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吉田邦吉 Yoshida Kuniyoshi

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※こちらは、いろんなことをしてきたため、自分で何をしてきた、しているか、忘れないよう、メモのページ。

※2024年は特にミニマリストを本格的に始めている。英語という目的のため。

 英語の勉強時間  現在総計2800ぐらい

 202407    300時間

 2021-2023 300時間

 2011春夏   700時間

 2007-2008 500時間

 学生時代    1000時間 (小中)

※2023年までの4年間は、健康医学などの勉強をしていた。

※2017 - 2022年までの5年間は、毎日ジョギングして15000kmとなったり、会津三十三観音を結願したり、栃木を車中泊旅行や講演会(准教授の廣瀬さんと対談)をしたり。雑誌を発行し続けたり。

※2013年に学習院大学教授の赤坂さんに文の道を誘われ彼のもとでライターをして、2014年にインディーズ雑誌を創刊。2016年に作家星亮一から書籍の編集長を任され、出版社から本を発行したり。

※2011年3月に全町避難の大熊町の移動教室で唯一の英語講師となる。転々としつつ、夏には避難者受け入れでハワイに3か月ホームステイ。

Twitter用プロフィール

今に感謝。英語671日。Mag『WELTGEIST FUKUSHIMA』編集長発行人。エッセイが致知で受賞。講師で横浜トリエンナーレや福島県立博物館など満席。中大法学士。宅建士。大特。旧政府避難指示。大熊町復興事業。民俗/法/金融経済/健康医学。bmi17.7。猫。ミニマリスト。旅🇯🇵🇺🇸🇬🇷。

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プロフィール2

総合雑誌『WELTGEIST FUKUSHIMA』編集長発行人/『フクシマ発』編集長(現代書館)/『Dark Tourism Japan Vol. 1, 2』ミリオン出版・東邦出版/『会津の民俗』(歴史春秋社)/講演で横トリや福島県博など満席。メディア掲載多数。エッセイが致知で受賞。ギリシャと米国に滞在経験。

英語の勉強時間メモ


時系列メモ

202408 -  英語の勉強、本格始動

202407 -  妻と友人に戻り、離婚した。

2024年02月02日(13日)、ネコを飼う。

2023年まで4、5年間は激動だった。

2024年01月初旬〜少なくとも自室をミニマリズムにした。解除により蔵書部屋ができ、本だらけだった自室をすっきり片付けられ、ミニマリストに傾く。

2023年、激動につき多忙。短期間は東京近郊にて生活を行ったり来たり。

体力の限界がきた夏おわりに風邪の一種をひき伏す。

春には多言語に時間割くのをやめ英語1本にすることを決めた。

2022年、春に2ヶ月で一気に痩せる、健康学習の成果。6月頃には、自宅が避難解除。家の全面リフォーム大体。二拠点生活開始。

この頃の辺りから特に親が亡くなるなど約1年半ほど家が激動になる。英語にもっと時間を割き出す。

2021年〜、英語学習を再開。ナスデイリー1000数百本のショートビデオを全て観た。主に執筆編集に時間かける。

秋、ずっとジョグ・マラソン中毒だったので無理にでも辞めないとケガが危ないので終えることにする。

2020年〜、激動期に入る。あれこれ健康について学習し始め、2023年まで試行錯誤しつつ学習を続けることになる。

出演したNHKの福島タイムラプスが全日本テレビグランプリにおいて受賞、ニューヨークでも受賞。

2019年夏〜、農地保全の公共事業に参加。秋、いわき市へ引っ越す。

2018年初旬、NHKspに妻と出演。ATP受賞。

2017春〜2021秋、長距離ジョギング。合計15000km。

2016、沖縄に約2ヶ月滞在。栃木に2週間滞在。青森に滞在。

2015、会津で町おこし公共事業の研修員。

2014、雑誌創刊。

2014、ギリシャ・アテネ2週間滞在。致知にてエッセイが受賞。

2013〜学習院大学教授赤坂憲雄の法人で物書きを始める。

2012、単独クリーンナップ活動。いわき市にて。最終的には行政のひとだと思われて缶コーヒーをごちそうになったりもした。

2011〜、いつの間にか作家、記者、ボランティアと福島との繋ぎ役になっていた。

2011、ボランティア活動。

2011.3.11〜避難開始。田村やいわきやハワイなど転々として会津に7年。

2000〜学習塾運営開始。

1999頃、宅建士2ヶ月半一発合格。

プロフィール  basic information

総合雑誌『WELTGEIST FUKUSHIMA』編集長・発行人。書籍『フクシマ発』編集長(現代書館)。仕事は大熊町の公共事業、農地保全など。大型特殊。宅建取引士。会津民俗研究会員。

