和文日記2019

※まとめて見ていると、非常に多数の共感コメントを頂いたんだと分かった。こころよりありがとうございます。


20191229
くよーなーら。まるまーさん。

(「おはよう、こんにちは、こんばんは」「すごく美味しい」やいま言葉、やいまむに、すまむに)。「いっぺーまーさん」だったら「とても美味しい」うちなーぐち、となる。

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写真は、お肉屋さんのトンカツ定食(松)@「みふみ屋」。いわき市平田町(たいら、たまち)。さっくり、じゅわっと、やわらかいトンカツだった。また行きたい。1トン勝つ。すばらしい名前。

昨日けんすい器具を買って車で運んだ。妻曰く「ぶら下がり健康器」。わかる。うちの縁側にも昔あったものだった。この辺りには若松みたいに大公園がない。これで懸垂しまくれる。

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沖縄と福島は、ご縁がある。遺伝子、念仏踊り、そして貧困とアメリカ、さらに個人的にはチョンダラーの歴史。戦後の「オフリミッツエリア」(立入禁止区域)もそうだろう。漆もだ。たぶん枚挙にいとまがない。

会津でぼくらが暮らしていた家にもいつか誰かが暮らすようになる。「明日の夜はいづこの誰か眺むらん なれしお城に残す月影」八重を思い出した。新島八重さんは大熊町を悲しんでくれただろう。

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くとぅば、じんじけえ。

(「言葉を使うことは銭を使うことと同じぐらい重要だ」うちなーぐち)。

肥後もっこす、津軽じょっぱり、土佐いごっそう。まるで戦隊ヒーローだ。言葉は面白い。土地の息吹が聞こえてくる。

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今日は「くれる」という言葉を「自分→相手」という順でぼくは使うのだが、それが伊豆方言にもあると知れて嬉しかった。伊豆は自分の文化的ルーツの1つだ。

ばー(「私」すまむに)は非政治的に暮らしたいと思っているのだが、政治はそうさせてくれないかもしれない。しゃああんめ(仕方ないだろう)。なんとか穏当に社会づくりをしていくべ(いこう)。

「義理至微、義理至微(ぎりしび、ぎりしび)」って、よく怒られる自分で、まあその、「褌(ふんどし)欠いても義理欠くな」と言われていて、たまに耳がもげる(とれる)ほどだ。

そのぐらい社会のことに無関心な自分で、ぎっちら(「沢山」相馬弁)とはいかないが、たまに考えていこうかな。ふんどし締めてなくても良いから少しぐらい地域に参加しておけよとも聞こえる。

いい刺激になって勉強も、はかいく(「捗る」相馬弁)べ。まあ激しい人も温和の人も、福島に、来(こ)らんしょ(「来てください」丁寧な会津弁)。



20191223
ネット社会からSNS社会になって大きく分かったのは、普段文章を書かない大勢の人々の思考の一部である。

20191221
すっかり会津は

冬の空気感が情緒を溢れさせる。つい昨日までの暮らしを思い出させていた。特に食べ物のことは覚えているものだ。磐梯山のほうはまだ奥のほうに雪が少しある程度であったが、いつも天気予報では会津のほうが数度は寒い。

一昨日、ぼくらは会津若松にある福島県立博物館へ赤坂憲雄館長講座を受けに行った。本の森の仲間たちや民俗研究会の滝沢会長も来られていてお会いできた。内容は司馬遼太郎の東北であり、伊達政宗は漫画を読んだのを思い出した。

そのまま帰るにはできなくもないが大変なので、東山温泉に泊まって温泉や渓谷を堪能した。ヒバ、ヒノキが香る。会津の盆踊りでは定番の民謡「会津磐梯山」に出てくる小原庄助さん、彼の風呂が見れるとは民俗学的にも嬉しい。庄助さんが遊び人というのはあれなのだ。彼は郷頭だった。

赤坂さんの講演を聴き始めたのは2014年の春からだから、6年間ということになる。大学+院ぐらい。感慨深い。その後は福島県立博物館の相馬藩と関る密教、道教、妙見などの展示を見た。もっと学びたい。

ミニ展示は只見に関していて、自分がずっと見たかったのを用意してくれたのかと思ったぐらいだった。晩は「いさみ」で辛子野菜ラーメンを食べて、翌日は「ワンズホーム」でピザにした。どちらも好物である。

結局は帰りに仮眠。2019年末。まずは無事に終えられるだけで丸儲けである。人様世間様のおかげで今年も素晴らしい一年となることができた。御礼申し上げる。世界中の人々の平和と平穏を祈り。



20191218
たまたま海外ニュース見てた。「日頃から互いに傷つけあう映像を見すぎているせいで子どもまでもが酷い憎しみを日常にするようになっていたことに戸惑う大人」という話だった。やはり「どちらにも正義がある感覚だ」ということで「互いに憎しみばかりぶつけ合う」のはよくない。ちゃんと言葉で平和的に話さないと。子どもも大人も、人々は、そういう風景を目にしていて、イメージが形成されていく。fb未投稿。

20191213
日記が1000日分50冊を超えた記念。日記らしい日記は2011年から書いていてまばらだったが2017年から毎日書き続け最近1000回を超えていることに気づいた。ほとんどを会津で書いたので季節的に雪化粧の会津城を記念の1枚にした。英語や多言語ではまだプリントアウトで十分だ。この1年ほどは日記だけでなくカテゴリー別の帳面なども何冊か並行的に活躍している。実際に手書きするというのは本当に良いものだ。アナログが逆説的に便利であり、調子が良いときは綺麗に書くがぶれているときは文字もぶれて自分に跳ね返り内省が促される。そういうことが沢山あらゆる点で優れまた感慨深いものもある。続く



20191207
うつくしき小川郷。

朝ウッドデッキに正座して会津漆器(ノダテマグ)に抹茶を飲み、あんこ玉を食べる。曇りでも充実の明るさ。小鳥囀る静かな所30分ぐらい沈思黙考。気温5度。たいへん寒かったが素晴らしい時を過ごした。前に何かで知っていたが、走っているとそれが足のこりに効くことを実感する。



いわきはプチバブルだと前にネットの記事で書かれていたのを思い出す。どこに行っても人だらけ自動車だらけである。日中の渋滞だけなら会津若松市が一位のはずだった。

明らかにいわき市のほうが混雑と渋滞を感じる。いわき市の中心である平地区に対する郊外的な役割だろう住宅街である小川町も2軒のコンビニが大人気だ。

全国的にこの状態は珍しいらしい。確かにそうだろう。全国から廃炉や除染で人々がどっとやってくる。数年前までは避難者も大勢いた。今は帰還者や新住民が多いだろうが、今のところ住民票を移さない新自主避難者になった人達も相当数で居るだろう。



最近のニュースではベルギーのLaurent Simons君は9才で大学卒業して人工臓器などの開発者になりたいとあった。前にテネシー州ノックスヴィルのBirke Baehr君は11才で食料システムを学習して農家になりたいというのを思い出す。未来それぞれ。



いわき市鹿島町のほうへ南進していた数日だった。ぼくらのいる北部の里山エリアでは大型商業施設というものが皆無であるため、家具店などへ行ったり生活用品をたくさん買いに行って、特にカーテンは窓のサイズと数だけある。アジア雑貨店は7年半年ぶりに行った。

日々のハーフマラソンについては気温4度未満になっていくと厳しい。走っているのに足や腹部そして肩が機能停止するのではないかと恐ろしくなる。これから調子を感じていってもし無理なら無理しない。fbフレンドから頂いた長野県すまいる農園のりんご美味い。

2019年がそろそろ終わりに近づいている。今年は皆様にとってどんな年だっただろう。あまりにあっという間に終わっていくのだが、ぼくらとしてはご存知の通り「大変革の年」と位置付けられる。



今日は妻と少し前の音楽の歌を聞いた。BO GUMBOSとか忌野清志郎やBOØWY、玉置浩二、レベッカ、チェッカーズなど。時々たまらない。そう言えばThe Smithsをよく聴いていたのはふくしま本の森が開所する時だった。

走りながら森の植生を眺めるのも楽しい。熊笹とか松とかケヤキ、ススキなど。やっと時間がとれている。焦らず引越しで揺れている暮らしを復帰させていこう。SNSやニュース見つつ。



20191129
冷えても晴れの日。朝0度だったかもしれないが日中は6度ぐらいだった。

昼間は葉牡丹(または花キャベツ(f1))とゴールドクレスト(糸杉)を植えた。そして、ガーデンストーンをレンガ囲いの中に敷き詰めてサンダルの砂落としに使って、あと飛び石にレンガを置いた。

ゴールドクレストの花言葉は『不変』『まっすぐに生きる』だそうだ。葉牡丹のほうは、『祝福』『利益』『慈愛』『愛を包む』『物事に動じない』だそうだ。

今回のガーデニングは洗濯や家庭菜園に役立つ用ということを考えた。走りは低山へ往復で5kmほぼダッシュ4kg背負い。炊事、掃除、洗濯、洗車、布団干し、そして運動と学習と表現と。

一日は始まったと同時に終わる気がする。さいきん妻は出かけているので帰ってきたときのために料理の練習をしている。今夜は麻婆豆腐を作った。柿が美味い。



イエスはアラム語を話していたと思われる。

サンスクリット語の本によると、サンスクリット語を表すために、前5世紀ごろにカローシュティ文字が使われていて、前3世紀ごろにはブラーフミー文字も使われている。

そのブラーフミー文字はフェニキア文字が起源だという。あり得るのだろう。カローシュティ文字のほうがそして、アラム語の影響で作られたものだそうだ。

結局のところ、フェニキアから、アラム、ヘブライ、ギリシア、アラビア、ラテン、キリルであり、ブラーフミーやカローシュティも含まれるのだが、特にカローシュティはアラムから。

今は10世紀ぐらいからサンスクリット語を表すのにデーヴァ・ナーガリー文字が使われている。ヒンディー語を表すのにも使われている。ヒンディーとサンスクリットは親和性高いだろう。



福島が「理解されてない」と人は思うけれど、「理解されてない」どころか「存外にも理解されている」または「誤解だらけ」であり、何かネガティブしたからってそれは1円規模なのだから1億円ではないのであって、「いきなり変わるわけでもない」。つまり「なんか大変だよね(お疲れ様だ、まあ何とかかんとか)」っていうのが共有されることが大事だという結論に至った。

それから、対立や分断の真っただ中で押し合い圧し合いをするよりも、どうしたらそれらが少しずつ解消されていって、大きな方向性として一致して、乗り越えて行けるのかを考えねばならないのだが、それは既にしてきているのではないだろうか。やはり自分の中で無理なく過ごしたり解決していったり作品を遺していったりすることが大切なのだろう。




20191128
うれしい。第266代ローマ教皇フランシスコは今回「必ず復興する」と言った。前に福島県立博物館で展示されたぼくの文章と意味的に似ているからだ。どこかで聞いたことがあると思っていた。

開発好明さんの「政治家の家」という作品のなかに展示されたもので、動画で7分ぐらいから文章が読める。展示は今年の梅雨から2020年まであるようだ。

そこで最後、「わたしたちは必ず回復する」とぼくは書いている。ローマ教皇は「必ず復興する」と言ったそうなのだから、すごく意味合いが似ていると自分は思った。

https://m.youtube.com/watch?v=0RijfJlXHms&feature=youtu.be&fbclid=IwAR345rPNMT0wjDISQcHNC22EDb09sMZ490VE1Wu9kIAd8ovBrpeD3SC8VmU

