らす売り方もされていた。その長屋にあるレストランへ待ち時間をもって入った。

日差しは強かったが曇りになって風が吹くと寒くて目に見えるほど木々からの花粉が多めの当日だった。妻との暮らしを始めてからわたしは花粉症などほとんど消滅しており、酒たばこをやめてからは皆無になった。震災前は2度ぐらい花粉症になったことがあるので辛さは分かる。

多くの人々のコロナ禍による悲しみも思う。まだ可能な限りで社会的影響が解決したわけではない。災害の放置まみれ。しかし誰かが活力を取り戻さねば回復しえない。現実の一部であるSNSも似ている状態が続いているように思われる。

そんなSNS電脳世界で身体性が失われているところ世界ではメタバースのSNSが始まり、BMIやBCIも始まっている(Brain Machine Interface, Brain Computer Interfaceの略)。脳波だけで機械やコンピュータが動かせる。まるでアニメ漫画の世界だ。便利だろうが不安もありながら。そう言えばパソコンやスマホの勉強をずっとしてないままだから少しはしていきたい。

これだけ技術革新が起きているのにわたしたち人類にはまだ不足しているものがあるように感じられる。それは、なにか。いますぐに答えが出ない。そういうものをそのままに抱えていく能力が現代人は弱っていると言われている。用語としては、ネガティブ・ケイパビリティという。いずれにせよ、我々は人間だからだろう。

それにしてもコロナ禍からの2年ぶり。こころの底から嬉しかった。当日に来れなかった友人たちとも交流できただけで嬉しかった。なにかそういう交流の回復を一気に感じられた。形式じゃない。成果じゃない。メチャのクチャ。曖昧な世界。矛盾した世界。精神的。霊的。信仰。身体感覚的。近代以前的な世界。非合理な世界。むかしの暮らし。そこから共有や発想の転換や創造も生まれる。

そしてまた日常を送り出す。

※冒頭の言葉

ローマの将軍ガイウス・ユリウス・カエサル(Gaiusu Julius Caesar)の勝利したときの言葉「Veni, vidi, vici」(来た、見た、勝った)(ウェーニー、ウィーディー、ウィーキー)に寄せてある。


20211113

11月初頭、澄んだ空気に秋の紅葉うつくしい会津。

学習院大学教授の赤坂憲雄さんが奥会津書房、三島町にてご講義なされた。2年ぶりに聴ける民俗知や仲間との再会に感無量であった。三島町には不思議な空間がある。

以前よりご清栄を仰ぎ見ていた奥会津にある会津学研究会の皆様とご同席させてもらえたこと心より感謝である。離れていてもこころが通じるとは思っているがふくしま本の森の皆様含めみんなで互いに近くに居られること幸い。

帰りは福島県の端から端まで眺めて風景を堪能できた。偶然わたしたちの新しい車に乗る初のかたになった。浜通りと会津では先月から既に体感気温が違う。

受講して思うに、民俗知は民俗学とは違い、答えありきの近代的行動ではない。おそらく学というよりも、ここで言う「知」のほうは共有と創造の実際的現場なのである。

「背戸の赤とんぼ」に関しては前に聞いているが改めてその面白さを堪能できた。民俗にとって繰り返しというのは美味、創造、確認または成熟の契機だというのも恩師の本で学んだり実生活の上で学んだことであった。

温泉宿は楽しい時間であった。源泉かけ流し。只見川はたしか弘法大師がただ見て帰った伝説が由来だったように思う*。そのとき大同2年(807)という元号は赤坂さんもむかしご指摘していた。

つまりは、支配地域になったころのことが文字によって伝わっているのである。また、大同小異というのは使い方による言葉だろう。弘法大師の伝説はよくある。

あの川、よくよく眺めていることになるのが行くと分かる。たいへん雄大で奥深く表情豊かなのだ。あの大自然から感ぜられる神秘性は並大抵のものではない。

人智を超える表裏一体者で満たされているところに居ると人間の小ささをまざまざと知って慎ましい気持ちになる。自然を知るというのは本来そういうことなのかもしれない。

黄色い枯れ葉の通す日の光は救いの道にさえ思われた。コーヒーやカツ定食の御馳走うまかった。

このごろはシェイクスピアのジュリアス・シーザーを読んでいる。シーザーはラテン語なら、Gaius Iulius Caesarである。つまりカエサルのこと。ラテン語は古典語である。残念だがカエサルの話はあまり出てこない。面白いのは文学的であるブルータスたちの話なのだ。ラテン語ならMarcus Junius Brutusであり、ブルトゥスという。あらゆるところでの人間模様、ああ人間。

三島町の道の駅では大きなキャベツとナメタケとマツタケおにぎりととちもちと天そばが美味かった。妻は会津地鶏の唐揚げ定食であった。あるところにいた茶トラ柄のネコが人懐こくて大変かわいかった。すぐ友達に。

ツイッターでの朝活10分ずつ読み3冊の読み書き活動(旧約聖書、コーラン、古事記)は三週間ほどに達した。続いている。養老さんについては、養老孟子さんが斎藤幸平さんと対談している記事を見かけた。

記事の6ページ目について*。こないだyoutube講義で話した環境倫理学の片鱗が語られている(それまでに脅威が語られている)。自然を世話、手入れするスチュアード、西欧的な思想だろう(ジョン・パスモア、John Passmoreなど)。そこに近いものとして手入れする里山に話が調整くる。

養老さんの仰る「知足」(老子だろう)のほうは、拙編著『フクシマ発』(現代書館)で自分が書いたことと重なるように思った。地域へ、里山へ、身体感覚へ。大体いまの社会的潮流と一致していると思われる。

Olafur EliassonがCOP26を機会にKumi Naidooと対談イベントをしていた。Olafurは"how to tackle the climate crisis" や"I'm a prisoner of hope." と言っていた。Kumiは"Activism is fundamentally an act of hope."と言っていた。オラファーが具体的な話に関わるのはわたしの知る限りでは珍しい。

NHKbsで会津藩主そして二宮金次郎さんの番組を見た。会津藩については純粋な精神が語られていた。赤坂さんも館長講座で前にそのようにお話していたのを思い出す。

二宮金次郎と言えば有名な像だけでなく、われらが相馬藩で著名な二宮尊徳、そのひとである。薪を背負って本を読む。そんな彼を幕府はうまく使えなかったというから残念だった。数値化、合理化、復興事業、心の田んぼを耕す金次郎さん84冊も書いた。心の田んぼを耕すは金次郎さんの言葉、そうとは知らず『フクシマ発』(吉田編著)にわたしも「こころの田んぼに田植えをする」と書いたのであった。

相馬中村藩では天明の飢饉で人口9万人から3万6千人に激減していた。食べ物がなくなるのは、実は一定の条件が揃うと一瞬であることに現代人はあまり想像しないかもしれない。わたしの先祖に近いらしきひとの系列にも苦しんでいたひとびとが居たようだったことを思い出す。

(当時は藩という呼称ではないが便宜的に)中村藩への米は17万から2万俵の収納に激減。借金だらけだった。中村藩士で二宮尊徳の弟子・富田高慶が、二宮尊徳の代理として指導したそうだ。

二宮尊徳がおこなった復興政策は、興国安民の法、報徳仕法、御仕法と呼ばれている。内容を見ると、ひとびとの生活を助けたり、やる気を出させたりするというもののようだ。

相馬市生涯学習課によれば*、『御仕法の原理は、至誠(しせい)・勤労(きんろう)・分度(ぶんど)・推譲(すいじょう)を中心思想として、経済の復興と安定、そして民情(みんじょう)をゆたかにするというものです。その精神(せいしん)は市民憲章にもうたわれ、今なお市民の心のささえとして生きています。』

言葉の意味

至誠…こよなく誠実なこと

勤労…心身をはたらかせてしごとにはげむこと

分度…自分の経済力におうじた生活の限度をきめること

推譲…後世へゆずりわたすこと

もし哲学上の言葉を使うなら、推譲は、鬼頭さんの出てる本で読んだ『世代間倫理』(参考『哲学者に会いに行こう』)と言われるものだろう。わたしたちの今できることはすべて今に加えて未来にもつながっている。それは辺野古でわたしがマイクを頂いた機会に話したことに通じていると思う。WELTGEIST FUKUSHIMAの沖縄号に掲載してある。

今このようにコロナ第5波が収束した暮らしを堪能できているが、これはいわゆるウイルスの弱毒化なのだろうか。いつまた第6波などが来るかと例年の風邪流行を思えば、たぶんすぐであろう。社会が変動するたびに誰かが泣きを見るのではなく、自分たちのいる社会を暮らしやすいよう生きやすいように調整していくことが望ましい。

参考

・只見川 寛文5年(1655)の稲河領牛澤組の風俗帳に記載されている。福島県HP

・『養老孟司・斎藤幸平対談、「足るを知る」生き方が世界を救う 人はどうすれば「自然」に回帰できるのか』養老孟司 斎藤幸平 JBpress 2021.10.16(土)

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/67256?page=6

・KM-23 報徳仕法 相馬市 生涯学習課 文化係

https://www.city.soma.fukushima.jp/shino.../kids/1/1758.html



20211110

なつかしい。もう数万件に及ぶ写真や投稿をfbで整理非公開削除などにしたが、この写真ポストはひさしぶりに出しておくことにしよう。2021年11月10日、今朝の文章を寄せて。

なにかとお世話になりました。

御礼申し上げます。

ーーー

今朝、NHKbsにて『英雄の選択』が放送されていました。会津藩主松平容保公が主人公でありました。幕末、戊辰戦争のころ、いかに会津藩が難しい立場にあったかが分かる内容です。

戦争を避けるために、5年だけでなく公武合体を続けたかったが、一般のひとびとにとたんの苦しみを味わわせてしまったことを悔いていたということです。

拙編著『フクシマ発』(現代書館)でも、会津藩主の思い、わたしの編集方針でも極めて重視していました。なぜならを今明かすと、わたしは避難してから福島県立博物館に通っていたため、会津藩主の言葉をよく眺めていたのでありました。

『フクシマ発』というタイトルは、戊辰戦争などの歴史がご専門である著述家の星亮一さんがつけたものです。星さんへの尊敬の念もあり考えたすえ、苦労も含めて愛されるフクシマをも自ら築き上げたいと思うに至りました。マイナスからプラスへ。

ツイッターではフクシマというカタカナに付されたイメージが嫌だという人々がいることも存じ上げています。その点につきわたしもおなじ思いです。ただ、いろんな心境の人々ができるだけ手と手を携えるなど穏やかな社会があればいいなとも思っています。

会津若松城で開かれる戊辰戦争の犠牲者追悼の式典に星亮一さん代理で参加したこともありました。荒城の月がサックスで演奏されていました。会津祭りがある会津開城の9月22日(旧暦)にあわせて雑誌を始めました。いつも仲間に感謝です。

最下部にある創刊の言葉の日付

平成26年(2014)9月22日

https://5febfce53953c.site123.me/

・2015年10月2日  · 

ついに出ます!10月5日!

Our new book of fukushima we Publish! 

 ー 震災5年を、ここに刻む ー

新刊・創刊号「フクシマ発」企画編集フクシマ未来戦略研究所(代表:星 亮一)・編集長:吉田邦吉 (出版:(株)現代書館 代表:菊地泰博)

昨年10月より編集長のお役目を頂きまして何も分からないところから四方八方駆け巡り細かいことまで失敗ご迷惑おかけしつつあれやこれやてんやわんやしかしあきらめずに続けてまいりましたことが実りました。すごく嬉しいです。

恐縮にも全国発売で初めて編集長の書籍です。歴史テレビ番組にも出る著述家の星亮一さんをはじめ、現代書館社長菊地さん、版元編集を担当してくれた福田慶太さん、組版、校正、デザイン、印刷の皆様、錚々たる執筆者と福島県の復旧・復興を導く企業や個人の皆様のご声援のお陰です。表立っては45名様が関わっています。

・ご執筆ご掲載等々心よりありがとうございます。

※肩書略

星 亮一 様 政経東北 様 和合亮一 様 開沼 博 様 柗本洋子 様 遠藤雄幸 様 佐藤 彌右衛門 様 赤坂 憲雄 様 藤原 章生 様 志賀 泉 様 大渡美咲 様 遠藤 由美子 様 酒井 政秋 様 Yukiko Mihara 様 山ノ井久仁子 様 宍戸 俊則 様 伊藤 千惠 様 柴田 慶子 様 あまい ゆうし 様 Arisa Nakaoka 様 関 昌邦 様 廣田 拓也 様 高田 緑 様 武樋 孝幸 様 阪下 昭二郎 様 薄 敬治 様 大田和宗  様 幸本 康寿 様 竹内容堂 様 星野 津曲 紀子 様 編集に関してspecial thanks 中島麻実 様 福田慶太 様

・2015、復旧・復興のリーディングカンパニー

東日本教育支援有限会社 様 奥会津書房「会津学」 様 ふたば行政書士事務所 様 フクシマ未来戦略研究所 様

株式会社ライトエージェンシー 様 株式会社オオバ工務店 様 プロ野球球団、福島HOPES 様 合資会社 大和川酒造店 様 詩歌・文芸書・短歌総合紙「うた新聞」出版社「いりの舎」Irino Tamaki 様 はじめての福島学 開沼博 イースト・プレス 様 ケネディを沈めた男 星亮一 潮書房光人社 様 以上

創刊号フクシマ発 現代書館

企画編集:フクシマ未来戦略研究所

代表 著述家 星亮一 

総合雑誌ヴェルトガイスト・フクシマ

編集長 吉田邦吉

(最後になりますが妻と妻の家族に心より感謝申し上げます。いつも応援一辺倒、本当にありがとうございます。大熊の先輩Junichi Komoriさんご声援ありがとうございます。他ここであげてない皆様にも感謝の気持ちで一杯です)

amazon予約は下記URLから。

(※もし万が一お時間があるかたは直接に現代書館やお近くの書店へご注文頂ければ激励とても助かります)

http://goo.gl/QGOzR3

※ハワイの雑誌社から取材依頼が来ました。

ありがとうございます。

ーーー

以下 2021年11月10日 追記

ーーー

なつかしい。もう数万件に及ぶ写真や投稿をfbで整理非公開削除などにしたが、この写真ポストはひさしぶりに出しておくことにしよう。2021年11月10日、今朝の文章を寄せて。

なにかとお世話になりました。

御礼申し上げます。

ーーー

今朝、NHKbsにて『英雄の選択』が放送されていました。会津藩主松平容保公が主人公でありました。幕末、戊辰戦争のころ、いかに会津藩が難しい立場にあったかが分かる内容です。

戦争を避けるために、5年だけでなく公武合体を続けたかったが、一般のひとびとにとたんの苦しみを味わわせてしまったことを悔いていたということです。

拙編著『フクシマ発』(現代書館)でも、会津藩主の思い、わたしの編集方針でも極めて重視していました。なぜならを今明かすと、わたしは避難してから福島県立博物館に通っていたため、会津藩主の言葉をよく眺めていたのでありました。

『フクシマ発』というタイトルは、戊辰戦争などの歴史がご専門である著述家の星亮一さんがつけたものです。星さんへの尊敬の念もあり考えたすえ、忌避のフクシマでなく、苦労も含めて愛されるフクシマをも自ら築き上げたいと思うに至りました。

ツイッターではフクシマというカタカナに付されたイメージが嫌だという人々がいることも存じ上げています。その点につきわたしもおなじ思いです。ただ、いろんな心境の人々ができるだけ手と手を携えるなど穏やかな社会があればいいなとも思っています。

会津若松城で開かれる戊辰戦争の犠牲者追悼の式典に星亮一さん代理で参加したこともありました。荒城の月がサックスで演奏されていました。会津祭りがある会津開城の9月22日(旧暦)にあわせて雑誌を始めました。いつも仲間に感謝です。

最下部にある創刊の言葉の日付

平成26年(2014)9月22日

https://5febfce53953c.site123.me/



20211102

I give a lecture about prof. Kito Shuichi' book of Environmental Ethics. 

アウトドア遊びや地域おこし、消費や流通、農業や民俗、開発から防災から、すべては環境で行われます。そこでは自然と人間の営みを考える、哲学することがたいせつですから、星槎大学副学長で東京大学名誉教授である鬼頭秀一先生の本を基本書にして読み解き講座の公開練習をおこないます。『自然保護を問い直す』(ちくま新書)。この動画は、環境哲学、環境倫理、自然保護の学びへの導入部分です。本を読む前に見ても大丈夫です。よろしくお願いします。

なお、民俗をつぎはぎすることについての意見は当然ながら多様だと思います。ここでは尺の関係上もあり、基本書の内容にあまり私見を挟まないようしています。





20211101

#衆院選2021 所感メモ

選挙は野党が大健闘していた。長いコロナ影響で多くの人々が動き出しているのだろう。接戦だったところ多い印象がある。いずれにしても、小選挙区は負けても相手への強い参考になる。比例は勝利の積み重ね方式である。つまり選挙に行くこと自体に勝利への価値がある。選挙は皆が幸せになるためにあるのだから。選挙の後こそが始まりである。

20211028

今週は会津地方へ一泊二日の旅をした。2019年秋にいわき市に引越してすぐコロナ禍だったので2021年の秋は実に2年ぶりの会津の眺めである。磐梯山や田園が壮観だった。

喜多方市へ着いて、大和川酒造にて半沢政人さん(Artist, Hanzawa Masato)の展示を拝見する。幾何学模様の折り紙と幻想的な光の世界が表現されていた。自撮り(selfie together)して楽しむ。

さいきん市内に観光客が増えているそうだ。名前が似ている「くらよし」にて喜多方ラーメンを頂く。「たんたんどる」というところでパンや菓子を買う。フランス語でやさしい時間の意。

紅葉庵を見学しにいく途中「このあたり歩いたことあるよね」と妻と話していると会津三十三観音の4番高吉観音ありやはりあった。喜多方にて女性たちと出会いがあり無農薬無化学肥料の野菜を頂く。

会津若松市では福島県立博物館へ行って妖怪・怪異などの本を買った。ちらちらと見てはおもしろがっている。館内ロビーにはひとが生まれて食べ物がつくられて排泄して肥料になってそのうちに亡くなってという世界の循環を学べる展示があった。

会津民俗研究会の滝沢会長のところへごあいさつに伺う。野菜を頂く。コロナ禍でもいつもどおり元気に活動していらっしゃる様子であった。温泉旅館では三浦さんの口語訳古事記を読んだりグリム童話を読んだりした。古事記で会津は「相津」と書く。

会津城へ行った。ひさしぶりの会津城を歩いていて思ったのは、やはりここを歩くと「会津に来た」という実感を強く得られることだ。会津ではかつて蒲生氏郷(レオ)という大名が居て彼のためにキリシタンが増えた歴史あり。会津若松の町割りや天守閣の城を建てたのも蒲生氏郷である。

YouTube

『ざっくり会津の歴史6 江戸時代の境目』吉田邦吉

https://www.youtube.com/watch?v=4dqH3w80d-E

その歴史とどう関係しているかは分からないが、キリシタンは江戸時代にすぐ禁教となることを考えれば、石垣に十字の印が幾つか維持されたままなのは非常に重要なことだろうと思い直して、また見に行った。前に見たことがあるのも思い出した。不自由な禁教の時代、ひとびとはこの石垣のことを知っていただろうか。この意味を知らない者はこう彫らない。そもそもいつ彫られたのか。

前に数えた数と同じ3つを偶然に見つけた。「3」はキリスト教にとってよく出てくる聖なる数字だ。場所は、西出丸から歩いていき天守閣の辺りの領域に入る前の道の段階でまず1つ。戊辰の歴史ある鐘撞堂のすぐ下の辺りクランクのところ突き当りの石垣の辺りで2つある。確実にキリストの十字になっているが向きは意図的だろうか、すべてバラバラである。

それは、隠れようとしているのか、添えようとしているのか。あそこまで明確に十字をふつう入れない。蒲生氏郷(Gamou Ujisato)、茶道一流であるキリシタン大名(Cristian Daimyo)の城である。

逆十字に見えるものもある。もしペテロ(Petro)に関するものなら、初代ローマ教皇にも関する。ペテロはキリスト受難に際し逃亡したが改心して信頼されイエスから天国の鍵を託されたイエスの弟子筆頭であり、初代ローマ教皇である。ペトロはイエスからアラム語で石という意味のケファとも呼ばれた。ペトロという言葉自体が岩の意味でもある。

石と言えばイエスの言葉には以下が有名である。イエスが引用した聖書の言葉だ。この石はつまりイエスのことであり、「救いの岩」(The rock of salvation)ということになる可能性がある(ヘブライ語で岩は「ツール」( צוּר ))。

「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。」(マタイによる福音書21章42節)

マタイによる福音書は、英語、古典・現代ギリシャ語なら(The Gospel of Matthew, 古典ギリシャ語:Κατὰ Ματθαῖον Εὐαγγέλιον/カタ・マツサイオーン・エウアンギェリオン, 現代ギリシャ語:Κατά Ματθαίον Ευαγγέλιον/カタ・マツセオン・エヴァンギェリオン)(ギリシャ文字を覚えるには震災前に1年かかったのを思い出す)

石垣にある武者走りを眺めていたらお城の案内ボランティアのかただろうか。教えてくれた。左が新しくて右が古い数百年とか。天守閣の石垣は野面積み(のづらづみ)で、免震構造だとか、石積みは3種類あるとか。石に縦のシマがあるのはノミで削った跡であり、雨を流すためなど。武者走りにはハートの石垣がある(写真左側)。

……ひとは他界してもひとが築いた石垣は残ったことを思った、人は石垣、深いことだ。石垣を眺めているのが思いのほか楽しい。基準木の桜を見て会津先達の皆様と花見をしたことを思い出していた。石垣に伸びる草ただ眺めては。

お昼は会津若松市内にあるワンズホームでピザやパスタを頂く、お気に入り。レンガ通りでは語学に優れた野口英世そして渡部鼎について思った。美工堂ではノダテマグやBITOWAそして会津木綿の服を眺めた。むかしビトワのコーヒーカップで関さんに珈琲をご馳走になり、はっとするほど美味かったのである。

高速道路は眠かったが休み休み行って到着。ガソリンで走った。灯油やガソリン(gasoline)は石油の一種だからペトロの別の意味「石油」(petrol)にも繋がっている。



20211024
日溜まりに木の葉も休む秋の暮れ
いよいよ年末にさしかかってあれこれ一段落したのでモス・バーガーに妻と出かけた。今週は何をしていたんだったか(いつものように語学、民俗学、文学など)。あっという間に週末になっていった。朝活として起きてすぐ運動などしてだいぶ経った。
他にも最近は自分のツイッターで新シリーズ『朝活10分読み』を始めている。いまは旧約聖書、コーラン入門とコーラン、そして古事記を読み、簡単な感想も書きとどめていくことにしていて、11日目となっている。けっこうな収穫が得られて嬉しい。https://mobile.twitter.com/FukushimaFolk
使用しているのは旧約は日本聖書協会の新共同訳であり新約含み分厚い。コーラン入門はちくまのリチャードが書いているもの。コーランは今は書籍のが倉庫の中で見当たらないので以下のkindleから使用しているので日本語、アラビア語、英語とすべて手に入った(ただし日本語がしばしば意味の分からないことがあり逆に臨場感がある気がする)。古事記は三浦佑之さんの口語訳古事記である(ほかの社のも持っているが今は詳説のものよりもこちらの気分でいる)。
コーランのURL(Amazon)
『The Quran: Arabic - English (English Edition) Kindle版』
英語版  Abdullah Yusuf Ali (著) 
https://www.amazon.co.jp/Qur.../dp/B06W9MVBYM/ref=sr_1_42...
『神聖なコーラン: 日本語の意味の翻訳 Kindle版』
アッラー(神) (著) 
https://www.amazon.co.jp/%E7.../dp/B083JRT1S7/ref=sr_1_1...
旧約聖書は400頁ぐらい読んでいたようで、以前の続きであるサムエル記から読んでいる。ダビデがゴリアトを倒すところ。ダビデは羊飼いだから羊飼いの投石器を使える。それで獅子や熊も倒してきた。
ゴリアトは剣を持ち、盾をもった人に囲まれ、鉄壁の守りだ。杖と石ころしか持っていないダビデを侮っていた。しかしダビデの投石はまるで弓矢のようだったのではないか。一発でゴリアトを倒した。
最近の国際ニュースでも見かけることにはおどろくが、サムエル記によれば一発でひとが死ぬほどなので、安易に遊んでみようなどと思うと後で大変なことになってしまうかもしれないので要注意。
朝活とは別に毎日の読書のなかに柳田国男が入っている。宮本常一も途中だ。なにもかも途中である。始めは半分と言ったのは古代ギリシャだったかネットにあったと思う。精進したい。ほぼ同じ意味で「Well begun is half done.」だと英語の諺では見つかった(コトバンク)。
アメリカで腎臓移植の医療が進んでいるとのこと。ひとびとの笑顔が増えることを祈っている。
それにしてもクロワッサンが美味い。数年ぶりに食べた気がする。このあたりはパン屋が少ない。
コリン・バロウ教授の言葉をツイッターのイギリスの書評誌『ロンドン・レビュー・オブ・ブックス』(1979年刊)で見かけ、この感性は見たことがあるかもしれないと直感したらやはり彼の本を持っていた。分厚いシェイクスピアのソネットの本。
彼が言うには、和訳すれば以下になろう。
『文化というのは、惑星を征服することでなく、光速より速く旅行することでもない。道に迷ったと自分で思ったとき進み続けることについてである。』吉田訳
そうだ。年末にかけてひとは焦燥感とか逃避行が出てくるのかもしれない。暦というのがあるからそう思うだけであって生涯の時間は人それぞれに与えられている不可逆のもの。同じ運命同じ寿命ではないのだから平等ではない。
ただ同じ一瞬みたいなものを感じていて、ちがう年月感にそれぞれが住んでいる。同じものは見てない。不思議なことだ。でも、非常に広い意味での物語や本などを知るとき、同じものを見ている。それは、すごいことなのだろう。
出典:
London Review of Books@LRB quoted, ‘Civilisation isn’t about conquering planets or travelling faster than the speed of light. It’s about keeping going even when you think you’re lost.’ from here, "Vol. 43 No. 2 · 21 January 2021
It’s not Jung’s, it’s mine Colin Burrow"
 (https://www.lrb.co.uk/.../colin.../it-s-not-jung-s-it-s-mine ) 


20211023
洋書読み感想文 Reading Practice in English
6、『アンデルセン名作選』作:ハンス・クリスチャン・アンデルセン。翻案:デヴィッド・オリヴィエ("The Best of Andersen's Fairy Tales" by H. C. Andersen/ Hans Christian Andersen, Adapted by David Orivier)英単語の総数13700語、105頁。今年6冊の語数総計42014。
デンマークの詩人・童話作家である。どれもどこかで読んだ記憶があるが、おとなになってから読むとアンデルセンの思っていることがなんとなく分かる気がするからもっとおもしろい。アンデルセン名作選をAdapted(翻案つまり細かい点を書き換えて書いた)このデヴィッド氏が哲学者(philosopher)のデヴィッド氏なのかは書いてないので分からない。和訳も挙げておくがわたしが読んだのはラダーシリーズ(IBCパブリッシング)の英語版である。
・『人魚姫』アンデルセン(The Little Mermaid)
人魚が王子に恋したがゆえ海底での何不自由ない超長寿や楽しい暮らし家族や声すべてにお別れして地上へ来るという物語……まるで、女性性に押し付けられてきた古い役割ではないかともいまは思える。自分の本当のことを話せない辛さ。先を越される苦しみ。もどかしさ。恋しただけの人魚姫が負うにしてはあまりにも重すぎる。人間と人魚。人魚は人間でない扱いの意味は考えるものがある。
失恋後に死してなお不滅の魂を得るために空の精霊となって奉仕の仕事があるという。アンデルセンはとても悲しい物語を書いた。おそらく、一生懸命に生きても報われない女性の物語を感じること自体が救いであり、死後には報われるという救いの物語なのではないかとも思える。なぜなら、人々にとって不幸というのは現実感のあることだからだ。
『人魚のひいさま』楠山正雄訳
https://www.aozora.gr.jp/cards/000019/files/42383_21527.html
・『裸の王様』(The Emperor's New Clothes)1837年作
ある詐欺師たちにより、自分がバカだと思われたくないから重臣たちは自覚しつつをウソをつくはめになり、ついには王様も分かっていながらウソをついて、透明な服を着たふりをして裸で行進を続ける。途中でこどもから真実を言われながら。支配と服従といった権力関係にないこどもには分かる。
アンデルセンがこの物語のもとにした原作は14世紀スペインにある。それにしても「裸の王様」、おそらく巷では使い古された言葉かもしれないほど政治的なそこではよく使われる言葉だ。公式な場よりも雑多で私的な巷というのは権力的な干渉がないために真実が語られやすい。現実かつ真実。思わず笑った。
『はだかの王さま』 大久保ゆう訳 青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000019/files/46319_23030.html
・『しっかり者のすずの兵隊』(The Steadfast Tin Soldier)
どんなときでも錫(すず)の兵隊さんは動じない。不動のしっかりしたこころでまっすぐ前を見て、危険がないことを恐れ、墓場へ行くのだというその秩序の制服を着ていることがどのようなことか、紙の船という不安定な旅路でつきまとうそれを人間でないスズの主人公は恋愛とともに追体験することになる。
しっかり者のすずの兵隊 楠山正雄訳 青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000019/files/58847_70967.html
ロシアではアニメになっている。
Мультики: Стойкий оловянный солдатик
https://www.youtube.com/watch?v=TzgbkCIErq4
・『みにくいあひるの子』 (The Ugly Duckling)
知ってる作品でも改めて英文を読んでみるとまったく違う印象を持った。大人になると見えてくる物事が違うのだ。まず同じ兄弟たちですら見た目の違いをバカにしてイジメ、そして親という通常は美しく語られがちな立場の者が見た目の違う者に違う扱いをする、つまり差別をしている。
みにくいあひるの子はどこへ行ってもバカにされイジメられていて、行き場がない。通常かわいいとされるネコやめんどりもイジメる側に回り、かつ、一般常識では誰が賢くてどの価値基準だということを押し付けてくる。人間のこどもたちも何の気なしに彼を追い回して彼を怖がらせたりする。かれは居場所がない。
しかし農家のひとは氷のなかから彼を助けてくれた。ここでは狩人たちこそがイジメるアヒルたちを全て撃ち取った。なんの前触れもなく彼は命からがら逃げられる。救済に前提も予告もない。純粋無垢と思われやすい動物たちによるイジメの数々。いわゆる思い込み的な、原則的な価値観を転倒させていると言える。
ある日やってきた見たことのない美しい鳥の群れを見る。以来彼はその鳥たちに憧れる。もし近づけばまた嫌われてイジメられ殺されるかもしれない。しかしもう二度目の冬は乗り越えられそうにない。思い切ってもう死んでもいいと鳥たちのもとに近づいていったところ、彼自身がその鳥に育っていた。白鳥である。最も若くて美しい白鳥に育ったかれを仲間の白鳥たちは優しく接し頭を垂れた。ただし他の白鳥たちが彼という新入りの白鳥に優しくしたのは見た目が同じ白鳥でもことさら美しいからだろうか。同じ生物だからだろう。
『みにくいアヒルの子』矢崎源九郎訳
https://www.aozora.gr.jp/cards/000019/files/58875_69752.html
これらの物語だけでなく、マッチ売りの少女など、アンデルセンは約150の物語を書いている。アンデルセンは興味深い人物だ。いま数冊の本を持っている。いずれ自分の理解と考察を深めていきたい。迷うのは、これからアンデルセンを日本語で読むのか英語で読むのかだ。最初に英語で読むと英語が本物の気がしてくる。デンマークのひとだから英語でも日本語でもないのだが。

20211018

コロナ第5波で大停滞中の苦労を忘れてはいけない。いまはぬか喜びの時期かもしれない。選挙へ行こう。ひとびとの生活がしあわせになることを祈っている。政治や選挙というものに関して、おとなたちが、どういう姿勢をもって、どういうふうに行動してどんなことを言っているか、たまに見ておくといいのでしょうね。若いひとたち。

20211018


20211018

シンギュラリティ。

パソコン 近所の友達の兄さんパソコンでゲームつくり パソコンfmタウンズ 情報処理の資格すごい近所の姉さん ウィンドウズ95ニュース 高卒後、19歳でパソコン教室へ 二十歳になり宅建とるのにネット用い情報取得 パソコンの仕事は飽きてやめる 大学で学びたくなる 勉強のための情報収集にインターネット大活躍 英語でSNS 海外に友人でき  震災 SNSを国内ではじめ多くの友人知人ができる 避難生活でも孤独を感じることがほぼなく過ごせる 細かい革命は他にもあるが大まかにこの程度で、いまに至る

ところで、格闘技「K-1」にて、野杁正明選手がすごすぎる。山崎選手とのときもすごい試合だった。安保選手のYoutubeもよく見るので複雑な気持ちもありながら。K-1界でまた凄まじいファイターを知れてうれしい。YouTubeで魔裟斗さんとの対談によると、かれはずっと圧力をかけながらガードして居られるひとで、しかも相手から来る攻撃のダメージを減らせるらしい。堅いガードに見えて実は柔らかいガードなのかなんなのか。そしてカーフキックやひざでガタガタにさせて相手が焦ってきた頃、狙いを定めて急所へあごやボディーを打つようだ。完璧なガード。攻撃には無駄がない。すさまじい。木村ミノル選手にすこし似ているだろうか。いずれにせよ、あまりいないタイプでは。すばらしいスタイル。あれほど自分を消耗して見せ続けてくれるスポーツをわたしは知らない。励まされる。

20211017

(恐らくこれが来年のわたしのエリア解除までの最後の本格的な現場からのエッセイになるでしょう。)

エッセイ

「敗戦の花:セイタカアワダチソウ」執筆:吉田邦吉 17th of 10, 2021

いまちょうど福島県ではセイタカアワダチソウが黄色い花を咲かせている。わたしはそれをもってきて、普段ほかの花をそうするようにお気に入りのマグ『ノダテマグ』(の小さいほう)にいけたりもする。あれこれ調理して食べたりしているひともネットで見かける。

福島にセイタカアワダチソウが咲いていることの意味を震災から数年のころ「あれは敗戦の花なんだよ」というような趣旨でわたしに教えてくれたひとがいる。小説家のかただ。米軍に付いて来て根付いた花。検索してみると確かにそういう話がある様子。

すなわち、あれはWWⅡの焼野原から地続きにある花ということを意味しえる。まず戦中に、大日本帝国臣民の開発しようとした核の場所は、福島である。その地への旅は『Dark Tourism Japan1』に書いた。大熊町には特攻練習機『赤とんぼ』の置かれた磐城飛行場があり、アメリカに狙われたこともある。

「長崎に原爆が落とされたのと同日の1945年8月9日と翌10日、磐城飛行場一帯をはじめ、大熊町は機銃掃射など、米軍の猛攻に見舞われる」*と安田菜津紀さんの記事にある。こちらには大熊町の鎌田清衛さんの言葉が掲載されている。なんと長崎の原爆と同じ日が大熊の赤とんぼの日でもあった。

そして戦後はアメリカ大統領による『Atoms for Peace』演説を契機とし、外務省HP『原子力の平和的利用 総論』によれば『平和』『保健』『繁栄』のための原子力という目的が始まる。