3.11避難指示で二拠点生活、いわき市と大熊町。中央大学法学士。断酒・禁煙(2017・2018)。5年で1万5千kmジョグ(2017- 2021)。学習院大学教授の赤坂憲雄により文の道へ。

横浜トリエンナーレと文化庁支援事業で講師出演。福島県博満席。炭焼聞書講演。会津三十三観音巡礼講演。歴史春秋社、東邦出版などでも執筆。エッセイが致知で受賞。最近は、英語、民俗学、健康の学習と表現をしている。

郷土と家  hometown and family history

1981年1月生まれ。原子力発電所のある大熊町に育ち暮らしていた。現在は、避難先の福島県いわき市と避難元・避難解除後でもある大熊町にて、2拠点生活をしている。

すでに中世からは相馬藩に吉田氏一族が暮らしていて大熊町に集団で移動してきた話がありそれに推定される。少なくとも江戸時代末には居たことがわかっている。

震災後は、田村市、奥会津桧枝岐村、会津若松市、アメリカ合衆国ハワイ州マウイ郡、会津若松市、いわき市、会津若松市(7年)、そして今2019年の秋より、いわき市ならびに解除後の大熊町にいる。

生業  what do you do for a living

2011年3月震災の当時、自分は小さな学習塾を運営していた。家では稲作と果樹園を営んでいた。いまは大熊町による農地保全事業の公共事業をしている。大型特殊免許。宅建取引士。中央大学法学士。

趣味  expressive activities as hobby

震災後、赤坂憲雄さんにお声がけ頂き文の道へ。その後、総合雑誌『WELTGEIST FUKUSHIMA』編集長・発行人 となる(ISSN2189-4639)。

横浜トリエンナーレと文化庁支援事業で講師出演。会津民俗研究会永久会員。福島県立博物館で満席。会津三十三観音巡礼講演。炭焼民俗講演。現代書館(書籍編集長)、東邦出版などで執筆。致知で受賞。ATP受賞NHKbs1スペシャル『福島タイムラプス』出演。

致知出版に提出したエッセイにて『偉人を育てた母の言葉』(致知出版社)著者の大坪信之コペル社長と致知出版の皆様により大坪社長特別賞を受賞する。書籍『フクシマ発』編集長(現代書館)。

5年で1万5千㎞ジョグ達成(2022年春で終了)。断酒&禁煙。『ふくしま本の森』私設図書館員。2021年からもっぱら英語の勉強をしている(ときどき民俗学その他)。

以下敷衍  in detail

※中大どんなところですか? → 中大の歴史紹介

・健康系YouTuberとして2022年5月末から始める。

3.11で心身を病み死線をさ迷うも家族友人や本に助けられ通院などはせずあれこれして回復した経験から。自分のために続けている。2017年1月7日に断酒して、2018年6月22日に禁煙した。

※初期のころの動画は、録音の音量に失敗しているため、ボリュームが小さいです。

YouTubeアカウント



写真は出版社に寄稿したり書籍の編著したりした一部。



 Athens in 2015


発行してきている独立系の雑誌『Weltgeist Fukushima』


Appears in NHK bs 1 special "Fukushima Timelapse"
NHK bs 1 スペシャル『福島タイムラプス』出演 ATP受賞




Photo: TV of NHK educational. "Fukushima Timelapse" I appear, 2017. Many times broadcasted on NHK bs 1 special and the world. Got a TV prize of ATP in Japan and a prize in New York. (The photo taken by Hiroko Yoshida 吉田博子 who appears, too)

『福島タイムラプス』の撮影時の写真。何度も再放送して頂いたり受賞したりした。


幼いころ、三英傑の本を親からお土産で三冊もらい読んだ。

・「人間五十年。下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか」織田信長

・「ひそかにわが身の目付に頼みおき、時々異見を承わり、わが身の善悪を聞きて、万事に心を付ける」「何事もつくづくと思い出すべきではない」豊臣秀吉

・「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず」徳川家康

オスカー・ワイルドなど多くの絵本や恐竜のミニ本なども読んだ。



Photo: 10 days in Athens, Greece in 2015.