世間では時に「真実を伝えて欲しい」と聞こえるが、真実というのは自分が希望するような内容だとは限らない。人はそれぞれに真実を探しているのであって、あくまで真実は神のみぞ知るなのである。

しかも事実なら指摘して平和になるかと言えば、全くそうでもない。事実には主観的事実と客観的事実というものがある。主観的なものはその人の思う事実。客観的事実というのは大勢がそう思う事実。

どちらも真実でないことは明確だ。だからこそ民主主義に求められるのは傲慢ではなく謙虚なのである。大勢で決めれば正しいというものではないし少数で迫害されていれば真実を述べているかと言えば全くそんなことはない。

だから聞かねばならない。民主主義は聞くことを求める。聞くことを人類ができなければ民主主義は機能しない。むろん民主主義は声を挙げることも必要とするのだが、それを傲慢に振り回すだけならそれは民主主義ではなく、争いになる。だから対話とは何か。聞いて、その上での応答を繰り返していくことだろう。

「理解されない苦しみ」というのを人は抱えているものだが、本当はかなり理解されていることも多々あるということをどのぐらい思いやってみたことがあるだろう。せめて内心、本気で誰かとぶつかって会話してみたらどうか。疑いあるところに信じることを。



今日はぼうっとして買い物帰り5km走った。寒いかと思ったがけっこう行けた。いま4度だが夕方4時ごろはもう少しあったかもしれない。初めて行った平窪の仮店舗状態になっているマルトというスーパーで友人のA君に声をかけられた。茨城から来てちょうどここでこのタイミングで。やっぱり運命なんだ。ぼくは最近だが、彼はずっと前から復興の仕事に携わっている。

** 以下すこしサンスクリット打ち込み練習 **

一昨日は

テレビで法華経のサダーパリブータ菩薩という人達の凄さを知って(簡単に言えば慎み深い思いやりが凄まじいひとたちのこと)、仏の教えすばらしいと思った。常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ、梵: Sadāparibhūta)のこと。

いきおいサンスクリット語の教科書を打ち込んでみる練習をした。素早くできるものでないがラテン文字に補助記号をつけることができるようになった記念で投稿しておこう。

3500年ぐらいの歴史がある言語それがサンスクリットである(ヒンディー語にそっくりなのは同じ系統だからだ)。釈迦が生まれる1000年前からサンスクリットはある。

個人的には日本に伝わっている梵字を学んでいるしヒンディー語つまりデーバナーガリー文字のほうも練習しているのでラテン文字の補助記号バージョンでの表記は好かないのだが、教科書がそうなってるからそれもいくことにした。

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「サンスクリット(Sanskrit)とは、サンスクリタ(saṃskṛta)といい、「完成された言語」「純正な言語」を意味し、プラークリット(Prākrit, 言語 prākṛta)とよばれる俗語に対する雅語である。サンスクリットは西暦紀元前およそ1500年ごろから今日に至るまで、標準的文章語としてインドの哲学・宗教・文学などの膨大な文献をかきあらわす役割を果たしてきた。その意味でサンスクリットは、インド文化の重要な担い手であるといってよいであろう。サンスクリットは中国や日本の仏教学徒によって梵語とよびならされてきたのは、この言語が古代インドで造物主と仰がれたブラフマン(Brahman, 梵天)によって造られたという伝承によると考えられている。」

「インドは多くの言語をもつ国として知られているが、このうちアーリヤ系の言語はインド・アーリヤ語(Indo-Aryan)とよばれ、一般に古代・中期・近代の三期に分けられる。サンスクリットという名称は、広義にはこのうちの古代インド・アーリヤ語全体を指し、教義には古代インド・アーリヤ語のうちの新しい層である古典サンスクリットを意味している。これから本庶で学習しようとするサンスクリットは、正確にはこの古典サンスクリット(Classical Sanskrit)であり、本書でサンスクリットという場合、特別に指示のない限り古典サンスクリットの意味である。」(新サンスクリットの基礎より)

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** 打ち込み練習ここまで **

* つづき *

水谷ディレクターのNHK番組を覚えているだろうか。浪江町の人達から多数の反発を受けた番組(たぶん「被曝の森」かな?)の製作者だ。彼の善意が結果的に地域の人達の帰還を考えている真剣な気持ちを踏みにじったということである。

それはむろん、地域の人達の、つまり直接の、そこにいる当事者をないがしろにしすぎて作られた、しかも地域の人達が最もセンシティブに嫌がっていることが明らかなことの放送であった。外部からやってきてガツンと巨大な影響力を持つ番組を振り下ろしてしまった。

たぶん水谷さんもあの番組に出てる人もぼくは年が近いかもしれない。水谷さんは浪江町「出身」だが、今は違う場所の有権者なのである。ひとり、居酒屋で話してない人をぼくは知ってるかもしれない。そして、大熊も出てくる。

もしぼくが福島から出て行って、よその土地の有権者に成ったら、そのとき福島の運営を、地域の人達中心に任せるだろう。国政的なことであれば、それは恐れながら言うだろうが、基本的に言わないと思う。

となりの市民がとなりの市についてどれだけもの言えるか?となりの家がとなりの家の運営にどれだけものが言えるか?他人が他人の人生にどれだけものが言えるかを例として考えても良いぐらいだ。この系統の話のつづきがあれば楽しみだが。

けっきょく目的は何なのか?

まず人の復興だから、はっきり言えるのは、目的は福島に汚染があると言うことではないのである(どうしても言いたいなら、いま自分が暮らすその場所に汚染はあるので、それを自分の名前で言うべきである)。目的は、社会とともに、地域が、人が、生命が、環境が、復興していくことだ。

ただしもどかしいながらも、一つ一つのことに決着がついてきたら、そのトピックから卒業していくことも自分としては大切だと思っている。なぜなら人生は楽しいとき短くて辛いとき長いから。むろん怨恨パーティを止めないのだが、できるだけ覚えておけるよう、幸せな茶のひとときを、オススメしたい。

ゆえ、ある福島的「紛争」を解決するには、時々、もう個々人の真実または主観的事実などをぶつけ合っていくことを終わらせること又は放置することでしか終われない場合がある。むろん福島的「問題」のほうを解決するには対話またはある空間に柔らかく響き合うといったことがあり得るだろう。



人間なにが幸せかは面白い問題である。ネットによれば、ある野生的な雰囲気のホリスティック教育者は肛門に太陽光を浴びることが効果的な日光浴だと考えて実践したところまたたく間に(面白がられたんだろうが)広がっていったという。別に肛門じゃなくてもとは思うので違う事例にしよう。

人は日向ぼっこが大好きだし、言い換えれば、わずかな放射線でも浴びたい人達がこんなに居るのである。温泉などのホームページにはホルミシス効果のことも出ている。どれも決して否定しきれるものでもなかろう。どんな状態か、どんな環境かということも重要かもしれないが、その議論によって不幸になっても意味がない。それよりも、どんな境遇でも幸せな感情のときが多いことを人は幸せだと思うのである。

それをヴィクトール・フランクルの本「夜と霧」では態度価値というらしく、ずっと気になっていた。風前の灯つまり命の極限の状況でも人は例えばわずかな食物を与えることにより、それを持ち食べることよりも幸せを得られていたというのである。その本が届いて、疲れているときに開いたら、読むのが無理だと思った。しかし元気なときに開いたら、少しずつなら読めるかもしれないと思った。

この小さな道端の花は、小川町にて。



20191127
大熊町で働き始めたら、応援してくれるフレンドだけでなく反感を抱える人々が出てきた。きっと、おおむね線量が下がった事実を認めたくないに違いない。まだ高いところあるからダメだとぼくに対して叫びたいのだろう。

チェルノブイリでは禁止されている立ち入り禁止ゾーンで暮らす人々のことをサマショールと呼んでいるが、そこには、わがままな人々という意味合いがあるらしい。つまり、去っていった人々からすればぼくはサマショールなのだ。

しかし禁止されてるところに住んでないんで、わがままなんてしてないんだよね。まあ、去る者を追わず、ご縁がある人には感謝を思って、歩いていきたい。長い人生だから、あのときあんなことあったなって、たまに思い返すことがあるんだが、やっぱり時間の流れはすごくて、遠い関係だと顔も名前もだんだんと思い出せなくなる。

SNSはその点優れているけど、近づきすぎるとこの人のこのこれが気に入らないっていうように、なるんだよなあ。近づきすぎれば誰にだって気に入らない違いなんてのは出てくるものなんだよ。他人から勝手にサマショール扱いされてもその贈り物をぼくは受け取らないので何も思わない。

むろん、自発的に動き回るという意味でのサマショールならまんざらでもないが、ワガママという意味だけのサマショールにはならないようにしたいものだ。



ひとはいろんなことを信じる。科学然り何然り。ある野性的な雰囲気のホリスティック教育者が尻穴に浴びているのが拡がったようだ。

20191126
フレイィ。記念すべき小川郷総鎮守の歴史ある諏訪神社へお詣りしたと同時に小川町マラソン初達成。じつは大熊町のうちの近くにも諏訪神社があり、親しみが感じられて嬉しい。祭神は有名な建御名方神と妃・八坂刀売神。タケミナカタノカミとヤサカトメノカミ。

小川郷の諏訪神社は、今から約700年前、いろいろあって鎌倉幕府から小川入道義綱という領主が疑われてしまったが嫌疑を晴らすことができたため、鎌倉幕府の守護神である諏訪大明神を奉安したことから始まる。極楽寺の和尚慈雲というかたが関わっている。入道とは仏門に入っている意味。



引っ越してから整理と仕事とぶっ通しでやったので今年度分の仕事はもう終わりそうだ。昨日は家の仕事として重機の油圧ショベルのバケットを少し大きいのに交換したり油さしを覚えたりした。あれ使えば少しの被災は自分でも直せそうだ。



毎日1回、自分で策定したコースを走り低山へ向かい頂上で戻り、それを4往復できれば、距離は合計20kmになる。今回は10kmしたから2往復。国土地理院で調べると山は標高150メートルだった。

風景めざましく最高。空気ものすごく最高。都市部で渋滞だった若松郊外とは全く違う山の中で素晴らしいが、そのぶんお手洗いなく夜は怖いので一度に長くは走れない。熊は出ないだろうが。人が少ないのでランナーは目立ちそう。

低山マラソンは勾配がきついので20km行こうとして4往復では会津時代よりだいぶ厳しいものになってしまう。無理のときは3往復で終わっておけば満足できる走破量だろう。まずやってみよう。

道ゆく女性が帽子をとってまでご挨拶してってくれたり落ち葉で遊ぶ子供たちが挨拶してってくれたり、避難者の人達らしきご家族にも道すがら、ぼくからもご挨拶した。よく行くだろうから草野心平記念文学館にも別建てで行ってご挨拶した。



策定したコースはまだ1カ所のみ5kmリピートなので、もうちょっと違うコースを設定したりしたいし、そのためには自転車も必要だが、前のは大きかったので若松で売ってしまった。これからここで毎日走れる。風が厳しいときは無論あるが寒くもない。

歩道がないぐらいのときがあって車が数分置きに狭い道で来るのでちょっと怖い時も相応にある。登下校の子供たちも歩くので時間あるぼくが山から出てるススキを整理しても良いのかもしれない。誰かが道の落ち葉を整理していた痕跡もある。

小川町は梨が有名だし諏訪神社あるし遍照寺あるしで大熊と同じ特徴があることを知って驚く。大熊の諏訪は諏訪頼重と武田信玄の妹の子、修験者ともなった諏訪頼貞が建立したという由来がある。戦国時代なので4~500年前だろう。小川郷の山の勾配のおかげで脚力が鍛えられる。今日は最初にナウシカを読んだ。