つまり福島と原子力は戦中も戦後も『アメリカ』『平和、保健、繁栄』を抜きにして語れないのである。むろん花の侵入経路についての真実は知らないが、セイタカアワダチソウのことをわたしはさらに写真家のかたに話したこともある。

どこなのか見つからないが前に何かの記事で、帰れてない故郷で咲いていたセイタカアワダチソウの黄色(きいろ)が、稲穂の黄金色(こがねいろ)に見えた避難者の記事かなにかがあったように思う。セイタカアワダチソウは他にも福島に関する記事で時々見かける。明治時代に入ったという話もある。明治は近代化、欧米化である。むろん、植物そのものには何の罪もない。

漢字では「背高泡立草」と書くそうだ。背伸びした黄金色もどきの黄色が泡のように咲き立っている。あぶくのようにふわふわ立っている。まるで、黄金ジパングの繁栄のために背伸びしすぎた過去の日本が今や黄色い泡となって幻の花が立っていることを表現しているようではないかと、わたしには見える。トンバッグの周りにあれば尚更、人類の夢の花を表すようにも見えてくる。

……このごろは、真夏が終わったので室内でなく坂道コースの屋外マラソンをわたしは日課として再開している。けだしまだ暑い。これは自分との闘いだ。水がすこぶる美味くて、水がそのまま命の水だと感じられる。海そして山と森の川から流れ来る水こそ命の続きなのだ。約75年前の10月は暑くて非常に過酷だったペリリューの戦いがあった。

ふと、日本の村での暮らし、という番組があるのを見つけた(タイトルは"Karl and Tina: Embracing Village Life in Japan NHK WORLD PRIME 49m 00s Broadcast on August 21, 2021 "である)。

海外から移住した人達の話である。森の中で流れる水を管理している時間。ひとびとの交流。自然からの恩恵。これは多分いわゆる、ごく普通の田舎での暮らしが映像になっていた。

思うに、日本は経済成長を追い求め、災害が起きようとなんだろうと満員電車に乗り、ぼろぼろになるまで無理をして、常時なにものにも関心をもつ余裕がなかったりして、いったいなんのための人生なのかと自問自答するひとは少なくなさそうだ。あまりの格差。あまりの悲しみ。

そんなおり地方にせよ都市にせよ人間の自然な生き方とは何なのか、地方にはなにがあればいいのかなど、日本のいろいろな普通の暮らしを描いたシンプルな番組は考える機会になりそうだ。ひとが生きるには、まず人々の暮らしに余裕と安定がなければならないのである。だが豊かさとは、いったい何のことなのか、我々は考え続けて長い年月が経っている。

この映像のなかでどなたかが、ここでは前みたいな仕事をせず畑で作物を育てて食べてこれでいいのか少し心配に焦るというような方向の話をしていて、日本的だと思った。アメリカでは40代で早期退職して第二の人生を歩く人々が増えているぐらいだというが、311後11年目、コロナ第5波の後、日本の次世代はどういう暮らし、どういう価値観を築いていくのだろう。

この手の(多分)NHKの他の番組を他にも見たことがある。そのときはブルーベリーを手をかけて育てソフトクリームかなにかを自宅でつくり売り始めた一家の話であり、そのときもどなたかが、(そんなふうで長期的に)だいじょうぶなのかとすこし心配にはなりますという趣旨のことを言っていたのを思い出す。

どうしても日本はまだ、「程よい暮らし」ということの実現にはハードルが高いのかもしれないが、それが世界的に有名で豊かだとされる国の実情なのだろう。現代社会はどのぐらいそれができないのか、できるのか。近代文明とは人類にとって何なのか。それらは他人のことではなく、あきらかにわたしたち自身の姿であり、足跡と未来のことなのである。

そうした長い歴史と人々の苦労を経て今、突如ふるさとを10年以上も追われている田舎で日本国民のわたしが妻の愛妻弁当によって透明な焼野原となったふるさと福島の大熊町の土地をふたたび耕している。いつまで続けられるかは分からない。ただそこで黄金色もどきをしたバブル夢の花が何も言わずにただ見守っている。

ここで余談ではある。この花が日本列島に来て居ることで、日本の生態系や景観が崩れることを心配して忌避する人々も少なくはなさそうである。たほう、意外とそこまでいかないだろうという意見もネットでは見たこともある。

たとえいつか除去されようと何だろうと、その歴史的な花が福島にあるうちは、単なる負の歴史ということでなく、6年ぐらい寝かせていたこの花についてのわたしなりの考えを書きとどめておきたくなったからいま筆を執った。

あれはまるで、ひとの世はただ春の夜の夢の如しと、諸行無常を言っているようなのである。そうした夢の泡のあはれにひとびとが本当の意味で感じ入るとき、もっとずっと、古き良き日本は、新時代に沿うものとして復活するのではないか。

戦争と災害のことを書いた。これを書き終えるために何時間もかけて夜になり、鈴虫の鳴き声が聞こえる。虫や鳥などの動物たちも戦争や災害の犠牲になったことにも思いを馳せる。過去、現在、未来、すべての魂が癒されるよう、星空の下、すべての生きとし生ける命に祈りを捧げる。

写真

:吉田が耕している農地で咲いている大熊町・避難指示区域のセイタカアワダチソウ。今このエリアにゲートはもう無い。昼間の立ち入りが緩和されている。その事実は多くの人々にとってまだ知られていないので重要である。立ち入り自由のことは「オンリミッツ」という。

避難区域は一部が再生区域に指定されているからだ。立ち入り制限区域(オフリミットエリア)のゲートがなくなっている段階なのである。なぜ他の人と違い、わたしがその制限区域をその英語でそう言うかは、横浜に占領でいたアメリカ進駐軍の歴史で使われた言葉だからである。沖縄の米軍基地でもそのようだ。

お金、お酒、女性、博打、清浄、衛生、交流、観光、偏見・差別、諜報、暴力、安全、戦争、日米地位協定や日米安保条約など、あらゆる境界が絡んでいる。そういえば日米安保条約の分厚い辞典のようなものをわたしは持っていることを思い出した。

Off Limits Areaに入れるのは限られた日本人だけであり、そこから新しい音楽など新しい文化発祥の地となっていった(ただしオフリミッツと言う言葉についてのこのような使い方は本来の定義と逆のようではある*)。そうしてはじめて、沖縄、横浜、福島が、一本の線で繋がっていくようである。そういう各地域を乱暴に並べて投げつけるだけの言葉にしたくない。親近感なのだ。

『1945年8月30日に横浜入りした連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥によって米軍による占領が開始され、横浜地区占領軍受入設営委員会は、まず横浜海運局(後の横浜税関)を占領軍司令部に、ホテル・ニューグランドを占領軍首脳の宿舎にあてました。』*

『これらの接収地はフェンスで囲まれ日本人の立ち入りが禁止されたため、周りからは「オフリミット」と呼ばれていました。』『日本の中にある 「フェンスの向こう側」、「小さなアメリカ」は、日本人にとって目の前にあっても立ち入ることができない、手の届かない憧れの場所でした。クラブの従業員や出入りする米軍軍人のゲストとして「オフリミット」に足を踏み入れるしか方法がない「近くて遠い外国」だったのです。』*

かつて拙編拙著の『フクシマ発』(現代書館)にて書いたように、このことは、75年の関係だけでなく、江戸時代の鎖国そしてペリー来航や戊辰戦争から始まっていく長い長い日本の近代化にまつわる巨大な歴史なのである。あれから沖縄はどうなったか、どういう歴史を体験してどういう風に回復していったか。OKINAWA、オキナワと書かれたこともある。横浜(YOKOHAMA、ヨコハマ)はどういう歴史をもっているのか。どのぐらいいきか。

フクシマ発に書いた「歴史は生活が作る」とは実は津田左右吉の文章からまとめた言葉である。そこからぼくらは自分たちのことを描いていくことだろう。そうして、「FUKUSHIMA(フクシマ)」にもそういう文化発祥の地となることが可能になるだろうと考えている。それがわたしの場合、雑誌WELTGEIST FUKUSHIMAとして一部を担いたいと考えていることは言うまでもない。まだまだ、わたしたちの冒険は始まったところなのである。

参考文献

・『かつての特攻訓練場は、福島第一原発の敷地となった  「捨石塚」が伝えるものとは』安田 菜津紀 2020年7月30日  Dialogue for People 

https://d4p.world/news/5881/

・『原子力の平和的利用』外務省 

https://www.mofa.go.jp/mofaj/dns/inec/page22_003030.html

・『横浜は「小さなアメリカ」だった 「フェンスの向こう側」』みんなでつくる横濱写真アルバム 執筆 福井一男 2009年9月29日 実施主体:横浜写真アーカイブ協議会(財団法人横浜開港150周年協会、社団法人横浜港振興協会、横浜市、横浜市民メディア連絡会、横浜市立大学国際総合科学部鈴木研究室、その他趣旨に賛同する団体・個人)

http://www.yokohama-album.jp/special/post_104.php

・『「オフリミッツ」の境界』阿部純一郎 椙山女学園大学文化情報学部紀要 2017

https://core.ac.uk/download/pdf/230638723.pdf

・『歴史とは何か』津田左右吉 青空文庫

https://www.aozora.gr.jp/cards/001535/files/52202_46231.html



20211017
エッセイ
「敗戦の花:セイタカアワダチソウ」
いまちょうど福島県ではセイタカアワダチソウが黄色い花を咲かせている。わたしはそれをもってきて、普段ほかの花をそうするようにお気に入りのマグ『ノダテマグ』(の小さいほう)にいけたりもする。あれこれ調理して食べたりしているひともネットで見かける。

福島にセイタカアワダチソウが咲いていることの意味を震災から数年のころ「あれは敗戦の花なんだよ」というような趣旨でわたしに教えてくれたひとがいる。小説家のかただ。米軍に付いて来て根付いた花。検索してみると確かにそういう話がある様子。

すなわち、あれはWWⅡの焼野原から地続きにある花ということを意味しえる。まず戦中に、大日本帝国臣民の開発しようとした核の場所は、福島である。その地への旅は『Dark Tourism Japan1』に書いた。大熊町には特攻練習機『赤とんぼ』の置かれた磐城飛行場があり、アメリカに狙われたこともある。

「長崎に原爆が落とされたのと同日の1945年8月9日と翌10日、磐城飛行場一帯をはじめ、大熊町は機銃掃射など、米軍の猛攻に見舞われる」*と安田菜津紀さんの記事にある。こちらには大熊町の鎌田清衛さんの言葉が掲載されている。なんと長崎の原爆と同じ日が大熊の赤とんぼの日でもあった。

そして戦後はアメリカ大統領による『Atoms for Peace』演説を契機とし、外務省HP『原子力の平和的利用 総論』によれば『平和』『保健』『繁栄』のための原子力という目的が始まる。

つまり福島と原子力は戦中も戦後も『アメリカ』『平和、保健、繁栄』を抜きにして語れないのである。むろん花の侵入経路についての真実は知らないが、セイタカアワダチソウのことをわたしはさらに写真家のかたに話したこともある。

どこなのか見つからないが前に何かの記事で、帰れてない故郷で咲いていたセイタカアワダチソウの黄色(きいろ)が、稲穂の黄金色(こがねいろ)に見えた避難者の記事かなにかがあったように思う。セイタカアワダチソウは他にも福島に関する記事で時々見かける。明治時代に入ったという話もある。明治は近代化、欧米化である。むろん、植物そのものには何の罪もない。

漢字では「背高泡立草」と書くそうだ。背伸びした黄金色もどきの黄色が泡のように咲き立っている。あぶくのようにふわふわ立っている。まるで、黄金ジパングの繁栄のために背伸びしすぎた過去の日本が今や黄色い泡となって幻の花が立っていることを表現しているようではないかと、わたしには見える。トンバッグの周りにあれば尚更、人類の夢の花を表すようにも見えてくる。

……このごろは、真夏が終わったので室内でなく坂道コースの屋外マラソンをわたしは日課として再開している。けだしまだ暑い。これは自分との闘いだ。水がすこぶる美味くて、水がそのまま命の水だと感じられる。海そして山と森の川から流れ来る水こそ命の続きなのだ。約75年前の10月は暑くて非常に過酷だったペリリューの戦いがあった。

ふと、日本の村での暮らし、という番組があるのを見つけた(タイトルは"Karl and Tina: Embracing Village Life in Japan NHK WORLD PRIME 49m 00s Broadcast on August 21, 2021 "である)。
海外から移住した人達の話である。森の中で流れる水を管理している時間。ひとびとの交流。自然からの恩恵。これは多分いわゆる、ごく普通の田舎での暮らしが映像になっていた。
思うに、日本は経済成長を追い求め、災害が起きようとなんだろうと満員電車に乗り、ぼろぼろになるまで無理をして、常時なにものにも関心をもつ余裕がなかったりして、いったいなんのための人生なのかと自問自答するひとは少なくなさそうだ。あまりの格差。あまりの悲しみ。

そんなおり地方にせよ都市にせよ人間の自然な生き方とは何なのか、地方にはなにがあればいいのかなど、日本のいろいろな普通の暮らしを描いたシンプルな番組は考える機会になりそうだ。ひとが生きるには、まず人々の暮らしに余裕と安定がなければならないのである。だが豊かさとは、いったい何のことなのか、我々は考え続けて長い年月が経っている。
この映像のなかでどなたかが、ここでは前みたいな仕事をせず畑で作物を育てて食べてこれでいいのか少し心配に焦るというような方向の話をしていて、日本的だと思った。アメリカでは40代で早期退職して第二の人生を歩く人々が増えているぐらいだというが、311後11年目、コロナ第5波の後、日本の次世代はどういう暮らし、どういう価値観を築いていくのだろう。

この手の(多分)NHKの他の番組を他にも見たことがある。そのときはブルーベリーを手をかけて育てソフトクリームかなにかを自宅でつくり売り始めた一家の話であり、そのときもどなたかが、(そんなふうで長期的に)だいじょうぶなのかとすこし心配にはなりますという趣旨のことを言っていたのを思い出す。

どうしても日本はまだ、「程よい暮らし」ということの実現にはハードルが高いのかもしれないが、それが世界的に有名で豊かだとされる国の実情なのだろう。現代社会はどのぐらいそれができないのか、できるのか。近代文明とは人類にとって何なのか。それらは他人のことではなく、あきらかにわたしたち自身の姿であり、足跡と未来のことなのである。

そうした長い歴史と人々の苦労を経て今、突如ふるさとを10年以上も追われている田舎で日本国民のわたしが妻の愛妻弁当によって透明な焼野原となったふるさと福島の大熊町の土地をふたたび耕している。いつまで続けられるかは分からない。ただそこで黄金色もどきをしたバブル夢の花が何も言わずにただ見守っている。

ここで余談ではある。この花が日本列島に来て居ることで、日本の生態系や景観が崩れることを心配して忌避する人々も少なくはなさそうである。たほう、意外とそこまでいかないだろうという意見もネットでは見たこともある。

たとえいつか除去されようと何だろうと、その歴史的な花が福島にあるうちは、単なる負の歴史ということでなく、6年ぐらい寝かせていたこの花についてのわたしなりの考えを書きとどめておきたくなったからいま筆を執った。

あれはまるで、ひとの世はただ春の夜の夢の如しと、諸行無常を言っているようなのである。そうした夢の泡のあはれにひとびとが本当の意味で感じ入るとき、もっとずっと、古き良き日本は、新時代に沿うものとして復活するのではないか。

戦争と災害のことを書いた。これを書き終えるために何時間もかけて夜になり、鈴虫の鳴き声が聞こえる。虫や鳥などの動物たちも戦争や災害の犠牲になったことにも思いを馳せる。過去、現在、未来、すべての魂が癒されるよう、星空の下、すべての生きとし生ける命に祈りを捧げる。

写真
:吉田が耕している農地で咲いている大熊町・避難指示区域のセイタカアワダチソウ。今このエリアにゲートはもう無い。昼間の立ち入りが緩和されている。その事実は多くの人々にとってまだ知られていないので重要である。立ち入り自由のことは「オンリミッツ」という。

避難区域は一部が再生区域に指定されているからだ。立ち入り制限区域(オフリミットエリア)のゲートがなくなっている段階なのである。なぜ他の人と違い、わたしがその制限区域をその英語でそう言うかは、横浜に占領でいたアメリカ進駐軍の歴史で使われた言葉だからである。沖縄の米軍基地でもそのようだ。

お金、お酒、女性、博打、清浄、衛生、交流、観光、偏見・差別、諜報、暴力、安全、戦争、日米地位協定や日米安保条約など、あらゆる境界が絡んでいる。そういえば日米安保条約の分厚い辞典のようなものをわたしは持っていることを思い出した。

Off Limits Areaに入れるのは限られた日本人だけであり、そこから新しい音楽など新しい文化発祥の地となっていった(ただしオフリミッツと言う言葉についてのこのような使い方は本来の定義と逆のようではある*)。そうしてはじめて、沖縄、横浜、福島が、一本の線で繋がっていくようである。そういう各地域を乱暴に並べて投げつけるだけの言葉にしたくない。親近感なのだ。

『1945年8月30日に横浜入りした連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥によって米軍による占領が開始され、横浜地区占領軍受入設営委員会は、まず横浜海運局(後の横浜税関)を占領軍司令部に、ホテル・ニューグランドを占領軍首脳の宿舎にあてました。』*
『これらの接収地はフェンスで囲まれ日本人の立ち入りが禁止されたため、周りからは「オフリミット」と呼ばれていました。』『日本の中にある 「フェンスの向こう側」、「小さなアメリカ」は、日本人にとって目の前にあっても立ち入ることができない、手の届かない憧れの場所でした。クラブの従業員や出入りする米軍軍人のゲストとして「オフリミット」に足を踏み入れるしか方法がない「近くて遠い外国」だったのです。』*

かつて拙編拙著の『フクシマ発』(現代書館)にて書いたように、このことは、75年の関係だけでなく、江戸時代の鎖国そしてペリー来航や戊辰戦争から始まっていく長い長い日本の近代化にまつわる巨大な歴史なのである。あれから沖縄はどうなったか、どういう歴史を体験してどういう風に回復していったか。OKINAWA、オキナワと書かれたこともある。横浜(YOKOHAMA、ヨコハマ)はどういう歴史をもっているのか。どのぐらいいきか。

フクシマ発に書いた「歴史は生活が作る」とは実は津田左右吉の文章からまとめた言葉である。そこからぼくらは自分たちのことを描いていくことだろう。そうして、「FUKUSHIMA(フクシマ)」にもそういう文化発祥の地となることが可能になるだろうと考えている。それがわたしの場合、雑誌WELTGEIST FUKUSHIMAとして一部を担いたいと考えていることは言うまでもない。まだまだ、わたしたちの冒険は始まったところなのである。

参考文献
・『かつての特攻訓練場は、福島第一原発の敷地となった  「捨石塚」が伝えるものとは』安田 菜津紀 2020年7月30日  Dialogue for People 
https://d4p.world/news/5881/
・『原子力の平和的利用』外務省 
https://www.mofa.go.jp/mofaj/dns/inec/page22_003030.html
・『横浜は「小さなアメリカ」だった 「フェンスの向こう側」』みんなでつくる横濱写真アルバム 執筆 福井一男 2009年9月29日 実施主体:横浜写真アーカイブ協議会(財団法人横浜開港150周年協会、社団法人横浜港振興協会、横浜市、横浜市民メディア連絡会、横浜市立大学国際総合科学部鈴木研究室、その他趣旨に賛同する団体・個人)
http://www.yokohama-album.jp/special/post_104.php
・『「オフリミッツ」の境界』阿部純一郎 椙山女学園大学文化情報学部紀要 2017
https://core.ac.uk/download/pdf/230638723.pdf
・『歴史とは何か』津田左右吉 青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/001535/files/52202_46231.html




20211017
いつの間にか車検の期限だった。急にも関わらず代車が確保できてよかった、トヨタ自動車ディーラーの福島トヨペット店のなかは広い。代車は静かな乗り心地のプリウスであった。このところ仕事と勉強と執筆と運動を一斉に進めていて、そこに実家でわたしの部屋でシンク解体や本棚廃棄などのリフォーム準備作業を入れたら無理が来た。写真を撮る暇もなかった。5年に1度ぐらいの疲労サイン。ここで休み確実にしたい。




20211010
10月、大熊町の秋晴れに、いつも美味しい愛妻弁当ありがとう。お弁当はうれしい。トラ運転手のラッパ回し。狭い又は高低差で危険な脱輪や横転などしないよう気を付けている。ちょっとゾウみたいな写真が撮れた。ついに「はるカフェ」の秋田白神こだま酵母の無添加手作りパンを買えた。お客さんで来てたおなじ大熊町民のかたに大熊町で話しかけられるのは久しぶり。





20211009
夏から秋にかけていわき市小川町の梨が美味くてハートに沁みる。一週間前から数年ぶりに減量を再開してまた効果が出てきた。
2017年に一気に痩せて以来、2019年から今度は筋トレをするようになって2021年から毎日して脂肪が筋肉に乗りだした。今度のは一気20kgでなく楽に少しずつのタイプ。他は紙面へ。
すこしずつ落として気分が爽快である。お腹が空いてるときは腹筋の上半分が割れてきたぐらい。腹斜筋というの良いかも。つねに完璧に割れてる人どのぐらいいるだろう。
5kgまたは8kg背負い10km~15kmの長距離ジョグは毎日しているから痩せるはやればすぐ。前に20kmだったのは今年からは無理しないことと低山の麓へ行く坂道コースがあることなどを考慮して減らしたのである。暑すぎる日は室内に退却して続きジョグする。
運動といえば、アメリカのプリンストン大学の真鍋淑郎さん(90歳)がノーベル物理学賞を受賞したことだ。かれはヨガ、水泳、ウォーキングをして、玄米の寿司を好むそう。(日テレNEWS24)
英語スピーキング練習や単語などが好調である。しかし「コロナ第5波」により急降下していた「約20語学」の成果をどんどん回復させていきたい。なんといってもこれが大変である。YouTube講義の公開練習は休みっぱなし。
もう第6波が来ても動じないよう精進である。

20211004
福島に来るのは自由だが、「オレ様は福島に通ってるんだ。オレ様は当事者の後ろ盾があるんだ。オレ様の言うことを聞け」みたいなことをネットで言いまくってる人々に当事者のわたしは近寄れない近くに居られない。なぜなら、周りから見れば、そのひとの言葉をこちらが容認してるともとられかねないからだ(とんでもないこと)。物事には限度があるでしょう。威圧して。数で押して。粘着して。陰口を言って。酷い言葉を吐いて。「偉いオレ様」みたいの本当イヤになる。ここは他人がひとのふんどしで喧嘩売名する場所じゃない。

20211003
秋晴れが美しい。
妻作お弁当。いつもありがとう。



20211002
東京都の出版労連より依頼があったので寄稿しました。miraie No. 47。たぶん3~4度目かになります。今回はアレックス・カー氏の言葉を参考にしました。出版業界の人達が読んでくれると思います。




20210925
スピーキングの練習計画とBBCラーニング
 コロナ禍がかなり落ち着いてきて精神的にリラックスできている。実態は無症状者が多いらしいが「コロナ禍」が酷くなると閉塞感や未来への希望が薄らいでいく感じがする。このときの解放感を冬にも忘れずに居たい。
 2か月も空いたが英語で話す練習を再開した。4技能のうち読み聞き書きまでやってるからあと話すが必要である。ネット周りを見てすごい人達は多分平均10分~30分ぐらいのようだから自分は毎日30~60分それにしよう。アップロードほとんどせず計量だけしていきたい。
 やりとりある会話もいいと思うが、まずは不足している純粋に話すだけの練習がしたい。時間が長いと感じるが、そのぐらいやらないと伸びないだろうという気がするほど、ほかの技能に比べて自分にはこれが遅れて居ると感じる。たとえば、留学やホームステイはバラつきがあるので、通常の学生を考えてみる。
 優秀な学生が週に塾通いで読み書き英語2技能の塾にくわえ1週間で1時間の残り2技能の聞き話し英会話レッスンがあったとして、そのうち話す時間は20分ないだろう。一か月で80分になる。1年で960分となり、24で割れば40時間となる。1年で40時間より少ないぐらいだと推測される。
 高校と大学の7年間もあって280時間つまり1か月間の昼間ぐらいしか英語で話している時間がないのである。それがもし独学1か月で純粋に時間だけでも1年分に近づけて、9か月で超えられるなら、少しは可能性がありそう。タラレバの話だが計画があって進められる。
*
 時事だけでない英語が聞けるのでバランスがよい『BBC learning』をはじめることにした。気が進まないのはBBCラーニングは内容がてんこ盛りだからだが。何と言ってもネイティブによりいま使われている語彙力とリスニング能力が増えていくのが無料なのはだいぶ助かる。
 もし記事を読みたいなら『BBC Japanese』は日英のだいたい同じ文章があるからそれを読むのが良いと思う(長いから一段落だけでも良い)。その意味では『NHK world』のほうはざっくり時事リスニングするのに向いているだろう。しかし読むのほうは洋書読み多読をやっているのであまりやらない。時事ツイッター読みで十分かもしれない。
 今週は単語帳で語彙力やBBCでリスニングを鍛えることに重点を置いたので読了なし。BBCラーニングのコースで『Father And Son』を視聴しているが、「Transcript(書き起こし)」は実際の会話と違うことが多々ある。それに最初から「How many hours did you get?」からして聞き取れない。あれは文脈で想像しかないのではないか。
 夏が終わり、外を走ったり歩いたりはすごく爽快だ。いつまでもそうしていたいのだが、そういうわけにもいかない。新しい7種の腹筋トレは定着しつつある。
 写真 東京滞在時。あけぼのの豆大福。日暮里で買ったカヌレなど。都内で五目そば(五目かた焼きそばが食べたかったのだが間違えた)。中華屋で中国語が聞こえて中国語の会話レッスンしたくなった。光陰矢の如し。




20210920
腹筋トレーニングの件
(To Improve Abs Workout)
20代のときは筋トレを続けていたが震災以来ほとんどやっていなかった。11年目の今年やっと腕立や腹筋などを毎日続けられるようになってきて嬉しい。すでに体つきが変わってきた。
すごしやすい秋。今年6月から器具を用いた腹筋トレを毎日100回つづけ、この数日は200回そして350回にしてみたが、4か月目になると効果を感じられなくなってきた。そこで、YouTubeで6パック腹筋7種目というのをやってみた*。
バランスよく腹筋全体を鍛えられ、休憩を挟むサイクルが、見た目より効きそう。わが校野球部の同級生がやってた腹筋トレがあり懐かしい。これは「量の調節」が容易そう。遠慮なく食べるので筋肉が見えるかは知らない。名前が恰好いい。
1.バイシクルクランチ Bicycle Crunch
 腹直筋・腹斜筋
2.リバーストゥースラスト Reverse To Thrust 
 腹直筋
3.ウィンドシールドワイパー Windshield Wiper
 腹斜筋
4.レッグリフトクランチ Leg Lift Crunch
 腹直筋
5&6.サイドプランククランチ Side Plank Crunch
 腹斜筋・体幹筋
7.ヒールタッチクランチ Heel Touch Crunch
 腹斜筋
8.ロシアンツイスト Russian Twist
 腹直筋・腹斜筋
同じチャンネル内で2種目版もあり、それも良さそう。
足上げクランチ(腹直筋)
レッグレイズ(腹直筋下部)
出典
・【1日6分】シックスパックを作る7種目腹筋トレーニング!【器具なし】CALISLIFE自重トレ YouTube 2019/12/15
https://www.youtube.com/watch?v=g46tZN9J_2k
https://www.youtube.com/watch?v=2wY41fBnJ8o
写真 
上野駅ゆきの切符といわき駅で食べたベーグル。庭にいつも咲くガーベラは花言葉が良い。おにぎりは身内のかたに握ってもらった(鞄に入れていて形が変わり)。



20210919
用事あり風雨のなかを車で湯本へ。
 吹き付ける雨のなかだったが熱い足湯につかって、好物のかりんとうまんじゅうをしら石にて買い、丼丸というお店で海鮮丼を頂き休みながら帰る。小川町は梨の生産地なので梨も買う。梨にかかる大変さは分かるので美味さは格別。いただき物の栗うまかった。秋だ。
 NHKのBSは、いわば自動再生で幾つかの各国言語ニュースが短時間で次々と放送される時間帯がある。まるでホームステイ体験を同時に世界版だ。すべて分かる訳じゃないしパソコンで見れることだがふだん英語以外を意識的に見ようとしないからちょうどいい。居間でボタンひとつの偶然性と便利さ。
 ネットならBBCも良いがNHKのworldはシンプルで重宝する。動画本数と言えば、たぶん去年の12月ぐらいから視聴を始めて1500本を超えた。読んだ英語短文(主にツイッターのニュースリードなど)の本数も大体同数。だんだん英語が伸びているのを感じられるようになってきた。
 今週はJungsuk Lee, Jessica Hayllar, Alexei Savrasovを気に入った。なにも自分から見てないときでもツイッターではアート好きのひとたちがめいめいの気に入ったものをツイートし続けているのでそれを見たりしてもいる。
 今週の洋書読了記
 5、『English Folk Tales』by Emma Sully (『イギリス民話』エマ・サリー著)(ラダー・シリーズ レベル1 9900語 99頁)
 この本にはいくつかの物語が収められている。「ゴッサム」とはイギリスのノッティンガムシャーに実在する村の名前であり、「ゴッサムの賢人」と言ったら愚か者の代名詞なのだそう。ゴータムともいうようだ。
 喧嘩してる人達にいかに無駄なことかを体験させて教えたり、消えたチーズを探させるために別のチーズを旅に出したり、うなぎに罰として溺れさせたりする。
 ほか、「ジャックと豆の木」は「stalk」の意味が基本「茎」のようで、題名として木のほうに慣れている自分としては翻訳について考えさせられた。上ることを考えたら木のほうが良いような。stalkには「幹」の意味もあるようだ。いわゆるバカ息子が奮闘していて良い話だと思った。こどものころ絵本で読んだのを思い出した。
 もうひとつのジャックの物語は巨人をどんどん倒していくいわばエリート騎士のジャックである。キング・アーサーも出てきて、ジャックを円卓の騎士にする。ジャックは透明になれるマントや賢くなれる帽子や足が速くなる靴などを使って次々と活劇を繰り広げる。
 巨人の名前に「Thunderdel」とか「Gilligantus」などと出てくることからして、巨人というのはイギリスにいた別の種族のことなのではないかと想像した。「巨人殺しのジャック」はみんなから感謝される。思えばこれは漫画『進撃の巨人』のようだ。
冒険活劇とかゴッサムの賢人とか魔法の豆とか、童心に帰って胸躍った。精進したい。
 ジャックと言えばむかし一日だけ深夜の東京でホストするのに使った名前であった。当時はなんとなく映画『タイタニック』にちなんで冒険の気分でそうした。お試しの一日で大勢の女性と話した。勢いだけある無知なジャックは冒険したのだ(春や華の名で別の場所のほうは一か月近かった)。
 実際どうなのか知らないがニュースによるとコロナ陽性者数がぐっと減って東京1000人未満に戻ってきた。また第何波などと来るのだろうしこれからも課題や想定外はずっと続くのだろうが、とりあえずよかった。
 しかしこの禍では、ちょっと調子悪いとか熱っぽいとか言いづらくなって、女性性について理解が進んでいないと見える社会では女性のほうが生活しづらそうだと想像する。
※写真 自家製漬物など自炊チャレンジで数日間だけ自炊した。夏は味噌汁係を休みにしていた。みそ汁だけでなく漬物ができるようになったのでこれからしそう。ナスの味噌炒めは家庭菜園から。丼丸の写真は妻から具材を貰って増えたので少し盛り付けが変わっている。ルノワールは学生時代たまに行ったので東京滞在中ひさしぶりに行ってみた。椅子が座りやすかった。
 この数日は非常に小さな地震が多い気がする。震災の「前年」から地震はすごく多いとわたしは感じていて、いまや揺れも感じるは感じるが、むしろ耳にわずかな気圧の変化とわずかな音で地震が来ているのが分かるようになった。もともとかもしれないが何事かを察知する能力が発達したのかもしれない。精神科医の中井久夫さんの本を思い出す。




20210912
最近は都合で東京都内に滞在していた。
 行き、太平洋の雲が漂う白露の候。茨城には里芋の畑で大きな葉が青々として、稲穂の黄色を囲んでいた。すこしだけ海を眺めながら読書をした。
 着いて、今の時期あれやこれや勉強になった。新幹線は浜通りに通ってないので特急で上野駅へ行き約2時間20分であっという間に着く。高速バスでなく特急の時間で言えば都内の長距離移動と同じぐらいの時間しか実は離れてないのである。報道によると精神的経済的に大変な状況あれど、ゆきかうひとびとは表面上いつもどおり暮らしているように見えた。
 思ったよりずっと特急の乗客は少なかった。何年振りだっただろう、思い入れある「上野」への上り。10代のとき以来のような気もする。今年は日常となった何とか宣言のため人々が移動を自粛しているのであろう。しかし昼間のみの移動で都内の大きい駅の中は混んでいた(が、互いにすぐ通り過ぎる)。電車など乗り物の内部は換気が出来ていると感じられる。
 確かに昨年の日経新聞では感染経路の多くが家庭内、企業内、繁華街、会食だった。感染にせよ接種にせよ、万が一の時への安心政策はずっと不足している気がするが、もはやこの話題を長時間考えても精神力を蝕むので考える時間は限定したい。
 どんなものかと思い実際にWi-Fiレンタル店へ行ってみた。あっさりした窓口だけだった。それから池袋駅近くにある『うちだ』というお好み焼きのお店でハンバーグを注文。牛肉が美味かった。ランチタイム終わり近くで行ったのでお店が空いていてラッキーであった。餃子の王将は初めて行った。特には餃子が美味かった。
 最多の陽性者数発表がちょうど下がった今回の滞在で東京都の精神状況をすこし共有できた気がした。すぐもどった帰路、東北いわき駅のひとの居なさ。こちらにはこちらの状況だ。いずれにせよ明日は明日の風が吹く。人生いつも今は今だけ。皆の幸せを祈り、今を生きる。
 ある記事で「50過ぎたら透明人間化」現象を読んだ*。年齢を重ねると注目を集めなかったり話しかけられる回数がとても減るということらしい。人類は肌の色の違いについて美しさを知ったが年齢にはまだ超えるべき壁があると。
 インスタグラムにヌード写真も出している元スーパーモデルのポーリーナ・ポリスコワ(Paulina Porizkova)(56)が、そういう趣旨のことを述べている。いまや90歳100歳など超長寿のひとが多い「超・長寿時代」。福島の件もわたしのような中道タイプは透明人間みたいなものだ。ポーリーナに勇気づけられる。
 ある記事で「看取り士」のことを読んだ*。英語で看取りはdeath watchという。苦しい場合も多い延命治療をしていなければ病院に居られない。かといって在宅では困難もある。施設がいつでも最期まで居させてくれるとは限らない。これからの時代、そこをなんとかしてくれそうなのが看取り士ではないかと思われる。または法改正しかない。
 しかし終末医療のことに関して日本では議論が進んでいない印象を5年ぐらい前からわたしは受けている。英語はTerminal care, palliative care, comfort care, hospiceなど。 ネットで何度か書いたがそもそもパンデミックで面会すら全然できず非人間的な状態も続いている。ひとが笑顔になるための道へ声をあげていきたい。
 自由と言えばウェブにある情報を統制されずに検索できる自由、いわば「検索の自由」というものが今はおびやかされていると感じられる。試しに、比較的にそういう統制がされていないと言われる検索エンジン『duckduckgo』を使ったら全然ちがう結果であった。可能な限りの自由が保たれることを期待したい。
・今週の洋書読了記
 3、『Beauty and the Beast』(Xanthe Smith-Serafin)(『美女と野獣』ラダーシリーズ、52頁、レベル1、6050語)
 優しい女性ビューティーの愛が、王子ロドウィックにかけられていた野獣化の魔法を解く。かつて王子は老婆を嘲笑し、その老婆は魔女だったからである。物語はハッピーエンドであるが、その後にこんな短文がつく、意地悪な姉二人は妖精により罰として石化させられてしまったと。若干、心残りはある。なぜなら、終始意地悪な姉二人は問題だが、王子もかつては意地悪みたいなことをしたゆえのビースト化でのビューティー強奪だからである(その後は優しくなった)。
 恐らく意地悪な行為の酷さの程度そして改心の有無が姉二人とビーストは違うからであろう。「普通ではない世界」にいる魔法使いや妖精がもつちからにも着目したい。もしかすると魔法使いは魔法をかけたというよりも、老女を嘲るような王子が国や民や美を失うのは当然とも言え、強欲傲慢な人間が石のように非人間つまり人間らしい人間としての死となるのも当然と言えるからだ。自然が織り成す魔法は侮れない。
 4、『The Albert Einstein Story』(Jake Ronaldson)(ラダーシリーズ、85頁、レベル1、9480語)
 アルベルト・アインシュタインは特殊な才能の持ち主だったが若いころ仕事が無く大変だった。ユダヤ人であったからナチス・ドイツの時代には命を狙われる苦労をした。多くの科学者が戦争に加担しているとき、かれは平和主義者として生きた。アメリカに亡命した。人生の最期まで計算して日々を過ごした。イスラエルの初代大統領は辞退。妻は才女。哲学者バートランド・ラッセルが友人。平和主義や差別反対のためにも活動した。
 読んでいて面白かったのはアインシュタインが人生でなにをどう考えてどう証明したり実験したりしたかったといったことが分かりやすい英語で理解できたこと。時空、物理、量子、光、重力。レベル1と言ってもページ数が多い。それにレベル1だからこそ分かりやすい英語でシンプルによく理解でき、むしろ会話にはレベル1こそが重要なような気がしてくる。できるかぎり早く脳内音読の時間を脱出したいとは思っているのだがこの約30年間ほどの英語人生がなかなかそうさせてくれない。
参考
・『元スーパーモデルでさえ避けられない「50過ぎたら透明人間」現象とは?』2021.8.27 さかい もゆる ミモレ 講談社
https://mi-mollet.com/articles/-/31331
・『自ら望んだ「在宅ひとり死」をやり遂げた人の実際
「最期まで気ままに暮らしたい」を支えた人たち』荒川 龍 2021年9月10日  東洋経済オンライン
https://toyokeizai.net/articles/-/453336