PAST(過去)
I'd been the tutor at my tutoring school at my house since 2000, helping my parents to work in our Japanese pear fields and rice fields and so on and studying English and the other languages, reading many books that I really like philosophy or picture books or literature etc.

2000年ごろから学習塾を15年間ほど運営してきた。多言語を学ぶのは20代後半ぐらいから英語の学び直しとともに趣味になっていっていた。しかし30代の多くは勉強もしたが取材、執筆、編集そして回復への立ち直り活動で終える。

Since 2011. I've been a nuclear evacuee inside of Fukushima and I met with many professional writers, so I felt like doing the same by myself. Therefore, finally I published a book as the chief editor of a book from a Tokyo's company. Also, I really thank everyone in Maui of Hawaii, Aizu, Iwaki, and so on.

2011年から福島県内での原発避難の生活をしてきている。そう言う関係で多くのプロの作家の人達に出会うことになる。それで自分もやってみたいと思うようになった。

Thanks to everyone's cheer fortunately my wife and I appear in an NHK movie which is called, "Fukushima Time Lapse" that got two big prizes in New York and among TV world in Japan as ATP. Also, many medias wrote and broadcasted about me as one of evacuees. I think it's because I have been active since 11 of Mar., 2011.

 2015年には東京都の出版社である現代書館より『フクシマ発』(星亮一さんが名をつけた)を編著する(編集長として活動した)(わたしとしては何か文学的なタイトルを希望はしていたが、先達に譲るほうが大事と考え、表紙デザイン等含め、ほとんど何も言わなかった。だからこそもあり、「ふくしま、福島だけでなく、自分たちで希望するような「フクシマ」「FUKUSHIMA」をも築き上げたいと思うようにもなる)。特に世界へ向けた場合、言葉はカタカナ書き「フクシマ」が「Fukushima」のフリガナになる世界を意識している。



Photo: For 3 months of summer in Maui, Hawaii, the US, 2011

VIDEOS and PHOTOS(クリーンアップ活動)
Here are photos of when I cleaned up voluntarily alone in Fukushima.
https://www.facebook.com/ryokkaiinkai

07:45 - 10:05(横浜美術館にて講師)
Our talk with English subtitles at Yokohama Triennale in 2017
https://www.youtube.com/watch?v=e6F7i9jFI9o

My lecture in Japanese on Aizu folklore study group at Fukushima Museum(会津民俗研究会での講演活動(普段は原稿を書く活動))
https://www.youtube.com/watch?v=TSz0EbBFVM0




For 7 years in Aizu, Fukushima, 2012 - 2019

ーーー
最初の講演から5年が経った。
「女の半生 廃村 湯の入に生きる」
講師:吉田邦吉

整理券を配るほど大盛況で会津民俗研究会の本年度の活動を終えられた。先着100名様贈呈の記念研究誌(「会津の民俗40号(歴史春秋社)」)がなくなってさらに数十冊配っても足りなかった。感謝



講演後にお客さんがいろいろ教えてくれた。

 2016年2月


平成31年(令和元年・2019年)4月19日。福島県立博物館館長講座『風土の旅学 東北編 第一回 松尾芭蕉』にて本日、館長の赤坂憲雄さんが「ぼくの助手です」と私を紹介してくださいました。それで、松尾芭蕉の『奥の細道』(現代語訳)における「発端」のところを音読いたしました。「見事でした」と仰られてよかったです。学友の須田雅子さんがご撮影くださいました。宝物。ありがとうございます。




2024年10月9日水

さきほど街を眺めて居たらNHKさんから取材を受けました。衆院選に向けて新しい日本のリーダーや政治経済についてお話して、地方が元気になると良いという声などが本日夕方6時過ぎ『はまなかあいづ』にて放送されました。ありがとうございます。皆様の暮らしに笑顔を祈ります。