しばらく仕事がないので収入は途絶える。帰宅する家が新築みたいでここどこやねん状態だ。が、ひとまずちょっとは普通っぽく暮らせて何より。家族との時間を大事にしたり、勉強や執筆に精を出したり、このまま順調に暮らしていきたいなあ。やること山積。まあ驚かねよ(※動じないの意味)。



20191123
大熊町のイチョウ並木。物事が少しずつ落ち着き始めて居るが、実は自分までもが二重被災していたことを最近になって知った。なんてことだろう。



働きながらの引越は慣れない道で朝夜の運転まみれでとても大変だった。朝の混雑。夜の細い道でのきついライトの光と雨の反射は道路がまったく見えなくなる。事故防止の観点から道路の素材など構造を考え直す時期だ。

いわきで危険運転者をわたしの前で見つけたのでクラクションを鳴らしてやったらそのうち止まった。何度かその軽トラは大事故寸前だったので止まってくれてほっとした。後続車両は数珠になっていた。

大熊での仕事中はトラクターを主に運転しているのだからドライビングまみれというか、ちょいちょい恐ろしいラッパ回しばっかりで、さいきん妻が気づいたのだが、手のひらにハンドルの跡がついた。こんなことは初めてだ。引っ越しで指紋がなくなるかというぐらい段ボール開けが痛かったなんてこともあった。手袋大事。



新しい家は以前より新しいが少し狭くてぼくの部屋は2畳減ったがリビングがどんと広くなった。たいへんのどかな小川町であるが河川氾濫などの可能性に備え本の置き方に制限を設けなければならない。大熊町があるから何とかなる。

その大熊町のぼくの農地の広大な面積が実は台風19号の影響で被災していたことをつい最近になって知った。河川が氾濫していて農地がごっそり大量の土砂まみれになって木や石もまみれていた。川は龍。水神だというのも頷ける。

おそらく、大規模な河川の治水や工事をしなければ、ぼくらの広大な農地は、異常気象による天候極端化のせいで、もはや再起不能なのかもしれない。とりあえず区域内だから直してくれることにはなったがいつなのか分からない。いずれにせよ堤防なり治水なりしないと毎回工事になってしまって大変だ。

※県内全般で国が代行工事していたようだ。https://www.minpo.jp/news/detail/2019112370009?fbclid=IwAR1qemu5I_j6Jv_3VMtxRWyATEQC65mZGLTX4ospp-k-vjEXghisCShwLpo

第一次災害である原子力災害の場所が立ち直ろうとしているときに第二次災害である異常気象の極端化による水害で再び重症を負うことになろうとは思いもよらなかった。まあ、全滅ではない。風土記から言えば、まさに苦麻であろう。

こういう被災農地が少しあるため工事完了までぼく側の事業が減ってそのぶん給与が下がる。水害被災物が積みあがり、自衛隊の車両が行き交う小川町という被災地で、同じ災害によって、しかし違う場所やはり大熊町の二重被災者になった(複雑怪奇な一行)。



旧役場前のイチョウ並木通りがきれい。この向こうは西であり、日隠山があり、会津がある。今度は会津のほうを見てぼくらは暮らす。たいへん静かな小川町の里山である阿武隈高原や猪苗代湖を眺めて暮らすとも言える。あれ以来、大熊で海方面は行けないから。

しばらく先に成りそうだ。いわき市の小川町でゆっくり地域を巡るということは。楽しみにとっておこう。棚を作らねばならない。さいきんマラソンできてないが語学や読書は少数ながら続けている。今ならたまたま乃木希典。

そんなこんなで、なんとか元気でやってます。皆さんはどうですか。日英



20191110
7年間か。奴田山の月狩りは最後だろう(ぬたやま)。妻と二人で見た。会津でまだ4年ぐらい少なくとも暮らす予定で広げ続けた家庭菜園を終わらせるのはせつなかった。じっくり育てた土を少しだけ持っていく。

2019年は毎日のことに、マラソン、筋トレ、みそ汁を追加して継続してきた。今年はさらに、引越しを機会にチャレンジ増加して飛翔したい。相応にSNSをオフグリッドしてプライベートや学問をさらに充実加速させていくことにした。なんのことはない。新しい庭で日向ぼっこしたい。



20191108
いざとなったらどうするだろうか。今年は台風が大きくは2度も日本を襲った。そこでは、すでに被災した人達が今回も被災したという意味で、「二重被災」という言葉がニュースにおいて使われている。

それほど3・11は長く続いている被災だということでもある。その言葉を、見るようになった。何気ない忙しい日々を過ごしながらその言葉を横目で見るようになった。その言葉の使われている人達の横顔を見ながら過ごしている日々に思う。

今回はなんだかとても静かな気がする。準備からせねばならないが、ただぞっとする。思うに、あれ以来に被災している列島の人達への福祉がこのまま低いままということは他の人達もそうなるということなのだ。

今日はがっつり台所を片付けた。段ボール以外あと空っぽになってきた。コンビニで珈琲を買って、何気なく食べるところに座ったら8%だとか10%だとか書いてある。例の脱〇記事のあれか。とりま車で飲んだ。

cat walkというのが面白い。まえはサムライ猫だった。あれも面白かった。
https://www.facebook.com/tengkufarisfans/videos/396555601005407/UzpfSTEwMDAwMTA0MzM4Mjc2OToyNzQyNzEzNzYyNDQwMDQz/

今からでも走る。

20191107
よかった。今朝6時に起きた。ガレット・ブルトンヌとペルシャ紅茶サハルヒツの優しい香り。みそ汁を作ろう。筋トレ。マラソン。語学。読書。すべて普通の日は貴重だ。

部屋の中が段ボールまみれでまさに避難中を思い出す。いや、今も避難中なのであった。あと2年ぐらい(というその期間が分かったのは最近であり見通しがやっとわずか立つようになってきた)

(と言っても低い線量のエリアとしてはおそらく最後のほうに近い部類であり、解除されてない未除染の重いエリアは当然あって順次検討されていくらしいが計画はまだ立っていない。ぼくはラッキーなほうとなった)。

早く年末の寒そうな仕事を終わらせたい。そろそろラストスパートへ向けた荷造り。どんな道も一歩から。この写真は10月の夕方6時のもの。会津での暮らしが終盤に向かっていることを表現しようと思った。走り抜ける。



20191106
約2週間で長い文章の13本を図解つきで書いた。薄い単行本の半分ぐらいは書いただろう。ということはもう冊子になれる。そろそろいいかな。しかしこれやり終えた後は次いつになるかまた検討つかない。それにしてもこういう文章に時間を取られると考えるか、いや、この件に会ったことで目覚めたと言っておこう。それが良い。前向きが一番である。物理学の一分野だ。今日は5kmだけ走ったがやはり昼間に20km走りたい。むろん4kgを背負いながら。1kgを増やそうと思うのだがけっこう大変でしばらく無理かもしれない。たい焼き食べて美味い。部屋の電気をもともとあったものに付け戻した。

20191105
復興庁へ直接にまた実名で住所まで書いて声を挙げる「住民意向調査」も出さなきゃいけない。そしてこの広報は毎月届く。たまに時限シェアしておきます。ちなみに会津若松市の広報も届きます。市民じゃないので市政への選挙権は無いんですけどね。一部SNSの言う暗すぎるイメージとは全然ちがいますよね。なにも言うなとは思ってません。ただ知ってほしいのです。

2012~3年ごろだったか。町長と町長室で話し込んだのを思い出す。世の中ではむろん批判も受ける立場であるが、ちゃんとわたしの話に耳を傾けて真剣に答えてくれた立派な町長だったと思う。あんな形でなくてもっと温和な場においてお会いしたかった。

 



20191103
早寝できて早起うれし。いつも通りことこと味噌汁つくり。丸洗いできるセラミックの珈琲ミルで珈琲をドリップしてチョコレートつき。ジャパニーズモーニング。日本とはなにか。多民族が、この弓矢のような島島で長い間そうなこと。筋トレが3ヶ月以上続いている(味噌汁と同じ期間だ)。7度か……けっこう冬だけど走ろう。そして荷造り。

NHK福島タイムラプスBS1スペシャルが再放送されたようだ。何度も放送されていてありがたい。皆様お元気ですか。暖かくしてお過ごしください。



20191102
うまい。神明通りを歩いていたら見つけた。会津若松市にあるピッツェリア「ダ・チーロ」にて舌鼓を打つ。店内は地中海的。ヘブライ語で美味しいはタイーム(זה טעים)。



20191031
おどろくべきことに、そもそも野菜はガンマ線とベータ線を出す物体である(カリウム)。事故由来でなく、元から出ている。そういうのは隠して、事故由来だけを言い、最悪の被曝があると言う。実は日本中どこでも野菜なら出ているのでどこに居ても野菜で被曝するのに、まるで事故からしか放射線は出てないかのように言う。だがそれは、一部のことしか言ってなかったんだ。なぜなのか。

隠されていたに等しいと思う。確かに加害者は悪い。だがぼくはこれから一定期間、集中的に学んでいって、知りたいと思ってる。今まで一部では全く言われてこなかったことをね。誰がどう考えたくてどう言ってようとどこだけ誰の言うことだけ見てようと自由だ。でも、恨みつらみルサンチマン嫌だし、どうせ頑固な人には聞こえない。ただぼくは知りたいんだ。

20191030
とつぜん予定なくなったので引越を単に延ばしただけになった。社会は多様。前向きに考える。今日は15キロメートル走って、しかし飴とか小銭とか持ってなくて水だけのマラソンは冷え冷えで危なかった。20でなく5キロ残して妻に迎えに来てもらう。だが楽しかった。

20191029
会津でパソコン用にしている光回線が契約終了した。日常のインフラがなくなると普段いかに人から経済の中で助けられているかを知る。ネットを支える現場の人達にありがとう。経世済民とは誰か一人が与えるものではないのだろう。お互い様の作品循環だ。

エアコン取り外し工事を不動産会社繫がりでその日にお願いしたままにしてしまい最初の予定通り着てくださって荷物多すぎて外せないので後日になった。なんとか進めていく。昨日10km走れた。今日は雨。Auf jeden Regen folgt auch sonnenschein. 雨の後は晴れる。

荷物少なく生きたいのだが学者の井筒さんが中東の天才と比較されて言われたように我々は蝸牛に見えるであろう。恩師が我々の車を見てよくそれに近い反応を示す。むろんここでは本を言っているのではない。遊動だけでもない。抽象比喩をして遊んでいる。物語りは、つまり。ご想像に任せる。

20191028
うつくしすぎる柿。ひと息つけた。自然に感謝だ。うるし椀って良いね。おどろいたほど気に入った。このあいだ専門学芸員の小林めぐみさんから頂いたお導きの言葉でうるしに後光が指した感じ。がんばろうという気になる。



20191027
ぜひ。大熊町へお越しください。学芸員の皆様による事前会議に吉田がアドバイザーとして参加いたしました。なお、日本国の博物館や美術館における学芸員というご職業は公務であって海外における民間のキュレイターとは内容が全く同じではないようです。文化庁支援。ライフミュージアムネットワーク。福島県立博物館内。



アイヌの人々は年配の人々が何を言っているか分からなくなってきたとき、ボケたとは言わない。神用語(しんようご)を使うようになったと言うらしい。ボケたという表現と比較するに、優しさが感じられるように思います。おやすみなさい。