20210905
今週は日誌をまとめられず一段落のみ。
写真:磐城の山より 
This week I didn't allow sufficient time for my diary. Just one paragraph. Photo: A view from a mountain in Iwaki city. 
ーーー
今週は新美南吉の『手袋を買いに』を和英の両方で読んだ。子ぎつねの体験と母ぎつねの体験は真逆であった。母ぎつねは「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」という呟きを残す。それは何故だろうか。
Japanese
https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/637_13341.html
English
https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/60573_71366.html
※ラダーシリーズ本と青空文庫の英訳とを読んだ。38頁。1360語。最初に読んだpenguin readers (pearson)の『Surfer』は30頁。1524語。




20210829
すこぶる美味い妻作る料理ありがたい。
ステーキのせハヤシ(ライス)。
横浜トリエンナーレ2017でオラファー・エリアソン作品(Olafur Eliasson)との出会いもあり、「アートを観る」という行為に関心をさらに持つようになっていた。

今週からアート鑑賞を始め。できる日に1~5作家の作品をざっと見て、気に入ったものがあれば記録する。今それがこんなにも癒しの時間になるとは思いもよらなかった。

今週わたしの記録したアーティストは9人であった。Jean Rene Bazaine、Ferruccio Bortoluzzi、Norman Bluhm, Hans Hartung, Serge Poliakoff, Denis Bowen, Beauford Delaney, Paul Jenkins, Ines J. Pedras(英語ウィキペディアに出ているTachismeの作家から主に見ている。Tache(タッシュ)とはフランス語で「しみ」や「よごれ」の意*)。

英語読みはマザー・テレサの冊子おもしろかった。マザー・テレサも4時起きなのだそうだ。しかもあまり寝ないで長寿だった。すさまじいひとである。わたしは4時~6時を行ったり来たりで、眠りの天才である。

よく福島県の田舎から東京都の新宿・渋谷・吉祥寺などの細かい街並みを眺めたりしている。パソコン画面が本当に「どこでも歩くウィンドウ」みたいになって面白い。たとえば吉祥寺に「パンの田島」や「ハーモニカ横丁」があり、面白いデザインの提灯があることまで知っている。こちらから見るとひとの動きは非常に多く見えるが、あちらの平常とはそれなりに違ってはいるのだろうと推測する。むかし15年ぐらい前に中野区のカフェで勉強したことを思い出しながら雑踏BGM。

今年のフジロックで後藤正文さんに関する何かが炎上していたらしく、noteをざっと眺め、車中すこし考え、「うしろめたさ」という単語に着目した。昨今ジャスティス流行りのところ、良い言葉である(※ジャスティスが悪いと言っているのではない)。

ネットに貼ってあった2014年の後藤さんの出てるライブを見てみたら「フクシマ」と大きく書いてあった。カタカナ言葉。当時の怒りや悲しみといったロックが感じられ、昔を思った。

昔などというと長生きしたような気分になるが、わたしはまだ40歳であり、88歳で現役の登山家である三浦雄一郎さんの半分にも達していない。アヴィーチー(Avicii)のように永遠に28歳のDJミュージシャンも居る。4本脚のクジラのようにエジプトでいきなり現れるミッシングリンクの記憶化石のような存在もありえる。

ゆえにわたしの見えている景色は今このときの景色であり、いずれは違う景色にもなるかもしれないことは、刻印する言葉というものの宿命としての可能性でもあるだろう。停止した情報が流動性を逆に表示している。川の岩にも丸くなかった時代がある。

「むかし」というものは過去の一種であるが単純な過去ではない。なぜなら、「向き合えし時」つまり「振り返っているその時」のことだとわたしには推測されるがゆえ、記憶装置に置いてあるだけ又はそこからすら消えた単純事実としての過去ではなく、「思い出すという行為により現在に引き戻された意味で何らかの編集・変容を受けた過去」だからである。そんな風にわたしは思っている。
ひとの生きる道には過去が積み重なる。100歳になっていろんなことが思い出されなくなっていく。生きた過去は山積みになっているが、「むかし」という語り的な行為はどんどん難しくなっていくのである。それは寂しいことでもあるが、この世で生きるという苦しみの呪縛から解き放たれていく途中でもある(おそらく魂など何らかのものには記憶の采配が自由であろう)。

思い出されない過去という消えたような存在事実がひたすら透明な残像のように残るのだ。ほとんど昔でもなくなった過去20代のときの幸せ。そのとき現在100歳の人生。我々はどちらをどう評価してどう感じるのだろうか。どちらも人生なのである。どちらもゆるぎない人生なのである。ただ個体には時のようなものがあるから、「今と昔」があって、いずれ終えていくのである。

ひとは寝ているとき意識がない。そのときは過去もなければ昔も、今すらも、表の意識には認識できてはいない。寝ているときは表層の思考する意識が振り返れず、違う仕事をしている。それに似ているのかもしれない。ひとは言う、寝るは極楽と。だが生きているうちにも捉え方次第により極楽でありたいものである。現実を極楽と思うのは、捉え方だからだ。人が生きる世界では、答えがない。それぞれの人生がすなわち答えとも言える。

参考 
・タシスム artscape 美術館・アート情報のWEBマガジン
『1940年代後半から50年代にかけてフランスを中心に隆盛したアンフォルメル絵画の一潮流。フランス語で「染み、汚れ」を意味する「タッシュ(tache)」に由来する。用語自体は20世紀初頭から印象主義やフォーヴィズムに対し使用されることがあったが、一般化するのは美術批評家P・グエガンやC・エスティエンヌらがアンフォルメルの一部の作家の技法として指摘する50年代前半を待たねばならない。』




20210822
BSが観られるようになって嬉しい。雨勝ちだった八月にも少し晴れ間があり南国的な空気感である。Facebookでは「Nas Daily」の長い英語の動画群を見終えた。世界にはいろんなひとたちがいる。次は違うひとたちによるコメディ英語のビデオ群を見始めている。英語の洋書も読み進んでいる。妻料理のハンバーグと揚げた人参が美味くてありがたい。

いわき駅の付近で標識を見間違え切符を切られた。2点減点のうえ7000円……!見つけにくい標識には明らかな表示をするに1票を入れたい。不運を受けない代わりに交通カードの一部または既成概念が壊れて(break)、立ち止まる休み(break)をくれたのだと考えることにした。無駄こそ人生である。いつもの過剰ランニングを週一休みに切り替える。

あれの情報とやらを再び眺めて2か月。玉石混交を知った。たとえば日本人は100%近くマスクしているが、各国の状況は多様だ。最近の国内は陽性者数が急拡大の割に死者数は大幅に減った。県内ではあれの接種選択の開始期よりずっと前から死者数が非常に少なかった。入ってくる情報でなく一応自分で各国やグラフやSNSを検索してみただけでも私個人は少し安心でき、窮屈な心況の打開(break)になった。私記にも紙幅あり言葉不足に置く。

むろん全世界が大変な事象に遭遇し、言葉を失うほど過酷である。過去の暮らしとの断絶を体験し、より不確実な時代になって、各地各人の状況がある。また不安と管理に覆われた同調圧力の社会は、民主主義が育つ時期なのか、時間泥棒に人生を消されるVirtual insanity(仮想狂気)なのか。あれから1年8か月ほど。日本は少なくとも今年いっぱい、または最長さらに3年かかるか。計5年というと原発避難者の多くが避難を定住に切り替え出した期間である。人様の平穏を祈る。

今年の夏はEUで起きた多くのデモの「リ、ベル、テ!リ、ベル、テ!(Liberté)(英語はLiberty、リバティ、自由)」が人類の内発的渇望のように鳴り響いていた。ひとに会うイベントがまったくないまま、ごくまれの取材受けでZOOMをして、2回目の8月15日を過ぎ、お盆を過ぎ、すこし涼しくなり、……「楽」というのは自由の意味である。いつかひとの魂は肉体から自由にはなるとも思いながら。

「閑さや岩にしみ入る蝉の声」松尾芭蕉
(しずかさや いわにしみいる せみのこえ)

写真:いわき駅前ラトヴとなり喫茶店、質と量がうれしいcafe「BREAK」を知った。




20210815
7月上旬。いわき市小川町から北隣にある川内村(かわうちむら)の温泉に行った。よく手入れされた草木の風景がすごい。食堂でカエル語の絵本を読んだりした。なみかんた、るてえる。
隣と言っても山中にあるのが川内村であるため、自動車で山越えドライブ。すでにルート沿いに少し崩落があり少し神経を消費した。約30分ぐらい山越えで、合計1時間ぐらい。田舎の平日はどこもそうだが、ひとはあまり見かけなかった。
温泉に着くと露天風呂に蝶々が飲みに着たり、流れてきたカマキリを助けたり。村ではブルーベリーや柏餅が美味かった。あの満月祭の村近くも通ったかもしれない。昼寝をして村の風景を眺め、ヒグラシを聞きながら、今の家に帰った。
写真:川内村の「にしやまはし」より




20210810
ウッドデッキを裸足で歩いたら火傷しそうになった。計測してみると50℃を超えていて何度か分からない。気温は35℃で快晴、強風。(50℃=122℉)


20210808
だいこんおろしの料理が美味い。早朝の朝陽を背にした山の稜線は黄金に輝いている。この時期は拭き掃除が素晴らしい。

ツイッターで英語ニュースのリードを読むこと1200本を超えた。おかげで英文を見ても疲れなくなった。3月2日からなので今のところ5ヶ月間である。つぎは簡単な洋書を多読することに挑戦していきたい。

いわきの海に行って少し泳いだ。コロナ予防のため遊泳禁止なのでライフセイバーが見当たらない。サーファーが2人ほどいて彼らも砂浜のごく近くの海にいた。冷たかったが久しぶりの海に気分爽快。震災後、福島の海を泳ぐのは初だろう。
いわき市ラトヴのレストラン「ひまわり」にはパブロ・ルイス・ピカソ(Pablo Ruiz Picasso, 1881-1973)の『闘牛と闘牛士』(TOROS Y TOREROS)(Bulls and bullfighters)1961年の表紙絵が飾ってあり、妻のお気に入りの席の向かいに座るとよく見える。

赤・青・黄色。かつてここで小説家の人達とランチをとったのでよく覚えている。ハンバーグやステーキなどを食べる。ヘミングウェイを読んでからというもの、スペインの雰囲気があるものは気になるようになった。

ピカソも気にはなっていた。しかし「よくわからない、ときどき気持ち悪いけどそこはダリに近いような、でも別種の異様さが群を抜いて不思議な絵描き」というイメージしかなかったからこそなのかもしれない。脱構築などと言ったらよいのだろうか。

『ゲルニカ』(Guernica)などの絵画も気になっていた。
『ゲルニカ』「スペイン北部,ビスケー湾岸に近いバスク地方の町。スペイン内乱中の1937年ドイツ軍機などの無差別爆撃で一時全滅。」(引用:コトバンク)

ゲルニカとはスペイン北部バスク地方にある町の名前であることを再確認する。名づけで言うと「福島」みたいなことであるが、福島とは諸々のことが「違う」。

草野心平記念文学館へ行き、いくつかの本をざっと眺めた。
フランス文学者である堀口大学(1892年〈明治25年〉 1981年〈昭和56年〉)の全集がある。散文の項目に目を通す。ピカソも堀口も私より100年ほど前のひとである。

堀口が書いたあとがきがある。ベルギーのひと、メーテルリンクの『青い鳥』(L'Oiseau bleu)(モーリス・メーテルリンク (Maurice Maeterlinck, 1862年8月29日 - 1949年5月6日) )の『あとがき』を読む。メーテルリンクは江戸時代末期に生まれる。

『青い鳥』は、いろんなところへ青い鳥を探しに行くが実はそばに居る、つまり幸せとはすぐそばにあって気づきにくいもの、という話だそうだ。

そして粟津則雄さん(1927-〈昭和2年8月15日〉生まれ)の書いた『ピカソ 二十世紀美術断想』(生活の友社、2016)を読む。

ピカソは幼いころからその才能を発揮させていたことを知る(『帽子の男』など)。誕生の所以で、みずからの生について考えたからこそ、あのような作品の数々なのではないかというようなことを粟津さんが書いていたところまで読んだ。

困難を越えて星へという言葉があるように、苦難こそがひとを育てる面は多々あるとは思う。ひとびとが活き活きと生きられる範囲内において。




20210804

メダル、歓声、感動……ふと、思っていた。最近どのメディアも連日連夜のオリンピック報道ラッシュであり、勝利が特に大きく報道される。むろん励まされるひともいるのは分かるが、現実の生活は急拡大していくコロナ禍に生業の不安と命の危機がすぐそばに感じられ、いわば敗北の状態である。これすなわち、ごくわずかな戦勝を誇大広告して、ほとんどは敗北していることが多くは報道されていないという、「あの戦争」と同じことになっているのではないか(または震災初期の巨大復興ムードも類似点がある)。小説家の矢作さんが総理の写真とともに6月にこうツイートしていた。「『安全安心の戦争をしっかり準備したい、このように思っております』東条英機」  (矢作俊彦@orverstrand 2021年6月3日)。まるで謎解きのような言葉に聞こえてくる。

20210803

いまのようにコロナ禍すさまじいときでも、田舎の生産物を都会で流通販売してくれる、いわば都市部のエッセンシャルワーカーの人達には心から感謝に思う。医療業界の人達には心からの称賛を送りたい。

地方は今、陽性者数が少ないかもしれないが、おなじ日本、都市と農村は一心同体だということを忘れずに居たい。2021年の夏は感染者数の発表が東京1000人ぐらいだったのが7月末オリンピック中に4000人などと急上昇している。田舎は病床数がとても少ないので一気に90%超えたりもする。

たほう、こちらの地方地域に買い物に行くと道の両脇に更地がちらほらと目立つのは、2019年秋の台風豪雨による水害エリアだからである。今でも信じられない。あの広い空間が川の氾濫で埋まっただなんて。片付けに追われる人々。ある駐車場は瓦礫の山であった。

ぼくらが会津から引っ越したのがその少し後だったからよく覚えている(急遽やめることすら考えたが思い切って来たのだった)。ちょうど赤坂さんと同じ年のタイミングになったのである。引っ越し先が水害被害にあっているというのは自分が被災していないにしても言葉を失う体験であった。来てすぐコロナ自粛の日々なので地域の集まりもなく、交流がない。

もう話題がすっかりなくなった今でも解体している家を見かけると、ここも被災していたかと推測している。初期の頃、いわき市で災害瓦礫運搬車両の行き交う交差点を通って、それから入った中華屋で聞こえたことを思い出す。

日常会話のあとそれとなく「うちもなの、1000万円かかると言われてね」と言葉少なに語り合っていた。つまり、(もし水害のことなら)補助金などが全く足りずにお金がかかりすぎるという意味だと推測する。

自然災害の場合、日本では確か古い法律のままだから何らかの補助の金額が非常に少ないという問題が解決したという話は聞いていない。それがずっと続いているのではないだろうか。わたしの記憶違いであってほしいのだが(首都直下や超巨大津波の言われる南海トラフ大地震も心配になる)。

その後、社会の話題としては年末からであった。横浜沖でのクルーズ船の検疫開始が2020年2月3日だったと日経新聞が書いている。震災10年目のときに横浜から始まることはやはり近代化と文明のことを思わせる。100年前のスペイン風邪でなくなった鹿鳴館の華で会津の偉人、大山捨松のことも思い出させる。

すると話題は誰もが知る通り、2020年の2・3月ぐらいには連日コロナ報道にまみれていくのであった。あまりの報道ラッシュに6月いっぱいでコロナに関する手書きメモをやめた記憶がある。だから2019年の豪雨水害は全くと言って良いほど報道されてきた形跡が見当たらない。

ただわたしはその土地が生活圏内なので日ごろから少しずつ目にしているから、壁にあった浸水のラインが薄くなっていっても、空っぽの民家や更地を眺めて、思い出すのである。ああここで茨城の友達と偶然会ったっけと。

都市や田舎、ある県やある県、それぞれのことが起きるそれぞれの離れている場所は互いに関係がない対岸の火事なのではない。同じ法律、同じ流通、同じ経済圏、同じ国、同じ人間として、非常に密接なのである。

20210725

それにしても自分のことができているだけありがたいことだと思う今日このごろ。早朝に瞑想して暮らしている。

快晴の大熊町では防風耐火用の珊瑚樹(sweet viburnum)を電動の生垣バリカンで手入れ。一気にやって筋肉痛。避難中にも大活躍な軽トラと轟音の発電機を酷暑に用いると別次元だ。いわきでは日照りの庭にパラソルを立てたり、草むしり汗だく。妻が漬物入り鰻弁当を作ってくれた。

マンガで科学史を読んでいて(ほるぷ出版の何冊か)、数学や科学が大好きなアルキメデスの姿が印象深かった。『ヘウレーカ』岩明均(白泉社)もむろん読んでいる。

(おおまかな話として)紀元前3世紀ギリシャのアルキメデス(Ἀρχιμήδης)は風呂場でアルキメデスの原理を発案したらしい。それにより金細工師が王冠に銀を混ぜた疑いを検証できた。そのときに「ヘウレーカ!(ηὕρηκα!)(わかった)」と言った。*

昭和は面白いと思うときも多いが、むろんあの戦争へ大義で突入かつ残酷な敗戦の仕方をしたのも昭和であり、時代の気質を形成する大きなことのひとつだ。平成はその後、細かい優しさは築けたかもしれないが、大きな平和憲法が実は揺らいでいた。それもまた平成の気質なのであろう。

アルキメデスが発見したとき、みずから驚きとともに嬉しそうに「ヘウレーカ」のような言葉を言ったことはなんとなく想像できる。なぜなら、世の中にある問題に答えを出すのは、それほど容易ではないからだ。人々の健康と安全を祈る。

引用

・『"Eureka"は、古代ギリシア語: εὑρίσκω (heuriskō、ヘウリスコー)「見つける」という動詞の一人称単数完了直説法能動態であるεὕρηκα(heurēka、ヘウレーカ)から来ており、「私は見つけた」「分かったぞ」程度の意味である。現代ギリシャ語では [ˈevrika](エヴリカ、εύρηκα)のように発音する。なお「見つけた」という意味の現代日常語βρήκα(ヴリカ)も語源は同じである。』(ウィキ)



20210721

フランス伝統菓子カヌレを頂く。真夏でも水鳥のように済ました顔して暮らしたいものだ。



20210719

シフォンケーキに水をのみつつ読書をしたのが美味かった。むかしはいろんな店に勤めて、「お冷や」と言ったと思う。良い感じの言葉だ。おビールに近い。夏の読書に水はどことなく文学的にうっとりする時間だ。三木さんの哲学辞典でも開きたい気分にすらなる。

イギリスの大学で講師のかたとZOOMした。ひとは天国へ行く前に、どこに行く、居る、寄るのかという話をわたしはしたのを記録しておこう。何をどんなふうに残していったり伝えて行ったりするのかということも話したり当事者性の件なども。

たほう、パソコンのなかでドロリとしたのも含めて保留して使わずに数年経ったメモがある。前に大規模整理したがまだ残りがあり大体は要らないのだ。ドラマの世界で白州さんが燃やしたのも頷ける。ぼくらの先祖が燃したのも頷ける。荒れ狂った部外者などに知られ傲慢な風に知った気になられても望ましくない。記録は重要だが全てでもないのである。

同時に、この半年ぐらい幾つかのネット炎上をワードに保存して考えてはみるもののすぐには結論の出ないものばかりでまったく文章にすることには穏やかで居られない。矢作さんのツイート*から言えば、気分と意見は違うから、これらはすぐさま文章にはしづらいのだろう。思考訓練やSNS談義にはいいかもしれないが。ゆえ基本的に時事炎上に書くのを再び止める。人生は有限。炎上は無限。もう炎上メモは消した。断捨離す。

7月19日の福島民友新聞によると福島県を応援したいひとの数は日本一だそうである*。なんと嬉しいことだろう。熱い日照りの日が続く7月中旬。SNSではまったく違う話題が入れ代わり立ち代わり、流行り廃りを繰り返しているように見えるが、いま、民主主義が育つ時期だと捉えたら前向きになれそうである。いずれにせよ、ぼくらはぼくらのみちをゆくのだ。そんな感覚をひさしぶりに再確認した。

写真:一時期話題になったナガミヒナゲシ(英名:Long-headed poppy)(学名:Papaver dubium L.)は、大熊町にも咲いている。アルカロイド有毒を含むらしい。ウィキによると花言葉は平静、慰め、癒し。

・矢作さんのツイート『矢作俊彦@orverstrand 友人たちがよくそこを話題にするが。文章が読めない書けない者。人の意見を聞けず自分の意見を持たない者。気分と意見を区別できない者は昔から世界に同じぐらいいて、ただ昔はガリ版刷りでばらまくしかなかったものがネットのおかげで煩く目につくようになったってだけのことじゃないかと思うんだが。』(2014年9月14日)(どのような文脈で発せられたツイートか覚えていないが、わたしのコンピュータにメモしてあった)https://twitter.com/orverstrand/status/511007951864098817

・【民間調査会社ブランド総合研究所(東京都)が初めて実施した「関係人口の意識調査」によると、地域や住民と多様な形で関わる本県の「関係人口」は1229万人に上り、全国47都道府県で最も多かった。東日本大震災から10年が過ぎた現在も、本県と関わり応援したいと思っている人が多いことが要因。県は関係人口と地域とのつながりを深め、将来的な定住人口を増やすための取り組みを強化する。】福島民友新聞7月19日2021年


20210718

Hace mucho calor. (It's very hot in Spanish.) English writing there is. 

アセ・ムチョ・カロール。(スペイン語で「たいへん暑い。」)

きのうテレビでサッカーの試合があった(キリンチャレンジカップ2021)。日本チームはディフェンス良く、サッカー大国のスペインに先制してすごかった(最終的には同点)。スポーツ観戦には励まされ日課のマラソンと筋トレが楽しくなりそうだ。

江戸時代末期のイギリスにてフットボールのルールをつくり、それに基づいたフットボールという意味が、サッカーである。日本には明治初期、イギリスの海軍教官が余暇として伝えた。* アメリカやオーストラリアでもサッカーと呼ぶ。むろんコロナ禍で辛い思いをしてる人達が笑顔になることを祈っている。

今年県内での梅雨明けは昨年より大体早いらしく晴れが続いていて暑い。タチアオイ(立葵)は今年も凛々しい。いわきと大熊町で今は眺めている。会津若松市でよく眺めた花なのは会津若松市の花だからである。もとは中国から薬草としてきたもの。*

家の中を整理し終えたら処分する大きな農機が出てきたところボロ屋が現れて「これ使いますか」「これください」「いっぱい買います」と、あれこれと持っていった。ウィキには「屑屋(くずや)」とも。英名「Garbageman」は変更したほうが良い。聞くと関東から。日本語もユニッククレーンも使えて長そうだ。

久しぶりに交流した友達から「吉田さんは、意志の強い人ですもの」と褒められた。そうなれるよう精進である。海外でプロの作家のかたからは「吉田さんの思考も発信もすべて深く、文章を読み返しています」と褒められて嬉しい。日々はよいでないので、いま誉め言葉しか覚えてない。

また友達と話していて「人生は不真面目に得しよう」という結論にもなって肩の荷が下りたりもした。人間いつでも理想通りにはいかず、現実に藻掻く。理想(εἶδος (eidos), idea, ideal, idee)の三角形が現実に当てはまろうとすると必ず合わないように、理想が過ぎれば現実に衝突する。

自然の揺らぎが教える。柔軟な平衡(バランス)が良いものなのだ。そう言う意味では老子(Lǎozǐ)とタレス(Θαλής、Thalēs)とわたしの学習塾の名を思い出す。20歳ぐらいから運営していた私塾「AQUA学習教室」の名は万物の始原そしてやわらかさと老子やなどから来ている。

当時は洪水伝説や防災を考えてはいなかったが、洗礼や沐浴(もくよく)しかり、万物流転然り、力士の力水(清めの水)や若水(元旦に初めて汲む水)や社寺(しゃじ、神社仏閣のこと)の手水舎(ちょうずや)然り、湿田・水田や人体の構成然り、とにかくそんな風に、水が深い意味をひとに感じさせるものだからである。

なお、水に仏性(仏になる可能性)があるかという点は、論点であろう。

コトバンクによれば「一切衆生悉有仏性」(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)とは、【生きとし生けるものは,すべて仏陀になる可能性 (仏性) をもっており,すべて悟りうるという仏教の思想。】である。

ただし【諸説もあって,なかには仏性をもたないものもありうるとする説 (法相宗) ,草木などの精神性をもたないものにまで仏性があるとする説 (天台宗) ,精神性をもたないものは仏性をもたないとする説 (華厳宗) などがある。大乗仏教の『涅槃経』にみえる句。】とのこと(むろん結論だけでなく過程も重要である)。

つまり、会津で法相宗の徳一と滋賀で天台宗の最澄との論争が思い起こされる。また、日本曹洞宗(そうとうしゅう)の開祖である道元の主著『正法眼蔵』(しょうぼうげんぞう)にも記述がある。道元(どうげん)(1200-1253年)が禅宗の一派である曹洞宗を日本に伝えた。坐禅そのものを仏法として重んじる。

「NHK100分de名著」によれば道元は、むしろ仏性のなかに一切の衆生が居るとする。サンスクリット語で仏性はブッダ・ダーツだから「仏の世界」の意味となり、道元の読みが当たっているのではないかということを、ひろさちやさんは言う。

人智を超えたものと繋がって静かな心持になるよう坐禅をしていると、自分自身がこの世界とつながっている水のような諸行無常のもの(つまり生成消滅を繰り返す)となり、自然界そのものからして仏性の中にいるのだろうという気がしてくる。八百万の神という考えにも似ている。

・写真

処分する時の写真。米を乾燥させる大きな機械のための配電盤だと思われる。写真にない大きな鉄箱の本体にはスイッチがたくさんついている。舞うもみ殻に囲まれ、30kgの重い米袋を積み上げ、機械音と稲穂の香りで夜な夜な眠りについた秋の収穫期であった。現役で稼働していたもの(三菱のマーク、松下電工・ナショナルの文字などあり)。

・参考

タチアオイ(立葵)の花言葉|種類、特徴、色別の花言葉

LOVEGREEN編集部 strobolight.inc

100分de名著 老子 NHK 蜂屋邦夫 、ドリアン助川 きたろう 伊集院光 武内陶子

老子の上善若水(じょうぜんみずのごとし)

『最高の善は水のようなものである。万物に利益をあたえながらも、他と争わず器に従って形を変え、自らは低い位置に身を置くという水の性質を、最高の善のたとえとしたことば。』(引用goo辞書)

サッカーとフットボール、どちらの呼び方が正解?

2014/5/28 日経BP

https://style.nikkei.com/.../DGXNASDB25003_V20C14A5000000/


20210711

朧気な空間の梅雨に咲くグラジオラスが美しい。江戸時代末に日本に来たらしい。こう暑いと生きてるだけでやっと感がじんわりしてくるところたまたま映画評論家の町山智浩さんの番組でジャズの歴史を見た。

ルイ・アームストロングは辛い時期にも関わらず立場の違いを超えて「すばらしき世界」(What a wonderful world)と歌って世界を大きく拡げたひとだと知った。

複合災害の日々。ふつうに暮らせるだけでも貴重な状態になった。危機に遭遇して、日常の価値を再確認した。しかしポジティブに見て、もうすこし全体的に豊かに暮らせる国力があると前向きに思う。

この1年間はパンデミックと豪雨災害に加えて政治的混乱(political disorder )やインフォデミック(情報氾濫、infodemic)だった。後手後手の数字ばかりの日々のようで他方、もはや気づかれない置き去りの数字というものもあるだろう。安心できる政策や憲法を守るためには民主主義が重要だ。

むろん現代ストレス社会において辛い時に辛いと嘆くのも自然だが今の自分は辛いときでも明るく生きていきたいと思っている。現実を無視するわけでもなく拘泥するでもなく、まずは日常を生きる。それが個人的には回復力または浮遊力になる。

5年かけて体調を整えてきたから更に沈着冷静になってきた。学習と運動を延々と繰り返している。ウェブにある山積みの英語ビデオで世界を見続ける。インプットとトレーニング。ただし瞑想と休憩は特に重要だ。家族との時間を大事に。友人知人と世界の幸せを祈る。

今年サツマイモを植えた場所はもともとは牛舎の干し草小屋でありその後、隠居屋になり、それからわたしの塾などになったところであり、原発事故で解体されたから畑に戻った。あれこれあっても、まだ空間がある。日本は古より空間に神秘が宿る。

写真、妻撮影。焼肉カルビ、しろ。「食樂」にて。前回モクモクな気がしたのはたまたまだったのか。ごくわずかな煙になっていた。いわき駅でスイカを作りチャージした。非接触の時代に接触の重要性を知る。

令和も昭和レトロな内装のスタミナホルモン食堂が美味い。昭和と言えば平成になるとき(昭和64年1989年)、登下校のために集まる場所で10円玉を眺めていた小学3年だった。

こつこつと家庭菜園のように日記を書いては手入れして、2021年、半分おわり。



20210704

今朝

いつもご多用中のところ気にかけてくださったり、お読みくださったり、ありがとうございます。3日に発生した静岡県その他、水害被災地の人達にとって好ましい復旧復興をお祈り申し上げます。

時おり状況を注視しながら、自分でも再避難の準備をしながら、この社会がどのような民主主義の状態にあればより充実した政策が得られるだろうかと、考えています。

友達が居るアメリカでも連日の高温で50度を超えるところがあるようで心配しています。豪雨などの水害は熱帯気候のようになると発生しやすくなるとわたしは思います。山火事も然り。

その場所であるカリフォルニアの観光地「デス・バレー」(Death Valley)では1849年に金鉱探しの一隊が迷い込み死ぬほどの苦難に遭遇したからそういう名前がついているのだそうです。人類にとって暗示的なのかもしれません。

2日までに書いた日記

のんびり。小さく。暮らす。

そういう意識でいる。土に触れる。書を読む。思索する。身体を鍛えて瞑想する。20歳のころも31歳頃の震災直後も、静かでストレスの少ない生活がいいと思い、田舎で暮らすことにしたのであった(都会は当時の自分に誘惑が多く、疲れると思った)。

イギリス本は沢山持っている。田舎と言えばスコットランド。17年も統治したマクベスはマルカムと比べて史実として本当に悪人なのか。イングランドのシェイクスピアは面白くしただけなのだろうか。アテルイやオオタキマルが悪人ではたまらない。

ただ田舎だの都市だのと言っても、東京駅から奥多摩駅まで約2時間だが、いわき駅から上野駅までも約2時間なので、的確に時間だけで言えば【福島は都内】だと思っても差し支えない時代になった。東京駅から伊豆半島辺りや名古屋駅も2時間。

大熊から会津も2時間。札幌から成田は1時間半。沖縄から成田は3時間。なぜこんなことを考えているかというと、わたしはいわき市から大熊町まで通いで仕事をするのに往復で約2時間半~3時間かかっていていつもその時間について考えているのである。

とはいえ、トラクターはまだ電気モーターで動かすことが普及してはないため、今もし石油が中東から日本に入ってこなくなったら、再生エネルギーでも原子力エネルギーでも、どちらも多くの軽油トラクターを動かせず、いきなり農業は困難になりえる現状もある。

数年ぶりにランニング・フォームを改善したことで嬉しい筋肉痛となった。アフリカのルイボスティーも美味いがクロアチアのカモミールティーも気に入った。体調としては筋トレを増やしたためさらによく眠っている。

大熊町の実家の家庭菜園にて6月、今年こそサツマイモを成功裏に植えられた。そのためソーラー発電による電気柵も設置した。コストが気になる。それでもイノシシなどに狙われないようにできたことでやっと安心。仕事の合間なのでマルチは大雑把、かつ、高畝でなくしてみた。

昨年に買ったかんしょ植え付け器『さすけ』が、使いやすかった。苗は宮崎県の安納芋。わたしが若いころはこのような電気柵を見たことがなかったから時代が変わったんだなと感じる。そう言えば全国紙の記者のかたから取材があり、話だけした。

なにげない暮らし。なにげない話。なにげない普通の見た目。その奥には誰しもが人生の深みを持っていて、そのなにげなさが傷つかないようたいせつに守っている。のんびり、ちいさく暮らすことは、視野を広くして、そういうものを再認識できる機会になると思われる。

7月4日はアメリカ独立記念日であり、「The Fourth of July」と呼ばれている。マウイ島のみんなが花火を見ながら祝っているところにわたしも居て一緒に祝ったのであった。屋外のホームパーティーで料理人のかたによりハワイの細長いナス(eggplant)焼きやタコス(tacos)を頂いたり、ご近所さんやファミリーの人達やおじいさんから話を聞いたりした夏だったのを覚えている。