2023年3月14~15日ごろ、福島民友新聞に掲載されました。タイトルは会長が決めたようです。今回は家事都合で2ヶ月ほど東京近郊に居ますのでリモート映像になります。よろしくお願いいたします。会長より連絡あり、本日100人ほど来られたそうです。まことに感謝申し上げます。
https://www.msn.com/ja-JP/news/national/-/ar-AA18r40H?ocid=sapphireappshare



2022年6月30日。福島民友新聞にはじめて掲載されました。しっかりご取材くださり、長文でご掲載くださって、記者の渡辺晃平さんに御礼申し上げます。『【復興拠点解除・大熊】古里も生活も大切...二地域居住で生きていく 2022年06月30日 09時30分』

はじめて朝日新聞に載りました。天気晴朗、やさしく丁寧に聞いてくださって、ご取材ありがとうございます。※大企業群だけでなく著名メディア群もあり朝日新聞社も横トリのときお世話になっています。

全文
『解体予定の大熊町図書館で本の譲渡会 町民から惜しむ声続々』酒本友紀子 朝日新聞 2022年5月29日

フォーラム【語り継ぐために~ひとりの思いが未来をつくる】ライフミュージアムネットワーク(文化庁支援)福島県立博物館内 2019年


平成最後の花見を中筋純さんそして福島県立博物館に関わる皆様ととに。2019年。

2019年 秋 福島県立博物館の皆様が引っ越し祝いをしてくれた。
数えきれないほど博物館に通ったり、よくお付き合いがある。


 
2021年 秋 いわき 15000kmジョグ記念 15,000km ran for 5 years. So, I jogged the same as Siberian railway and crossing the US.
あまりにも輝く木々などの自然が美しくて感動する5年目のマラソン。今日でシベリア鉄道とアメリカ横断したぐらいの距離を走った。自衛隊のかたによれば自衛官は基本的に3kmを走れれば良いというが、ネット情報だと毎朝5~10kmの部隊も中にはあるようだ。わたしはほぼ毎日5kgの重りを背負い10~15kmを走る(坂道の日も多い)。自衛隊のランニング条件はクリアだろう。わたしは昔、マラソン大会が大嫌いだった。昔は酒飲みパイプたばこスモーカーでもあった(と言っても震災前は普段読書のため一人で酒を飲まなかった)。いまはまったく真逆のひとになった。断酒・禁煙。※アスリート体型になって満足したので2022年以降は筋トレを減らし重り背負いもやめている。

2018年、郡山市西田町鬼生田のお祭りにて。西田町鬼生田の皆様にお世話になり、地域の集会所ですこしお話をさせてもらったこともある。感謝。これからもよろしくお願いします。


2017年の春、栃木県益子町にて、環境デザイナーの廣瀬俊介さんと対談イベントをしたとき(司会・簑田理香さん)。みなさま来ていただきまことにありがとうございました。たのしかったです。妻との益子旅も楽しかったです。


 2017年 秋 横浜トリエンナーレ 
It's when we talk about "Refugee or Evacuee," with a work of Olafur Eliasson at Yokohama Triennale 2017. October. Supporters; so many medias, big companies, AAR Japan, Yokohama Museum of Art, and Fukushima Museum, and WELTGEIST FUKUSHIMA, and all people who kindly came to us. Thank you so much for everything. (Photo: Hiroko Y.)(吉田博子)(吉田邦吉)


「毎日新聞に載りました」

 2018.10.22。本日の毎日新聞(福島版)に取材された内容の要点が大きく掲載いただいてます。県知事選で数名に聞くシリーズだそうです。ぜひ皆様にも紙面を1部お求め頂き、ご指導ご鞭撻いただけたら幸甚です。ところで、なんと、会津電力、佐藤彌右衛門さんの次が私だそうで、まことに恐れ入ります。心よりありがとうございます。

ウェブ版こちら。



一緒に研究調査した妻の吉田博子さんと福島民報新聞に載る。

㊗満員「会津三十三観音を歩く」超過㊗ @福島県立博物館

 雪多き極寒の2018年2月25日、会津民俗研究会の約50年や博物館講演として、まさかの最高記録で満員超過300名以上の訪問客だそうです。立ち見の方々や座り見の方々に心よりありがとうございます。