今日はゆっくり旧友と話せて嬉しい。ご結婚だ。あとは荷造りしながら文章を書いたり。すっかり寒くてもうそろそろ冬がくる。世界にメリーメリーな季節……であることを祈ろう。

20191026
今日も電話で一日。引っ越し費用が安い中古車一台分ぐらい。当日のスケジュールが厳しすぎるためさらに予定を延期したら十日後しかなく結局2週間延期となって年末の仕事も同じくずれ込むことになる。より寒くなりそう。

政府は国土強靭化計画というのを何年間かで7兆円らしいが何だか心もとないのはなぜなのだろうと思うに、おそらく、これから温暖化による極端化はさらに高まるだろうと予測されるからだ。

ぼくにできることは細かく地域や避難経路の調査それから道具など集めてさらに予行演習をする。それぐらいでないと多分、地図を見るにだが、次いつその濁流洪水が来てもおかしくない地区であると思われる。地区を出たあと出先が断水で出元のほうが断水してなくても戻れなさそうなんてことも。

大熊のほうは土砂災害レベルだから山のほうあれだが、ぼくは山ではないが川沿いに農地も家もあって……。これもまた10年後どうなっているのか。とはいえ10年先までまず生きることのほうが重要であるって、とんでもない時代である。我々は何と闘うのか。

備えあれば患いなし。「いつでも何度でも」サバイバルせねばならない。とりあえず、引っ越し先で飲もうと思っていたコーヒー豆のミルを使いだすことにしよう。もはや「今この瞬間」が大事である。少しでも楽しんで今を掴もう。

20191025
たまたまか知らないが幾つかの引っ越し業者の大型トラック車が埋まっていて数日延期になった。ネット回線の解約と新規そして撤去や新規そしてエアコンから何から。やたら電話が増える。目が回る一日だが文章は書けた。いわき市では宮川や夏井川が氾濫したとNHK。いわきの新井田川や相馬の宇田川は危ないとのことだった。千葉県も深刻そうだ。この夕方ぐらいからの情報はぼくの日記メモなので古いかもしれない。列島の無事を祈る。台風が過ぎ去って消滅したと先ほどツイッターで特務機関NERVが午後9時半ごろ言っていた。

20191024
木枯らしのなか柿は色づいて、皇室に献上もされる会津名産を待っている。あれこれとともに引っ越しの挨拶周りをしている。近所の年配の人達と言葉少なめに顔をみやった。新しいネット回線の工事はけっこう遅れそうでしばらくパソコンでのネットは無理かもしれず編集作業が止まる。それにしても我々は手続き煩雑である。今日いきなり寒いから少し頭痛がするも、なんとか笑顔で忙しく動いている。

20191023
わたしは改善する。相互でないものもあまり見ないが、精神的に見続けるのが難しいSNS投稿を私には見えないようにもっと設定した。あとはこちらに余裕があって気が向いたとき見る準備ができてからにするよ。迂闊にも無理に長い期間そのままにしていたわたしのミスだった。関わってるわけではないが、彼ら彼女らの際限ない負のエネルギーをもろに食らってしまい、今日の日中はエネルギー持っていかれてブルーにすらなった。それらは彼らのものだ。単にわたしは遠慮するだけなので受け取らないように気を付けなければならない。人生の時間は有限だ。生きてるだけでも大変。いろいろ整理してるこの機会、またひとつけじめをつけ、できるだけ機嫌良く暮らしていきたい。

新吉田プロジェクト発足 川延さん撮影

20191021
今日ぼくら二人は「ふくしま本の森」へ行った。妻はピアノを弾いて絵本を読んだ。ぼくは2~3の床を除いてだいたいの床を水拭きできた。本も借りた。それからSさんとMさんと広瀬小学校で談話して帰宅する。コーヒーとシュークリームは「道の駅あいづ」にて食べた。のどかな会津が素晴らしい。きっと、こころが会津三十三観音巡礼をし続けているのかもしれない。美しすぎる古墳の箸置きが宝もの。

20191018(10月17日お祝いの日)
会津地方から浜通り地方に引っ越し Moving from Aizu to Iwaki.

2019年11月よりいわき市へ引っ越すことにしました。先達よりお祝いを会津若松の料亭と会津東山温泉にてして頂いたそのときの写真「東山温泉」の図です。当方の雑誌にある旧二幣地村の近くです。

2012年7月4日、いわき市の仮設住宅から会津若松市の戸建アパート(みなし仮設住宅)へ引っ越してきて7年以上が経ちました。ここは自分にとって一流の文化国です。「会津三泣き」は本当ですね。

数えきれないほど会津地方の皆様から暖かく接して頂きまして友達もたくさんできました。会津で会津のものを食べ会津の人と話し、会津の文化を学び会津の人情を知り、会津の風景を歩く。今やぼくも会津人だという気持ちがあります。

そんなに自分を育ててくれた愛しい会津を離れるのは辛いのですが、まず誠に、こころから御礼申し上げます。今は道路網や飛行機や情報技術が発達した時代ですから全く昔ほどでないですね。引っ越し先も県内ですからいつも通り福島県民です。

いわきのとある運転手のかたと話していて会津の美味しいお店を教えてあげたらとても喜んでくれました。じっさい会津のグルメは凄いんです。離れてるからこそ第二の故郷のために出来ることがあるのかもしれません。

浜通りは現在10月の台風19号によって被災した地域が広範囲に及んでいます(中通り地方や会津も)。すなわち福島はいわゆる3・11被災地ですがさらに被災したような状況です。皆様からビジネスやご関心等々お引き立てに御礼申し上げます。

引っ越す理由は郷土の大熊町で復旧復興に関する仕事や家事都合などからです。未来について期待と不安が入り混じりながらも生計を立てて暮らしていけるよう明るく前向きな決断だと思っています。

引っ越す場所は、いわき北部の小川町という地域に暮らす予定です。そこは過ごしやすい里山であり文学的にも有名な土地でして前から遊びに来ていました。双葉郡の南に隣接しています。

最後になりますが世界と日本の人々それから知人友人家族そして妻の吉田博子にこころから感謝申し上げ、いつまでも皆様のご清栄をこころよりお祈り申し上げます。

ああぼくらの会津!
ありがとうございました!


20191018
また大雨でまた避難指示が福島県の一部で出ている。大変なことだ。今日はこの情報が役立ちそうだと思ったのでここに書き留めておく。一人暮らしの女性が避難のとき持っていくオススメ道具など。

20191017
「事前避難」をこれからは社会的に常識にしていかねばならない(NHK栃木ドラレコ冠水の映像)。大抵いつも水害のとき「心配だけど仕事行かなきゃ」「仕事みんな来てるよ」とかツイートされまくっているのを見かけてモヤッとするのだが、そのことが「いかに後で大変なことになるか」だ。法的な問題も含めてビジネスマンむろん全集団は考えておかねばならない。宮城県大川小津波裁判がちょうどあって余計に考えさせられる。過労中の教員に何を求められるのか謎でもあるが心情を考えるとこうなるのも頷ける。(大川小裁判に関するNHKニュース ジャパンタイムズのほう)そして風評被害も大変だから現代はいつでも対抗関係になってしまうようなことが複合災害なのだろう。「対抗関係的複合災害」だと言える。

2019/10/17 05:50 日本テレビ 【ZIP!】阿武隈川氾濫の福島県・1700人超が避難所生活 台風19号がもたらした今回の水害で、自宅が大きな被害を受けた方の避難生活が続いている。内閣府がきのう発表したまとめによると、全国13の都県で164か所の避難所が開設、合わせて4252人が避難所での生活を余儀なくされている。もっと多いのは福島県で、全体のおよそ4割にあたる1711人。今朝のZIP!7時のニュースコーナーでは、その福島県を取材。深刻な浸水被害や避難生活の現状などを伝える。(出典

2019年10月16日 21時14分 東京オリンピックのマラソンと競歩について、IOC=国際オリンピック委員会は16日、猛暑の対策として会場を札幌に移すことを検討していると発表しました。(NHK

2019年10月17日 11時51分 天皇陛下の即位に伴い、今月22日に予定されていた祝賀パレード「祝賀御列(しゅくがおんれつ)の儀」について、政府は台風19号の被災地への対応に万全を期すため当面、延期する方向で調整に入りました。政府は、今月22日に、天皇陛下が即位を内外に宣言される「即位礼正殿(そくいれいせいでん)の儀」や祝賀パレードの「祝賀御列の儀」など天皇陛下の即位に伴う式典を実施するため、各府省庁あげた態勢で準備を進めてきました。しかし、台風19号により広い範囲で甚大な被害が発生したことから、政府は、被災地への対応に万全を期すため、一連の式典のうち「祝賀御列の儀」を当面、延期する方向で調整に入りました。一方、「即位礼正殿の儀」や祝宴にあたる「饗宴(きょうえん)の儀」については、予定どおり行うことにしています。政府はインフラの復旧作業や被災者の避難生活は長期化することが想定されるとしていて、今後、被災地の状況も見極めながら「祝賀御列の儀」の日程を改めて決めることにしています。(NHK 即位に伴う祝賀パレード 延期の方向で調整 台風対応で

20191016
段々寒くなってきて日が沈むのが早い。今日は本の山を沢山整理したため眩暈がするほど疲れた。少し休んだら10kmの楽々マラソン(つまり信号が無いコースを荷物ゼロ)を走って終了だ。妻作の天ぷらそばが美味かった。

福島県は今回の災害でまた風評被害が広まってキャンセルが増えているようだ。こないだの千葉もお客が減って大変らしい。とにかく営業してれば大丈夫です。誰が遊んでても不謹慎とかないですから、何の心配もなく楽しんで癒されてってください。

福島民報新聞によれば15日ごろで農業被害は約23億円。会津地方でも頑丈な大型タイプのハウスや球根などが最大瞬間風速34m暴風により全壊被害を受け、ある農家では900万円以上など相応の規模になっている。全容はまだ分かっていない。FNN参照。

10km走ってきた。お店もなにもないこの道では非常に珍しく若い男性の複数人が恐らく酔って歩いていた。うち一人はよく見えないが入れ墨をしていたっぽい。彼らは恐らく普通に歩いてるだけだったと思うが青年男性が複数というだけで珍しいから怖かった。非常によく知ってる道でも夜は怖いと思って走っていたが。どこでもそうだが夜に行動すると見知らぬ酔っ払いが怖いんだよな。

なるべく夜に運転しないことも重要だ。街灯の少ない道路を酔った人達が真ん中を歩いている場合がある。もう自分が3年ぐらい飲んでないから余計そう感じるというのもあるかもしれない。まあどちらかと言えば髪の長い自分も怖がられるほうかもしれない。だが海外の夜はもっとずっと怖い。家は安全で素晴らしい……おやすみ。

20191015
ほぼ日本一ぐらいの面積であるいわき市だが水タンクは売り切れだから会津で水タンクを買いに行ったら市内でもそれだけは売り切れていた。とういことで家に帰りネット注文した。災害のなかで災害が起きて積み重なる。すごいことだ。消費税17%という話も出ている。今日から速乾Tシャツだけでなく上ジャージ着用で10kmを走った。感覚的に冬に近いのかもしれない。もしかしてぼくも自分用に水タンク買っておくべきだな。