・Nature Fukushima No. 7
今回は、シダ植物(維管束植物)、ヒメジョオン(要注意外来生物)を観察して、川を渡ることを考えたりしながら、昔の風景について考える。古代ギリシャの哲学者アリストテレス(Ἀριστοτέλης)(Aristotle)は経験や観察から学問を構築した。


20210627

これでもかというぐらい湿気がむんむんの小夏。今年の雨は早かったせいか晴れもそれなりにある。去年は木を切った辺りの水路沿いに咲いた朱色の百合をトラクターから眺める。

身に着いた筋トレ習慣で身体つきが変わってきた。アイロンがけをして気分が良い。服の汚れを落としたり。天気が良いので走っている合間にウッドデッキで瞑想した。

養老さんが田舎暮らしを勧めて居るのを最近のYouTubeで見たりNHKでアインシュタインを復習できた。多くの歴史人物や世界の歴史を学んだりもしている。

もし人間が光速に近づいた移動をできたとしても、質量のない光そのものには追い付けない。なぜなら質量があるから遅くなる。では顔に光が反射して見せてくれる笑顔の像、身体から離れていった何らかの幽霊、または情報などは、光速になれるか。

ネットという光回線で一瞬にして情報をやりとりしているためそんなことを思った。しかし、アイロンがけはとても遅い(それがまた良いのかもしれない)。ただの物質それが自分だ。その物質には膨大なエネルギーが隠されているという。だから化学変化の後は質量がわずか減る。

質量をもつ物質である太陽は、「時・空間」をゆがめているのだそう。それが重力だ。あたかも座布団に鉄球を置くように。その範囲内に来ると、物事が集まる。それが太陽の周りを地球が周っていることの理由である。ではぼくら人間も時空間をわずかずつ歪めているのだろう。

ブラックホールは質量が極めて大きいため歪みを通り越して穴になる。ブラックホールでは時間が止まる。まるで虚無だ。逆に、アインシュタインの相対性理論は、「時」・空間なので、未来に行くだけでなく、過去にも行けるという理論でもある。

田舎暮らしを自分は好む。この田舎の位置を知るGPSには相対性理論が使われている。時空間が歪んで全てが縮まっていくというと、200km離れた田舎も都会もないインターネットのようである。情報には質量がない。脳へ作用する電気信号だ。

すくなくとも数十年かつ毎回一年もかかる農とは違って物体ではないので食べられない。しかしこの相対性理論という情報により、もし作物の時空間を縮めてしまえば、一瞬で出来て、ゼロ距離で運ばれる農作物というのがあり得るのだろう。

田舎暮らしの10年休暇も、アイロンがけも、情報としては都会での一瞬になれる。だが最もロマンチックなのは、慈悲、愛だろう。すべてを一瞬で超える。ありがとう、すみません、こんにちは、おやすみ。どことなく魔法がかかって信じたくなる。

参照

・『【公式】養老孟司 『アフターコロナと自己防衛の話』』3月の情報をもとにして2021年5月7日にアップロードされている動画 YouTube

・写真 いわき市小川町にて6月 この方向は雨乞いがなされる水石がある水石山だろうか、わからないが素晴らしい景色だ。



・Nature Fukushima No. 6

竹がどこから来たか。縄文時代からあるが中国からも来ている。農村の収入源だった。わが家でも竹を売った時期がある。祭祀(地鎮祭など)、楽器、道具、殺菌、文芸、あらゆることに使われている。竹取物語など、竹の空洞に宿る生命力にひとは不思議なものを感じて、自然信仰していたのかもしれない。杉は固有種であり、火をつけるときに使ったり、祭祀(依代)、香り、防風樹、木材、線香など主に使われている。真っ直ぐ伸びることから「すぐ(直)な木」説が最も多いとのことである*。

参考

・『竹の歴史』八女市

https://www.city.yame.fukuoka.jp/.../2/2/1454652533709.html

・『特集1 竹のおはなし(2)』農林水産省

https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1301/spe1_02.html

・『特集1 月刊杉100号記念 100号記念特別寄稿「杉の語源」』綱本逸雄 月間『杉』WEB版

http://www.m-sugi.com/100/m-sugi_100_tsunamoto.htm

・神社Q&A 東京都神社庁

http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/qa/saikigu/


20210620

暑い快晴で夜が寒い1週間だった。福島は広いので各地の天候がこの時期かなり違う。収穫したての生にんにくは市場にあまり出回らない。香りすばらしく美味かった。

いつもトラクター三昧で農地保全しているだけだから、すこしでも実りある収穫などできて並べているとわくわくしてくる。お皿に盛りつけたときのうれしさ。

大熊町の畑だとこのようにホワイト六片が大きい。しかし同じ品種でもいわきの家庭菜園だと小ぶりだった。少し痩せたとはいえ百年の土壌と、この数年に買った少量の土とでは、違いが出た。

そうしておそらく、土は土に成るのに年月がかかる意味がよりわかった。避難中は猫の額ほども自分の土ではなく、お盆になると墓参りもひとのを眺めていたものだった。

ところでわたしが屋外や田畑でマスクをしているのは、コロナ対策でなく、全国の太陽や野菜からも出ている放射線のためでもなく、土でもなく、排気ガスや砂埃一般をたくさん吸い込むのと一挙の日焼けを避けるためである。絶対でもないがマラソン時だろうがマスクは5年前からしている。水分とり。

農作業中の年配のかたがマスクしているのを見て、その状況はマスク不要だこれだからメディアが焚きつけて、とネットに書き込みがあった。農作業中のかたが口を覆っていることはよくあることなのを知らず、聞いても居ないのに全てが不要なコロナ対策だと思いこまれていた。

わたしは2018年6月22日(この日はもと沖縄戦等、慰霊の日で、いまは23日)に、会津で不動明王の真言を唱えたりして禁煙達成したので今月で3年間、つまり4年目を迎える禁煙者である。お香などの香りなら楽しんでいる。その件でこんな記事が検索にヒットした。

1937年生まれの解剖学者である養老さんによれば、肺が黒くなるのは消化できないゴミが入って細胞が食ってためてるからとのこと。アエラの記事『タバコは肺がんリスクなし? 養老孟司が禁煙しない理由』(2015年11月16日)(林真理子さんとの対談)による。

ーーー引用はじめ

林:ところで先生、さっきからたばこをスパスパお吸いですけど、それはこれまでたくさんのご遺体を解剖された結果、たばこを吸っても吸わなくても人間の肺には関係ないことがわかったからですか。

養老:僕が解剖した人、みんな真っ黒だったもん。じいさんもばあさんも。肺が黒くなるのは、消化できないゴミが入って、細胞が食ってためてるからなんです。

ーーー引用おわり

これまた何が正解とはわたしには分からない(これも量の問題だろう)。おそらく肺のことなのだろうか。少なくとも細かい砂利などは明らかに消化できないだろうと個人的感想としては推測するわけである。

もう1年以上も友達に会ってない。どこで食べ遊び、だれと遊ぶかなどそのとき自分の精神状態で決めているので基準がない。あるときはOK、あるときは不安。

自然というひとのいないオフィスにて過ごし、クルマ社会でもあるから、コロナ系のウィルスと「無縁」になり、ときどきコロナ禍にいることを忘れマスクなしで店の駐車場に下りたり。網野さんのいうその、「アジール」の住人なのかもしれない。不思議なものだ。避難された場所のはずが避難できる場所にもなる。

言い換えれば、都会に出ていかれた場所のはずがいざ戦争となったら疎開だけはされる田舎のような。日本の食料自給率が非常に低くなってはじめて食料の重要性を思って福島に関わる知識を信頼し直したり。関東や関西も放射線量あると知ってから偏見が減るなどもそう。いつでも後になってから。でも、なにかを失ってから気づくでは寂しいものだ。

どうひとに会ったりどのぐらい遠慮したりなど、まったく一貫性のない選択ではと最初は思ったが、もはや自分だけの基準などをいつまでも考えていたくもない。コロナ禍ではなにが100点というのがいまだないように思われる。もはや、そういうものなんだと思って諦めた。少なくとも今の暮らしかたで来たからこのまま終息を待つだろう。

養老さんの記事『人生は不安に決まってるじゃないですか。』養老孟司(BRUTUS No. 896 新・珍奇植物 2019.07.01発行)(全四回中の第四回)によると、不安はあって当たり前だと書いてある。

ーーー引用はじめ

人生は不安に決まってるじゃないですか。そういうふうに聞く人って、本当の意味で不安に対処したことがないんじゃないかな。不安に対処しないと人生ってやりにくいよね。「そんなことでは不安です」と言う人、よくいるじゃない。冗談じゃねぇよ、不安じゃねえやつと虫捕りに行けるかよってね(笑)。熱帯のジャングルに行ったら、どこから蛇が出てくるかわかんないですからね。今だって不安ですよ。これからどうなるかってね。

ーーー引用おわり

また、アエラの2020年8月18日の記事『養老孟司「不安と同居するやり方を覚えるのが成熟」コロナ禍の社会で』では、こう書いてある。

ーーー引用はじめ

 僕は不安を感じない人と一緒に虫捕りには行けません。どういう危ないことをするかわかりませんから。

 不安を排除するのではなく、不安と同居するやり方を覚えていくことが「成熟」なんです。死についても同じことが言えますね。どっちみち死ぬのだから、とヤケクソになるのではなく、死と上手に折り合って生きるのが大人になることなんですね。

ーーー引用おわり

また、養老さんは「(公財)ふくしま科学振興協会ふくしま森の科学体験センター(ムシテックワールド)」にて館長である(福島県須賀川市にある)。

そこで『共生の世界』と題されて2012年1月に当該ウェブサイトに出されて、こうある。

ーーー引用はじめ

 意見が反対になるのは、そう「見える」だけであって、たがいに補い合うのだと思います。それを「反対意見」と表現すると、しばしば妥協の余地がなくなってしまいます。生死は反対のようですが、生きているということがなければ、死ぬこともないわけで、両者は補い合っています。「ある」と「ない」もじつは同じことです。酒瓶の例をお考えくださればいいのです。「酒の入った空間」と「酒の入っていない空間」を合わせて、1つの酒瓶のなかの空間全体になっています。

 なぜこんな理屈を述べるかというと、人は案外これを忘れるからです。環境は自分を取り巻く世界ですから、環境という言葉を作ると、いつのまにか「自分」ができてしまいます。でも「環境」という言葉を聞いたとき、あるいは読んだときに、「自分」を考える人がいるでしょうか。

 環境問題という表現があります。そう表現すると、周囲の世界が問題だという気がするわけですが、じつは自分の問題でもあるわけです。だってどこから環境なのか、考えたらわからなくなるからです。

ーーー引用おわり

これぞ相対的であると思われる。環境という言葉によって世界や日本や福島とは自分の外側にあるものだと考え勝ちだが人間そのものも環境の一部であるということ。言い換えれば、人類が福島の一部であり、人類の一部が福島である。東京や大阪もそう。それから、対立というのは大きな見方をすれば同じ器の中に居る。

2015年のヴェルトガイストフクシマ2号や2020年に発行した随筆集2019(14号)において、微量放射線についての対立をしている限りはどちらも似たような効果を及ぼしてもいくという趣旨のことも一部で書いたのだった。

むかしの我が家で、いまのわたしの部屋になる部屋は、もとは葉タバコなどの調整部屋であった(調整とは野菜の形を出荷できるよう葉を切ったり根を切ったりして揃えることなど。にんにくの農業は、調整作業が多いのである)。

こどものころカブトムシの幼虫をうちの堆肥で観察してそのうち虫かごに入れて観察したりしてスイカやキュウリなどをあげたり、相撲をさせたりして遊ぶのが楽しかった記憶がある。アリやホタルにテントウムシ、オニヤンマ、ザリガニ、けむし、ミミズ、いもむし、蝶々、カマキリ、こがねむし、赤とんぼ、セミ、蟻地獄……。

(2015年の会津若松市にて書いた『観察記 アリの家』もいつか紙にしたい。)https://ameblo.jp/kknnyykknnyy/entry-12646772628.html

福島県田村市では『ムシムシランド』がある(旧常葉町)。ここでは葉タバコの生産が盛んであり、葉タバコの肥料となる腐葉土にカブトムシの幼虫が育つからカブトムシを軸とした町おこし事業が始まったとウェブサイトに書いてあった。

田村方面は自分の先祖になっただろうと思われる一族の集団が中世のころ相馬藩として関連をもっているという民話がある。

養老さんのことは横浜トリエンナーレ2017でもお見掛けしていて、再び気になっていた。大学時代に『バカの壁』を東京中野のブロードウェイにあるエクセルシオールで読んだのを覚えている。福島県立博物館で開催された会議(カンファレンス)で物書きの大熊町民として話した「不確実性」のことを思い出した。

なにが起きるかわからない時代だ。不確実性の存在と、しかしこの、無事に生きていきたいという希望は確実である。宇宙海原のちっぽけな人間は闇雲に浮遊する面もあるかもしれないが、光の速さは不変、ただ一灯を頼もう。


・Nature Fukushima No.5

「川」

ネイチャーフクシマ第5回。川というのは多くの役割がある。特に両面を見なければならない。恵みの川そして恐ろしい川。それら人知を超えたものに畏怖しながら、それについて将来を見据えた考えを巡らせる必要がある。



20210613

にんにくを大熊町の実家で育てた。試しで早めに抜いてみたら成っていて良かった。約1年かかる。家庭菜園で育てるのは簡単のようだが農業となると話は別だ。イノシシに狙われないという点では良い。

実家で蔵書の整理をいったん終えた。ふらふらになった帰りに妻とごはんを食べに行くと、何語か分からない会話が若い女性スタッフの間で聞こえる。ベトナムからだという。純粋そうな人達であった。ハワイやフィリピンの友人たちも温和であるのを思い出す。

前にマウイ島から帰るときにフライト・アテンダント(flight attendant)(客室乗務員)(昔で言うとスチュワーデス)のかたから聞いて覚えた「"Xin cảm ơn." シンカムオン」(ありがとうございます)を思い出しお礼で言った。

日本人が日本で言っただけに最初なにを言っているか分からなかったようだが(相手も流暢な日本語モードになっていた)すぐに気づいて笑顔になってくれた。こちらこそ、シン・カム・オン。

数日間は丸一日で農業を勉強し続け、英語で福島の自然を伝える動画づくり「The Nature Fukushima」シリーズも再開した。動画づくりは時間がかかるが面白い。いわきの家庭菜園では大葉やナスやミニトマトを育てている。日に腹筋100回、腕立30回、ダンベルなどの追加メニューも続けている。

いろいろあったが回復した東京の水が売られたのを思い出す。浪江町の水がモンドセレクション金賞。おめでとう。福島民報新聞によれば大熊町では吉田淳町長(65)がいわゆる白地地区の町民のために尽力していることが書かれていた。みんなが笑顔になることを祈る。

16世紀イタリアのガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)の原理をヒントにして、秒速30万kmという光の速さが不変なのだから動いているものは時間が遅くなり空間は縮むということなどを19世紀ドイツのアルバート・アインシュタイン(Albert Einstein)は数式で導き出した。一部はタイムラプス映像のよう。確かに物事は相対的なのだ。

相対性理論は会津時代に読書したのを復習した。妻つくる漬物と会津米が美味い。言葉の比喩としては類似のことがある。ひとは笑顔で会話したとき、それぞれ互いの瞬間がスローモーションで快く感じられ、心理的な空間も縮んでいる。世の中は何か明るい方向へ積極的に動いていけば同様の快き密があり得るのだろう。各駅を快速でありたい。


・Nature Fukushima No. 4
4本目、英語で福島の自然を紹介する動画ができた。今日は、よもぎ、藤の花、境界について。焼き目のついた草餅は母が震災より前のむかし好んでいた。浜通りにかつてあった草餅の小店へ車を遠出させ買う(それは珍しいことだった)。字幕忘れた部分はコメント欄に。#NatureFukushima Iwaki city, Ogawa town. #いわき市小川町


20210606

いちごが美味い。大熊町では『かおり野』という品種すばらしい。香りの良い梨、たとえば『南水』などのような豊かさを感じられる。この2年ほど人気のためずっと買えなかった。チェット・ベイカーを聞きながら。

重りつきで走ったりシャドー遊びだけでなく腕などの筋トレをするようになった。2kgダンベル2個が便利。30kgのハンドグリップは会津で買った。

腹筋も再開できた。日に100回程やれるようになった。全体的には20代の頃より運動している。しかし足の節々は故障または疲労骨折しない範囲にしたい(以前20kmで無理が来た)。

そう言えば暑くなると溜池や海、川などで水難事故が起きる。プールと同じ感覚で飛び込んでしまうひとたちが急激な冷え又は脱出できない構造などを知らず溺れてしまうのだそう。

田んぼの場合は、田植え長靴なら大分違うが深くぬかるんで足が抜けなくなることはある。もし一人で居て、真ん中まで行ったら出るのが大変。むかしの田んぼを耕す日本の風景には肘ぐらいまで浸かっている地域もある。

トラクターも近いものがある。わたしも一度トラクターを田圃のなかに嵌まらせてしまいそうなことがあった。雨が降ったあとは深くぬかるむところがあるのを身をもって知ったのである。泥は生きている。

わたしの保全している地域はそんなに深くぬまるところは概ねなさそうだが各田圃によって質が違うそうだ。もし嵌まってしまったらもう一台トラクターまたは油圧ショベルなどで引っ張ってもらうしかない。

そのたびに、いったい万が一どうするという思いになる。むろん公共事業だからスケジュールを多少考えるが基本は雨が降った辺りはやれない。

むかしの稲作は田植え長靴タイプのゴム長靴なんかもない。小さな田んぼでも地域によってははまり込んで、女性たちには大変な作業だっただろうなと思いを馳せる。

田植えがハレの祭りとしての集団作業である理由には、とても疲れるものを一挙に信仰的な行事として行うという意思形成だけでなく生産上の安全科学的な理由もあるのかもしれない。

不図、手に取った村上春樹さんの短編小説集『蛍・納屋を焼く・その他の短編』新潮社(単行本)(1984/7/1)を読み終えた。わたしが3歳のころに発行された本である。異能の人間が排除されて森に暮らすようになっていた。

そこからたったの30年ぐらい前まで思い通りにゆかない牛や馬で耕していた(1955年ごろ)。そんな、牛や馬がぬかるむ田んぼで働いていたころの時代のほうをざっと確認してみたい。

東京などでは昭和20年代(1945年以降)にはまだ戦争で家も仕事も失った人々で溢れ、数年間は1万3000軒もの露店が開かれていた。地下道では凍死する人々あり。まだ人々はラジオを聴いていた。

新宿駅には板張りトタン掛けのバラック小屋があり。いわゆる被ばくマグロの検査あり。丸の内ビル街は煤煙(ばいえん)に囲まれていた。神田駅ガード下の飲食店街はぬかるみ、「雪の降る街を」が流れた(私が小学生のころある先生が歌ったのを思い出す)。しかし1950年から6年間に及ぶ朝鮮戦争の特需により日本経済が潤う。

昭和30年代(1955年以降)になると、「夢の島」ごみ埋め立て開始(ごみをそのまま埋め立てたため、害虫、悪臭がひどかった。東京都江東区南部の地名)、東京タワー完成、マイカーブーム。しかしこどもたちはアルマイトの食器に脱脂粉乳、コッペパンを学校で食べていた。

1950年代の後半は、モノクロテレビが普及し始める。日本のひとびとは一気に映像の世界へ入っていくことになる。ラジオ時代よりも放送される物事に強く引き込まれる「大衆」が成立したことだろう(大衆の解釈は1つでない)。

昭和30年代の後半は(1960年代)、石炭から中東の石油へというエネルギー革命により国内の炭鉱にて経営悪化そして労働問題が起きたり、いわき市でも炭鉱が閉鎖して多くのひとが仕事を失う。

たほう、石油コンビナートや重化学工業が発展していく。ウィキ参照してしまうが、石油コンビナートでは千葉、茨城、大阪、川崎、愛知、山口、北海道、横浜、愛媛、三重、仙台、岡山、などが挙げられている。高度経済成長の象徴でもあり公害もあった。

このころ東京オリンピックも開催される(1964年)。人口が少ない福島にて、国策で始まった原子力発電所が着工されるのは東京オリンピックの3年後1967年である。まことに小さな国が、あれこれしすぎるぐらいであったか。

参照

『東京WEB写真館』東京都生活文化局広報広聴部広報課

https://www.koho.metro.tokyo.lg.jp/.../category/about.html

『【日本のエネルギー、150年の歴史③】エネルギー革命の時代。主役は石炭から石油へ交代し、原子力発電やLPガスも』経産省エネ庁 20180524 https://www.enecho.meti.go.jp/.../joh.../history3shouwa.html



20210529

まだ晴れは残っているようだ。
自然界の仕事は清々しい。

ふと、区域内の実家に同じく区域内のご近所さんが訪れたので、お話を聞いた。(農地を)「掘ってほしいんだあ」とも言っていた。掘るという言葉は鋤や鍬の表現だろう*。わたしたちの農地保全の作業に感謝してくれていて、嬉しかった。

さいきん朝4時に起きて5時半までに出発して7時ぐらいから作業開始した。この時期もっと早く起きても良いのかもしれない。わたしは西からロッコクに乗り下りする。朝と夕方のロッコクは町内東側の(おそらく)廃炉や中間貯蔵の作業の人達により渋滞するからだ

大熊町民だがいわき市住民でもあり住所と居所をもち学生のような状態である。大熊の実家まで通うのが大変であり、通勤者が多いロッコクを片道の運転1時間20分以上もかかるため、よく森などの傍で寝ている。

仕事自体も里山の維持と言って良いものなので溢れるほどの自然のなかであり太陽光もあり、アルファ派でストレス減り、落ち着き、創造的になれる。アスファルト大地の上で腕立て伏せするぐらい。仕事中にはランニングの疲労が癒える。

平面つまり圃場(ほじょう)の草刈り機、フレールモアーの操作を覚えた。これは簡単だが、土地は凸凹があるため油圧レバーを微調整してモアを上下させながらトラクターを進行させる地点はそれなりにある。雨多い時期は特に。メンテナンスのためこれは代車トラ。

中・露・英語・ラテン語などは進められた。動画編集などは出来なかった。実家の自室もリフォームするため大量の書籍をまた移動しなければならない。今週で7割おわった。階段の上り下りが大変なので少しずつやりたい。

引用はじめ

「現在、私たちが目にする田んぼは「乾田」と言われるもので、稲刈りの後は水がありません。ところが明治時代の初期までは、1年中水を湛えた「湿田」がほとんどでした。湿田では、重い風呂鍬(ふろぐわ)を振り上げて田んぼの土を掘り起こしていたので大変な重労働でした。

明治時代になると「乾田馬耕(かんでんばこう)」 が奨励されます。乾田とは、秋に田んぼの水を抜いて乾かし、春に深く耕して肥料を入れることによって地力を向上させ、収量を増やす方式です。

乾田では土が硬くなっているので、まず深さ20cmくらいまでの土を細かく砕く「荒起こし」を行います。その後、深く耕すためには人力による鍬では対応できないため、牛や馬の力を用いる馬耕とセットで奨励されました。

「乾田馬耕」により、収量は倍近くになり、稲刈りの後に麦などを栽培する裏作が可能となりました。

明治後期に入ると馬耕用の犂が使われます。堆肥を田んぼ一面にまいてから、牛や馬に犂を引かせて土を起こします。昭和30年代になって動力耕うん機が普及し、機械化されました。」

引用おわり

引用

・『鍬(くわ)や鋤(すき)を使った「田起こし」』(クボタのたんぼ 

 [ 学んで楽しい!たんぼの総合情報サイト ] 稲作の歴史)株式会社クボタ

https://www.kubota.co.jp/kubotatanbo/history/tools/tilling.html?fbclid=IwAR0_QQxfTkphyu5sJqGOSHJHwQwIkXZlr4HViFjZx1QZlZ3oF0WJN-M02Fo

引用はじめ

「平鍬・大鍬はU字形の刃を木製の台部にはめこむ形で、こうした構造の鍬は風呂鍬(ふろぐわ)とよばれ、古くから用いられた形式です。それに対して刃の全体が鉄製で直接柄にはめこむ形の鍬は金鍬とよばれ、新しい形式です。」

引用おわり

ふるさとデジタルアーカイブ『せいか舎』精華町教育委員会生涯学習課 京都府相楽郡

http://seikasya.town.seika.kyoto.jp/essays/kuwa

幾度も改良され、農業革命を経ていることがわかる。

ここで鍬による「掘る」という言葉が使われている。そんなに長い時代に日本において「湿田」だったというのも重要であろう。明治時代の初期から乾田馬耕に切り替わったのだ。「耕す」という行為が動力機械のエンジンによるようになるのは、55年体制のころ、1955年以降だった。

すなわち、太平洋戦争後の1945年には、まだ牛馬による耕起・耕耘(こううん)だった。生還した祖父がそのうちに高価で小さな耕運機を何とか買ってきて使いだしたと父が言っていたから確かにそうなのだろう。昭和30年代末ごろ、小型特殊には実技試験があり、中学2年の父が祖父に教えたらしい。だがわたしがこどもの頃まで牛たちは家に居たため、小型の耕運機の時代から私の小学1年ごろの時代まで牛たちの仕事は謎になる。

父がこどものころまでは鼻取りを祖母がして祖父が田を耕した。鼻取りは牛の誘導であり意のままには動かないので苦労した。これが嫌で祖母は大川原に逃げ帰ったなんて日もあった(念のため書いておくが、戻っている)。これは「田すき」「田起こし」であろう。鋤(すき)または犂(すき)。牛馬は犂のほう。

牛はその後しばらく、もし繁殖したら売るという程度のことをしていた。つまり、昭和62年ぐらいまでの一定の年月そうだったのだろう。牛の仕事だけに集中していた感じはしない。とにかく、長年の謎が氷解した。そこから約30年、物置になった牛小屋を眺めて過ごし、数年前に除染で解体された更地(さらち)が今である。

田圃は、今でこそ一枚当たりの面積もとても大きくなり、手がかからないほうの仕事になったが、つい最近までは地獄であった。うちの母は「田の草取り」により手首を手術したこともある。それぐらい大地や自然環境のなかでの苦労があり大変であったのに実入りの少ない仕事であった。

だれもいない双葉郡という話だけではない。実のところ人々は活発に避難元と先の家を往来したり田畑を保全してもらったり避難先で日々を過ごしたり、あれこれしている。311の件で人生観が変わったという人達の話はよく聞いた。福島の10年前からの惨劇は私達自身にあらゆる点で目覚めさせてくれもした。

おなじ日本。何万人もただ消えて膝を三角にしている日々の10年ではなかった。どこでも、ひとは嬉しい暮らしをして、笑顔になり、自信をもって生きる権利がある。たとえ被災していたとしても、街並みの、そして、田園の美しさは、極めて奥が深い。



20210523

トラクターに接続する草刈り機、オフセットモアの操作法を教わった。物凄い草刈可能だが、ラッパ回す頻度が多く右後方を頻繁に目視でコントローラーの微調整多いので首にくる(まだ畔は私の担当ではない)。安全第一。大熊町の復興作業。

ことしの梅雨入りは南西日本で10日から1か月も早い。いますでに福島でも降水確率40%以上など雨が続いている。予定の6月12日ではなくもう梅雨入りか。しかし次の10日間予測は同率が下がっても居て、まだ謎。連続した晴れが必要。

喜多方の大和川酒造さんが2021年3月の記事で風評被害について書かれている*。海外に福島の良さを自然と表現できるひとたちがあと1000人10000人は必要だと思った。

読売新聞によれば、中通り地方の田村市船引町で初めてツキノワグマが捕獲された。近年は集落の防御機能が下がって阿武隈川の東側でも目撃されるようになったとのこと*。

阿武隈川(あぶくまがわ)は、福島県の真ん中を縦に、つまり郡山市安積町付近を北流して、宮城から太平洋へ流れる川であり、舟運(しゅううん)、灌漑、ダム、発電、上水道に使われ、かつては大熊(おおくま)とも言った。郡山市西田町鬼生田にも舟運の便があった。

「阿武隈に霧たちくもり明けぬとも君をばやらじ待てばすべなし」(東歌(あずまうた))『古今集』

ほか全て順調。筋トレ強化。好候。

ふくしま当事者には、ふくしまの、ひとにはひとの人生、繋がり、思い、やりかたがある。声の大きさに気後れしたりすることなく、静かに、堂々と、生きていきたい。

参照

・『風評被害と戦う最前線・福島農業の現場を歩く』 野嶋 剛2021.03.07 nippon. com 

 https://www.nippon.com/ja/japan-topics/c08802/?pnum=1

・『田村市内でクマ初捕獲 市役所から2キロの山林 「生息域拡大の兆候」』読売新聞 


2021/05/20 


No. 3
いわき市小川町
会津、御薬園の思い出、スイバ、電気柵。



20210516

たくましい煙もくもく昭和レトロ感のお店。いわき駅前でカルビなど焼肉うまかった。震災前、このタイプの焼肉道具を我が家でも持っていた。父がたまに珍味好きなことを思い出させる。

そろそろ今年度の農地関連の仕事が始まる。今年からわたしの仕事は、量が1.5倍になる。それもあり大熊町で新しく農地の調査をする。給与は増えない。仕事は段取り8割。しつこく安全第一。

自然と英語の映像をつくるのがたのしい。日本語字幕もつけた。この4年間で福島を13000kmもゆっくり走って自然を眺めた。この1年は室内ランが多かったがやはり5~7kg背負い低山ラン10~15kmに戻して最高だ。

こないだ小川町の低山の木の上に初めて野生動物がいたのを目撃して驚いた。小さな黄色い背中のこげ茶色の顔した小さなサルっぽいの。ずっとこっちを木の上から見ていた。かわいかった。

スタミナホルモン食堂 食樂 いわき駅前店
https://horumon-shokuraku.jp/shop/detail.php?id=4


20210509

「とうふカフェ naraya」(常磐湯本町、駅近)にて、豆腐が美味かった。たまらない味。ネギとカツオ節としょうゆが合う。国産の大豆は、ダイズだなあ、なんて…。

初代内閣総理大臣、伊藤博文のマンガなどを読み終えた。彼は英語含む大変な勉強家で海外を知る実践家だった。それが日本の幕末と明治にとっていかに決定的だったかがよくわかった。こうして、日本での英語の地位というものが確立していった。※初代内務卿は大久保利通。

20210504

5月3日 日本国憲法記念日

映画『男たちの大和/YAMATO』(東映、2005年)を再び見た。戦艦「大和」が死に場所を与えられたとき、新しい時代へ日本が目覚めるための散る桜として、描かれている。生きて帰れた人が、生き残ったことの意味を問い続け過ごしていた。

乗員3332名。昭和20年(1945)4月7日14時23分、北緯30度43分17秒・東経128度04分00秒の地点が、戦艦「大和」の沈没の時と場所だそうである。沖縄へ向かい、鹿児島から近い南西方向の海である。

敗北からの目覚め。よく響く言葉だ。

戦争の犠牲者すべてに祈る。




20210502

いわき市にて常磐湯本町(じょうばんゆもとまち)にある沖縄料理の「A家食堂」(えいや・しょくどう)に妻と行ったら、お昼がテイクアウトだったので沖縄すばをテイクアウト。

まさに琉球の味である。沖縄で修行なされたそう。香りからお肉からこれぞ沖縄すば、本物であり非常に美味かった。沖縄料理のお店を数年も探していた。旅行気分にもなれる。

(※写真と違いお肉は一人前三枚入り。にんにくはうちで載せ。)

総合雑誌WELTGEIST FUKUSHIMAで編集者をしてくれている伊藤千惠さんのページが新しいウェブサイトのほうでも出来上がった。何度読んでも深みが感じられる。

https://ameblo.jp/komugidaisuki/entry-12658674959.html

J-POPの静かなピアノソロが沁みる。このところは槇原敬之さんの曲など邦楽の器楽曲、つまりインストゥルメンタルがお気に入り。OASISのピアノも良い。

J-pop piano

https://www.youtube.com/watch?v=wVVoYmt_vjc

Oasis piano

https://www.youtube.com/watch?v=aHYHltXV1f4

20210428

空が美しい日々。きょう自分で髪の毛を切った。高校生のとき以来だ(会津で1度あったか)。2019年末に引っ越してすぐコロナ禍なので行きつけもない。どうやらネット見ればボブというのはセルフカットがとても簡単だ。全然いける。前髪を作る必要もない。さいきんは結んでるから失敗しても大丈夫。胸の下だったのが肩までの長さになって動きやすく爽快だ。今までの忍耐は何だったのか。その人に成ってみないと分かりにくいことがあるように、やってみるまで分かりにくいことも多々あるようだ。

20210425

語学や読書は順調だ。飛躍的に伸びてきた。何かと生活改善してきたからかもしれない。

ほとんど新しくなる実家のため気合の入っている職人が来てくれている。電動の鉄板カッターのようなものが使用されるのを見れた。 車も切れるらしい。

このときはトタンを切りたいだけだったので薄い金属板を切れる鋏(はさみ)でトタンを切るのをこれは親から学んだ。金切り鋏(かなきりばさみ)のうちで波板切鋏である。こちらは静か。*

4月から、コンビニ「ヤマザキ」は新しい役場前の新しい建物のテナント店舗に入った。「おおくま」「あんぱん」と書かれた生クリームあんこパンが最近出ているようなのでお土産で3つ買った。プレハブ時代の終わりである。

EテレでこどものSNSいじめ問題が放送されていた。いまのこどもはスマホ所持率8割とも言われるそうだ。10年前そこまでではなかったから様変わりした。人口の多い都市部は大変そうだ。

かつてSNSが流行る前には匿名掲示板が流行っていた。なにげなく匿名で書いてみたら、理由なくひどい言葉をぶつけられ動悸がしたのを覚えている。未熟なこどもで実名となれば精神的苦痛は軽くないだろう。ひどい言葉はひとを傷つける。関わらない。

わたしがこどものころ大熊町ではスポーツできて成績優秀の先輩がいた。その人たちは親が子育て環境を考えて大熊に引っ越してきたというのを聞いたことがある。大熊はひとが良いとは、むかしから聞く。ぼくらも誇りに思う。

参考

・株式会社金鹿工具製作所 新潟県三条市

http://www.kaneshika-tool.co.jp/

・大熊町HP

https://www.town.okuma.fukushima.jp/soshiki/kikakuchosei/16999.html

引用ーーー

2021年4月8日

町は、町内大川原地区に整備している交流ゾーンを「誰もが集える場所」とするため、交流ゾーン内に知的障がいのある作家が手がけたアート作品を展示しています。

今月オープンした町商業施設と現在整備中の交流施設等を隔てる工事用仮囲いに、「はじまりの美術館(福島県猪苗代町)」に収蔵されているものを中心とした6点の作品を展示しており、町商業施設西側から見ることができます。

お近くにお越しの際は、ぜひご覧ください。ーーー



20210412

わたしの英語力は、まだ英検準1級をまともに受けてないレベルである。

さいきんよく見るのはNas DailyつまりNuseir Yassin(ヌサイア・ヤスィン)のYouTubeである。わかりやすい。勉強になる。これをすべて見て、10周ぐらい見ても良いだろう。

ナスとは、アラビア語で人々という意味らしい。アメリカに行ってルームメイトから、呼びやすい名前をつけられて、最初は嫌だったが、人々という意味を思って用いるようになったようだ("How I lost my name. and got it back" by Nas Daily)。