 西会津テレビ局も来てくださったそうです。ご支援くださった福島民報新聞、福島民友新聞、サンデーあいづ、福島県立博物館、会津行政、文化庁の皆様に御礼申し上げます。


ふくしま本の森@テレビ放送㊗

 福島県地元で超有名番組のFCT福島中央テレビ【 ゴジてれChu! 】で、会津坂下町にある私設図書館、「ふくしま本の森」が、さきほど夕方6時ごろなんと約7分間も放送されました。大変さわやかな和歌山ご出身のアナウンサー直川貴博さんに心より御礼申し上げます。福島中央テレビへのご声援ありがとうございます。これからも皆様が本に親しんでくださることを楽しみに活動したいと思います。(直川さんページ http://www.fct.co.jp/announce/profile/prof_307315.html )

 
2015年 会津若松市 東山 夏 お祭り 

 
2020年2月 郡山市 
藤原章生さんの講演に出席しにいったとき

 
2016 夏 私設図書館ふくしま本の森にて
妻の吉田博子さんと創立オープンの宴に参加
創立のときみなで書籍を入れたり活動した

2016年 総合雑誌WELTGEIST FUKUSHIMAの
第一回、集まり 二本松、ゆんたさんにて

 2016年 さざえ堂 

 
会津三十三観音調査中で新聞掲載
 実際に日数をかけて歩いて全て巡礼した

2017年 福島民報新聞

2017年 ふくしま本の森にて読書会 
赤坂憲雄さんと出演 吉田が司会

2017年 秋 
オラファー・エリアソンに関わる講師出演
福島県立博物館学芸員の皆様 AARの皆様
横浜トリエンナーレにて
2016年 農業、漆器、デジタル、発電など
会津のリーダーな皆様にお誘い頂き会合に参加
2016年 編集部 意匠図案者 天井優志さんと

2015年 妻の吉田博子さんと都内にて編集活動

2014年~2016年、
著述家の星亮一さんにお声がけ頂き現代書館の書籍で編集長になる

2015年には東京都の出版社である現代書館より『フクシマ発』(星亮一さんが名をつけた)を編著する(編集長として活動した)(わたしとしては何か文学的なタイトルを希望はしていたが、先達に譲るほうが大事と考え、何も言わなかった。だからこそもあり、「ふくしま、福島だけでなく、自分たちで希望するような「フクシマ」「FUKUSHIMA」をも築き上げたいと思うようにもなる)。

2014年 いわき市、勿来の関
2013年初頭 
ふくしま会議の赤坂憲雄さんからお声がけ頂き物書きとなる

2012年6月 茨城県での竜巻被災地へボランティアをしに一人で行った

仮設住宅集会所
避難先会津自宅
2012年、ハワイで知り合った英文雑誌の記者をしていたアメリカ合衆国カリフォルニアのシェリーが日本に来てくれて福島や避難者の人達に気功など体操のボランティア活動をしてくれたときに通訳や案内人などをしたり、英語を教わったりした。このころはボランティア活動や仮設住宅や警戒区域と海外の人達や作家の人達との橋渡し案内人などをしたりしていた。

2012年 4月 
小説家の矢作俊彦さんや作家の中島麻美さん(岡映里さん)達の案内人を何度かする。
畠山理仁さんが撮影してくれた。 高橋源一郎さんのご案内も。

2011年の夏、三か月間、ハワイ州マウイ(島)郡にてホームステイして数えきれないほど多くのレクリエーションに参加させてもらったころ。写真はたまたまクラブ遊びをした夜だが、ほぼ昼間のイベント参加である。マウイで写真は沢山撮影した。多くの友達と出会い、多くのマウイの人達に歓迎して頂いた。2011年6月ごろに避難先で送ったファックスにより、福島の人達をホームステイ受け入れするアロハ・イニシアチブ・プロジェクトに当選した。マウイ・ハワイの皆様にお世話になりました。こころよりありがとうございます。

2011年3月 大熊町役場からの依頼で町の移動教室100名の子らと大人たち。2週間ほど教えた。英語講師として。奥会津、檜枝岐村にて。テレビ取材などもあった。檜枝岐村の皆さまにお世話になりました。こころよりありがとうございます。

2011年3月 福島県内の避難先 体育館にて
田村市の皆様にお世話になりました。
こころよりありがとうございます。

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