避難所に来てみて思ったこと

20191014
ハギビスが去った。台風被害が果樹園の我が家では毎年だったのを思い出す。今日3年ぶりぐらいでわずかパーマをかけてボブにした。しかしヴェルト何号かに書いたから省くが例の動悸がやってきた。なんでも出来るだけナチュラル派が良い自分にはしばらくパーマをお店でかけてもらうのが難しいと分かった。女性スタッフの丁寧な対応のおかげでなんとか中途半端でも脱出できた(結果わずかパーマ)。今は家でホッとしている。そう言えば壊れてる家どうなったか確認できてない。身内は断水。仕方なし。とにかく降りかかる困難を僕は星に変える。今がその時。すべての生きとし生ける者にご加護あれ。

"犬がまん"

20191013夜
今回の件はGoogleブログに自分なりに記録した。台風も水や食料などの備蓄をしなければならない。ペットを守る政策を立案することもきっと重要だろう。同行避難や同伴避難という考えがあり、前者は避難所によるが後者は常に一緒。

田舎の場合「大丈夫そうに見えても事前にどこか避難所やホテルなどへ避難しておくこと」は「人も車も守れて安心につながる」ことを知った。家は移動できないので土のう程度しか守れない(水害対応建築があれば別だが)。

また、NHKでは「日本の避難所はソマリアの難民キャンプ以下」避難所の女性トイレは男性の3倍必要~命を守る「スフィア基準」といった記事が前にあったようだ。たしかに見たことがある。切実だ。スフィア・プロジェクトというのがあるらしい。

建物被害調査のトリセツというのがあるらしい。※いつもここでの話はぼくがすべて裏を取ったわけではないので参考程度に。

いわき市において、大熊町民だけでなく支援されるそうだ。限りあるが水と毛布。それと短期的に仮設住宅(電気、水道、ガス無)。大熊町ホームページ

水のなかを歩くときは杖が必要な話

消毒といっても薬品は全て危険物だと思うぐらいの注意が必要だ。消石灰むろん良いのか悪いのか分からない。いずれも目などの感覚器官にとって危険であることを絶対忘れずに。

ーーー

たび重なる移動で部屋の中を整理しきれないでいるのだが、会津で川の増水を見ながら15kmマラソン帰宅した。

思えば確か若松も昭和中期ぐらいまでは水害の嵐だったのだが後期ぐらいから治水工事をしまくって今の安定した形になったという記述をどこかで読んだ記憶がある。

いわきも夏井川むろん治水工事はしているはずだが、人々のツイートなどを見るに、好間近辺での決壊等々は記憶に新しいものが前にあって今回は二度目の様子である。

しかし被災地福島なだけにこれ以上の被災は気候変動で増加していくなどさらに辛い。平成の311以来もうずっと、人が希望を持てるように、政治が実質的な経済福祉といった面での安定化政策を求められている。



小田橋・湯川。毎年桜がきれいなお城の南を西に見る。この川の横に流されている細い水路からだったか水が溢れていて川に流れ込んでいるのが見える。

弁護士のかたからメッセージ

20191013
こないだは大丈夫だったのだが、今回いわき市の夏井川が氾濫していた。いま自分は会津に居ますが、まったく他人事じゃないです。むろん避難者も暮らしています。いったい何度被災するのだろう。浸水してなくても断水多いらしく、道は通れず、停電もある。閉口する。みなさまごぶじで、、https://togetter.com/li/1416282?fbclid=IwAR3sLj_8GWNLuAmSc8RM4eAAcRuv-kkbVxYTUXrOmbm4x8f6YogsKd9vXZw

罹災証明書の申請方法だとか、、
https://www.buzzfeed.com/jp/kazukiwatanabe/20170707?fbclid=IwAR2QwRqjnfzGt1388Zuq1U0rsCF0t9znkG7BSh2shBHHVTQRLR3rDTaMfP0
(保険のために行動もせねばならないらしい。火災保険に含まれる水災補償の辺りだろう)

水道が復旧したら先に台所や洗面所から流すと空気が抜けて良いとのネット情報あり。トイレは破裂するからダメだとか。※真偽のほどはご自身で確認してください。「水害にあったときの生活再建の手引き」というような情報も回っているようだ。

今回一連の災害状況を見て思うに、二階建ての人達は二階に行けるが行ったとしても、自動車や一階にあるものそして家としてかなりのダメージであり(水に浸かってる時エンジンかけちゃダメだろうし)車はもう難しいだろうということだ(車にも火災保険のようなその水害補償みたいな契約ができるようだ)。

2つ方法が考えられる。
・・・1、かなり早く、浸水しないような安定感のある避難所へ行く。または、親戚などの家やホテルにその晩だけでも泊まると、車も人も物も、運べるだけは安全だ。つまり、土のうも重要だが、川が決壊すると家をもう半分ぐらい諦めるような感覚であると思われる。

・・・2、避難する時間がない場合には、2階に食べ物やコンロや水などを運ぶしかない。つまり1階建ての場合には梯子などで登るしかないだろう。


被災の全体状況

20191012
ネット情報によればここのTwitter速報が良い感じだそうだ(特務機関NERV)。ほかの速報アカウントやニュースとも照らし合わせながら考えておくと良いだろう。

すでに被害を出しながら台風19号ハギビスが通過しようとしている。充電器だけでは長い時間の使用がむずかしい。停電になる前にサラダ油でランプを作る方法を観ておくと良いかもしれない。携帯などの充電もしておく。


こちらも
こちらも(ペットボトルとライトで照明。ツナ缶でランプ)。

多言語での気象庁。Multilingual Information on Disaster Mitigation by (Japan Meteorological Agency)

なるほど。床の上下に浸水しないよう土のうは良さそうだ。しかも自治体が配布しているらしいので自治体名と「土のう」で検索すれば多分でる。会津は出た(「土のうの配布をおこなっています」会津若松市)。しかしどのぐらいの量が準備されているかも分からないので、もし自分で準備しておける場所があるならそれが一番なのだろう。ネットを観るとゴミ袋で「水のう」を作ることも推奨されている。


自衛隊 正しい土のうの作り方1

竜巻が発生した。お悔やみ申し上げます。

竜巻への対策
その1 三井住友海上
その2 首相官邸

いわき市では大きな川もあり、避難勧告かなにかで高齢者などが避難をおすすめされていたと思う。

水害で気を付けたいのは、水がかぶると脱げやすい長靴よりも紐でしばれる靴であり、マンホールや水路に落ちないよう杖や傘であり、防水リュックであり、ホッカイロであり、しまいにはライフジャケットも事前にあると良いようだ。どれもネットなどでそんなに高くないのが売ってはいる。

気象庁のサイト20191012閲覧より

しかし、このような情報をじっと見続けていると精神的に辛くなるので、意識的に離れて休んだり、癒されることも大切である。

ナショナル・ジオグラフィック

17:20
ぼくらの居る会津若松市のとある地域でも警戒レベル4の避難勧告になってしまった(16:15)。近くの避難所に避難しようか検討だけはしている。貴重品の確認。

18:00
六時ごろから上陸するようだ。風速50メートル以上はかなり危険なようだ。ひとびとの無事を祈る。

Yahoo!ニュース「10月12日18時22分ごろ、千葉県で震度4を観測する地震がありました。この地震による津波の心配はありません。」

20191011
いろいろなことが時おり「炎上」していく。炎上とは多数のユーザーの感情が特定の事象について複雑に絡み合い、ときに憎悪の竜巻のように突発的多数の意見がまとわりつくことであり、結果的に特定の人々や物事を貶めていき、タブー化することである。むろん炎上から人々は多くの重要なことを学ぶこともできることは特筆すべきだろう。そしてしかし、その後はそこに多くの人が近寄らなくなるという裏面の効果にも注目する必要がある。すなわち毎晩だれか他人を叩くだけの激しい雑言が繰り返されていく場所に期待できないと思う人々は飽きているのである。そういうとき、どうしたら良いのか。ネットを閉じて眠るか、地道な活動と思われるところに着目することだろう、もし何かを観るならばだが。炎上よ、さらば。

もしかしたら正義感が強すぎると穏健な意見を聞き入れようとしなくなるかもしれない(それが劣等感などの反動からくる場合事態はもっと深刻かもしれない)。これが炎上を引き起こすメカニズムの一つであり、かなり昔から繰り返されている。どういうことか。すなわち、わずかでも穏当な話をしようとすると「裏切者か」というような色メガネで観られ、無視や試されたりといったいじめにあう、つまり猜疑心のかたまりに人々が成ることである。これは人がその自らを保身しようとする感覚から来るだろう。一見して激しければ激しいほどその正しさに人が飛びつくようになる。ゆえ、それを変えることが出来るのも、自分自身である。なぜなら内面の問題だからだ。集団的な試験行為があるよう見えてその実、われわれは試されている。人は人を信じることができるかどうかを。

気圧、気温、湿度といった気象に関係して体調不良が起きることを気象病というらしい。ウェザー・ペインとかmeteoropathy. 皆様お大事に。ぼくは何ともないけど、爽快でもない。風呂に入る。※史的最大かもしれない台風19号「ハギビス」が接近中。

20191010
いつもの山に近寄れば実は糸杉を含む。この糸杉の下で工事作業者などいろんな人達がテーブルを置いたりして休む。ぼくは横を通り過ぎていくだけだが話しかけられることもある。いつものことだからなのか、「がんばって!」などと挨拶してくれたりする。今日は約2週間ぶりにきっちり屋外を15kmだが走れて爽快。いろいろと忙しくてもたいてい最高のパフォーマンスになれないものだろうか。トム・クルーズは言う、「I’m passionate about learning. I’m passionate about life.(僕は学ぶことに情熱的だ、そして生きることに情熱的だ)」。おお、そうしよう。On fait comme ça, comme d'hab.
 

20191009
若松にて息をのむ美しい秋の夜長ランニングたまらない。今日は昼間妻と買い物をしたり。新聞一面にニュースがあり、自分にとっては大なる話だ。まるでぼくのためにあるんじゃないかというぐらい助かる。駅までの一部地域が居住制限と同じような扱いになるというそれだけのことなのだが。

要は昼間の立ち入りがしやすくなるということで、あまりに多数のバリケードがおそらく撤去される。これは助かる。いちいちトラクターのキャビンから降りて片膝を消費して重いゲートをがらがらと開閉する時間が節約できる。春までには完了だろう。

しかし自由に立ち入りできるといろんな人が入れる。(その規制緩和ニュースこちら https://minpo.jp/news/moredetail/2019100968330 大熊の復興拠点・野上、下野上の一部 立ち入り規制緩和方針 町が国への要請案示す 福島民報新聞一面 2019/10/09)

でも、もうノイローゼみたいな線量計を鳴らして無理に吊るし上げなくても良い。「なかったことにしてもいいよ」と思う。ネガティブばっかりは疲れてしまうよね。生きていけなくなってしまうよ。

もう実質的には「(解除にともなう即座の)帰る帰らない葛藤タイムではない」から。出た人達はそこを大事な地元として働いているのだし、故郷は故郷で大事に思ってくれてると思う。

同じ立場にできるだけなって考えられない人達が好き放題に勝手なことをネットでしくさっていることをぼくも好ましいとは思ってない。それこそ被災地を踏みにじっている。逃げ場がないぼくらには刺激が強すぎる場合があるんだ。

けれどもそういう人達の中には本気で心配してくれてる人達もいる。やたら敵視して余計に関係を悪くしてきた歴史は変えなきゃいけない。お互いに政治的な争いに持ち込んではならない。見た目としてバッドイメージを固定化してはいけない。いつか消えるのは地域とか地図とかじゃない。放射能やブームのほうなんだから。周りがどうであっても、人類はこの土地に存在し続ける。

ある国の統治者はこう言った、「分割して統治せよ」。あたかもそれに人々は大変苦しめられている。だがしかし、それは誰か目の前に見えない人達が仕組んだ罠という陰謀論の話だけなのか?違う。