ケイシー・オーウェン・ナイスタット(Casey Owen Neistat、1981年3月25日-)の映像もいずれ見るだろうが字幕がないので少し先になるだろう。字幕あるほうがまだ助かる。

10年以上前から、ウェブではマウスオーバーしただけで意味がポップアップされる時代であり、読むのを早くすることは非常にたやすくなっている。つまり聞くのもたやすいだろう。

それを思い出して今はそれに再び取り組んでいる。さいきんまでは語彙力がすべてと思って辞書を読み、文法書を読むだけだったのが、飽きてきても居たからだ。

2011年、ハワイにいた3か月はリスニングしたり、震災前は1年間、英会話に通ったり、大学時代は、アメリカに暮らしていて日本の一流企業にいたひとに半年間、翻訳のほうを習った。

ハワイから帰ってからはロイヤル英文法の途中まで読んでいたのを最後まで読んだ。大西さんの英文法の本を何冊か読んだ。学術書も含め、英語本だけで積読が山になっている。

20代後半には2年間ほど5000時間、英語でSNSをやっていて交流は主にテキストだが、まれにスカイプをしたりした。テキスト総計5000時間ぐらいだと思う。

田舎に暮らしていても英語が出来れば世界中の人達と交流できると思ったからだ。それで、2008年ぐらいから本腰を入れて英語を学び始めた。最初は発音からだった。

しかしわたしは、小学生と中学生のあいだに習う英語は現役で完ぺきに近かったので、基礎は堅いと思われる。だが米国にいたその先生に習ったときは度肝を抜かれた。先生は50億円の取引を仲介するほどの英語話者であり、アメリカのハイソサイエティなひとともボランティアを通じて友達である。先生は黄熱的なのだ。その先生に2年間習う予定だったのだが、厳しい先生から早く卒業したくて必死で勉強して半年で終えた。厳しい先生から「君は努力の天才だ」と言ってもらえた。

いまは、英英辞書を読むほうがひょっとしたら効率は良いのかもしれないとも思い出している。日本語の説明を読んでいる時間が英語に成れば効率が数倍になる。

20210411

いわき市平の炎蔵(かぐら)にて妻と楽しむ。今週は、にんにく畑の手入れをしたり農業や女性の医学や環境哲学を学んだり。語学は主に英語で海外メディアを沢山視聴し続けているが、この2年間、20言語には苦戦している。今年度は集中の特訓をしよう。知は力なり(Scientia est potentia)。



20210410

たけのこ御飯がうまい。
いつでも世界は激動だ。日本においても幕末には大きな政治変動が起きた。今の状態になるまでに多くの人達が犠牲になった。現代の憲法を庶民が手に入れた太平洋戦争すなわち昭和もそうだ。
江戸時代には、幕府の大老井伊直弼が1858年・1859年に安政の大獄と呼ばれる弾圧をおこない公卿・大名・志士ら百名以上を処罰や死刑にした(吉田松陰が含まれる)。1859年にはフランスのトクヴィルもカンヌで亡くなっている。
このため近江国彦根藩主の井伊直弼(1815年生まれ)は1860年3月に桜田門外の変で暗殺される。勅許(ちょっきょ)(天皇の命令である勅命による許可)を得ずに日米修好通商条約に調印。彦根では、開国へ導いた偉人だと評価されている。
その井伊直弼の遺策を継承した老中安藤信正は、いわき平藩主である(1819年生まれ)。安藤は1862年1月に坂下門外の変で攻撃されて辞める。戊辰戦争では薩長軍に抵抗している。

20210405

うれしいことが起きた。写真家の柴田慶子さんとの会話で社会学者の宮台真司さんの本を読もうと思い立つ。これはすごいかただと思ってSNSでメモがてらツイートしていたらご本人にリツイートされてツイッターに居ることを知る。震災前に西部邁さんや小室直樹さんの本なら少し読んでいて何冊か持っていた。もし震災がなかったら311時にはすでに持っていたバーク、トクヴィル、シュミットなど少しぐらい読めていたかもしれない。宮台さん動画も多いようなので見て楽しみたい。



20210404

借り暮らし自宅の小庭にて青空と午後の光を眺め、そよ風に吹かれているとあまりの気持ちよさに涙が出そうになる。無理な運動で腰を痛め治るのに約10日間かかった。束の間の休息に人生を考えた。マラソンできる喜び。

絵本は好きだが、まんがも好んでいる。

このときは、源頼朝のまんがを読んでいた。その前は源義経や平清盛を読み、違うひとで同じ時間を眺めた。12世紀ごろ。

源頼朝や義経らは幼いころ平清盛に負けても命を助けてもらったのが、最後は再び清盛を攻める。しかし義経は平家打倒戦争の功労者なのに頼朝に打たれてしまう。

平安時代には僧兵がいた。

しかし僧兵という言葉は江戸時代以降であり、史料上に「悪僧」「法師武者」(ほっし)などいろいろな名前で現れる。ほか、大衆(だいしゅ)、衆徒(しゅと)、堂衆(どうしゅ)、悪僧、山法師(延暦寺)、寺法師(園城寺)、奈良法師(興福寺)など。

律令制が乱れた平安時代に寺院の自衛で始まったものであり、平家などの武士をも圧倒するほどであり、平安末期に白河法皇がこう言った。

「賀茂川の水、双六の賽、山法師、是ぞ朕が心に随わぬ者」

僧兵は、織田信長と豊臣秀吉により衰えていき、消滅した。

ただ、歴史が云々などと書いても過去のことが発覚したり今の価値観と合わなくなりしたら「お前はもう終わりだ(You're canceled)」として全否定されるキャンセルカルチャー*1やコールアウトカルチャー*2(call-out culture 又は outrage culture)に全てが落ちるだろうか。

不謹慎や差別表現とされるものも含まれえる。宗教の経典などどうなるだろう。即断せず歴史を学べるものとして冷静に整理しておきたい。環境破壊や戦争など、なんだかんだと人類全体が地球からキャンセルされないよう祈っている。

*1(『再燃の「キャンセルカルチャー」に、企業はどう対処すべきか』itmedia ビジネスオンライン 2021年03月11日 https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2103/11/news026.html)

*2(『キャンセルカルチャーとは・意味』https://ideasforgood.jp/glossary/cancel-culture/)

(ここで、コールアウトカルチャーとは、「ソーシャルメディアの普及に伴い、アメリカなどを中心に2010年代中頃から見られるようになった。他者の過ちを徹底的に糾弾する意味」、とある)

(なおウィキには「晒の形式のひとつである。あるコミュニティの成員が犯した悪事を特定し、その人物を公的に呼び出して、恥じ入らせたり罰したりする行為」などとある)

BBCとビジネスインサイダーには、トランプとオバマがそれぞれコールアウトカルチャーに警鐘を鳴らしている記事がある。

(『トランプ氏、彫像の撤去など「キャンセル・カルチャー」と非難 ラシュモア山で』BBC 2020年7月4日)

(『「できるだけ他者に手厳しく」という風潮は、本当の変化をもたらさない —— オバマ前大統領が警鐘』Bill Bostock ビジネスインサイダー Nov. 01, 2019)

昔のことと言えば、今朝、歌手の松田聖子さんが聖子ちゃんカットの髪型を今に復活させたのをテレビで見て驚いた。ビデオ撮影したのが40年前である1980年7月の歌に関する。私が生まれる半年前。なんだか熱い気持ちになった。

すこし曇りの夕空の日には妻と諏訪神社の枝垂桜を花見した。その前の花見では草野いちご園の「ふくはるか」を今年も買ったり。例年より一週間又は10日ぐらい早いかもしれない。音もなく時は過ぎていく。嗚呼、常ならむ。

4月1日。最高の晴天。

小川の家の庭でマンガを読んでいると、こどもたちが通りすがる。

「なに読んでるの?」「まんが読んでるの?」

「そうだよ、まんが」

「まんがでなに読んでるの?」

「歴史のまんがだよ」

「レキシのまんがだって」

「レキシ、レキシ、レキシのまんがだって」

と囁きながら去っていった。

いつもながら何かしていると、おとなもこどもも、たまに話しかけてくれる(今はこういう機会も減ってそう)。沖縄の旅ではパイプを吸っていて大人から興味をもたれたことを思い出す。エイプリルフールの日に歴史の本を読むのもまた良いものだ。

* ※ここから最後の段落ぐらいまでほぼ全て大久保利通です。義経や清盛やコロンブスの話はFacebook日記に入れず雑誌に掲載。

まんがには、朝廷、一橋慶喜、島津久光、西郷隆盛、長州藩、土佐藩、会津藩。軍艦大砲の凄いイギリスなどが出てきて、大久保利通が主人公のマンガであった。この学研まんがは國學院大學名誉教授の樋口清之さん(1909-1997)監修で大倉元則さん著。

これよれば、下級藩士であり不遇の時期もあった大久保利通が急上昇した理由は、本が好きで碁も出来たことで好機を得て大久保からの隠し手紙を出せた。これで島津藩主に会えたのだった。

身体は弱く武術が不得手であり、学業に精を出した。かれの父親は学問好きで身分を問わず話した。この2点は利通の生き方に太い影響を与えているように思われる。その大久保さんが残した言葉にはこのようなものがある。

「目的を達成する為には人間対人間のうじうじした関係に沈みこんでいたら物事は進まない。そういうものを振り切って、前に進む」「彼は彼、我は我でいこうよ」

このまんがにはこうも書いてあった。

「天皇が東京にきたのは、旧幕府の勢力がのこっている地方を天皇の権威でおさえ、戦いが行われている東北地方に、にらみをきかせるためです。」(93頁)

維新の元勲(げんくん)と呼ばれるひとたちの歴史は明治維新と明治政府そのものであった。幕末から明治にかけての権力動乱の間、無事に生き延び、ありえないようなウルトラCの技を連発しているのが、大久保利通だ。

が、藩主らのちからを非常に大きく奪ったり、実務を知らず経済が混乱して各地で一揆がおきたりと、新政府は恨まれていた。しかし大久保は厳しいときもユーモアを忘れず囲碁をさし、他のひとと違って、国の全体を考えるひとだったという。

古い考えの士族が力を取り戻さないようけん制しつつ、ひとびと全体の不満を解決したい大久保と、士族の不満を征韓論で解決したい西郷という対立図式が描かれている。この閣議で西郷らは勝ったので朝鮮と戦争になるかもしれなかったが大久保は陛下の関係を用い逆転する。これに西郷隆盛や佐賀の江藤新平は負け、政府をやめる。

江藤は反乱を起こして死刑となる、佐賀の乱。

しかし大久保は少し前に自分が反対した海外出兵を、台湾に対しておこなってしまい、台湾を領土としていた清国から50万両をとりあげる。出兵でいかせたのは西郷隆盛の弟である西郷従道(つぐみち)。

明治8年(1875年)、土佐藩士であった板垣退助らの求めに応じて、国会をつくり憲法にもとづいた政治、つまり立憲政治を段々とやると明治政府は言ったが出版や表現を取り締まったり弾圧もしたりして、板垣は自由民権がないならと政府をやめる。実権がない地位に不満だった島津久光もやめる。つい最近まで強大な藩主だったひとである。

ほか、家禄をとりあげられ廃刀令となった士族たちは、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱を起こし多くが処刑された。武士の時代の終わりに武士たちは怒りを露わにしたのだ。明治維新という激動期の武士たちは、そうして散っていった。しかし大久保からすればより心配なのは農民の反乱であった。

明治10年(1877年)、ついに西郷さんの私設軍隊が反乱を起こし、明治政府と、かなり激しかった西南戦争となる。島津は政府側につく。戊辰戦争は主には幕府の終わりだから江戸時代すべての終わりであるが、西南戦争とは、なんだったか。

西郷さんは戦争に乗り気でなかったらしい。江戸を無血開城させたぐらいだから、そうだろう。しかし目の前には、地位を大きく奪われた武士たちがいる。この内戦で、武士とは何かを示したのかもしれない。政府軍も数万人いて多くの士族が兵隊になったが、西郷軍も数万人いて、士族も全国から加わってきた。

大久保と西郷は同じ藩の育ちなのだから、残念な終わりだったかもしれないが、それほど総決算的なやりとりをやったと言えなくはないのかもしれない。同じ藩だけでなく、同じ町でもあるからから驚きである。下加治屋町(したかじやまち)は、西郷隆盛、大久保利通、東郷平八郎、大山巌(会津藩の山川捨松と結婚)など多くの歴史人物を輩出している。今は鹿児島市鍛治屋町(かじやちょう)。

明治12年、福島県の郡山市周辺などでの国営農業水利事業第一号である「安積疏水」の開削のために主導的な役割を果たしたため、明治22年「大久保神社」(日本遺産の顕彰碑)が郡山市に建てられ、いまも祭られている。

明治6年(1873年)、大阪府堺市では浜の松が国の役人により民間に払い下げられ代金が士族に流れていたが、内務卿の大久保が「音に聞く高師の浜のはま松も世のあだ波はのがれざりけり」という和歌を、税所篤(さいしょあつし)という昔から知る県令に与えたことにより、税所は浜寺の松の保護につとめた。

いまわたしは、幕末1863年の夏8月15日から17日に薩摩藩が薩英戦争にて負け、実力を認めたイギリスの言語を学ぶ日々だ。そのキッズラジオをリスニングしてみたが速くて居眠りをした春の日。わたしにはまだYouTubeのほうが分かりやすく学びやすい。

20語学にも体当たり中。わたしがやっていることは何だろう。基礎教養的だから、今はほぼ人文系これからは理数系もとして、いわゆるリベラルアーツを鍛えているとも言えるのだろう。とはいえ固定的に考えてはいない。


20210330

SNSと情報について考える

SNSと情報を見ていると思い出すのは、防諜だ。たとえば湾岸戦争(Gulf War, 1990)に関する世論を動かしたとされる「ナイラ証言(Nayirah testimony)」は有名なのになぜかウィキペディアなどぐらいにしかGoogleに確定的記載が出てこない。根拠のない陰謀論に人は騙されるというが、コロナ禍の世界には情報戦争などないのだろうか。たぶん、多くの人達は有ると思っていることだろう。

しかし、なにかの情報を見てそれが確からしい理由があってから話は始まるだろうが、事実性の可能な限りの確認の前に、それが感情を揺さぶられるものであればあるほど、世論が情報に流されて大きく動きやすく、SNSでのリアクションが多いものとなり、そのことが事実かどうかよりも、リアクション多数ということのほうが事実になってしまうのだ。前の段落そのままである。

たとえば機械を使えば数字が出る。その数字を前にした話者の話は機械だから確からしいという心理的効果を与えやすい。しかし機械の中身は誰も比較しておらず、話しているのも人であり、どの根拠に基づいた何の言葉なのかは吟味されないことが多い。社会というのはしばしば、なにもかもが何となくでどんどん事実とされて流れていくことに慣れてしまう。

たとえばひとつの情報を見て、そのなかの文字列だけで判断していたら、話したひとや書いたひとが用意したメニューをコース通り食べたに過ぎないので、それが問いの形式であっても、ゴールつまり読んだひとの意見傾向は決まってきやすい。まず、コース上を歩いているという自覚が必要なのである(が、コースを走るには目の前を見なければならず上空から見続けるのは簡単でない)。

たとえば「話」はいろいろ比べよと言うのも序の口だろう。読み比べてその中でくるくるまわっていたら、そもそもその話の事実性や根拠すらまだ不確かなのを忘れてしまうかもしれない。SNSの議論状況はその典型例だろう。情報というのはそういうものだと忘れないようにするならば、土俵際に連れていかれずに済みそうだ。

「信じる」というのはそもそもどういうことなのかを考える必要があるだろう。そのことの有無を検証せず本当だと思うことである。つまり、話のどこまでのなにが事実として認められるかを考えることをしないということである。それは神などに言えることであって、情報とは遠いことなのではなかろうか。

ではなぜ、その情報の事実性や根拠性の有無をあまり考えずそのまま事実の話としてSNSにて物事が暗に信じられ、社会の空気が進んでいくのだろうと思わずにはいられない。なぜなら、戦争の歴史や情報戦争や防諜や証拠などということをしつこく考えたことがないからだろうと思われる。

わたしが深く考えられているとは思わない。いま、なるべくなにも読まずに思考できることをしたに過ぎない。だが、なにか外部のものに頼って深く思考したと思えるには、何を参照すべきか?ことは簡単ではないように思われる。

20210328

会津の友達と連絡をとって楽しいなと思っていると、取材で知り合った90代のかたからお手紙が届いた。あのときの写真を今も玄関に貼って元気を出しているという。被災地のことを思ってくれていた。あの頃は若松に活気があったとも書いてある。直筆の文面に胸を打たれる。大事にお返事したい。

20210327

平家物語は仏教色の強い哲学的かつ風情ある物語りであったが、平清盛のマンガは平家による権力掌握と抵抗勢力による反乱の歴史であり、ちょっとした映画のようだった。

当時の限界を超えて上り詰めて日本のほとんどを手に入れた平家だったのが、最終的な悩みは天皇に子つまり清盛の孫が生まれないことであった。

やっと生まれた言仁親王(ときひとしんのう)を、1180年、3歳で安徳天皇にする。清盛は天皇を一日中ひざの上に乗せて喜ぶ顔を見て涙していたという。すべてを手に入れた清盛のやっていたことが人並みの幸せであった。

しかし身内の利権で日本を牛耳り過ぎたためか、反乱が各地で発生して自身は病で没す。平家の最後はかつて清盛が命を助けた源義経や源頼朝ら源氏勢力により(山口県の)壇ノ浦にて1185年3・4月に敗北して滅亡する。

これにより各地で平家落人伝説が残る。わたしが聞き書きをした会津若松の廃村「二幣地(にへいじ)」もそうである。奥会津の桧枝岐村(ひのえまたむら)もそうである。柳田国男が訪れて書いた宮崎県椎葉村(しいばそん)も平家落人伝説で有名だ。なお、織田信長の先祖は平氏だったのかというと、実は藤原氏だったのを後で平氏に変えたと書かれている。

戦国時代には乱取りと言って人や物を奪うおこないがあったらしい。1人20万円から100万円での人身売買も珍しくなかったという。さきほど書いた、コロンブスの時代である。歴史というのは細部まで探さないと実態が見えにくい。関ヶ原の戦いでもあったというから、江戸時代の直前である。

いずれにせよ、今の時代までに生き残って暮らしていられているということは、たいへんな時代をくぐりぬけてきたということなのだろう。

参考

・『【「麒麟がくる」コラム】織田信長の先祖は平氏だったのか。その真相を諸史料から探る』渡邊大門 2021年1月22日 ヤフーニュース 

20210326

休養中は、コロンブスのマンガ本を読んでいた。その前は平清盛だった。どちらも水軍を備えていた歴史である。平氏のほうはだいぶむかし、古代末期のことでもあり、闇の描写そのものがほとんどなかった。

コロンブスを読んでいたら、なにかと思い出した。概略のみのマンガでは少ししか触れられてないが、ナショナル・ジオグラフィックの記事などにより、現代にも通じる問題をコロンブスの歴史が提示していたことに気づいた。

クリストファー・コロンブス(1451-1506)はイタリアのジェノヴァ育ちで若いころ船乗りをして広い世界を知り、学術界の言語でもあるラテン語を学び航海術に長けるようになった。日本では戦国時代ごろ(1467-1568)。

かれはマルコ・ポーロの記述から香料の中国と黄金のジパングに憧れる。しかしポルトガルでの権力者への説得はうまくいかず、病で妻を亡くし、ライバルは成功する(ポルトガルのディアスがアフリカの最南端 [喜望峰] に達す。しかしディアスはしばらく後の航海で死亡)。

がっかりしてスペインへ行くも、女王が冒険への支援オッケーをくれなかった。でも雇ってはくれて、何年も待って、そのうちにスペインが戦争に勝ち、やっと行けた。この契約は、いまテレビによく出ている中大の野村修也先生がかつて授業でわたしたちに教えてくれたもの、冒険契約だと思われる。保険法で学んだ。野村先生と一緒に酒を飲んだこともあった。震災後は国会事故調でもあった。

が、コロンブス提督のサンタ・マリア号はなかなか陸地に着かず、いまだかつて誰も旅していない西への遠洋航行の旅に船員たちが恐れをなして帰りたがるのを説得し続ける。しかしコロンブスは船内で一人のよそ者であるイタリア人だったため、もし孤立したら船上では危機であり、立場が実は弱かった。

むかしの地図は世界の端っこには燃える海や凍りついた海や怪物がいたりして人間界とは違う扱いだった。かなりの恐怖があったと思われる。20日の予定が約2倍の1ヶ月以上ぐらいで、やっと見知らぬ陸地につく。

到着した最初の島はバハナ諸島のグアナハニ島である。コロンブスは「サン・サルバドル(聖なる救済者)」と名付ける。その後キューバなどに寄って帰る。8月に出発して10月に着いているから、水の管理も心配な暑い航海であった。

そこはインディアス(インド)でもカタイ(中国)でもなく、彼らにとっては未知の大陸の付近だった。むろん原住民にとっては未知ではない。いずれにせよアメリカ大陸はヨーロッパ社会では存在しないことになっているのだから、地球球体説を信じていたコロンブスのなかではインドだと思っていた。だから原住民はインディオと呼ばれる。

しかしイタリア人であるコロンブスの成功は続かなかった。連れて行ったスペインの元兵隊だったひとたちとの連携がうまくいかず、彼らによる原住民との争いや略奪が絶えず、嫉妬や反感も食らい何かとうまくいかない。コロンブス自身が具体的にどう振る舞ったのかわたしはまだ学んでないが、マンガでは混乱を鎮められなかったとある。辞書では、一時は栄光も手にしたが失意のうちに没すとあった。

海洋冒険譚そのものは興味深い。譚(たん)は、伝承の類型であり、物語を語る意味。譚は赤坂先生が講義のなかで解説していたのを聴いたこともあった。

ただ、その後の歴史が、当時の価値観や前人未踏で恐怖の航海による精神状況からすればありえたことなのか、いまからすれば残酷に染まっている。インディオは差別的意味を含むとされ1960年代からインディヘナindígenaと呼ばれる。

コロンブスによりスペインは帝国になったと辞典には書いてあった。「コロンブスの卵」とは、誰でも出来ることでも最初におこなうことは難しいことを言うためにコロンブスがやったという逸話だ。たしかにそうなのだろう。クリストファー・コロンブス。しかし、まさかのアメリカ新大陸の発見者は酷い歴史になり、自身も失意で没していたほど難しかったのである。

これは、すでにアメリカ大陸にいた先住民たちにとって、あまりにも苦難すぎる歴史の始まりであもあったのだ。最初、コロンブスは友好的にすすめようとしたが、結局は、原住民のひとたちが奴隷にされたり強制労働させられたり、言葉にできないほど残虐非道に扱われた歴史があり、問題視されているのだ。

ナショナル・ジオグラフィックによれば、彼らによる大量殺戮などにより南米で人口が減ったからアフリカから奴隷を連れてきたのだという。だからラテンアメリカ(中南米)はアフリカ、インディヘナ、ヨーロッパの3者がミックス文化となっているのだろう。きつい歴史である。

コロンブスがインドだと思っていた大陸については、誰もが知る通り、コロンブスの知人であるフィレンツェの商人で航海者のアメリゴ・ベスプッチが新大陸の名付け親になる。アメリカは、コロンブスの知人からついた名なのであった。

こうした残酷な大事件も抱えた大航海時代の出来事によって、中南米からトマト、ジャガイモ、トウモロコシ、マンゴー、タバコ、カヌー、パイナップルなどがスペインにもたらされ、スペインからは家畜や鉄製品そして病気やキリスト教やスペイン語がもたらされる。

コロンブスがスペイン王国の王に出した手紙の一部

「船の生活を送るものは、しらずしらずのうちに、なにか世界の秘密を知りたくなるものであります。」「わたくしは、ラテン人、ギリシア人、ユダヤ人、モーロ人など、聖界俗界の隔たりなく、また宗旨を問わず、数多くの学識豊かな人々と知り合って話をかわしてまいりました。」「わたくしは宇宙誌や史書、年代記、哲学書をはじめ、諸々の学問書をひもとき、勉学をいたしたのであります。」(引用:小学館)

今では、2020年のブラック・ライブズ・マター運動により、アメリカの市庁舎前にあるコロンブスの銅像も撤去されたらしい。こうした議論には、いろいろあるのだろうが、この事実もまた、ひとつの歴史なのだ。むろん、米国のひとたちのアメリカ史への複雑な感情も推察した。

コロンブスは子どものころからそんな風な歴史をつくりたかったのだろうか。どうなんですかと聞きたくなった。コロンブスはこの成功によりスペイン貴族になった。

サンタ・マリア号、ピンタ号、ニーニャ号の3隻にいた乗組員の多くは、戦争が終わって仕事がなくなった兵たちだったという。思うに、前人未踏の場所で極限の精神状況になった兵からすれば、金の採掘や殺戮と略奪は、最近までやっていた戦争の続きだったのかもしれない。そう考えると、やはり戦争それ自体からろくなことが出てこないのだと改めて思った。

もし、自分たち現代人がこの当時のスペイン人のもと兵士の群れだと仮に想像して、自分以外ほとんどが暴走していたら、今の道徳から見て正しいおこないを為しえたであろうか。けっこうな疑問がないではない。それに、明らかな暴徒でなく、選挙に行けるのに行かないなどの沈黙がなにかを悪い方向へ進めてしまう場合がありえるとしたらどうなのだろう。

閉ざされた場所で暴走の極限状況にいる兵士たち。閉ざされた組織。閉ざされた場所での王の立場(今回は提督)。さまざまな論点をこの歴史は根深く提出している。

集団が群れをなして自分たちだけの正義に熱狂し、ひどい言葉ひどい行いにより残虐になったとき、鎮めたい自分だけが正しく振る舞って、安全無事に飯にありつけるのかという恐怖もある。つまりこれは、SNSにしてもリアルにしても、現代社会に十分応用して考えられる。

困難に直面したとき、ひとはどう振る舞えるのだろうか。苦悩すべきはアメリカ人だけでなく、コロンブスへの質問はコロンブスだけのものでもなく、コロンブスの卵は、現代を生きるひとびと一人一人への「問いの卵」なのだと思われる。

とくに右ならえ左ならえであれこれ残酷な歴史ある国などは、この問いが常に突きつけられているのだろう。つまり抽象的な意味でのコロンブスは今も生きていて、過ぎ去ってはいない。

20210325

2日目まで夜中も早朝もすごい痛みでげっそりした。しかし前向きに、まえに少し学んだ医学の本などを思いだしたので、自分なりに考えてあれこれ、妻の協力も得て、積極的に治そうと実践していたらまさかの3日目で6割ぐらい回復して驚いている。もう激痛がない。禁酒禁煙もあるかと思ったが中学生のときでもこの短期間は全然なかった(このときは鍼が効いた)。まだ痛いがこれなら何とか動ける。※SNSお見舞いありがとうございました。

20210323

まだ疲労あったか。普段しない動きで腰を痛めた。立っているのがやっとなので走れない。ゆっくり歩くことはできる。自己判断だが、ストレッチして痛みを解(ほぐ)そう、グッときつつ良い感じ、おれ生きてる。人生一寸先を見ねば。良くて2~3日か、2週間。この程度でよかった。皆様も気をつけて。

20210322

この10日間ほど眠りまくった。この3か月間ぐらい物理的にも心理的にも走り続けていて休むことを忘れていた。気づけば足は怪我寸前に疲れていたのである。人間は機械じゃない。さて、春へ歩もう。

20210320

2年前の自分は上半身が華奢だった。いずれ比べてみたいが、いまは上半身も筋肉質になり、シャドーボクシングが良い感じに速い。疲労と妄執も取れてきて、勉強は集中力のモーターが回り出してきた。だがまだ凝りなどあり休養が必要のようで、相当に疲れていたと分かる。人間は機械じゃないのだ。

昨年、庭に植えた花やチューリップやヨモギなどがまた顔を出していた。引っ越し一年目の空気感が流れる。広大なる透き通った青空がどこまでも高い。大熊の梨畑や若松そして那覇の通りも、そうだった。

おどろくべき南国風の快晴に瞑想して微睡む。乾燥していて過ごしやすい。ただ風が強く田畑にとっては水不足になりそうな面がないではないものの、これが忘れていた浜通りである。たまに春雨あり。

ギリシャのアテネが福島の浜通りにあるようなものだ。実際アテネも福島県も北緯37度である(アテネは38付近)。北緯37度線は、地中海、スペイン、イタリア、中東、韓国、カリフォルニアなど。なお、朝鮮半島の国境は北緯38度線である。

いわき市平、いわき駅前に長い間あった「ミスド」が消えた(写真)。ごく稀にしか来ないが、ここで友達と待ち合わせしたり、いわきの学生のいわき訛りを聞けた。大熊町でぼくらの間は訛りが少ないほうだとわかったものだった。このあいだ、いわき駅前通りにあるイトーヨーカドーが終わったのもあった。20歳ごろよく使った立体駐車場。これで近くにマックがなくなる。変わりゆく磐城(いわき)。岩の城。

あれこれと雑誌に筆記でき、編集や発注し終え梱包もしつつあり、あとは20号の到着を待って発送のみである。キャラメルの香り茶が嬉しい。編集の峠こえ感謝。10年記念311のぶん一入(ひとしお)だ。写真にあるのは中国料理の鳳翔にも妻と行ったそれである。ここは尊敬する物書きのYさんたちと初めて行った。

いまや爽やかに世界のニュースを英語で読みまくれる。とりあえずTwitterにて、科学、医療、料理、音楽から各国ニュースや天気など174個のメディアを探してはリストに登録した。福島からはもっとないが、日本からの発信は、NHKワールドやジャパンタイムズぐらいのようである。

めきめきと英語力も上がりそう。自分のテーブルに174個もどんどこ更新される英語その他メディアを並べられるなんて新しい。わたしのSNSタイムはこれに費やされるだろうから、もうすぐ英文読書家になれるかもしれない。前は飽きたが今は面白い。

しかし一点だけ残念なのは、アルファベットの綴りを細かく見ているのは目に辛いことである。日本語は一目見ただけで全体像を掴めるが英語の読解となると分析する必要が出てくるためだ。目を大事にしサイズを拡大したりしてもうすこし様子を見る。

マラソンもついメンテナンスせず走りっぱなしにした日々を3ヶ月も続けたからか脚部の大腿四頭筋や膝や足首など凝りに凝っていて怪我寸前とわかり1週間ほぼ安静にする長期休暇をとっていたのが、また走り出せるように回復した。ゆっくり春へ歩き出そう。

雑誌はまだ残務があるが、次の個人号の編集と、Youtube収録と編集と事前学習を開始だ。一昨日に気づけたのだが、2019年の9月つまり引っ越し直前にて、古い書き方である『柳田国男定本』の継続読書がとまっていた。14や17号が何かと時間かかったのだ。なんにせよアンカーは今から走り出す。

いわき市に来たのが2019年の秋だった。水害直後だった。それからコロナ禍となって2020年の1年間は雑誌の執筆編集だらけで、2021年の春に至る。 20言語の再開も一年ぶり再スタート、上昇し続けたい。ことは速度だけでなく順序も重要なのだと、とくと理解した。

このところ日記を英語で書いておらず寂しい。hearthisにて英会話の公開練習は持ち直して続けたい。なんてことを書いて、妻の料理をいただき、妻にほぼ毎日のマッサージをする時間を過ぎたころ、同郷の友人からお茶が届いた。ちょうどお茶おいしい話を書いてすぐ。ありがたし。SNSも静かに暮らし自立心を鍛える。幸せとは、穏やかさである。


20210320

だいじょうぶですか。いま福島県に揺れ、震度5弱でした。宮城県沖で強い揺れあったそうです。宮城県で震度5強で、津波注意報、1m。ただちに避難、ご安全に。深呼吸。

Are you all right? A little big earthquake happened in Miyagi and Fukushima. Don't go to the seashore for the tsunami 1m etc. 1m is really dangerous. Breathe deeply!

20210319

ワシントンにて、いわゆるアジア人に対する憎悪犯罪への抗議デモが起きた。https://www.bbc.com/japanese/video-56452709 日本のテレビでも報道はされている。

日本人はまだあまり考えてないだろうが、中国、韓国、台湾、日本などの典型的な見た目を持つ人々はコロナ禍により世界的にいろんなところで偏見をもった人たちに差別や憎悪などされる可能性があるのだろう。ただし日本は、福島云々についても国内どうなんだという話はある。

Youtube大学の中田敦彦さんがシンガポールを選んだ理由に、この関係のことを少し言っていたのも分かる。福島も何かと10年たいへんだった。差別と闘うのは大変。

ただしヘイトやめろという声は共有しておいたほうが良いと思われる。あれこれの微妙ラインに居るひとたちは学ぶことができるからだ。

Facebookでは幸いなことにMark ZuckerbergとPriscilla Chanという二人が居て、アメリカには教養ある人たちも多いのだと思わせられる。

わたしの好きなハワイは日本人が多いことでも有名であり多様なひとたちが暮らしていて観光立国だから寛容的教養は高い地域だと思う。

Mark Zuckerberg shared her post and commented;3月19日

Racism against the Asian community unfortunately isn't new, but the rhetoric around the pandemic has again brought it into sharper focus. I see it affect members of my own family and many of our friends. All the messages of solidarity bring me some hope, and I appreciate all of you making your voices heard to stand with the community and speak out against hate.

Priscilla Chan posted;3月18日

Hate leaves each one of us worse off. Asian Americans are Americans tirelessly building up our communities and a better future. We cannot overlook what happened last night in Atlanta. Rather, we must stand together and ensure that everyone is seen and safe.

(shared from: https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=10112849383594071&id=4)

NHK『死ななければ、帰れないのか』2021年3月17日、読了。あれから10年。いまだ解除の見通しが立ってない地域がある。日本国民たちが累々たる意志をかけて伝統的に死守してきたこの聖なる国土をなんとしたもう。楢葉標葉のいにしえの名も遠きかな大八洲。

20210317

『境界の町で』(リトルモア)からも約10年。あの写真にある複雑な表情は、当時の感情なのだろう、あれ一枚しかない。岡映里さんご撮影感謝。

やはり物事は基礎だ。福島とともに福島を見続けてくれるひとたち、復興支援してくれるひとたち、みなさんに御礼申し上げたい。みんなが笑顔でありますよう。

報道と一言ではあるけれど、一所懸命に出てくれている被災者のひとたちの苦労が詰まっている。東日本大震災の日。それにしても、たいへんなことだ。

言葉を失いそうになりつつも。世の中が、昨今の報道ラッシュで、また防災意識が高まり、なにかしら形成され、ひとびとが助かるように社会が成長していくことを祈っている。

311を超えるとまた一年が始まる気がする。815のように、やはりこれは、政治的なものではなく、一種の、おおきな節分のようなものになっている証拠なのだろう。すべてではないが、疑似的に若干の追体験がありえる。

ひとはひとから影響を受ける生物であるがゆえ、どんなひとや表現の近くにいるかにより、そのぶんに応じて多かれ少なかれ、人生が影響を受けていく。

20210315

今年の311報道ラッシュは異様だった。なかでもテレビ画面の「揺らし」と「大津波」が毎年の量と変わるのか分からないが、2月に大きな地震があったこともあり、だいぶ疲れてしまった。数日は寝て過ごした、滅多にないことだ。無理に見ないよう気を付けたつもり。メディアには感謝している。このような状況において、もうずっとそうだが、福島の言論や表現の関係一般についても、穏健に過ごしたい。ほかのひとたちにはさほどでもないのか、わたしには、酷いとか重いが過剰に見えている。当事者性が濃厚だと逃げ場がない。適切な距離感が必要なのだ。何とか過ぎて良かった。長生きしよう。 ーー 所感

20210311

10年後の今日が、こういう日だとは、あのことより前には、だれも予想していなかったことですね。今日も無事に生きて居られて感謝しています。多くのひとたちのおかげです。実に長い日々で、あっという間でした。

また、今日は、亡くなられた人達のことを思い、その声を自分なりに感じていました。ある大熊町の亡くなったかたが、仮設住宅で共にボランティア後、アスファルト上の酒席でわたしに遺したのは、「みんなが笑顔でいることが、うれしいんだ」です。

かれがそんな話をしたのはそれ一回だけです。何気なく言っていましたが、それが最後の会話にもなりました。それがいかに深い意味か、10年が経ってもまだ、もどかしいと思いつつ、今もよく沁みています。みんな生きて、みんなたいせつ。

繰り返して言うのでしょうけれど、これから、どういう社会にしていきたいか。やわらかい声が響き合い、その方向へわずかずつでもシンフォニーを奏で続け、日本と世界というオーケストラを築いていけることを希望しています。

20210310

NHK BS1 スペシャル『福島タイムラプス』が再放送されていた朝。何件かご感想をいただいてうれしい。精進したいと思いを新たにした。

運動は、ひさしぶりにマラソンを2日間も休んだ。シャドーボクシングは休みを多くしているのが普通だから慣れたが、肘関節と股関節が数カ所、痛んだ。3日目の今日は、リハビリ期ぐらいにして、歩き10kmにしたい。

勉強は、猛烈スタート再開である。雑誌の編集や発送がだいたい終わりそう。この日記もそろそろまた編んでいかねばならない時期が来ている。あたらしい印刷所での表紙はファッション雑誌なみに高品質。おどろき、うれしい。

20210308

3週間で女性の健康テキストを半分の60頁まで読んだ。WLBもあるが医療系のページがほとんど。3月8日は、 #WomensDay #国際女性デー 。日本は男女平等121位(全153中)。韓国108位。ドイツ10位。アメリカ53位。英国21位。アイスランド1位。

20210305

あちらこちら放射能の煽り活動からストレスを受けるので、いかにストレスから離れ、忘れて、なかったことにするか、が健全な暮らしを守る最初の一手として土台になりつつある。人権侵害されていると感じても争わず距離をとるに尽きる。最初は被災地のための活動だったものも、いつの間にか、被災者の後ろ盾さえ得られれば被災地に何をしても関係ないというような暴走が増えている。一般人の感覚をもつわたしとしては、被災地を土足で踏まれ、被災地の未来を憂慮させられながら、とにかく、当事者の視界から見えることを書いて世に伝えられることだけは伝えていこうという所存。

20210301

昔からカシオ好きで、よく見る。

カシオは、1946(昭和21)年 4月、東京都三鷹市に樫尾製作所を創業した。1923年、関東大震災のあと樫尾忠雄さんは上京して、旋盤工として働きながら早稲田大学前身の学校に通い技術を習得してそのうちに下請けから独立*。

1974年に電子腕時計『カシオトロン』を発売した。それからカード型の電卓を作ったり電子楽器『カシオトーン』を作ったり、今日へ至る開発ラッシュ開始、そうして1983年に『G-SHOCK』を発売する。わたし2歳のときである。

カードサイズの薄型電卓はわたしの家にもおそらく仕事上のことで何枚かあって、「これなんだなんだ」と触っていたものだった。あの薄さのなかに何かの秘密が隠れている気がして、興味津々であったのである。

ポケットゲームというものが出るころかもしれない。わたしはガンダムのをやったり。その後はたぶん、ファミコンやミニ四駆の時代がくるころだっただろう。それらへのわたしの夢は熱いものがあった。

だれかがわたしの家の庭で、ある時計を見ながら言った。「ジーショックってすごいんだぞ、ゾウが踏んでも壊れない」。じっさいCMはアイスホッケーで叩いたものだったようだ*。それで非常に人気が出たとのこと。

1994年にポケベル『NICOTO NP-500』(ニコット)は業界で初めて数字だけでなくカタカナやアルファベットも送受信できる機能を搭載したそうだ。これはすごいことだ。わたしは高校生のときにニコットも使った。出てすぐだったのだと今になって知る。あの校舎の石っぽい渡り廊下で緑の電話を。

20代になってからもCASIOとの関係は続き、今度は電子ピアノをわたしはバイトしたお金で買った。いわゆる生の、本物のピアノと同じような重さが感じられる機能があって省スペースだったからである。(当時は映画『カルテット』(2001)の影響でバイオリンも買ったがバイオリンは後に売った)。

30代後半になるとCASIOの『(SUPER)ILUMINATOR』をわたしは買った。防水とタイマーがついていて何かと便利だからである。それにわたしは高校生のころよくファッション雑誌で『データバンク』というカシオの時計をいろいろデザイン見ては楽しんで、実際に何本か買って、嬉しかった。

その思い出があるから、いまでもデータバンクやG-SHOCKそのほか通常のCASIO腕時計の前に来るとわたしはしばし時間を忘れてしまい、恍惚のうれしい光に包まれる。ほしいけど、というその気分が良いのだ。「見てるだけの時代」再来である。

後で分かったのは、ビル・ゲイツ(Bill Gates)もカシオのイルミネーターを使用している様子。金額ではないのだろう。フリーメイソン、イルミナティとも言われそうだが、イルミネーターの意味は「発光体」または「啓蒙家」であり、理性を尊ぶという意味が中世近世では特殊感のある集団でも、いまの時代では普通かもしれない。

参考

・『春秋』日経新聞 2013年3月2日

https://www.nikkei.com/article/DGKDZO52331660S3A300C1MM8000/?unlock=1

・『30年経った今だから話せる、初代G-SHOCK開発秘話――エンジニア・伊部菊雄さん』ITmedia ビジネスオンライン 2012年10月22日 

https://www.itmedia.co.jp/style/articles/1210/22/news119.html

・『カシオの歴史』企業情報 CASIO

https://www.casio.co.jp/company/history/

20210228

いつもプラごみを家で扱いながら「これは社会で現時点どう処理されてたんだったかな、確か……あまり良い社会状況でなかった気がする」で止まっている違和感をもう一度Googleチェックして端的に書き直した(数年前のは長かったので消し)

たとえばペットボトル1つとっても、分別ルールが自治体ごとに違っていて統一されていない問題がある。キャップとラベルの扱いが違うのである。いずれにせペットボトル容器の場合リサイクルに出すには写真のように剝(む)くことから始まる。

ほかのプラスチック容器ではもっとずっとうまくいってないであろう数年前に読んだ内容が、2020年もあるという現状であった。自然を日本全体が守らないと都市生活はより高価になる。田舎の大自然は大がかりなクリーンアップなどの活動に費用が掛かるようになるからだ。

千葉商科大学の記事などでは、マイクロプラごみの海中や雨中や生物中への混入やPCB、ダイオキシン、DDTなど、残留性有機汚染物質(POPs)と呼ばれる海中の有害化学物質を吸着し、それを海の生物が摂取、かつ、プラにある環境ホルモンもあり、人類にはがんや免疫低下そして生殖能力低下などが指摘されている*1。

しかも日本は、なんと世界2位でプラ消費するのだが、リサイクルがうまくいってないのが辛い。

NHKによれば*2、約900万トンの日本のプラごみのうち約6割の500万トン以上がサーマル処理つまり燃やした熱エネルギーの回収なのだそうである。6割も燃やしてるというのは、環境に優しいイメージと違うのではないだろうか。

別のプラ製品とかになるのはペットボトルなどであり、他はけっこう1度しか使われず燃やされるのだ。石油が原料であるプラスチックは燃やすとCO2となって地球の温暖化を促進してしまい、気候の極端化などの自然災害に繋がるとも言われる。

自分で出来ることとして、妻の教えによりわたしはかなりやってきているが、なるべくプラ容器を洗って出すことである。最初は手間だと思ったが、プラごみ処理には税金が使われ、かつ、自然災害や公害の一種にもなりえることから、ちゃんと扱うことが自然や動物などを大事にして人間も大事にすることに繋がると思って、取り組んでいる。

参考

1、『海が汚染され、海の生物も人も危ない! マイクロプラスチック汚染問題とは』MIRAI Times 千葉商科大学 2020年06月25日

https://www.cuc.ac.jp/om_miraitimes/column/u0h4tu00000013vf.html

2、『1からわかる!プラスチックごみ問題(1) 2020年07月01日 (聞き手:高橋薫 田嶋あいか)』

https://www3.nhk.or.jp/news/special/news_seminar/jiji/jiji17/

3、『1からわかる!プラスチックごみ問題(2) 2019年07月09日 (聞き手:高橋薫 田嶋あいか)』

https://www3.nhk.or.jp/news/special/news_seminar/jiji/jiji18/

菅総理の息子さん正剛氏の写真を見たビートたけしさんは「クラブで麻薬で捕まったやつかと思った」とテレビで発言したようだ。ナイスつっこみ。わざわざ不用意な写真を出されるほうも大変だが。まるでわたしが言われてるかのようだ(苦笑)(※麻薬でなく、親が立派で自分はロン毛ヒゲやバンドマンの昔という意味)。実際、いまの時代は実力や運だから、見た目は関係ないと思う。政治云々は知らないが、総理のご子息で官僚のかたがヒゲロンゲなのは、良い傾向である。ぼうごなつこ氏の漫画ナマハゲ別人格の件も笑った。


20210228

広がる空や大きな山という自然に囲まれて息を飲むことがとても増えた。うつくしくて素晴らしい。楽しい時もそう。このまま時が止まればいいのにと、思うようになった。

浜通りの冬には風が強いことから快晴の日が多く、夜に星座を見ることができる。震災前は部屋から見やすいこともあって、よく夜空を見上げていた。そして夜空を飛んでいる想像をして音楽を聴くのが好きだった。

星座に詳しいわけでないから、オリオン座、北斗七星、カシオペア座、北極星ぐらいしか分からないものの、見えると、そこはかとない感動をいつでも覚える。なにげない風景も、宇宙も、たまらない。

ジブリの音楽は爽やかで好きだ。春夏秋冬の海や丘や畑を大空の下で風に吹かれ歩いていくようなあの感覚は、現代人が最も必要としている何かが得られるのだろう。じっさい、散歩は学術的にも多様な良さがあると言われている。

そんなことを知らずとも父は避難直後にすぐ「歩こう会」を結成して地域の人達と会津を歩きまくっていた。新しく資格もとりまくり、その後いわきではある監督の仕事をしながら大熊町で最大の第一仮設住宅という集落の自治会長も務めたり。全く敵わない。

私もすこしは歩いたが本格的に長距離を歩きだしたのはその6年後だ。震災前はよく旧役場ぐらいまで歩いたり、鉄製のロードレーサーに乗ったり。

こないだ、たまたま妻と寄った寿司店が良いところだった。浜通りではネタもなにも抜群の海鮮丼のほうが安く済むこともあるが、くら寿司はお得で無添加だった。いろいろ選べて低価格。こども時代のわたしならトウミギまたはトウキビ(家ではこのどちらかで呼ぶ)の寿司など食べず、大人になって食べるようになった。

回る寿司と言えば、富岡町の「アトムボーイ」に、こどものころ行ったように私の記憶がある。いつから開店(回転)しているのだろう。この店名をわたしはすぐ思い出す。ネットで見ると「アトム寿し」になっている。皿の色が白地に原色で赤、青、黄、金色がついていたような。

うちでは大熊町にある寿司屋に行ったり出前が主だったが、おもちゃ売り場もあったむかしのトムトムがあるほど流行っていた富岡町での回転寿司はおもしろかった。ネタが子ども向けもあり。最近、ついに解体されてしまって風通しありすぎる。しかし今はもうお食事処が富岡町に幾つかオープンしている様子。

日々のマラソンなどで疲労がたまり身体中が厳しいのでじっくりメンテナンスした数日。マッサージ機も使ったが今回は妻がマッサージしてくれた。むろん私からはほぼ毎日する。女性の健康本は、約40頁を読んだ。あと80ほど。今月は会津史そして環境哲学について学んだ。ああ、10年間か。あっという間すぎて、うるっとくる。みんなの笑顔ばっかり思い出す。

福島県民は182万人もいて、世界中と日本中が応援してくれている。だいじょうぶ。決して負けない。福島は風景最高でひとも良く、大自然の恵みあり、科学的にも精神的にも創造的にも歴史的にも文化的にも、何でもそろっている。いける。俄然いける。

いわき市小川町にて、この素晴らしい山並みと太陽の光を撮影しようとシャッターを押したら、急に割り込んで入ってきたのは電車であった。なんというタイミング。運の良さが最高だ。確実に持ってる。たとえ社会に3・11節目10年の祀り捨てが3月中頃から4月であっても、わたしにはわたしの個性がある。歩き出そうかい。

電車というのは、その上のずらっとある電車線から電気を電車内部に取り込んでモーターを回している。レールは鉄の道だから鉄道という。* むろん人間にも常に弱い電気が流れている。例えば、目から神経を伝い電気信号で脳へ情報を送り、また、脳からも電気信号が神経を伝い身体へ指令を送る。*

参考

・『電車のしくみ みんてつキッズ』(一般社団法人)日本民営鉄道協会 https://www.mintetsu.or.jp/

・『電気のふしぎ』ふしぎの図書室 Panasonic

https://www.panasonic.com/jp/corporate/sustainability/citizenship/pks/library/001electricit/ele011.html

英会話の公開練習

https://hearthis.at/kuniyoshi-yoshida/#tracks


20210227
時事について書いた。

1、「人口と社会」2、「寺社危機」
3、「福島と安全」4、「全国の原発」
5、「ダムと水害」6、「軽く展望」

1、
国交省によれば、日本の人口というのは明治維新から150年で約1億人が増えたようである。内容の濃い「近代化」によるものだろう。すごいことだ。しかし、いまの日本人は男性でだいたい、4人に1人、女性で7人に1人が生涯未婚という率なのだそうだ*(内閣府の生涯未婚率による)。

たとえば福島県人口は今182万人だが20年後は143万人*に減る予測がある。日本人は今の1億2600万人から1億1000万人になる。高齢人口は3大都市圏で顕著だそうで、東京一極集中の理由は仕事、給与、将来性、進学、とのこと。福島は東京に近いほうだろう。

たほう、人口の少ない地域では、問題の可能性が噴出すると言われる。鳥獣被害、雑草、虫害、災害リスク、不法投棄リスクや防犯、医療福祉など、生活に必須なことの維持負担である。ちいさく集住化を自動の高速移動で繋いでいくということになるのか。

以上のような日本の人口と社会の状況に加えて、「環境問題や水害など災害問題」そして「水や食料の問題」も加わるのだというから、これはかなり大変なのではないか。若いひとたちが不足しているというのに将来の負担は増えていくように思われる。

2、
つぎに、寺社の危機である。
いまはお寺が、約8万寺あるそうだが、住職不在が2万寺(無住寺院)、つまり空き寺のことであり、放置すれば寺の崩壊や犯罪リスクがありえるそうだ。

神社のほうでは、年収300万円未満が6割だそうだ。さらには、全国6000神社のうちこの10年で300神社が消滅した。さらに後継者不足であり、1人の神職が100神社を受け持つケースもあるといい、建物の建て替え維持もままならないようだ。確かに、草木に覆われている祠など見たことがある。

現代社会は、こころの拠り所がないような話はよく聞くように思うのだが、なにかと便利であるがゆえ時間の過ぎるのが非常に早くなったとわたしも感じる。神話や経典よりもスマホを手にしているがゆえ、内省的な豊かさは人間関係の煩雑さのほうに時間を持っていかれる。

それだから、神社やお寺に対して、こころの拠り所になりえるようなことを思い浮かばない人々も多かったり、生きていくのに精いっぱいで宗教的な、いわばこころの話など考えて学んでいる時間もないほど地域から疎外された状況なのだ。

べつに心理的なことは必ずしも宗教でなくともいいと思うが、いずれにせよ、今だってたいていのひとは細々と生きているのであって、合理性による競争が優先されてきた資本主義社会だから人類にこの課題は不可避だったかもしれない。

3、
食料自給率つまり国防の一種である食料の話に戻って、福島県産の食品について。今日2月24日のNHKによると千人のアンケートで92%が安全だと答えたそうだ。わたしも、福島の安全安心はもう当たり前だと思う。

そのぐらいみんな一所懸命に学んできたり検査したり研究してきた。専門家、行政、一般の人達の尽力への敬意と感謝もある。おかげで福島で普通に暮らせている。むろんひとの考えは自由だが、これはすごく大事なこと。

4、
それから、日本の原発事故一般に関する避難計画に関しては、2012年末の古い新聞記事を見つけた。

簡単に言うと、双葉郡でも避難する場所と屋内退避の場所と別になるということだろう。居続けられれば生業も故郷も維持される可能性は高いが、風評は避難区域にしてないぶん別に発生するかもしれない。

この話は今どうなっているかわたしは知らないが、この記事の時点では、前よりも避難することになるエリアつまり避難区域は小さくなるということなのだろう。なお民主党政権は2009年9月16日から2012年11月16日なのでこの時期に検討されていると思われる。* 

「原子力規制委員会は30日に開いた検討会で、東京電力福島第1原子力発電所事故と同じ規模の事故が起きた場合、避難などの対策が住民の被曝(ひばく)をどれだけ減らすか評価した試算を公表した。原発から5キロ以内の住民はすぐに遠方へ避難し、10~30キロ圏は屋内退避が効果が高いとした。試算結果は地方自治体が来年3月までにつくる防災計画の参考となる。規制委は「ひとつのモデルケース」としている。」* 

むずかしいことだから、是非を即断しないでおく。

5、
「西日本豪雨で愛媛県西予(せいよ)市の野村ダムが満水に近づき、肱(ひじ)川への緊急放流の直後に下流の同市野村地区の650戸が浸水、5人が死亡した問題」がある。

(※東日本大震災でも津波と学校に関する訴訟が宮城県にてあったことを思い出す*。これについて、学校と行政の過失を認めた。全国の学校と自治体に影響を及ぼすと言われている。もしかしたら、なんらかの影響があり得るので関係性にも注意したい。) 

まず「平成30年7月豪雨」「西日本豪雨」の定義を押さえなければならない。

平成30年7月豪雨のほうは、「2018年6月28日から7月8日にかけて西日本を中心に広い範囲で発生した豪雨。同年7月9日、気象庁が豪雨の名称を発表した。」である。

西日本豪雨のほうは、「2018年7月6日から8日にかけ、各地で河川氾濫(はんらん)や土砂災害が発生し、11府県に大雨特別警報が出た。」である。(どちらもコトバンクから引用)

愛媛新聞によると、事実は以下である。
「西日本豪雨時の洪水で被害が拡大し犠牲者が出たのは、野村ダム(愛媛県西予市)と鹿野川ダム(大洲市)の放流判断と西予、大洲両市の避難情報提供に誤りがあったことなどが原因として両市の住民ら計24人が国や両市に損害賠償を求めた訴訟の口頭弁論が20日、松山地裁であった。原告側は、異常洪水時防災操作の直前に野村ダムの予想放流量が激増したことを西予市が流域住民に情報提供せず、人命が失われたなどと訴えた。」(同サイト引用)

これは、2018年(平成30年)のこと。放流判断、避難情報提供、などが問題になっていると思われる。わたしの居る地域は、避難先も避難元も、どちらにもダムがあり、気になっている。そして翌年2019年には「令和元年東日本台風(2019年)(平成31年・令和元年)」(台風19号、ハギビス)のことがある。

さらに2021年の春の今、もうすでに2020年を丸ごと使い込んだ「コロナ禍」で精神的に目まぐるしかったこともあり、ときに少々の眩暈すら覚えたりもする。それほどいろいろあったり、便利にもなったり、時の感覚が加速しているのだろう。

6、
これまでの書いたことから考えてみるに、都市部でも農村部でも、それぞれに課題がかなりあることは、わかった。それでは、福島はどうだろう。みなさんの地元はどうだろう。それぞれに歴史と状況と課題があることだから一概に言えない。柔軟性をもって変化の多い時代を生き抜こうということになる。そのためには、こころが豊かであってこそ、参画または適応しやすいと言える。豊かさとは何かから考えるのまた、たいせつかもしれない。

参照
・『2050年の国土に係る状況変化』国交省
https://www.mlit.go.jp/policy/shingikai/content/001361256.pdf
・『福島県人口ビジョン』福島県庁ウェブサイト
https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/377294.pdf
・『男性23.4%、女性14.1%…生涯未婚率の現状と今後(2019年公開版)』不破雷蔵 2019/9/2 Yahoo!ニュース
・『【図解・政治】衆院選・民主党政権3年の歩み(2012年11月)』時事ドットコム 2012年11月24日)
引用
・『原発事故時、10~30キロ圏は屋内退避 自治体計画の参考に、原研機構が試算』日経新聞 2012年11月30日)
・『寺院消滅に思うこと』一条真也 日経BP 2015年11月10日
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO93540410S5A101C1000000/
・『知られざる神社の台所事情』飯田暁子・宮脇麻樹・田辺幹夫 飯田暁子 NHK生活情報ブログ 2018年1月30日
https://www.nhk.or.jp/seikatsu-blog/800/289453.html
・『5人死亡のダム放流「天災だが人災」 説明会で住民訴え』
波多野陽、大川洋輔 朝日新聞 2018年8月10日
https://www.asahi.com/articles/ASL88736DL88PTIL04H.html
・『「大川小津波訴訟 学校の果たす役割は」』清永 聡(時論公論)NHK 2019年10月11日 (金)
https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/414019.html
・『豪雨ダム操作 松山地裁口頭弁論で原告が市の対応問題視』愛媛新聞社 2021年1月21日 Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/b6c6e53a45ffbe1f222497a524027256c8e1d9ca

20210225

どの意見がどうではありませんが、福島に関する嘘や大袈裟については書いておく必要を感じました。すこしでも福島に幸せな日常が取り戻せることを祈っています。約40万人の訪問者あるぼくらの雑誌サイトにも掲載しておきます。

Good morning, everyone. I'm a forced evacuee in Fukushima after that 2011 nuclear power plant's disaster, but live in Fukushima and work inside off limits area (no go zone). Because of no problem nowadays. 

My name is Kuniyoshi Yoshida, who has been in Hawaii for 3 months in 2011. I hope you don't misread it as other names and you don't misunderstand Fukushima in many fakes or exaggerated expressions or old facts by political propagandists with a Geiger counter.

This monitoring post indicates 0.152μsv/h in Ogawara area in Okuma town in Fukushima. They are official figures. If you try to seek more ones, you can. But calculation of radiation exposure is comprehensively done daily, not a part of it at a specific place.

Incidentally, Ogawara area is not off limits area nowadays because the figures data is almost normalized comparatively with the world. I work at Shimonogami area in Okuma, but the off limits area is also finished soon because of decontamination is getting done.

I'd like you never to misunderstand other people from outside Fukushima as people in Fukushima. Of course, everyone in Japan has a right to express any things, but as is often the case with political activists as you know, Fukushima is a target by irresponsibility for 10 years. 

They say like "Scientists are bad," but those counter or test radiation machines are made by scientists. They say like "Scientists don't try to know feelings of victims." I think, even if they not, the thing differs from whether they work as their professional knowledge of nuclear.

Therefore, a nuisance is a nuisance, although I know many people have their opinions. For example, one right information is that "Israel removes import restrictions on food products from Japan" (Mainichi newspaper on Jan., 29th in 2021). 

Surely, I don't intend offensively checking other's opinion. We just have a right to become happier everyday undisturbed. Our place is never a place for political activists who wants to be famous and express a fake etc. We want to live ordinarily as the same as everyone. 

Finally, however, it is also a fact that we have tasks that we must resolve for the time being. I believe in what we will overcome step by step. We are doing well. We give a welcome to anybody who likes Fukushima. Thank you for reading. Have a nice day.


20210221

* 大学の発表会
ある大学の先生の指導により学生たちが毎年、卒業の機会に福島を研究発表することをずっと続けている。その対象の人達のうちの1人にわたしもこの2年なっていた。
福島に関わりご活躍している人達に関する学生たちの発表会は聞くこちらも恐縮した。2日間で合計約7時間ほど。過去のわたしを知る人達なら、あの吉田もそんなところ(立派な所の意)に居て落ち着いたなと笑ってくれる人もいると思う。

題「福島に生きる表現者」。わたしに関する発表の題である。なんともありがたく、恐れ多い題である。ほんとうに授業参観であった。まるで我が子を見守る気持ち。塾長、塾講師の時代を思い出す。無事に終われて爽やかな気分。100人ぐらい参加しただろうか。
そもそも近畿地方の学生が自分の話を聞きに会津に来てくれるなどということはふだん全くないことであり、こちらこそたいへんな励みになった。先生もすごいのだ。
取り上げられた私の話を少し出しつつ一筆しておく。

1つは、福島で生きることそれ自体が復興という言葉である。3・11があって、それでも生きていき、ひととの関わりがあって、あれこれと世界が豊かになっていくこと。むろん、べつの県内で生きるのも同じ。

たとえば、県民において、被災地だからこその難しいことを考えだそうとしなくてもいい、新しいことをせずともいい、自由だ、それでこそみんなが居心地良い、ということも含意している。数年前にFacebookでも書いた。

もう1つは、いろんな土地に避難して多くの人々を見てきたから、つまり学んできたから俯瞰的になった吉田という分析があり、なるほどと思った。まさにそうだ。震災前のわたしは、いまと比べて、それはもう世間知らずだった。

また、被災地の被災者というと必然的に主体的であろうとせねばならないことが増えるがゆえにこそ、ついあがほとけとうとしになりえる。そこには気を付けて、ほかの土地や他者に関心を持つことが、また新たなる世界の始まりである。

だが実際に暮らしていくことは、なんとも地味地道なことで形作られる。だからこそ、自分がたのしいことをまずはやってみる、それでこそ続けられる、そういうふうに、わたしは思っている。無理しないで好きなことしまくるのだ。

その在り方も評価してもらえたり、なにより学生ご自身の解釈も発展されたりして驚き、とても嬉しかった。また、わたし自身でも、思ったことを発表してみた。

いろいろあったからこその福島が伝承していけるのはきっと優しさ、思いやりだろう。次に、なにかと注目されたりして人気があったり、力ある者たちこそ声なき声を聞くのが素晴らしい等。

たとえば、避難するときペットを連れていけない避難所の場合、それをいったいこれから、どうするのかである。ひとや動物の医療福祉が充実している土地にひとは移住してきやすい。双葉郡もそう。

たとえば、学生たちが学びに来るほどのすごいひとたちの周りには、おおくの支えてくれているひとたちがいる。その人たち含め、もっと多様な人達の声やライフにも光が当たると社会のこころは充実する。

つまりは多様な……エンパワーメントというか元気づけ、チカラづけが必要なのである。それが絆なんだと言っても間違いではなく、復興なのだと信じるのもまた、すばらしい。むろん復興でなくと思う何事も自由でありながら。

最後になるが、話を聞いてくれて、研究して発表までしてくれたかたが、2年前と今とで、かなり成長しているのをはっきりと見た。爽やかな笑顔。爽やかな風が通り抜けていった。これはすごいことだ。酸いも甘いも良い経験や思い出となり、新社会人たちが幸せになるのをこころから祈る。

もしかすると、なにか続きがあるような話が来ているので、これはまたひとつの始まりなのかもしれない。いずれにせよ、わたしは自分にできることを続け、石の上に三年、襟を正していきたい。さいきん英語などやれてなくて、語学再開するつもり。

すごいひとたちがたくさんいる。そういうのを見聞きすると、つい気後れするし自分なんぞと卑下したい気持ちにわたしも駆られる。そんなときはこう思う。だいじょうぶ、なんとかなる、俄然やれる。よき思い出。そうしてまた明日の風が吹く。



20210221

* パン屋

いわき市平(たいら)の平窪(ひらくぼ)という地域にある生活介護事業所ポポロでパンを買う。ここのが美味い。セブンイレブンも寄った。

* ディアスポラ・アイデンティティを考える

一度は離散したが復活した国というと、わたしの知識では、地中海東岸に「イスラエル」(ישראל)という国があるのを知っている。辞書によればユダヤ人が75%、アラブ人が20%暮らす。ヘブライ語とアラビア語が公用語。

かれらが離散した理由は、辞書では「ディアスポラ」の項目にある。ディアスポラとは、ギリシア語で「離散(διασπορά)」を意味する。離散したユダヤ人のことである。

ヘブライ語では「ガルート(「追放」の意)」だそうだ。ヘブライ語は昔の日本語と同じく右から書く。「גלות‎」(ガルート)の文字列は、ギメル・gimmel、ラメド・lamed、ヴァヴ・vav、タヴ・tavである。つまり「glwt」みたいに書いてある。

なぜ離散したのかは、「バビロン捕囚」という歴史的事件が関係している。英語ではBabylonian CaptivityまたはBabylonian Exileという(バビロニアン・キャプティビティまたはバビロニアン・エグザイル。)

紀元前6世紀ごろ、アラビア半島にあった新バビロニア王国のネブカドネザル2世がユダ王国を滅ぼし、イスラエル人をバビロンに連行して移住させた事件である。これは約50年ほどで、アケメネス朝ペルシアの王キュロス2世が今度はバビロニアを滅ぼして、ユダヤ人たちの帰還を許す。

その、消えたバビロニアというのは、シュメール・アッカド地方を含むメソポタミアの大部分の地域または都市の名前である。ティグリス・ユーフラテス川の辺りにあり、アラビア半島の北東にあるペルシャ湾の近くである。今のイラク辺り。

(ユダヤ人、イスラエル人、ヘブライ人、という呼称が混在していて分かりにくいが、とりあえず、もともとはイスラエル人などだったが外部からヘブライ人と呼ばれ、そして、総称的には、ユダヤ教を信じる人達がユダヤ人であり、国としてのイスラエルがある [1948年に成立]、という簡単な理解を私はしている。)

ユダヤ人たちはエジプトにもこの時期に移住する。エジプトでは紀元前4世紀にアレクサンダー大王によってできた港湾都市アレクサンドリア(アラビア語:イスカンダリーヤ)にて、前1世紀ごろにはユダヤ系のひとびとが約40%もいたという。

「バビロンに50年」

いま50年をさらっと簡単に書いたが、50年というのは、当時の人々のかなり短い数十年という寿命からすると、ひと一人、一族郎党にとって丸ごと1世代半ぐらいであろう。

このとき、それまで伝えられていた聖典がまとめられたようである。非常におおきな苦難が民族または宗教的な一致団結と精神的よりどころをひとびとにもたらしたようである。

なお、キリスト教においても、使徒パウロの伝道のためにもディアスポラのユダヤ人たちを通して展開されたとのことである。

(ほか辞書でなくウェブを見るに、人口では、当時ユダヤ人というのは25万人ぐらいだったそうだが、そのなかで一部の重要な人々を数千人だとか半分ほど11万人だとかいろいろ言われていて、パレスチナの地に残された庶民は衰退したとか、帰ったのも一部だとか、バビロンでも相当な影響を受けたというような話がある。)

そうして、たとえば現代ではアフリカ人が奴隷にされて離散したことでアフリカン・ディアスポラと呼ばれたり、ギリシャ人が経済的な理由でドイツに行ったり、中国から移住した華僑(かきょう)と呼ばれる移住者がいたり、むろんアラブ・ディアスポラも言えることであり、

日本人もハワイや南北アメリカ移住のジャパニーズ・ディアスポラだったり、かれらは、故郷を起源の地としてアイデンティティとして大事に考える傾向があるとのこと。

つまり「フクシマ・ディアスポラ」が居ることは十分に言葉の定義としてあり得るのであり、それが誰なのかというと、いままでメディアやSNSそしてビデオ通話などで遠隔交流したりしている、わたしたちだということになる。

就職、結婚、上京といったことで故郷を離れる人々も多いだろう。類似のことだと思われる。さらには、離散しての故郷を思ったり、故郷を自分事として考えることがあっても、この言葉を受け入れるかどうかはまた人によることではあろう。

* 帰還運動

なお、ユダヤ教の聖地はエルサレム(Jerusalem)であり、その別名はシオンの山(Mount Zion)である。そのエルサレムの地へ帰ろうとする運動をシオニズムと言い、シオニストと呼ばれた。

(現代のイスラエルは、第二次大戦でのドイツからの賠償つまり、お金の問題も絡んだことがあったようだ。わたしの書いた雑誌で沖縄号や福島の件を思い出す。)

* 故郷論

はるかむかしのイスラエル人のことは『モーセ五書』(※旧約聖書と言うと意味が異なり、かつ、もっと多くの文献も言う)によると、まずエジプトを出たのが紀元前13世紀だと考えられている。かなり昔だ。

そのあと、紀元前10世紀がダビデ王の時代であり、ダビデ王がシオンの丘(または山)に契約の箱を搬入し、その子ソロモンが主の神殿を築いたから聖地なのだそう。

つまり、エジプトを出て、神殿を築き、しかし捕囚されたりして、いくたの困難を乗り越えて、なんとか約2000年後に帰った、という大きな物語になるのだろう。

当然ながらもみくちゃの歴史があっただろうし当時の全員とかではない。しかも最初の帰還運動は、アフリカに国家を樹立しようという話もあったようであり、モーセの時代にエジプトに居たことやアレクサンドリアに多数いたことも思うと頷ける。

とにかく、ユダヤ教が本格的に成立したモーセの『出エジプト』のころよりも、「エルサレム」が聖地になったことのほうが歴史としては新しいのである。

なお、バビロン捕囚から100年後ぐらいにギリシャのアテネ(アテナイ)では名門の子「プラトン」が居る。思想や哲学的にもこの辺りの人々の生きた時代が重なることは重要なことだろうと思われる。

それから、紀元後30年にイエスの処刑と復活の地として「キリスト教の聖地」となり、638年にアラブの支配下に入って、「イスラム教」にとっては3番目の聖地となる。16世紀以降はオスマン帝国により保護されて宗教的「共存の時代」が続いた。

こうしてみていくと、貧しいユダヤ人の家に生まれたポーランドの社会学者ジグムント・バウマンを思い出す。

いろいろと多様な人達のことを知れば知るほど不安な感情は消えていく、

という趣旨の文を彼は書いているとわたしは読んだので、「難民・避難民」がテーマの2017年ヨコハマ・トリエンナーレでわたしは話したのであった。2017年はジグムント・バウマンが亡くなった年である。

ひとが生きるところ競争あり争いあり、または、助け合い人情あり、文化あり歴史あり、故郷論あり、ということになる。遺跡などもそういうものだろう。色即是空空即是色。もっと学びを深くしたい。

* 輸入規制を解除

ちょうどイスラエルのニュースが流れる。

「イスラエルは、福島第一原子力発電所の事故のあとから続けていた福島県などの水産物やコメなどに対する輸入規制を撤廃しました。」(NHK)とのこと(1月25日付で撤廃)*。

福島などに対するイスラエルの科学的英知と友情に感謝を申し上げたい。

* ストレス耐性

話は変わって、日ごろ生きていると、ストレスを感じることは、ある。そういうとき、たいてい考え方次第でわたしは過ごしているが、健康志向でカバーもする。今回さらに新しいことを仕入れた。