分断は自分の中にあるかもしれない。

福島民報新聞その記事より
20191008
https://www.facebook.com/kireininarouyo/videos/1316280461866959/UzpfSTEwMDAwMTA0MzM4Mjc2OToyNjc3MDI5NDI1Njc1MTQ0/

20191008
今日は福島県立博物館内ライフミュージアムネットワーク事務局での新プロジェクトのためアドバイザー的に学芸員の皆様の会議に参加した。筑波さんむろん個人的にすっかり友人というか戦友と思ってるぐらいにありがたい関係性。

あれ以来、とにかく、がんばってきた。皆様今日も哲学的だった。彼女ら彼らが居なければ福島文化は今ほどしっかりした形になれてなかったと思う。そばで見てきたから分かる。これからも先達や学友の皆様から学び続けたい。皆の笑顔に癒される。

何の気なくためしに「モニタリングポストがない博物館の背面」を撮影してみた。うん、全然ちがうよな。なければないで確かに過ごしやすいように思う(写真に入れてないとなりに設置あり)。むろん博物館は博物すると思うが今ただ実験で震災前を思った。前後はどこか合体できるのではないか。

今夜はカボチャコロッケで蕎麦たべた。さて、これにて運動と勉強しまくれる修行期間に入るぞと。そう言えば今日たまたま見たのだがドアーズのジム・モリソンは「友人とは総合的に自由をあたえてくれる人だ」(A friend is someone who gives you total freedom to be yourself.)と言ったとか。


20191007
雨の中、モーターウェイを帰宅した。

ぼくの家は会津と大熊にある。会津は仮設住宅と認定された普通の戸建てアパートである。いわきには親の家がある。大熊には自宅があり、ずっとそこで8年間と半年間、住所は変わってない。つまり三ヶ所ある。

ぼくらは「避難先」といって、いわば大学生のように住所は田舎だけど「居所」がそこにあるような扱いの二個目の場所がある。大熊町に暮らせるのは今は大川原地区だけであり、他の地区はまだ昼間に行けるだけで電気もガスも水道もないしバリケードは重いし手間な状態である。

が、放射線量については小さな地域で完全でもないが、自分の家の場合は県内に多々あるぐらいのものに社会通念上として急激に下がった事実も相応に認められていて、そのうち解除される予定の特定復興再生拠点区域というエリアに認定されている。

しかし他方、ほかの地域の避難者たちは線量が高すぎて明らかに多年で使用できない状態の場合に政府はどうするかも、これからの政策的課題である。新聞ではすでに問題提起されている。解除されたら課題がないわけでもない。そもそも解体や除染からして順番待ちなどの状況もある。

つまりこれからは他にもいろいろあるが大雑把には、「残っている『最後の帰還困難区域』への責任」と「中間貯蔵施設地域のその後への責任」それから「トリチウム処理水の扱いによる福島など全体への責任」と「燃料デブリの除去責任」そして「実害と風評被害への責任」それから「風化防止」「不安への責任」などがメインである。(※今ここで他の主体のことは触れてません)

細かく言えば先はとてつもなく長い。これが原子力災害の現実なのだ。普通の人生では背負わなくて良いものを背負うことになる。とにかく流行り廃り関係なく、べらぼうに長い。人々の細かい個人的な言論をぼく個人は気にしないようにしているが、できれば政治的な争いに我がふるさとを巻き込んでほしくない。

福島に関心が高く、関わり続けてくれて、さらには、現実具体的に、仕事を手伝ったり課題を解決してくれたりする政権や政治家そして国会や司法それから世界中一般の皆様のご活動等々を希望している。

しかし他人の言葉に振り回されない。ニュースに感情を酷く煩わせられない。ぼくは自分自身が揺るぎないニュースであり、自分自身が走り抜ける。人生のトップランナーはいつでも自分だからだ。当然これを読んでくれてるみんなも同じだよね。

帰りがけ見たかった「遥かなる大地へ」を落ち着いたら観たい。


20191006
くもり涼しい。秋の香り金木犀が咲き終わり。大熊自室の片付け一段落。いわきで信州そばを茹でてコロッケを添えて食べた。さて知的判事たちと話そうかな。


20191005
もと梨畑での仕事その2

百姓は仕事が次から次で慣れる前に終わる。後半数本の巨大雑木も大排水路の直近で切りづらい場所にあるが父はチェーンソーで受け口と追い口的にして切った。両手の平を縦に二人分の長さ以上と同じぐらいの太さ。自分は見ていたり木を支えたりテコをした。あとは二人でばらして片付けるが重い。

一瞬、ユンボがバキッと凄い音を出して木を折ったとき自分はそばにいて支えていたので吹っ飛ばされて逝かなくて良かった。ゴリラたくさん居るぐらい力あるね、維持費かかる近代の重機ってのは。非常に危険度の高い仕事なだけある(杉の防風林なら震災前は二人でやったが今回のほうが大変だった、悪魔は細部に潜むとはドイツ語の諺)。30年以上ぼくらを見守ってきた木に触れていたから幸いが訪れた。

暑いなか何とか終わり。くたくたの直前で最後すこし残して終えた。無理禁物。のこぎりはサムライという名前だった。山師とか木伐(こ)りの物にサムライ……(形状や品質からか、開拓精神か)。(2度とやりたくない百姓仕事は結構あった気がするが)いつも何度でも運が良いぼくらは帰り大川魚店で買い物す。今日の仕事は大漁だ。海の幸うまい。


20191004
今日はいわきの家で全室の床、壁、手すり、サッシ、窓裏表、戸、階段、お手洗いと、全て水拭きした。2度目のもある。これでまずまずを越えて満足だ。たくましさを維持するためにも掃除を好む。清潔さは信心に次ぐ美徳だそうだ。潔癖ではないが、まず兎を捕まえねば宋の守株である。ときおり小雨いつもより寒かったが波のような汗をかいた。写真は7/29、いわき市のノウゼンカズラ(凌霄花)(Chinese trumpet creeper / Campsis grandflora)。花言葉は名誉。もう眠ろうか迷うほど腕つかれた。読書たのし。


20191003
草むしり、片付け、床拭き等、2日目。

朝いわき市にて草むしりで汗をかいた。車を走らせ大熊では本を分類したり部屋を片付けたり階段を掃いたりした。その前に朝はヤマザキで買い物したあと役場近くにある大熊町民立寄所へ行ってみた。隣にパトカー。モニタリングポスト線量0.15μsv/h. テーブル、椅子、冷蔵庫、エアコン、お手洗い、自販機があった。見回りらしき人が休みにきて挨拶だけ交わした。

いつも大川原地区のNさんは彼の畑で花の手入れをしている。今日はテレビ取材が来ていた。彼が結構出ているのを見かける。ほぼ最初の避難所で一緒だったから知っている。区域になる前に大熊へ完全防御で共に突撃した戦友でもあり。元気そうでよかった。ごみ棄てのとき、かわいい瓜坊🐗がぼくの前をとことこ横切っていった。

いわきに戻ってから家の床を水拭きしてお手洗いも掃除した。今日は元気だったから色々できた。次は壁を掃除したいが、また床とお手洗いなどを掃除して、それから満足といきたい。それにしても世の中がどうなっているかと言えばどうにかなっていると言えるのだろう。しかし虚無皮肉主義ではなく楽天主義にて、世界に自分は何ができるかを思い描いていきたい。


20191002
自室の片付け

夏の終わりが人をそわそわさせる。あらかた棄てられて家は空。それでも雑多なごみが出る。しかし少々のものならいつでも棄てられる権利があるから、さらに空になる。除染はとうに終わっている。そこへ読んでない本を保管する。ここは本より奇なりだが。花は9月初期の仙人草。クレマチス。有毒らしい。帰りは眠くなって2回しっかり休んだ。帰宅してエクササイズして打ち合わせして他いつも通りで眠る。


20191001
もと梨畑での仕事

あまりに久しぶりでは畑の隣にある雑木が巨大になって2階まで届く高さと広がり。ユンボがうまい父と協力して旧梨畑の外側にあるのを何本か伐採した。本来は行政がやるところで危険作業だが家の仕事として実施した。今日は暑かった。

木槿(むくげ)という花が畑の隅に咲いていた。北海道北斗市や韓国の花などでもある。韓国語では「무궁화」(無窮花; ムグンファ)だそうだ(追記)。夏の御茶会では御茶花として簡素に楽しまれるらしい。新羅は自らをムクゲの花の国(槿花郷)と称したようだ。英語では旧約聖書でのrose of sharonだとか。

15-6世紀に編まれたらしき仙伝抄(せんでんしょう)という、三条家いけ花の本に記載があるようだが、禁花または嫌い花として、基本的に用いるべきではない花とされるのは、立たない花だからなのだろう。その前に編まれた、「花王以来の花伝書」という日本最古のいけ花の本に関するコトバンクの記載で分かった。

しかし流派によっていろいろ扱いは異なり、茶人の千宗旦(千利休の孫)によって好まれた。茶道の一期一会に通ずるとされ、代表的な御茶花となる。今日は部屋も整理して帰りくたくた。人は色々なようだが、ムクゲはムクゲなのだ。可愛らしく。すごく短い開花日数らしいのに会えて良かった。この中心的な例の川に寄り添う花に。何が様々でも大熊も大熊で、存在し続ける。


20190930
休日。しずかなレストランでハンバーグ。人参も美味だった。棚には、帆船、象、エジプト、梟といった飾り物があった。イギリスやスペインなどだろうか。そう言えば昨日、昔から置いてあったらしき廃車間違いない状態の日産ダットサンを見かけた。それでも魅力的だった。大熊町でダットサン走ってたんだという想像が膨らんだ。民法の我妻栄さんの本にはダットサンというのがあって、自分はそれを読んだことがある。今日は住宅街に品良く座る犬を見かけた。毎日、味噌汁作りは続く。


そうですね、ここは護憲しましょう。誰が敵というわけでもなく、改憲したい人達の気持ちもよくわかりながら。

【自民党の古賀誠元幹事長が「憲法九条は世界遺産」と題した著書を出版した。……略……「少しでも9条改正につながるようなことは針の穴程度でもやってはダメだ」と明確に反対した。9条に自衛隊……略……「書く必要がない」と断言。……略……「戦争がいかに愚かなものかを体に染み込ませた(戦前の)世代との大きな違いを感じざるを得ない」と警鐘を鳴らした。】(「憲法9条は世界遺産」=自民・古賀氏、改正反対の著書出版 2019年09月30日18時47分 時事ドットコム https://www.jiji.com/jc/article?k=2019093001010&g=pol&fbclid=IwAR2s9RcNTsrYXBydRAtck1m2gZ4kdlRL4DbJYBKdDJRGCM_PwXvSl-7DnYs

20190929
たいまつ百合。

第3期後半四日目にて第3期の仕事おわり。今日はいつも通り、冷静、安全、安定感。例の地図を簡単なメモにして農地保全の日誌をつけるとき参照せずとも済むようにした。熱帯気候的のところ汗だくになって、農地はすっかりきれいになった。町全体から見ればわずかな面積だが達成感。

写真は9/2に大熊町に咲いていたクニフォフィア又は赤熊百合(シャグマユリ)(たいまつ百合とも)。名前はヨハン・ヒエロニムス・クニフォフ(Johann Hieronymus Kniphof. 1704)というドイツの医師で植物学者が由来している。92 kuni.. 恋する辛さという花言葉らしい。良いね。