辞書によると、ストレス耐性とは、ストレスに対するタフさを言い、ストレスにどれだけ耐えられるかという抵抗力のことを言う。むろん、これには、我慢という方向性よりも捉え方の転換や回避法が含まれるが、どんなものを食べるかも重要だ。

たとえばカルシウム。たとえばビタミンD。そして忘れがちなのはビタミンCであろう。ほかにビタミンBやEなどは分かりやすいが、意外にも最初の3つは忘れやすいのである。というわけでキウイを食べたりした。震災前、大熊町の特産品でもある。

参考

・『巨大地震が連動「スーパー南海地震」 死者数50万人規模の推測』NEWSポストセブン 2021年2月18日

・『「旧約聖書」はいつ、どのように編纂されたのか』NHKテキストVIEW 2014.05.26

・『この国はどこへ コロナ禍に思う 作家・島田雅彦さん 政府批判が自己防衛になる』小松やしほ 毎日新聞 2020年4月3日

https://mainichi.jp/articles/20200403/dde/012/040/031000c

・『中村文則「僕は小説家だからこそ恐れずに言う」』河崎 環  東洋経済オンライン 2020年5月3日

https://toyokeizai.net/articles/-/347641

・『福島県など6県の水産物やコメなどの輸入規制を撤廃 イスラエル』NHKニュースWEB 2021年1月29日

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210129/k10012839311000.html?utm_int=detail_contents_news-related_004


20210220

* 実家と避難先
大熊町にある実家の整理について、高価な桐の家具などを処分した。理由は損壊でなく、そもそも大きすぎた。ふだん使わない両肩から上腕の辺りが筋肉痛になった。壁や床をすべて新しくするための準備でもある。

「むかしは木を植えて孫の代に」
「いまは伸び放題」「陛下は花粉ない杉を」

帰りは大川魚店で刺し身買い、特に烏賊とつぶ貝が、美味かった。曇りのち雨が本降り、浮世絵の雨に家具が痛ましいのは自分の気持ちまで辛いものだが、人間いつかは何かと循環していくものである。

町では家々が続々と取り壊されたりして、学校がこんなに近かったかというぐらいよく見える。小さな地区の世界というのは、実は家々やその屋敷林などがその空間を大きく形成していたのだ。

わたしたちの歴史は、どうなるのであろうか。それはむろん、すべて一人一人に任されている。それには、語られた歴史、書かれた歴史、または、科学的な判別法で分かる歴史、というように、種類がいろいろある。

歴史と思い出に、ありがとう。

* 数の論理
著名なエッセイストの文章のなかで概略、450もライクあったら一般人では非常に珍しいことだ、と書いてある。自分のはどうだったかと確認したら330ライクが最高だった。300代はfacebookで幾つかあるようだ。

そのウェブで著名なエッセイストからすると、わたしは一般人と著名人の中間の数字を出せたのだろうが、数字を考えるのをやめてから気は楽になった。たしかに尊敬する作家の方々に「復興セレブ」と呼んでもらったときがあり今も大事にしてはいる。

笑い話だが当時は数字が重要と思っていたので通常以上に嬉しかった。ウェブマガジンならば初出で9900ライクと3700ライクもある。これからさき、1000単位というのは無さそう。すばらしい出会いがたくさんあって一期一会である。

むろん、これらウェブマガジンでの2つの記事のために(今ウェブでは非公開)、また、保守系の新聞記事1つがなぜか多く出回ってもいるために、わたしのイメージは両極端ということになっているかもしれないが、実際どちらでもない。わたしの感覚は実のところバランスと調和である。

民主主義というのは、たしかに選挙において多数決であるから、数字はたいせつである。しかし、数字を重視しない表現をもって、たった1人から声なき人々や自分という存在のことを表現しえることもまた、あると思っている。

前に出ようとするほうがわかりやすいからいいとは思う。が、表現者が数字に縛られたら元の木阿弥だ。表現者は真実を描き出すために数からはむしろ疎遠であろうとしなければならない。たまたまの偶然で見ていただけたら有難いという窓際族で居るべしであろう。それがわたしの表現全般だと思う。

* 地震と原発
地震が来た時ひとびとの不安増大の原因に原子力発電所が成っている。ただし今回の震度6弱でも廃炉中に異常なしの報道が直後に出てはいる。隠蔽への疑惑も過去の頻発を考えるとあり得ながら。

いずれにせよ地震が来た場合にどう安全対策があるのかを分かりやすく知らされておくことは生活に必要だ。安全神話だった過去を踏まえてのものであればより効果的だろう。
※原子炉格納容器などで冷却水の水位が下がっているという報道が昨日辺りにあったが、わたしは詳しくないので分かりかねる。ある程度に肝は座っているつもり。

* 西日本などの地震
地震というと、何度か言及したことだが、南海トラフ巨大地震をあげておくべきなのだろう。いまは「スーパー南海地震」とも呼ばれている。東日本大震災は1万6000人死者で、その30倍ぐらいである約50万人犠牲が想定されているという。もしその規模の災害が起きたら、なにもかも国家レベルで麻痺するのではないか。*

* 民主主義
ひとは声をあげて意見の場をつくる。
しかし間違えるのが人間だから、意図せず間違えたことをあまり気に病むことはない。たいせつなことは、次に改善しようとすることであり、また、間違えたひとを見たときの自分の態度である。

わたしにできることは、なんだろうと、時に考える、そのなかのひとつを上の段落としたい。いまここに書くわけでないが、これに関連したことを近いうち雑誌の共同執筆号に一筆したいと思っている。

この2年で島田雅彦さんと中村文則さんの記事をそれぞれ1回ずつ初めて読んだ。社会に意見を言うのも悪くないなと数年ぶりに思い直した。精神力が回復充実してきたことと相まったのだろう。(その2記事は次回の末尾参考欄に)*

20210215

今回の地震は

東日本大震災を思い出すが、全く違うものだ。

あの日のほうは桁違いに酷く、翌朝まで断続的に揺れまくり、地鳴りが驚愕で大きく、電柱ブランブランしてどの方角かに倒れそうであり、部屋のなか滅茶苦茶で家族探し、瓦が崩れ当たったら腕が骨折するやむなしで逃げ、屋根が軽い別棟で横になりロウソク使い、一睡もできないまま自衛隊の助けで強制避難であった。

その後はご存じのように、寒くてインスタント食事で何かとストレスフルで疲労の日々が続き、原発が爆発する映像を体育館のなか、たった1台の玄関に置かれたテレビでみんなでモノクロテレビ出た時代みたいにして見ることになる。そうして、ひとびとはいまも苦労し続けている。この違いはかなりの違いがありすぎる違いなのでいつか学習されることを希望する。

まさに「天変地異」という言葉がぴったりであった。それからまた世の中は激しく荒れていき、その渦中に何年も居ることになる。むろん、大津波も福島を襲って酷かった。だから、地震とは一言でもずいぶんいろいろ。人間は転んだだけで大けがするときがある。細かい防災知識もたくさんあり、どれも重要である。県内外でボランティアの人達に非常にお世話になった。

逆に、今回の地震が比較的には軽くても、場所によっては土砂崩れ酷く、ケガ人が多数出ていたり、家屋の全壊あり、精神的にPTSDを刺激されるひともあり、医療福祉系も大変、だから(全体的に)「なんでもない」とも言えない。まだ先に大きな揺れが来ないとも限らない。政府の地震調査委員会は「ギリギリのところで津波が起きなかった」とする見解を発表してもいて、津波の有無は紙一重だった。

都会なら電車などに乗ってるときやエレベーターなど、人口が多いならではで、大変なものがあるのかもしれない。道路は凸凹になると車はパンクしやすく。各地域や各状況に応じた防災があると言える。

今後どういう未来にしていきたいか、だ。ここでうるさく言いたいことなんか、なにも無い。もう10年も言って書いてきて、雑誌注文の受付もしてたり講演してたりして、常にわたしという原発避難で窓際族の物書きは、態勢が整っていて、それを維持している。とにかく想像力があればだいぶ良いとは言っておきたい。

それぐらいしかわたしが将来や後の世界のために出来ることない。人様世間様の温もりに支えられ、同時に、世の中は極寒の冬のごとく厳しいとも思う。それ以上を求めてもまた無理がある。ゆえ、己から変わる。さらにみずからを助ける。学び、心を豊かにし、身を鍛え、釈迦の如く瞑想しておく。

これからも精進したい。きょうは曇り雨。

どんなときでも貴重な一日。

20210213  
時間23:52 (最初の段落)
A little big earthquake happened for several minutes now. We are Okay. And you? Let's breathe deeply. Making yourself at home, check water and battery etc. 

みなさん地震の被害なく、だいじょうぶでしたか。安否確認ありがとうございます。ぼくらは無事です。震度は、いわき市役所の発表でここらは5強でした。時間は数分かな。

いやはや、久しぶりに建物がギシギシ揺れて裸足で家のなかを動きました。震源地が福島沖。M7。おどろきましたね。とりあえず、電子機器のバッテリー充電しときます。

きょう、「東日本大震災はまだ数十年は終わってないんだそうだよ」なんて話をしていたところでした。あ、まだ少しずつ時たま揺れてますね。いまのうちに深呼吸しておきましょう。

翌朝に追記
あの日よりはずっと短いですが数分というのは通常なら長いですね。あの日が近い今このときに来るのは、なにかと3月11日の午後からのことを思い出します。喩えて言うなら火事場のちからが心身に出ているのを感じ、朝は違和感の夢で起きました。
とりあえず避難先の部屋で少し崩れた本を片付け、水や灯りなど防災グッズを確認しつつ、平常心を取り戻せるよう落ち着いて過ごしたいと思います。と言っても、まだ、あの日の片付けが沢山あるんですがね(苦笑) どんなときでも笑って居たいものです……

夕方に追記
大熊町は役場発表で震度6弱とのこと。大熊に用事で行ったら家の石関係が1つ滑り落ちて割れてました。まだ接着してなかったためでしょう。危ないですね。だれもいない間のできごとですが、教訓になりました。

これから、もし夜に地震が来て断水停電したときのためにライトを近くに置いたり水や携帯食料を買ったりしました。もし家を空けるとき状況により可能ならブレーカーを落としたりガスの元栓を閉めたりしておきたいかもしれません。

20210213
Got an official text book of women's health to pass exams to get qualifications.  
年齢に応じた女性の健康について学びたいと思ってこの2週間はウェブをブラウジングしていた。そのうち、この知識は資格など創設されてたら有効だと思って検索してみると、まさに文字通りの資格があった。

ウェブサイト
http://www.meno-sg.net/
女性の健康検定 公式テキスト
「年代別 女性の健康と働き方」

さっそく購入してみた。NPO法人「女性の健康とメノポーズ協会」が編著である(Women's Healthcare Awareness & Menopause Network Society)(略:wham)(略称が洋楽『ラストクリスマス』のミュージシャンと同じだ)。Menopauseとは、更年期(閉経期)のこと。最初に0歳から80代までの変化がグラフあり分かりやすい。

NHK『あさイチ』にも出演している。『NHK生活情報ブログ』の2012年11月01日 (木)『正しく知って 女性の更年期の症状』にて、同協会の理事長である三羽良枝さんというかたが出ている。
https://www.nhk.or.jp/seikatsu-blog/400/136190.html


テキストの中身はけっこう細かく書いてある。女性を取り巻く社会の状況や、仕事と生活の調和つまり、ワーク・ライフ・バランスのこと、そして漢方や体操、さらには多様な症状・疾患の説明など年齢別に書いてあるのがざっと分かる。

わたしが購入したのは2019年、B5版、128頁、改定版。この教科書は、福島県立医科大学(Fukushima Medical University)や日本女性医学学会(The Japan Society for Menopause and Women's Health)の関係のひとたちが制作に関わっている。女優の長澤まさみさんもコメントをウェブサイトに寄せている。

資格は、初級と上級があるようだが、初級は「推進員」であり啓発イベントなど出来る。上級は「アドバイザー」であり人材育成やカウンセリングもできる。いつになるか分からないが、いつか初級に合格できたらなと思う。資格の取得は生活に必要ではなく、公共心からなので、ゆっくりやる。自分の周りが幸せなら自分も幸せだからだ。

医療従事者でないわたしの活動イメージは、かなりの基本的な知識の啓発と、このテキストや医療機関への案内を、何も知らなすぎる男性一般に対して行う教育イベントや、他の一般的な講義の間でのそういうコメントだろうから、今のところ推進員の資格があればさらにいいねぐらいで十分。きのう、いつものマッサージを妻にしながら6頁は読んだ。


NHK生活情報ブログにより2つだけ引用する。
長年相談を受けてきたNPO法人の理事長の三羽良枝さんは「不調を感じても、それが更年期の症状と気が付いていないということもある。そうするとついつい我慢してしまい、さらに症状が悪くなるという状況がある」と言います。

専門家は適切な治療につなげるためには、本人が症状について知るだけではなく、周囲の人の理解も必要だと指摘しています。調査を行った日本女性医学学会の監事で聖マリアンナ医科大学の石塚文平特任教授は、「周りの人が理解してあげてケアしてあげるということが非常に重要です。医療者や職場を管理する人たちにも、更年期についての正しい理解を広げていかなくてはいけないと思います」と話していました。


いままで教養として読むことはしばしばあったが、生活意識向上と資格試験のために医療系の本を読むというのは初めて。医療従事者でない、女性の健康推進員なりのことがもしわたしにできれば幸い。コロナ禍ではイベントでなくとも、文筆には活かせるだろう。男性によって女性の生活が充実したら男性も幸せになる。

すなわち男性こそが、ただの情報知識でなく、言葉と行動に現れるぐらい本当の意味で理解するということが基礎であり、新日本発のジェントルマン文化になりえるのだろうと。
もし理解が深まれば女性の言動への受け止めかただったりもかなり変わる(例えば男性は女性を、男性と同じ思考や感情の回路傾向だという暗黙の前提を置いてしまっているから喧嘩しがちなど)。テレビを見ていても、女性理解の文化教養が日本人は欧米より遅れている気がする。社会全体が欧米化したのだから、それはそうだろう。

なぜ新日本発ジェントルマン文化ぐらい表現したのかと言うと、まったく偉ぶりたいなどでなく、日本人の寿命は戦後になって飛躍的にのびたので、たとえば明治時代の人々は閉経を迎えるころより前に、平均年齢としては人生を終えていたのだそうだ。なにかと、まだ科学発展の途上だった。

それだから、むかしの人たちには、たとえば更年期という10年ぐらいに渡るしっかりとした長い年月の状態やその意味役割などを、民俗文化になる程度ほど全体的には教養的なものを一般的には持ちようがなかったかもしれない。むかしと現代と、食べ物も情報環境もなにも、生活全般かなり異なる。

と……希望を思うのは自由だろうが、わたし自身、おおいに恥を知り、経験して、すこしずつ成長してきているのであり、まだまだ、よちよち歩き、まこと日々に精進であり、なにより自宅ファミリーの幸せが中心だ。そして趣味が大好きだ。それこそワークライフバランス。とはいえ遊びかたにも影響しそう。

そんな、なにかと自分らしいワークライフバランス(Work Life Balance, WLB)の上で続けることができ、男性むろん特に女性の皆様にはご指導ご鞭撻を頂きながら向上し、医療専門家でなく一般人であってもこういうことが笑顔で地味地道に暮らしていく機会にできれば幸いに存ずる。

20210212
天候は快晴。まばゆいほどの浜通り。だが風がとても強く、これが春一番なのかという日がある。全国的に2・3月は春一番の時期らしい。わくわく眠い春ぐらいで嬉しいのだが。海上は大シケで海難事故が起きやすく空のダイヤも乱れるそうだ。

日経新聞『春秋』2013年3月2日はこう知らせる*。
「壱岐で春に入り最初に吹く南風をいう。この風の吹き通らぬ間は漁夫たちは海上を恐れる」。
民俗学者の宮本常一が「俳句歳時記」に寄せた「春一番」の解説である。長崎県壱岐市の郷ノ浦から漁に出た船の転覆事件から生まれた言葉が春の訪れを示す語になった。
以上 ※「壱岐」は「いき」と読む。

春一番とは、春に吹く強風という大自然の運動に対して、人間が脅威に感じ、おそらく安全第一のために使われた言葉だったのであろう。一番先に春の南風が通る。そのあいだは海上を恐れる。人間のちからを超越(ちょうえつ)したチカラに対して畏敬の念(いけいのねん)を抱くことが良いと。大人たちが口にし合うことで伝承されていく。

わたしも最近は室内でマラソンすることが日常になったが、屋外の会津若松市や会津美里町を歩いている日々では、なにより「強風」と「雨」と「寒暖」が大変であった。なかでも強風は、橋の上など、つまり異界的である川の上が特にそうなのだが、場合により命の危機さえあると現実味を帯びて感じてくる。

どこかで今年からは情報や知識など、形のないものが動き出す、「風の時代だ」という噂を年初のウェブで耳にした。いずれにせよ風というのは、歩いていると、大自然のサイクルを非常に循環させているものだということを思わずにはいられない。人間もいつか灰になったら風になるとは歌にあったぐらい。神仏の世界。

手元にある『折口信夫事典(増補版)』西村亨 編(大修館書店)によると、異郷(生まれた地から離れたところ)がどういう心理的動機を経て空想化していくのかという視座で分類がなされている(引用39、40頁)。

(a)豊かな住みよい国への希求が生み出した異郷
(b)異族への好奇心・不安感が生み出した異郷
(c)死への恐怖心が生み出した異郷
(d)神の考察が生み出した異郷

風の強い日、書いたものをプリントしにコンビニへ行くと笑顔で仕事をしてくれる女性がいる。爽やかな気分になった。たいへんな時代でも住みよい世界にしてくれているのだ。

写真:いわき市小川町の空

20210211
伝承
というと民俗学の領域である。

たまたま整理していたら見つかった震災前に買ったカバラ数秘術の本をさらっと読んで妻と遊んだ。発行は学研である。簡単に言うと、この本では占いがメインのような感じだが、ほかに瞑想などからの神秘体験的な話もあるようだ。

カバラ(cabbala)とは伝承の意味でありユダヤ教の教典に遡(さかのぼ)るらしく(教典トーラー [ Torah ]などの秘密伝承を解く、というようなもの)、ゲマトリア(gematria、数秘術)と合体して中世ヨーロッパで使われたらしい。ユダヤ人は紀元前の時代にエジプトやバビロンにいて、紀元前6世紀ペルシア帝国建国(persia)のキュロス2世 (ペルシア語: کوروش ) に解放されたり。

エジプトで測量術(Surveying)は発展していたが、数の秘密というと古代ギリシャの秘密教団を組織したピタゴラス(Πυθαγόρας)、それから数学創立者のタレス(Θαλής)を思い出す。二人ともエジプト滞在経験あり。数学を重視したプラトン(Πλάτων)はその後だ。それぞれ、紀元前7・6・5世紀。日本独自の高度な和算史は江戸時代とのこと(それまでは中国の数学であったが日本では停滞していたそうだ)*。

話を戻して、18世紀イタリアのシチリア島では「カリオストロ(Cagliostro, Alessandro)」というひとがこのゲマトリアを用いたらしい。眼科医、魔術、錬金術師、病人治癒など行うと称したが、当時では異端・詐欺とされ終身刑とのこと。カリオストロの名前にある「gli」はイタリア語で「リ」と発音する。

しかしアニメの『ルパン三世』で有名な名前、このカリオストロは、(ここからこの段落はコトバンクでなくウィキ情報)、富裕層からまきあげて貧民に分け与える愉快犯的な、ねずみ小僧のような面があったり、異端というのもエジプト・メイソンリーを作ったりしたからだそうであり、その実態は謎に包まれているようにも思われる。本があるようだから今度、図書館でちら見したい。フリーメイソンのマークは定規とコンパスである。

※ねずみ小僧とは、弱者を助けようとするおとこぎ、義侠心にあふれ、盗賊といっても義賊とされ、最期は今の東京都で刑死したが英雄視されたという、江戸時代のとび職、30代。これがイギリスだとロビン・フッド(Robin Hood)がそうなったりするようだ(Social bandit・社会的盗賊と呼ばれる)。

歴史的偉人である源義経についても、戦乱で命を落としたはずがあまりの人気ぶりのためか「義経伝説」というものが数多あり、平泉で終わらず実は蝦夷地へ渡り、アイヌのユーカラ(叙事詩)に出ているとされたり、チンギス・ハンになったという話があるぐらいだから、歴史というのは何なのか、考えさせられる。しかも著名なドイツの医師・博物学者シーボルトがそう分析したのだとか。

どことなく、人々が伝えていこうとしている話のなかには、人間のおかしみを希望とともに含んだものがちらほらとあり、伝承しているようにも思われる。あの文豪ゲーテもカリオストロを題材にしたことがあったとウィキは書いている。むろん、強力な勢力をもった家系に連なると伝えれば、たとえ過去に逃散してひっそりと暮らしていても、自己証明しやすいなどのこともあろう。

わたしのカバラ数秘術での運命数は1。すさまじい内容の番号。おもしろい。わたしたちはいったい、どこから来た、誰なのか。なんでもない、ただの塵芥としての有機物か。いやしかし、すくなくとも、われわれ人類が生物として誇り高くあれると思える理由というのは、なんなのか、ひとによっては、考えていく必要があっても良いだろう。ただしおそらくそれは、最初から決まっているというよりは、練習したり、育てていくもの。

写真:いわき駅前ラトブ「La・Papa」にて
参考
・『和算の歴史』国立国会図書館
https://www.ndl.go.jp/math/s1/1.html
平日の夜だが書いた原稿があるので投稿しておく。


20210211
朝の調理しながらNHK見てた。医師や看護師そして介護士という、医療と介護の人手が不足しているのだから、家庭でヤングケアラーや老老介護が忙しくて、希望してるのに医療福祉系の勉強や仕事をできない人たちには、外部にケア依頼できて自分は勉強や仕事できるほど大幅な補助を国が出して、しっかり仕事に就いてもらうのはどうなのだろう。うまくいけばその1人が幸せになって何十人~何千人のことも幸せにできる。医療系に政策をつくった菅義偉さんの政権がまた政策をつくるといいな……緊急のことだろうから。野党が立案してくれてもいい。むろん専門外のわたしが言ってもという気はするけど。なにか政策案、アイディアを。過疎化と人手不足も言われるが仕事がないつまり不景気も言われ、柔軟な調節が必要なのだ。

20210206

早起き4時つづきすばらしい。この一週間は年齢に応じた女性の健康について学習する朝活をしていた。ごくまれに女性の健康について学ぶことはあるが数年で新しい知見が出ていたりするから追跡は必要のようである。男子への学校教育は5倍にしても素晴らしい。

たとえば基礎的ならば、エストロゲン、PMS(月経前症候群)、不定愁訴などを知らないと紳士への道のりは始まりもしない。ウェブでの客観的信頼性確保の意味が分かるリテラシーも必要だ。複数サイトから照合させることも重要。すこしずつ精進したい。

女性と言えば、会津民俗研究会では、2度にわたって会長の意向もあってわたしは女性とその文化について研究したのであった。山奥での炭焼き(女性担当部分につき)も会津33観音も、女性たちが築き上げてきた文化についてである。

そして日々の英会話公開練習をしたり。妻作るおでんが美味い。本人からの希望で妻に英語レッスンを毎日10分やることにした。楽しんでくれてるようで幸い。大事な時間は時間と回数で基準つくり計量可能にしていま1週間でハート20ポイント。

ロッコク沿い常磐道(常磐自動車道)高速道路は2車線化の工事が結構できているのを確認した。できたら運転時の緊張緩和で助かる。

大熊ではパワーショベルのハサミ交換はしたことなかったが取り外しの今回やれと無理を言うからやってみたらできた。グリスが手や服についた。ナウシカなら工房都市ペジテの見習いみたいなものだろう。本は、源義経が面白かった。「判官(ほうがん)びいき」。名前は牛若→遮那王(しゃなおう)→義経。

このところ間食する暇がなく痩せている。重いものよりも野菜のほうが食べやすくなってきた。先端技術は紹介しやすいのでfb日記に書くが他にも多様なジャンルを見ていて、リアル日記にはちゃんとノートして日記の質が急激に変化した。

それにしてもハイパーループ時速1000km超過とかスターシップ時速2万8000kmとか、世界中どこでも感覚だけを分身ロボットに繋ぐことができそうな感覚デバイス技術や元素のほとんどを扱える3Dプリンタで家や人工臓器まで即座に作れるのすごすぎる。スーパーコンピュータよりも量子コンピュータが物凄いとか。AIとクラウドが合体とかそういう合わせ技が重要になるようだ。漫画がリアルに。

この話は、話題沸騰のピーター・ディアマンディス(59)の本である。イーロン・マスク(今年50)(世界1または2位、資産額19兆円超のかたでもニュースになりやすい)の友人。そのうちパワーショベルも3Dプリンタでガチャポンのようにパッとつくられる状態なのだろう。

というよりも、「農・商・工・流通・医療・福祉・交通・観光・執筆・翻訳・教育・子育て・治安・要約・裁判・エンターテイメント」など、ディープラーニングなどを利用してのさらなるオートメーション化」は素早く進みそうだ。労働というものが減る。発電はどうやるだろう。超・省スペース化が来るだろうか。

わたしとしては、他者を思いやれる練習のための共感VR学習(ヴァーチャルゴーグルやグローブやスーツなどをつけて、たとえば高齢者やPMCなどへの共感学習ができる)はいいことなのだろうと思ったり、災害が起きて物理的にパソコンなどの倉庫(ストレージ)が消えても思い出が消えなくなるウェブ上のデータ保存つまりクラウド(ストレージ)化を選べるなと思ったりした。(参考:本要約Chのリョウさんより、ピーター・ディアマンディスの本から)

ものすごい急激な時代の変化がめまぐるしくはやってこず、すこしずつひとが知り、使えるように公開されていくのかもしれない。これだけ聞いても、過去とは何だったのかというぐらいには、まったく違う時代がやってくることは分かる。

風は強い。冬でも天気快晴たいへん有難い。
さぁて、よっこらしょ。生きっぺな。

写真:いわき市小川町


20210203

節分エッセイ

わたしの学習教室はあの日以来、消えたまま。建物も解体してしまった。区域内は住民ゼロなので生徒もいない。

だが、自分で自分を励ましていこう。わたしは本好きで学びが今も面白い。講義の腕がなまらないようYouTubeにて公開練習を続けていきたい。

※写真は、写真を振り返ってきたら出てきたもの。前にヴェルト7号で書いた沖縄旅行の一部の写真。沖縄市。

2月と言えば、節分だ。節分とは、豆まきとは。

簡単には、2月の場合は、年の初めであった。つまり特別な日(ハレの日)がある。境界の日だから、鬼も出る。だから供える。邪気を祓うにくわえ、鬼にお供えの意味合いもある場合がある。という話をYouTube講義でした。解説部に文書も置いた。昨年のラジオ版。https://youtu.be/BmsJTtMjSEQ

なぜこのように、節目は人の感情がプラスマイナスと混ざり揺れるのかを考えるに、節目というのは、ひとが過去を振り返り、いまを観察し、未来を思い、あれこれ人生の状態への姿勢を、更新していく時期だからであろう。節目は一年のうち結構あり、一長一短なのである。

ゆえ、福の神もいれば鬼の神もいることになる。この10年間の3・11日を見れば記憶に新しい。確実にこころが浮遊する時期だ。よく考えれば、3・11は10年前のその日しかなく、戻れないからこそやり直せないのであり、巡るのは新年の四季なのだが、時の理解が円環的なのだろう。

中井久夫さんは著『(新版)分裂病と人類』東京大学出版会(20頁)にて時間は農耕において成立し「とくに貯蔵」であり、「貯蔵品は過去から未来へと流れるタイプの時間の具体化物」とのこと。狩猟採集民のほうは現在中心的だそうで、それとの対比で述べられたものである。

ツイッターでも今の時事に次々と集中してるひとたちと、スケジュールもって地味な暮らしをしてるひとたちと、なにかちがう傾向が見受けられる。この対応はそのまま中井さんに適用できないとは思うものの、いつもながら示唆は得られた。

日本昔話に出てくる「節分のおじいさん」は、先端技術が隆盛の昨今でも、「これが人生なのだ」というような、戻れない絶対的な瞬間をひとびとに突きつけるとも言えるが、極めて味わい深いものでもある。悲しみという不幸に耐えかねたおじいさんは鬼のお面をかぶってみたら自身が悲しみと怒りの鬼になり、「鬼はうち」と、あべこべに唱え、鬼たちを家に入れる。

昔話アニメではあたかも鬼という神たちを招いたように見えている。思うにあれは実際のところ、おじいさんの悲しみが鬼になったものであり、その鬼たちがおじいさん家に来る客という姿になって巡り戻ったものだろう。ほそぼそと生きる孤独が辛すぎてかなわない人生への悲哀を彼が歌ったものか。

しかしそうした節目が、彼にとって新たなる道を選べることになったように思われる。今までの数々の悲しい心労を、逆に、楽しめるようなほど、味わいの鬼として、彼の鬼のようなカミのチカラそれ自身が、福の神へ変化させたのではなかろうか。鬼と福は、表裏一体の関係性がありえる。

昔話アニメでは鬼たちが財宝を贈ってくれて、亡くなった家族のお墓を立派にできた。おじいさんは豊かな暮らしに装いがなった風はない。当初、おじいさんは家族により極楽へ連れていってもらいたいと祈っていたことを思い出す。

(参考 まんが日本昔ばなしTBS系列『節分の鬼』演出:こはなわためお  文芸:沖島勲 美術:小関俊之  作画:塚田洋子)

https://www.youtube.com/watch?v=uDOnLYF01_0

マイナスからプラスになる機会が人生にはありえると教えてくれている。たまに誤解され被災地に節目など無いと対抗されたりするのだが(昔わたしが言ったことにより、いまのわたしは対抗されている)、明るく前向きに生きることは馬鹿になりマイナスを無視せよという意味でわたしは言ってない。ある種の節目は可能性に過ぎず絶対的でないと思う。

民俗学ラジオでわたしが話したことである。傷つきの災厄により被災のマイナス状態から、プラスに回復していく力のある、いわば通常を超えたカミ状態になりえるのだ(つまりならないこともできる)、それは全て特殊(ハレ)の話題だが、日常(つまりケ)の日々あってこそである。

エッセンシャルワーカーという言葉が注目されているコロナ禍のように、福島農業だって福島原発だって東京や関東の日常にエッセンシャル(必要不可欠)、それが何かと被災(マイナス)的な状態になった。だからと言って争い罵詈雑言だけでは悲しい。

そのちからは、どこかでは、いつか、ごはんや電気を作ってくれてありがとう、そういう基礎的なところから、互いを認めあうことが、プラスに向かえる機会になるのかもしれない。農作物をありがとう。お料理ありがとう。敬意のあるところ話し合いあり。

と、今回は軽く文章化するにあたり、ケガレ概念を使うのをやめておいた。わたしには、わたしの経験から、一つの学問を築いた柳田国男というリーダーが、なぜハレとケしか分類しなかったかという理由が今の時点での見えることがあるように思われる。

実は学問のためケガレ概念を設定したのは別の学者であり、そのかたの書物をまだ読んでないこともありつつ、いずれにせよ、科学未発達な古代の大和社会で考えられた穢れへの考え方といまの人々の考え方と、相当な開きがある。

いまどき、お肉お魚を調理しているから穢れているなどとは決して言わないだろう。あり得ない。むしろ、何事も美味しく調理してくれてありがとうと人は言うであろう。栽培も調理も医療も福祉も消火も防犯も除染も全て、してくれて感謝である。

ある種のたいへんさを負っている状態というのを、ケガレにおとしこむのではなく、それこそは、ある種の神的な誇り、破邪を背負い清めるための誉れ、すなわち、晴れ舞台でもあるからだ。そんな風に現時点でのわたしは考えている。

https://www.youtube.com/watch?v=NWjuyM0BPv4


20210201
さあ如月1日。今度こそ。ヒアーディスという音声サイトで外国語の公開練習を日々する。いくつ出せるかチャレンジ。いつか旅行をたのしみに。学びの暮らし自体がおもしろいんだ。煩雑にならないようFacebookには添付で出す程度で。

20210131
I translated this Japanese writing into English. 

ひとまず実家を自力リフォームのため母屋の畳を全て運び出した。身体を鍛えておいたからなんとかなる。風強く寒かった。ここは冬でも晴れ多いがこの日は吹雪になったりやんだり。使ったことある小さな掘りごたつ跡が出てきた。囲炉裏の痕跡か。福島県は、こたつ保有率、なんと約40%で1位*。

EMIさんというかたの漫画おもしろかった(『パラダイムシフト①ぼくんち』)。鬱ではないわたしも賛同する点が幾つかある。
https://twicomi.com/manga/e3_noguchi/913693963118190594?fbclid=IwAR2XSgBWiqhWmwaoiu3wKlvYbqTjmmvfh8bndqVOpkQVbTgDO87lIdaLr-c
最近はフードデリバリーやトラック輸送のひとたちもコロナ禍でいじめを受けたいへんだそうだ。福島も気持ち分かる。私も運転系の仕事でもあり。

世の中がやさしく明るくなることを祈る。家庭菜園にすずめよりすこし大きい鳥が来て、収穫しなかった野菜を食べているのを見るのがかわいいと妻が言うので見に行ってかわいかった。ご飯うまい。わたしはマッサージする。

妻との大事な時間を毎日つくることにする。ひとはいつか幸せになろうとすることも重要だが幸せであろうとすること、また、日々すでにある幸せを確認する、より重要とわたしは思った。

これは、よく言われることかもしれない。だが、その本質的な意味は人生においてたいへん深いのだと感じられるようになったということが言いたいのである。日記の基礎データにチェック項目を1つ追加した。

朝からシャドウが楽しい。フットワーク良い。しっかりタフだ。会津の歴史シリーズYouTube作りが楽しい。ついでながら、YouTube雑談でなくYouTube講義のほうは勉強、収録、編集が多忙なので痩せる。

これから日本という国はどこへ向かうのか知らないが、あれこれ乗り越えて漫画JOJOの空条承太郎みたいにオラオラを、たのしいことでやろう。人生を取り返そう。11年目に向けて、やさしく、たのしく、あかるく過ごしていきたい。

写真:日隠山方面の空、大熊町。

参考文献
『【引越し侍/エイチーム】都道府県別 こたつの保有率ランキング!』(PR TIMES) 2位は島根、3位は鳥取。驚くべきことに東北はベスト10に山形県しかない。北海道は46位。https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000503.000001348.html#:~:text=%E7%B4%8442%EF%BC%85%E3%81%AE%E4%BF%9D%E6%9C%89,%E7%B5%90%E6%9E%9C%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82


20210130
YouTube 
『ざっくり会津の歴史1 名前の由来と猪苗代湖』 吉田邦吉
大河ドラマ『八重の桜』や『白虎隊』や『新撰組』の存在は知っているけど、そもそも会津のことをほとんど知らないひと向けに、会津が大好きな会津人の1人として、ざっくり会津の歴史を概説しました。至らない点が多々あると存じます。何卒ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。