帰宅して7kmラン、読書、語学、筋トレ。


21090928
3期後半3日目の仕事。栗を見つけて秋だった。イノシシが食べていることだろう。今日も現場調査してからの運転は安定感が抜群だった。故郷の人々へのサービスで石拾いもしてあげた。ロータリー軸は手回ししてたら回復した。

夜、ぼくらの雑誌で表紙に絵を描いてくれているAくんと、なんと5年ぶりに会った。5年ぶりと言えば雑誌を始める直前にAくんと会っているのだ。光陰矢のごとし過ぎてあまり実感がない。久しぶりに会った彼は芸術的に男前感だった。

一緒に新しい波立食堂で天ざるそばとカツ丼をシェアで頂いた。まるで今までそうしてきたかのように普通に過ごした。オセロをしてオセロは僕が負けそうだったが引き分けのまま閉店時間を気にして帰った。

趣味や仕事や、いろんな話をした。実際に会えると話しやすいことは沢山ある。彼の幸せをただ祈る。そうか、益子で急ぎのなかだけど会ってたんだ。

※さきほどチェスをと書いてしまったがチェスをしない人とは雰囲気によってだがオセロをしていきたいと考えている。オセロとは商標らしくゲームの種目名としてはリバーシのようだ。


20190927
ひょっこり、どこからか、お客さん。

三期後半2日目の仕事。いつも車通りの多い大熊町だが、人は全然いない。過疎という状態でなくて区域内の住民ゼロ人である。水道なし。ガスなし。停電8年間。避難離散。これからもしばらくはそのままである。

そんなところでの作業は手間がかかる。手を洗うにもポンプでの井戸水を使ったり持ってきたペットボトル水。今日は中型トラクターを運転した。大型のは後で手入れしていじっていたらロータリーなんとか動き出した。

ロータリー軸の端に細かい草が絡まりすぎていたためもあったかもしれない。ペンチで取ったらだいぶ重いけど少しずつ動いた。夏期に田んぼを耕す必要のため田んぼがのめったあとがついてトラクターが斜めになる時あり。一速に落とす。油断大敵。

農地の筆番は混雑していて帰宅してからの日誌も手間どる。お客さん、次はどこへ行ったのだろう。朝早く起きたのだが気づけば夜7時。あっという間の1日だ。英語、ドイツ語、古代ギリシア語だけは少し学んで。


John Bercow
https://mobile.twitter.com/bbcnewsjapan/status/1176820471968387072?fbclid=IwAR0wqV1V5CN_PTQ8qJDWO8E8wO86rGIskvPG0sZZbBIFVj8L706W9yoLNyY

20190926
いつも草ぎっしり。手入れする。

今期分、残りの仕事を再開した。涼しくて快適だ。まず現場の調査から。見て歩いて印をつけたりイノシシにやられた道を少し直したり。時間が湯水の如く。例のコンバットブーツOK。

今日の成果は少ないので明日に蓄積して今日は自費通勤かつ無給にした。マイナス(笑)それでも焦らず安全性の向上じっくり。写真は掃除前のロータリー。(※今回はぎりぎりマイナスにならなそうな面積だった)。

牧草の匂いがする。幼いころ農家の友で牛飼いだったから分かる。あの頃を思い出す。小学校にあがったぼくを幼稚園児の女友達が待ってくれていたあの時分を。

ただ今回は停止中のロータリーが手動できなくて掃除しづらいし理由が分からないので、いずれあれかもしれない。掃除はできた。運転が多いので神経を休ませたい。

夜は学問と運動を少しして眠る。鈴虫すごい。


20190925
https://www.facebook.com/VT/videos/746150772522353/UzpfSTEwMDAwMTA0MzM4Mjc2OToyNjUxNTU2MTUxNTU1ODA1/

20190924
ユダヤ系の女性ドイツ人でスペイン語感のクリスチャンネーム「Mercédès Jellinek」の名をとって1926年に正式名となるダイムラーのメルセデス・ベンツ。ここを通るとああ平に来たという感じがする。意味は「慈悲」だそう。ハイウェイは雨だった。


20190923
暑かったが今日も4kg背負ってのハーフマラソンを達成した。握力、腹筋、腕立て、語学、読書。楽しんでいるときは時が経つのが早いものだ。写真は百日紅にした。アメリカの友人からメールが来ていて、ジャズの話をしたり。


20190922
今日ぼくらはJA「まんま~じゃ」(会津若松市)へ行った。有機コーヒーと大きい手作りレアチーズケーキで500円という農協ならではの素晴らしい質量(りんごと生クリームと葡萄とクッキーまでついている)。食事を頼めばサラダは食べ放題でもある。ただしメニューは多くない。こんなのがいつか大熊町にもあれば最高だ。国道沿いでもSAでもいい。フレッシュとかシュガーを僕は使わないが。会津祭り少しだけ見れた。


20190919
今日は社会にていろいろあった。しかし妻のラーメンが素晴らしく美味い。筋トレ終わり20kmを走っているとき稲刈りが始まっていた。稲の香り。肌寒い風がそよいでいて身に染みた。秋だ。思うことあれど書かないでおこう。そうだな、われわれは嘆くよりも、仲間たちとの達成してこれたことを思うことにする。長生きしよう。



20190918
今日は嬉しいニュースと悲しいニュースが同時に入ってきて複雑な気持ちだった。この複雑な社会で人は生きるのに必死なのだ。世界中の人々の幸せを祈る。わたしは今夕、帽子にUV防止タープを縫い付けた(本来ヘルメット用だが)。けれど運動について自分なりに「量」を達成したと思うのでこれからは「質」でゆきたいとも思いながら。筋トレしっかり。妻の和風料理が美味かった。TVドラマ再放送「結婚できない男」がすばらしい。阿部寛さんと夏川結衣さん。阿部さんは中大卒だと前に大学構内で知った。一日に出来ることなんて少ないのだろう。塵も積もれば山となる。

20190917
よく行く作業着の店で安全靴ではない半長靴のプロテクティブスニーカーA種(GD-JAPANのGDー10)を買ってみた。最も安価なもの。実際に見て買うのが一番たすかる。

800円で踏み抜き防止の中敷きを入れたから合計3500円ほどになった。これで先端に鉄板だけでなく底にもあるようなものだ。現代作業着も、いずれ民俗学の対象に成るかもしれない。いや、今すぐ可能だが。

店員さんによると中敷きの鉄板と樹脂ものは同じぐらいらしいが、会社によっては規定で従業員が使うのは鉄板と決めているところもあるそうだ。しかし樹脂もののほうが柔らかいため歩きやすい。

認定者がJISだと安全靴と呼ぶ。プロテクティブの場合は素材やデザインなどが、より幅広く出来るのだ。認定者はJSAAである。正確には『ミドリ安全フットウエア統括部』(https://midori-fw.jp/knowledge/b01/)が詳しい。

やはり区域内で見知らぬ農地というのは、危険地帯にさらに危険を上乗せした二重危険の状態だから、農業に未熟な自分はこれぐらいは必要だろうと判断したからだ。正確に言えば重機も使っているのだから三重だ。

この価格でこのデザインは優れている。長靴のほうも良さそうだ。お洒落のためでなくて仕事に使うというところが、お洒落である。いろいろ楽しみだなあ。レディースもあると思うが屈強な男たちの業界では有名だろう。寅壱だ。

仕事なんてのが久しぶりだから働くほうが自由自在な気分なのだ。心身ともに気力充分で。仕事で縛られているはずなので普通ならば矛盾しているのかもしれない。

「俺はここに居るぞー!」と、立ち入り禁止区域の片隅で、消えたはずの故郷からその住人が、その存在を叫び続ける。カセツから大地に放たれた獣の感性から。とりあえず靴が無事に使えると良い。


20190916
今日は日本で敬老の日であるがアメリカでは近い頃に「祖父母の日」がある。国連は「老人の国際的な日」を作った。高齢による境遇や高齢者虐待などの問題についての意識を高めることや年配の人たちによる社会貢献に感謝する日でもあるそうだ。しかし、千葉で台風被災した高齢者が今日テレビのニュースで「死にたい」と泣いていた。恐らく「こんなに惨めで辛いのなら死んだほうがましだ」の意味だろう。彼らの幸せを祈る。昨日撮影した花。


そして農家になることを決めた少年。行動する知性が立派だなあ。TEDですね。Birke Baehr君。


母校が新聞掲載をHPに掲載してくれていた。福島のことが伝わって嬉しい。毎日新聞社と中央大学に御礼申し上げます。中大は英米法系であり特に英国に起源をもつ大学です。


20190915
戦争の忠霊堂。軍用動物供養塔もある。今日は勉強して筋トレしてそれから残暑のもと20kmを走ること苦行なり。久しぶりでまだ慣れないリュックの重さ。休憩抜いても5時間ぐらいかかってしまった。語学は今日20言語学習まで回復して、民俗学を学べる。雑誌の編集は進む。握力、腹筋、腕立て。穏やかな風に厳しい訓練で命を実感した。アイスが超うまい。


20190914
今日は厳しいコース20kmを4kgの重さを背負って走れて満足だ。身体を絞るようにきつかったが普段のように戻れた。仕事を始めてから文武両道がペースダウンしていた。普通「武」はスポーツだろうから、文武農業としよう。3本柱をハイペースでうまくいかせるのは中々あれだ。ちょっとした流木を川に戻しに歩いていたところ私を追いかけてきた男性二人が何かと思ったら私服警官の人達であった。職質検査は5度目ぐらいだが、覆面高級車から私服の人達にそれをされたのは初めてだったのでちょっと驚いた。あれこれ調べられたが5度目も真っ白が証明されてよかった(笑) 最後には談笑して帰る。警官の人達が居てくれるから治安が守られるのは有難いことだ。さて筋トレの続きしたら読書など。今日はカマキリを見つけた。英語でmantis。自分が孵(かえ)った卵に戻ってきたんだろうか。バッタも居たがスズメが捕らえていた。


20190913
カフェ蔵にて、今日は関西から有名大学の学生がいらっしゃってぼくに話を聞いていった。必要性を満たす程度に話せたか自信はないけれど、彼女なら優れた論文にしてくれるだろう。立派な先生に出会えているのだ。いつも思うが今時の若者は立派である。それから久しぶりに友人が会津に来て話していった。ネコと一緒に元気そうだった。私はこれから今日の後半5kmを走って勉強したら眠る予定なのだが、すでにかなり眠い。どうしたものか。美しい朝顔は既に眠っている。その顔もまた良いのでまた。マイルズ・デイヴィスのクッキンを聴きながら。



20190912
会津に帰還してから、よく眠って、よく運動して、落ち着いた。久しぶりの屋外マラソンは股関節きびしく10kmで終わるが、今は気候が楽なので、すぐ20kmになるだろう。みそ汁はあれこれ作り続けている。私の家事都合で雑誌の編集が1年も遅れたが再開した。20語学は数言語だけ継続しているが増やす。とにかく粘り強く、静かなる気合い十分。写真は会津避難直後から定点観測し続けている、とある山。


20190910
Having a break. 台風の影響で仕事ができないので残したままだがやっとのんびりできる。寝る寝る。なんだかんだと朝から晩まで格闘だらけの日々には休みが重要だ。しかし、なにもしないって難しい。頑張ろう。写真は、家庭菜園に植えたら何度も咲いてるナデシコ(Dianthus)。これ好き。万葉集から見えるらしい。