参考文献
・『古事記』小学館 1997年
・『やさしく書いた会津の歴史(上・下)』高橋富雄 監修 歴史春秋社 昭和53年
・『徳一を尋ねて』白岩孝一 著 88新書 2009年
・『会津地名人名散歩』宮崎十三八 歴史春秋社 平成元年
・『物語 会津戦争悲話』宮崎十三八 新人物往来社 昭和63年
・『手作り会津史』宮崎十三八 歴史春秋社 平成7年
・『会津藩VS薩摩藩』星亮一 KKベストセラーズ 2008年
・『松平容保』星亮一 学陽書房 2004年
・『偽りの明治維新』星亮一 大和書房 2008年
・『会津藩VS長州藩』星亮一 KKベストセラーズ 2004年
・『会津藩はなぜ「朝敵」か』星亮一 KKベストセラーズ 2002年
・『会津史の源流を探る』太田保世 歴史春秋社 2005年
・『よみなおし戊辰戦争』星亮一 ちくま新書 2001年
・『安積疎水』(郡山市の歴史)郡山市HP
https://www.city.koriyama.lg.jp/shiseijoho/3/8797.html
・『安積開拓』(郡山市の歴史)郡山市HP
https://www.city.koriyama.lg.jp/shiseijoho/3/8800.html
・『安積開拓』(冊子PDF)郡山市HP
https://www.city.koriyama.lg.jp/material/files/group/70/2061-asakakaitaku.pdf
・『安場保和』後藤新平記念館
http://www.city.oshu.iwate.jp/shinpei/index.html
・『明治時代 電気の歴史年表』電気事業連合会
https://www.fepc.or.jp/enterprise/rekishi/meiji/index.html
・『沼上発電所』ニッポン旅マガジン
https://tabi-mag.jp/hs0323/
・『郡山絹糸紡績(株)』(公財)渋沢栄一記念財団
https://eiichi.shibusawa.or.jp/namechangecharts/names/view/645
・『東北電力(株)『東北地方電気事業史』(1960.05)』渋沢社史データベース
https://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=13860&query=&class=&d=all&page=6
・『山形と新潟の間に存在、幅1mの「細い福島県」は全長7km』週刊ポスト2017年3月17日号(※地図の西北にあるヒゲのような福島県は、幅約1m、長さ7km、標高2000m、山形県と新潟県の間に存在する。西村まさゆき)https://www.news-postseven.com/archives/20170314_499578.html?DETAIL
・『kotobank(コトバンク)』朝日新聞社、VOYAGE GROUP

YouTube 『ざっくり会津の歴史2 会津の精神性』吉田邦吉
大河ドラマ『八重の桜』や『白虎隊』や『新撰組』の存在は知っているけど、そもそも会津のことをほとんど知らないひと向けに、会津が大好きな会津人の1人として、ざっくり会津の歴史を概説しました。至らない点が多々あると存じます。何卒ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。

参考文献
・『古事記』小学館 1997年
・『やさしく書いた会津の歴史(上・下)』高橋富雄 監修 歴史春秋社 昭和53年
・『会津の歴史』一般社団法人 会津若松観光ビューロー
http://www.tsurugajo.com/history/index.htm
・『会津地名人名散歩』宮崎十三八 歴史春秋社 平成元年
・『物語 会津戦争悲話』宮崎十三八 新人物往来社 昭和63年
・『手作り会津史』宮崎十三八 歴史春秋社 平成7年
・『会津藩VS薩摩藩』星亮一 KKベストセラーズ 2008年
・『松平容保』星亮一 学陽書房 2004年
・『偽りの明治維新』星亮一 大和書房 2008年
・『会津藩VS長州藩』星亮一 KKベストセラーズ 2004年
・『会津藩はなぜ「朝敵」か』星亮一 KKベストセラーズ 2002年
・『会津史の源流を探る』太田保世 歴史春秋社 2005年
・『よみなおし戊辰戦争』星亮一 ちくま新書 2001年
・『安積疎水』(郡山市の歴史)郡山市HP
https://www.city.koriyama.lg.jp/shiseijoho/3/8797.html
・『安積開拓』(郡山市の歴史)郡山市HP
https://www.city.koriyama.lg.jp/shiseijoho/3/8800.html
・『安積開拓』(冊子PDF)郡山市HP
https://www.city.koriyama.lg.jp/material/files/group/70/2061-asakakaitaku.pdf
・『安場保和』後藤新平記念館
http://www.city.oshu.iwate.jp/shinpei/index.html
・『明治時代 電気の歴史年表』電気事業連合会
https://www.fepc.or.jp/enterprise/rekishi/meiji/index.html
・『沼上発電所』ニッポン旅マガジン
https://tabi-mag.jp/hs0323/
・『郡山絹糸紡績(株)』(公財)渋沢栄一記念財団
https://eiichi.shibusawa.or.jp/namechangecharts/names/view/645
・『東北電力(株)『東北地方電気事業史』(1960.05)』渋沢社史データベース
https://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=13860&query=&class=&d=all&page=6
・『山形と新潟の間に存在、幅1mの「細い福島県」は全長7km』週刊ポスト2017年3月17日号(※地図の西北にあるヒゲのような福島県は、幅約1m、長さ7km、標高2000m、山形県と新潟県の間に存在する。西村まさゆき)https://www.news-postseven.com/archives/20170314_499578.html?DETAIL
・『kotobank(コトバンク)』朝日新聞社、VOYAGE GROUP
・『民謡ガールズ キングレコーズ オフィシャルサイト』
https://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=45102
・『冬に会津にお越しになるお客様へ』極上の会津(会津17市町村の観光情報)
https://gokujo-aizu.com/1770
・県立博物館がとらえる地域と民俗展示 内山大介 福島県立博物館(PDFファイル)
file:///C:/Users/starp/Downloads/%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8%E3%81%8C%E3%81%A8%E3%82%89%E3%81%88%E3%82%8B%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E3%81%A8%E6%B0%91%E4%BF%97%E5%B1%95%E7%A4%BA.pdf
・西会津国際芸術村ウェブサイト
https://nishiaizu-artvillage.com/
・ふくしま本の森ウェブサイト
http://hon-mori.d.dooo.jp/
・奥会津書房のウェブサイト
http://www.okuaizusyobou.jp/

YouTube『ざっくり会津の歴史3 数万年の会津』 吉田邦吉
旧石器時代から弥生時代まで概観します。数万年にわたって繰り返されてきたことは、ひとびとの心身に濃く、しみ込んでいることでしょう。


YouTube『ざっくり会津の歴史4 会津の神仏その2』吉田邦吉
古代において会津の支配者である法相宗の徳一と、天台宗の最澄がおこなった論争などを概観します。どちらがかりの教えでどちらが真実か。どっちが正しいか論争ですが、どちらが勝敗という性質ではありません。古代というたいへん厳しい時代において、ふたりが思いを寄せたことは、ひとびとの救いということだったのでしょう。


YouTube『ざっくり会津の歴史5 会津武士』吉田邦吉
だいたい、1200年ぐらいから1600年ぐらいまでを話します。中世です。そのすべてを芦名氏が中心として歴史が動いていくのですから、芦名氏がいかにすごかったかということも、わかります。歴史というのを思うに、近代工業や電子世界がある現代と比べると、すべてがそれ以外の物的ですね、むろん情報戦もありながら。ではその激動の時代へ。タイムトラベル。

※芦名氏の三浦半島というところの場所は、鎌倉市のすぐ南、横須賀のすぐ南、伊豆半島から海をこえて東であります。三浦半島のすぐ東は、海を渡って千葉県です。

雪舟
備中(びっちゅう)(岡山県西部)、1420年生まれ。

雪村
1504年生まれ、常陸(ひたち)(茨城県北東部)のひと。佐竹氏一族。雪舟を慕(した)った。

堰(せき)について
・『かずさ更級川に再現された「板羽目堰」 (千葉県市原市) 2012年4月7日』Baron's CHANNEL
https://www.youtube.com/watch?v=5kFwQ4j0qTs
(板羽目……板を平らに張ったもの、板張り)
・『堰とは何か。What is Weir? 』 Practical Engineering 
https://www.youtube.com/watch?v=YkR79oDAgOg
(「上流の水位を制御するために川を横切って建設された小さなダム(引用)」、とのこと)

徳政令について
1560年から16年間で6回も徳政令を出している。戦乱続き天災もあり、武士と農民は疲弊していた。その救済政策でもあったが経済支配権を商人から武士へ取り戻す狙いもあった。

在家(ざいけ)について
中世農家のことであり、当時の農村部には屋敷を中心として田畠(たはた)があったものをいう。下人(げにん)や所従(しょじゅう)も耕作にあたった。地頭領主は在家をいくつ支配しているかで規模をあらわした。しかし16世紀後半は、土地の広さや価値が、下人たちの独立により、在家単位でなく、収穫高や年貢高などであらわすようになった。

黒板にある「大雪3000人」について
大雪による大飢饉の死者数のこと。戦乱の世であったから災害対応できずこうなったとも、また、天災や飢饉があったから戦乱の世だったとも、言われている。「天災と人災とはいつもこのように表と裏の関係になっている」と高橋富雄さんが書いている。


20210124

フランス語で暗記している教科書文に「戸口に猫がいる」というのがある(イリヤ・アン・シャ・アラポルト Il y a un chat à la porte.)。これなんの文かと思っていると、ヨハネ黙示録にこうあった。「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。」なるほどネコとは、「ネ申(神)」のことだった。そこまで深読みして良いのか。さて。

20210121

まさか風呂場を丸ごと入れ替えるため一室を自力で解体だなんて鉄の大ハンマーをわたしが自宅で振りまくるとは思わなかった。線量は問題ないが大地震と長年の放置により使えない状態だった。

タイル壁などを落とす作業をした。安全第一。しかしこの振り回し、懐かしい風呂の終了というだけでなく、創造の破壊でもあり少し面白かった。火花も散った。亡き祖父の特殊道具も使った。まさに総出。

レンガやコンクリなど、とりあえず2.5トンぐらいわたしが袋に詰めて、持ち上げてねこに入れて運んで下ろした。つまり総計7.5トン分ぐらい動かしたようだ。それでもまだある。

トラクターの仕事は順調だ。

たほう、2020年クリスマス・イブより見てきた教養YouTube数は70本になった(日記帳に新しく基礎記録データが出来ていることになる)。1年かけるつもりだったがもっと早いかもしれない。

ずっと流行りのウェブICT業界での書籍がたくさん出ているのに、図書館の群ではあまりフォローできていない様子である。ことが安定して過去物になるまで入れてないのかは分からないが人手不足かもしれない。

インターネット5G業界では4種の神器があるという。

1、IoT(Internet of Things。いろんなモノにインターネット接続)

2、AI(人工知能)

3、クラウド(情報保管庫をインターネット、特にAmazon・AWS)。

4、ブロックチェーン(ものを暗号化したあと大勢で客観証明的に管理できる状態。ビットコインもそこから出来たが、ビットコインにはリスクもある・ハッキングと一国のみシェア)(中央集権的GAFAに対抗できるのが中央のない連帯型のこれだと言われ自律分散型と呼ばれる)(GAFA=Google、Amazon、Facebook、Apple)

※5Gというのは、5世代という意味。いつでも超高速で多様な繋がりかたと新技術の集まりなどの世代であり、携帯の1Gやスマホの3Gよりも最先端という意味。

※IoH(アイ・オー・エイチ)と言う場合は、ヒューマンの意味である。ひとに接続することで、感情、好み、体調、そういうものを管理できる可能性を持つ。

※なお、AmazonGOと無人レジは違うのだそうだが、これはこれで、過渡期には多様化して接続されていくのだろう。キズナというのはひとがどれだけなんと言おうとも強固なのだな。(※以上の参考は中田敦彦さんのYouTube)

※日本政府はデジタル庁を福島県(会津地方)につくるから、この世界最先端の競争社会に突進していく企業群と歩くお役所がある場所となる。物理的なことは浜通り、情報的なことは会津地方である。

※仮想通過は、中央集権と自律分散という2つの型を合わせた総合型の安定タイプをFacebookがおこなおうとしているようである、それがLibraという仮想通過(暗号通貨と呼ばれる)の企業連合だそうで、旧来の通貨を発行できる国家群と調和の道を探っているようである。

これらはすごいことだ。自動できる辞典とか運転とかだけでなく、秘密管理人という名の銀行ピラミッドが雲の上に鎖状で出来たようなものだろう。まさに漫画版ナウシカの最後を思い出す、リアルなブロックを運びながら。

浴室の床下には茅葺き屋根の家々だった時代に使っていたという大石や砂がどっさり詰め込まれていて驚いた。まるで小さな石垣の上で風呂に入っていたのだ。防火にはなったのだと思われる。

そんな持てないほどの大石を何とか転がしながら運んだ。無理なほど固定されていたのはワイヤーと重機で取り出した。それでも1割は石砕き工具を持つ業者にやってもらった。

タイルが降ってくる、飛び散る破片、クギが飛び出している、石やコンクリを詰め込んだ土のう袋の山、そして重機、ワイヤー、工具、ほんのわずかなことで危険であった。

思うのは、エンジン、モーター、計算機、電子基板といった科学の凄さ。それから、人間の弱さ、人生の儚さ。されど、それら全てを創造し実行ていける人間存在のおこなえるチカラの量である。少しずつ(bit by bit)。

だれひとり5Gの繋がりから離れられない時代に、ひとが嬉しいキズナか(ゆえ高度社会への参入か)、ひとが憂うクビキか(よって原始社会への憧憬か)、それらバイナリー(ゼロ・イチ)の調和(ヨーガ)など、思われていくことだろう。

どうも自分の趣味に結局ゴルフを入れられる気がしない。やりたいのだが、あまり運動にならない時点でその時間が持てていない。今はいいか……、撤収する気分となった。バットもセンターに行かないので同様。テニスラケットは自分に合うし屋外でも使いやすい。

それではボクトウのほう。むかし会津若松の名建築である福西本店では木刀を売っていた。その樫の木刀で素振り練習が楽しい。技術的なことはYouTube動画で遊べる。

ただしリアルな護身術のために素手というのは、シーンが限定的になる。おそらく護身道具以外で高品質なのは棒一本など簡単なもので十人力に成ることだ。このあいだ鍬(くわ)を振るったときも良い運動になった。

つまり、素手、脚力、あと何するで、棒になった。その棒のためには、鍬、ハンマー、木刀、そのようなものを持ったのが良い機会になったようだ。最初からやりすぎて筋肉痛がきつい。ついでだが十手も室内で扱いやすくダンベルより飽きない。

不惑にして覚える始めることの多いこと。木刀は手触りも見た目も美々しく、精神が研ぎ澄まされる。バガボンドという漫画なども思い出す。

解体中に風が強くて寒くなってきたと思ったら室内に小さくて毛並みの良いタヌキが颯爽と走ってきてわたしと戸のところでばったり遭遇して目が合った。お互い驚いて。

「あ、アライグマきたよ」

「どこ?どこ?」

「タヌキだったかも」

大野駅のほうへ逃げて行って、かわいかった。いま時期はとっても寒いから、上り方面の電車にでも乗ったかな、それとも、都を離れて下りか、どこかの軒下にステイホームか。


20210228
電動工具と油圧ショベルを使う父が72歳とは思えぬ仕事ぶり。とつじょ午後に冬の風が強くなり風呂に入りたくなったのか、風呂場の解体を覗きにやってきた若いタヌキの絵つき。けっこうな冒険だ。「復興に向けて頑張ってます」「先祖からのもの、自分で行いたい」だそう。解体序盤の様子をお知らせ。※すべてウェブでそうだが、写真の無断転載禁止


20210126
わたしなりに、あれこれ見てきてお手軽に怒りをコントロールする方法です。いまは怒ってもすぐ回復できるようになりましたが、人間いつでも、修行、そんな風に感じています。あと、映画を見るのも結構いいかもしれません。

このような話はむろん、コントロールしない怒り放題が自然でいいという意見を呼び起こす場合もありますが、それはそれでひとの自由でしょうね。

20210125
YouTube 禁煙成功体験記



20210124


知識とは
1,知ること、また、その内容
2,考えること、知恵(物事の道理を判断する。道理とはひととしての正しさの意味)
3,(仏)仏像などの建立に寄進すること
  (仏)仏教の指導者、善知識(善い友人)
  (仏)対象を外界に実在すると認めるこころの動き
4,(哲)wissen 確かな根拠で認識すること(主観的認識 自分ひとり。客観的認識 第三者など多数。真実は神のみぞ知る)(英語はknowledge ※板書にkowとあるのはミス)

参考 
情報とは、メディアやひとから知らされる知識 informationとintelligenceの違い、前者はだれでも手に入る情報そのもの、後者はそこから読み手の読み取り能力に応じた高度に政治的な情報のこと。

形式知とは、言葉にできる知識。
暗黙知とは、言葉にされてない、しづらい知識。例 ひとの顔、個人の技術、ノウハウ、ものの見方

ウェブでの使用辞書は主にコトバンクです。

2021 01 21,22,23
YouTube お酒のやめかた体験記 1,2,3

お酒のやめかた体験記その1は、ちょっとした序章です。

これを含めて合計3回にわたって「お酒のやめかた体験記」として体験談をします。ひとにどうこう押し付けたいものでは決してありません。

参考程度に聞いてくださったら幸いです。

どなたかに押し付ける意味あいは決してありません。
過酷なのは約1~3か月間ぐらいだったと思います。

わたしのノウハウを、出し惜しみなし、いつも本気で収録しています。東日本大震災と原発事故、原発避難にて、わたしが陥った苦労とそこからの回復という経験からのお話です。

お酒のやめかた 序論
https://www.youtube.com/watch?v=fm97493UYJM

本論 前半 考え方編
https://youtu.be/K7d4yJ-u-lQ

本論 後半 実践編
https://youtu.be/u3e9851m6c0

※禁煙目的のかただけでなく「禁酒」目的のかたにも『タバコやめかた体験記』(全一回)をともに見られると効果的だと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=qoE9Vdlr0WY

20210117
YouTube 吉田式瞑想法


*吉田式瞑想法

なんだかんだと民俗研究の流れのなかで私の場合は仏教を学ぶことは多くなり、そのような経験から自然と培ってきたものです。とはいえ、むずかしいことを考えず実践的にできる、そういう瞑想法だと思います。

※達磨大師のところで「5世紀後」と言ってますが正しくは「5世紀頃」です。

参考文献
・『マンガ「禅」入門』中野東禅・監修 吉祥寺一矢+八剣ヒロキ・作画 講談社 2004年発行

20210115

エンジンの点検と構造について父から再び教わって簡単なノートをとった。掃除する場所とかラジェーターキャップとかバッテリー液やエンジンオイルの確認やエアコンプレッサーの使い方など。基本的なことだろうが、本物で学べるのは新鮮で充実する。

新年は浜通り双葉郡富岡町の山麓線(県道35号)や大熊町でほんの数cmほど日陰での積雪や「たっぺ(道路の路面凍結)」を確認できた。おそらく相当に久しぶりだろう。冷えて土が固まって、農機で凄まじい揺れある時でも平常心を維持することの重要性も再確認する。生活そのものだ、平常心。久しぶりに高速を走り、二車線への工事進捗も眺めた日もあった。

彼は一室を自分で解体するらしく、やたら道具で破壊した煉瓦を運ぶため私が手伝っている。つまり風呂場である。ショベルにより、さらば昭和の風呂焚き釜は重く、両手を使ったら年月の重みのように感じられた。コロナ禍での新生活様式にくわえ再生区域ならではの新しく仮で避難・再生の並行生活もしていく。わが家の内部は親がずっと掃除してきたので何も無い。

2020年、わたしは初老祝いの年だった。古代の陛下は祝ったそうだ。現代では2021年に歳神エネルギーが自分に集まるだろう。干支の人達もそうだろう。確かにぐいぐいと変わり続ける昨年末だった。質の維持は容易でなく、一種の技だと感じる。十数年ぶりに友達のご両親と談笑もした。

気づけばYouTubeチャンネル登録者数が50人を超えてくれてうれしい。楽しい遊び場を見つけた。県立の文化施設である福島県立博物館アカウントは150だから、普通そうなのだ。拙者をお見守りくださる人様世間様のおかげである。学校の教室2つ分。

やってみると見た目よりも大変だ。パソコンのスペックも最小限しか持ってない。社会に役立つよう精進したい。わたしは折れない。へこたれない。ただ、毎日を義務にする必要まで感じない。ちゃんとしたものを提供し続けられる知性を蓄えたいと思う機会になった。学問に王道なし。ご笑覧くだされば幸い。

一昨年の末までは、3密が楽しかったんだなんて。禍が2年目で緊急事態宣言区域のひとびとの苦労は半端でないだろうなと思いを馳せる。福島の避難指示区域の再生区域から。

写真:竹藪に雪
大熊町の有名な川付近。この数日後また雪が降った。

数学における微分積分というのは興味深いものだな。ある事象を微に分けて積もらせるような把握の仕方のようだ。

お笑いコンビ「ぺこぱ」のかたは社会性あることに関心があって将来はそういう番組を持ちたいという記事があった。

ところで40歳の休みはもう終わりにしよう。普段から考えているのだから新年の抱負以外では急いで考えてもろくなことがない。マイナス思考には三猿である。

サクサクと切り替えて、道を切り開くのだ。微分積分のΔT(デルタ・ティー)という変化は微かだが、Every little helps.(塵も積もれば山となる)。不惑だ。

ちょっとした計画を練った。一週間のうちどこか空けて収録する。木金土日ごろに編集を終わらせて作品を出す。作品を出すときに英会話も練習して出す(英会話の内容を何でもオッケーに変更する)。

今のところスマホ20GB/月が全員ではなくまだ5G時代でもないので音声の作品も忘れずに。あとで音声作品として販売もしようと思えばできる。著作権に配慮して、内容を自分でまとめ上げるのが大変になるから、そこに集中する。他のことをおろそかにしない。

たまたま海外のブログを見ていたらアテネのひとたちもジブリ映画を観ているのを知った。となりのトトロであった。どんな感想を持っただろう。

20210110

YouTube 日記の効能

ちいさな8歩が100歩に感じる魔法それが日記です。

なんでも、自分にとって前向きなこと嬉しいことなどを書き続ける、繰り返しをいとわない、わたしのやりかたです。

日記を71冊も続けているのでその話を記録しました。日常の幸せを放置せず、大事にしましょうという提案。理由あります。

簡単な字幕をつけられるようになりました。音は昨年収録。BGMはフリーのを試しで最初だけ入れました。まだウィンドウズについてる無料アプリでパソコン編集してます。


YouTube 氏神さま(初映像)

第2章第8回民俗学「氏神さま」吉田邦吉

氏神さまとは何か。

民俗学における用語2つ

1、民俗語彙 土地の人達が使う言葉

2、学術用語 民俗事象を理解するために研究者が使う言葉


・民俗語彙としての氏神

 屋敷にある小さな祠、村の神社など

・氏神3種類(柳田國男)

 村氏神 村の守り神

 屋敷氏神 家の守り神

 一門氏神 本家を中心として同族の守り神

・ご利益や祈る内容

生業安定、五穀豊穣、感謝、収穫祭、商売繁盛、雨乞い、武運長久など

推奨映像

・第2章第4回三分講義「ハレとケとは何か」吉田邦吉

https://www.youtube.com/watch?v=4cox3gC3c8g

・第2章第1回三分講義『民俗学とは何か(前編)』吉田邦吉

https://www.youtube.com/watch?v=fxP1JW5Czlg

主な出典(ぜひ、おすすめ本です)

・『民俗学がわかる事典』 新谷尚紀 日本実業出版社

以上

(2021年1月10日、初めてのYouTube映像をカエサルがルビコン川を渡った日に完成しました。妻がケーキを作ってくれました。下調べに2週間。実践に丸一日かかりました。収録は3回目ぐらいで一発撮りです。デジタルを扱うのは苦手ですが、filmoraというアプリを購入してダウンロードしてすぐに作れました。ハイスペックのパソコンではないので何でもはできません)

主に学問などの話をしていきたいと考えています。

* Youtubeを始めた理由

文化の一助になれたら幸いです。農地の仕事は好きですが、文化施設の所長や大学の非常勤講師の話も来たことがありました。タイミングもあって今のところ実現していません。もしお仕事の話あればやる気ありますのでお声がけ下さい。

いずれにせよ語学や読書だけでなく研究とそれを話すことも精進し暮らしていきたいと思います。コロナ禍でマスクをしてでも笑顔になるように、このリモート生活において、わたしのできること。

20210107

新年お正月は明るい感じがして良い気分だった。妻作るお節料理は美味で最高だった。三日とろろも頂けた。ご馳走さまである。6日から今年は仕事始めとした。 まいにち日本中で料理したり料理されたりして、癒しの「土」*が作る自然の恵みをいただいている。海、川、森、林、野、原、雨、風など全てそう。気持ちよく日々を過ごしたい。 民俗学によれば年始の挨拶まわりを昔は村中でしたという話を、3密回避的な時代のSNSで実践した。ご無沙汰になっている関係へ挨拶しやすい節目を大事にしたことで世間様に顔向けできた。 1月中ついに40歳になる。今年41歳の学年。2021年である。20+21=41。ただ今の一瞬だけはまだ30代だということにしがみつき振り返れば切なくて堪(たま)らない。 この大きな節目を迎えるに当たってはゆったり暮らそう。自分の40年間と震災10年間を迎えて、これからの人生に展望をもっていたい。すべてのことに感謝である。

* リアル世界はソーシャルディスタンスなこともあり人々はZOOMやSNSにて「ウェブ活用」へ増えてきた感じがある。皇室の眞子さまは「オンラインの活動にも熱心に臨まれ」と報道されている*。 これを一般人がおこなえば昔なら「引きこもらず街へ出よう」ぐらい言われたものだった。世の中の状況が世界的に変わってきたのだ。ステイホームでネット活用が「活動」と認められた、そこはよかった。 わたしはこの暮らしでもう20年ぐらいになる。広義には、コンピュータが一般的になった初期ユーザーだろう。狭義にはたぶん1970年代生まれや60sがいらっしゃるから、ぼくらエイティーズ(80s)は3番目ぐらいだろう。 むろん計算する道具は、数千年も昔にアバカスや算盤があって、その後は17世紀に哲学者のパスカルや哲学者のライプニッツが開発して、20世紀にアップルやマイクロソフトが出て、いま21世紀である(2001年から)。 わたしも小学生からパソコンを触ってはいた。学校である。あとはファミコンなどゲームだろう。バブル期が終わった1992年(平成4年)ぐらいから始まったと記憶している。ブラインドタッチでワープロ検定1級レベルになったのは独学で18歳だった。言い換えればそれしかやってなかった。 それというのも、1995年にWindows95が出た現象をメディアで見たから、「これからはパソコンの時代だ」と田舎のわたしも思って浪江町のパソコン教室に車ですこし通ったのである。そのあとエクセルを学んでたら飽きてしまった。プログラミングの入口で、帰ったのである。 その後、気づけば何もかもパソコンであり、覚えたコンピュータの基礎が非常に役立つことになる。つまり1920年代生まれから50年代生まれのひとたちは、これからの子らにはコンピュータが必要だと思って制度設計してきたということなのだろう。 それはワープロつまりワードプロセッサ(Word processor)や、もっと古いタイプライター(Typewriter)で知っていたのかもしれない。今ならキングジム(King Jim)のポメラ(pomera)である。戦後、50年代の人達はポメラを知っているだろうか。 かつてはよく「DTP」という文字が店先に貼ってあったりして、「なじゃこりゃ?」と思ったものだった。長年そう思ってきたのに、今ではググって一発だ。 そんなことですら信じられない時代だと感じるのはわたしの非デジタルネイティブ性を意味している。「DTP=デスクトップ・パブリッシング(desktop publishing)」とは、パソコンでレイアウトをしてプリンタを使うこと。 パソコン、コピー機、プリンタなど、つまり、OA機器(オフィス・オートメーション)だと言えるだろう。これが工場の場合だと、ファクトリー・オートメーションと言われる(FA)。違いは、OA機器には思考による意思決定などが多く伴うことであり、自動制御を目的としたFAとは区別される。 OA機器やDTPという言葉はあまり聞かないが、「DTPオペレーター」は今でも使われている言葉のようだ。インデザインやフォトショップを使えて物理的な印刷ができる専門性を言われている。しかしわたしはどちらも使わずにDTPをしている。時間のほうが重要だからだ。 オンラインでの活動については、コロナ禍により一般の人々の参加が増えたことでなにが起きたかというとSNSの新規ユーザー獲得競争であろう。これに勝利したのは、あくまでわたしの見える限りではあるが、YouTubeやTiktokなように思われる。人々は会社や友人などの関係的な縛りがラインやFacebookでは抱えていて、ツイッターは政争かまびすしく、もはや一般の若いユーザーが自由に発言している場ではないような気がする、よくは知らないが。 シェアボタンがなく趣味でしか繋がらない写真つまり非言語的で内輪なSNSであるインスタグラムもまあまあ流行しているような気がする。おそらくSNSは、10年前のFacebookやTwitterでの情報革命とは異なり、いまや音や画像や映像で知ることがメディアとしては、テレビなみに浸透してきたからなのだろう。映像メディアがいかに多くのひとにとって効果的かということを意味している。 文字や絵など動きのない情報というのは、読み取り能力が高ければ高いほど効率的であれる、すなわち、取得が能動的努力に比例する(読み取る)に対して、音や映像は受け身なメディアなぶんだけ(見える)、非動的な情報に比べると、取得量が能力に関係なく平坦化させられてしまう欠点がある(聞こえるは中間かもしれない)。 しかし動的な情報すなわち映像や音は、写真と文字が違う効果であるように、他のあらゆることを特化して伝えられる点がかなり違う。そうして活発化するだろう。ひとが多い場所だからこそ、信頼性の低いものも含め、玉石混交な場所になっている。だから敬遠するのではなく、中に入っていって言いたいことを置いていくのがコミュニケーションであろう。 はるかにむかしは熟練の職工たちが活字を組んだのがメディア(媒体)であった。その実際の現場というのを沖縄県に行くと博物館で眺めることができるのは沖縄に旅行したとき妻が先に行って後からついていって知った。沖縄や会津は、出版文化がすごいのである。15世紀ドイツのグーテンベルクの時代から印刷というのは思い切り世界を変えてきたのであった。いまは、発信者が激増した。 たほう、電子媒体の世界は、つまり「コンピュータの世界」では、「電子回路におけるオン/オフやプラス/マイナスといった2極で構成されているので、それぞれを0と1に置きかえる数値表記が最適とされ、情報は2進数で書かれていることが基本にある。この0と1だけ書かれている情報は、バイナリーコード(バイナリーデータ)と呼ばれている。」(*1) では、白黒での物理的な印刷と、ゼロイチでの電子媒体への出力と、どのぐらい違うものなのかという問いが提出されるだろう。リアルとヴァーチャル(バーチャル)、現場とネットの違いである。この件に関して、英米では既に、宇宙がゼロとイチの組み合わせで表示できるかもしれないという説が報告されていうようだ。 つまりリアルならではの感覚すら、ゼロイチ表示になり得るということである。そういうことで、VR(ヴァーチャル・リアリティ)が進んでくる。ゲームなどは典型的だが、コンピュータを装着したり、もっと現実の感覚を体験できるように疑似体験しようという話である。ただ、すでにSNSでぼくらはゼロイチに変換された自分たちという現実を、ネットでゼロイチにして、交換しあってはいる。 話を「コンピュータの教育」に戻して、文部科学省によれば、『情報教育に関する資料』で、昭和60年(1985年)に「社会の情報化」という言葉が使われ、翌年には「情報活用能力」が使われ、昭和62年(1987年)には「コンピュータ」という言葉が出てきている*。 今でも覚えているのは、「どこそこのお姉ちゃん、情報処理の何級に受かったんだって」という話である。いま思うに、その資格すらないかもしれないが。わたしもかつてとったビジネスコンピューティングという資格があったりした。 そうして日本の学校でのパソコン教育はバブル時代の始まり1986年ごろから始まっていたのだろうか。それから約30年後、2011年3・11の東日本大震災が発生して、原発事故を起こしたからこそだろう。日本の中枢部がいまや福島に2大拠点として来ることになった。 これまた、おとなたちが考えた結果なのだ。科学と通信として、浜通り地方に福島イノベーションコースト構想、そして、会津地方にデジタル庁である。福島県は日本の中枢を担うのだろうと思われる。中通りはその福島県の中心都市が連なる。 福島県庁のサイトによれば「福島イノベーション・コースト構想は、東日本大震災及び原子力災害によって失われた浜通り地域等の産業を回復するため、当該地域の新たな産業基盤の構築を目指すものです。廃炉、ロボット、エネルギー、農林水産等の分野におけるプロジェクトの具体化を進めるとともに、産業集積や人材育成、交流人口の拡大等に取り組んでいます。」 物理的に「こころ」の文化遺産としては、日本遺産に認定されたばかりの「会津三十三観音巡礼」があり、産業面ではあろうが苦労の歴史である日本三大疎水の1つ「安積疎水」(あさかそすい)(郡山市)(延べ85万人の労働力、明治15年8月に完成)がある。 ほかに文化施設としては、双葉町に「伝承館」もある。むろんわたしは「ふくしま本の森」や「福島県立博物館」や各図書館など既存の文化施設をいつでも推している。 これからも私自身で次世代のなにがしかに貢献できるよう修行精進に励みたい。YouTubeは言葉を素早く活用できるので、文章に戻ると、キーを打つのが少しだけ手数だと大変に感じる。「YouTuber」になると脳が明らかに活性化して、かなり勉強になると分かった。数人が聞いてくれたら立派な集まりの場でもある。 塾講師だった経験も役立っている。どんどんYouTubeを活かして楽しみ、かといって着実堅実に学びを深め、現実の紙媒体などのリアルな雑誌作品に堅実的な循環をさせていこう。本分は現実の紙を出版していく物書きでありたい。やはりネット回線すらも不確実な時代には、「オフライン」で存在し得る、オフグリッドなリアルの産物として「ナチュラル産」(紙とインクから出来た書籍)にこだわりたい。 なぜなら、電子情報というのは、ヴァーチャルリアリティ(VR)の特殊な手袋など何らかの刺激があれば「持っているらしい感覚」が得られるかもしれないが、今のところ野菜そのものを食べたり香ったりという、疑似でない本当の体験が完全にはできない段階だからである。SNSで絵に描いた餅は美味そうだが、ほんとの餅は美味いのである。

写真 いわき市小川町の元旦  小川諏訪神社に初詣 * 参考 ・土に触れる生活が心身の健康につながる。抗ストレスの妙薬は「土壌」にあった:研究結果 2019年6月10日 SANAE AKIYAMA WIRED https://wired.jp/2019/06/10/healthy-stress-busting-fat-found-hidden-dirt/ ・眞子さま、29歳に オンラインの活動にも熱心に臨まれ 2020.10 産経新聞 https://www.sankei.com/life/news/201023/lif2010230004-n1.html ・情報科目に関する学習指導要領改訂の経緯等について① 情報教育に関する資料 文部科学省 平成27年(2015年)10月22日 https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/059/siryo/__icsFiles/afieldfile/2015/11/11/1363276_08_1.pdf ・1【二進法】宇宙は“0と1”からできていることが判明! 科学者「宇宙は巨大な量子コンピュータに似ている」2017年3月2日(文=高夏五道)exciteニュース TOCANA



20210103
YouTube 新年のごあいさつトーク 妻の描いた牛絵つき
参考文献:
・『赤べこ発祥の地』
(やないづ観光Navi)
http://kankou.town.yanaizu.fukushima.jp/highlight/akabeko
・『あかべこ物語』
(会津のレストラン ステーキ&ハンバーグのお店『あかべこ』より)
https://www.akabeko-aizu.com/akabeko-story/

20210101

Facebookに新年のごあいさつフォト







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