20190909
10日ぶりで会津若松に帰宅。一風堂でラーメンを食べた。いわきでは台風が来ていて出発が遅れに遅れ、高齢者に避難指示の出た原因の好間川も見かけてきた。全て三つの地域はぼくのホームだと感じる。会津盆地は最高の風景。写真博子


20190908
今日も休み。ワンダーファームへ行ってみた。6号国道から山のほうへ入り車ですぐ、インターチェンジ近く。いろんなトマトを作っていてレストランなども併設している。あきるまでトマト食べて満足リコピン。そして語学、読書、筋トレ、ラン。


20190907
夏祭り in 郷土

ほぼ休日にした。父は優れた技術で大型トラクターの窮地を即、脱出させていた。ホッとした自分はロータリーの草取りだけした。

今日、大熊町役場では夏祭りが開催された。知り合いが全然いなかったけれども、人々は合計で100人ぐらい居たのかもしれない。炎天下が厳しかった。大熊町のイチゴでつくったシロップかき氷を食べて美味かった。若者のバンドやルパン三世のジャズが演奏されていた。

中筋純さんが福島入りしていて、今日一緒にお祭りを楽しんだ。同行している、浪江町で塾経営のH先生がいらっしゃって初めてご挨拶でき、昨今の教育産業界について話し合った。妻の博子は双葉郡のテント(恐らく主に双葉町や富岡町だった)で双葉郡クイズやふたばエイトというマスコットキャラたちの塗り絵をして楽しんでいた。双葉郡は八ヶ町村あるのだ。

中筋さんが韓国テレビの取材を紹介してくれた。いま福島の話題でホットな日韓関係でもある。いつも通り和やかに自分の理解や意見を話せたと思う。真摯な人達だった。ぼくは安定感のある郷土の古参になれたらと思う。韓国語で最後に少し話したらとても喜んでくれてぼくも楽しかった。もっと仲良くなりたい。「날씨가 좋네요(ナルシガ チョンネヨ)」 (= 良い天気ですね)

よくハワイでは福島音頭と呼ばれている相馬盆歌の盆踊りが夏祭りで演奏された。大きな櫓(やぐら)は壮観だ。原発避難者を大歓迎いただいたマウイ島では福島音頭に感動したものだった。

会津若松市にある東山温泉で一緒に開催させてもらった大熊盆踊りに参加した妻は今回も見よう見まねで参加した。その風景は(それらの時も)、ある新しい時代を告げようとしている夏だった。自分が司会した仮設住宅での春祭りもあった。盆踊りというか地域・郷土の祭りは、当事者にとって節目を感じさせる。

写真はNikonカメラで撮影したのをファインダー越しにKindleでさらに撮影した。Kindleで撮るのを忘れていたため。



20190906
第3期6日目の仕事。暑い日。一日の仕事が終わりそうな頃、あわや大事故の直前だったが、無事に運転席キャビンから脱出できた。見た目はただの人の居ない町のようだが、あらゆる人工物と自然物は通常の人里でない危険な状況だ。

普通に歩いていても危険だったり。草刈りは業者の領分の場所があり少ししかしない決まりの政策なのでこれから変わっていくかもしれない。特に夏期は畦などについて我々の草刈りをしない方針中のため秋は入口の草が巨大。そしてぼくは大型トラクターだからタイヤ1個分の幅をつかめていなかった。慣れた頃が一番危ない。

そうしてゆっくりと田圃の用水路に後ろが脱輪した。大きな車体が斜めになっていって、ロータリーがはまり、横転しそう。どれだけプロでも毎年人々が大事故に遭う農機具や重機の話を思い出した。今回は非常に勉強になった。できれば業者のユニックなどで上げてもらいたいが、経験豊かな親が家の機械で揚げるかも。

とにかく、普通の仕事でないと再認識した。普通よりも3倍ぐらいの時間をかけて、徹底的な現場の調査をしないと、長生きできない。昨日もヒヤリハットな地点があった。ここらで、きっちり、考えを変えて、成果よりも安全へ舵を切る。トラクターはどんな悪路でも行けるわけではないのだ。

そもそも通勤が休憩入れて合計三時間かかることも危険を上乗せしている。かなり気を付けに気を付けていかないといけない。成果よりも、慎重に慎重を重ねた末の安全へ対策をみっちりとっていけば、しんどいことも相当に減るだろう。

大自然の青は美しいが。
謙虚な姿勢を再確認したい。

20190905
第3期5日目の仕事。トラクターでミステリーサークルを作れるのではと思い付いたので時間とられないぐらいのを作ってみた。これって案外、人力だったりするかもしれない。今日は石多く、その片付けは仕事でないが土地のためにもトラクターのためにもやって、疲れた。ロータリーの爪は一ついかれた。朝晩やってる腕立てを今日は昼休みに道路の上でしてみた。大地感ある。

ごくまれに野ネズミがカラスに捕まっているのを見てきたが今日は初めて小さな野ウサギを見た。しかしトラクターにぶつかったのだろう。血は見えなかったが瀕死だった。数分後にはカラスの群れがあっという間に鳥葬へ。日本において鳥は魂を運ぶんだったか(つまり鳥葬の現象がその話の原因かもしれない)。

むろん数多の生物を人は踏み潰して生きているのだが。おどろいた。「ウサギ追いしかの山」という『ふるさと』の歌詞を思い出した。野ウサギも棲息地を拡大したと考えられる。そう言えば比較的に大きなカエルは泥だらけのまま無事にのこのこと去っていった。

昨日、破壊神シヴァの乗り物は牛であり、牛の犁(すき)の仕事は今やトラクターが行っている、と書いた。農家は自然からの恩恵を最初に頂く立場だが、いわば破壊と創造が同時なのだ。しかもトラクターは後に、改造されて戦車になる。破壊と防衛だ。キャタピラーも乗ったことあるが、トラクターにしてもキャタピラーにしても、音が戦車に似ていることにある日、気づいた。

戦車よりもトラクターが先だったことに少しだけほっとした。とはいえ、第一次世界大戦から、戦場では毒ガスやら火力高い武器やらでいろいろと吹っ飛び、1メートル進むだけでも塹壕やら湿地帯やら地獄で死者だらけだったので、そんな場所でも突破して進める機械が必要とされた。イギリス陸軍中佐アーネストがアメリカのトラクターを改造しようとしたが失敗する。そこで、あのチャーチルが続く。1915年(大正4年)のことだ。

フランスはルノーが開発して、イタリアはフィアットが開発する。ナチスドイツはヴェルサイユ条約でつくれなかったが秘密に作り出す。LaSというコードネームだった。 Landwirtschaftlicher Schlepper(農業用トラクター)の頭文字をとったそうで、バレバレだ。1935年ナチスは再軍備宣言をする。農村の農家をすぐに戦車兵士にできるようになる。フォルクストラクター。そもそもトラクターだけでも、牽引して物資を運搬することこそは戦争の重大なキーである。

鐘紡ヂーゼル工業会社取締役車両部長の渡邊隆之助は、1943年に『牽引車(トラクター)』というトラクターの概説書を執筆しているそうだ。そこで「准第一線兵器」と書かれているとのこと。なんと太平洋戦争開戦すぐ後のことだ。むろん植民地での速くて大量の食料確保にも役立つという。ソ連ではスターリニエツ(スターリン主義者)という名前だったそうだ。トラクターについては准教授、藤原辰史さんの研究が詳しいようだ。いま藤原さんの本を読んでいる。

人々の人生を楽しくしたり悲しくしたり、いろんな歴史がある。人間は愚かだが。いろんな歴史があるのだが、いま目の前にある悪路を突破していくに、ぼくにとっても非常に有用である。生産といっても土地の保全という生産だが、一部の自然破壊にしても、戦争ではなくて、やはり、人間が扱える範囲内での近代機械によって、平和的な生産でありたいものだ。ただし、赤坂さんの影響で、昔たったの悪路王……。なんていう言葉を思い出した。そうここは、東北の、福島である。


20190904
第3期4日目の仕事。この家の主人は時おり帰るので牛たちの大冒険はとうに終わっている。牛、でかい。(写真のここじゃなくて)今日はどなたかの旧梨畑を保全した。旧と言っても棚はもうないので跡形もない。かなりの貴重な土を除染で除去してしまっているため石っぽである。石だらけという意味。土はあるが、このままだと田畑としてどのぐらい機能するものか。たとえ今後どうなるにしてもまずは保全し続けていれば農地は生きる。除染が忘れていった棚の支石や、あと目に見えた大石ぐらいは取り除いて、なおかつ、草がすごくて2回手入れで、体力と時間がかかる。ロータリーの爪は1ついかれそうだったがいかれなかった。

壊れても自費であり、かつ、自費のトラクターを大事に、かつ、簡単でも油断はできないトラクター操作を安全第一で、いく。無理せず進む。までいに、命を預けるトラクターを手入れ。トレーニングはするが筋肉痛が溜まっているので風呂にゆっくり。ヒンドゥー教で牛は神聖な生き物だ。破壊神シヴァの乗り物でもある。とはいえ、こぶ牛と水牛では扱いが異なるようだ。会津地方や福島県で牛はあかべこと呼ばれ大事にされているが近代以降は牛肉を食べている(会津の場合は戊辰からだったと思う)。トラクターの仕事の一部は、もとは牛や馬の仕事だった(人も共に)。その道具ですら革命的だった時代があった(犁 [すき]のこと、いろんな型がある)。コオロギや鈴虫が鳴いていて癒される。もう秋だ、もう~。



20190903
今日の仕事。いつもながら鳥たちの楽園であるが、突如とんびが六羽やってきた。大きくて格好いい。ふだん通りカラスは十数羽、セキレイは数羽いた。カラスは大勢力だが、とんび強い。すずめゼロ(全国規模で餌や居場所の問題で激減中だそうだ)。前夜に雨だったためスコップ作業が追加される。仕事終わってから土砂降りで助かった。赤とんぼだけでなく、(恐らく)しおからとんぼ居たと思う。

とんびを正岡子規が詠っている。鳶が舞ふけろりと秋の行くことよ 正岡子規。富岡にサギが居たり山麓線は薄紫色の紫陽花が、県道では白百合がきれい、だが撮影しそびれた。片付等々まだ細々とあれこれ。安定までに時間かかりそう。腹筋はずうっとしている。早くメキメキと割れたい。短めにマラソンしたら読書と語学タイム。役場の人と少し仕事の話したり。



20190902
今日は役場へ書類をとりにいった。役場にいる大熊町の友人たちと挨拶したり少し話せたり。そして私の職場である大地へ。機械手入れ用の鎌を手に入れて仕事が楽になった。イノシシが堀り崩す被害で水路が埋まってしまったり道路わき法面など陥没しそうな場所が結構あり。

思えば書類は事業のほうでも毎日終わったあとに写真とってプリントして地図見て記入もせねばならないぐらいには規則あり。むろんこの時間あれには含まれない。それでも晴れが続き助かる。夜は海鮮丼を食べた。筋トレ&読書タイム。掃除も洗車もして気分よし。写真は大熊町のノウゼンカズラ(凌霄花)(Chinese trumpet creeper / Campsis grandflora)。

花言葉は名誉。正岡子規の俳句に「家毎に凌霄咲ける温泉(いでゆ)かな」があるそう(多分りょうしょうと読む)。主人を待つ草木花家。町の人々がいないのはさみしい。けれども今できるだけみんなが生きててくれれば良いかな。これだけのことがあったんだ。

ローソンのタピオカミルクティーも美味い。



20190901
いっぴから仕事の第3期が始まり。ここに来るまで時間かかるうえ重いバリケードはカギつきで通し棒やポールもあり一日の出入りだけで多くて計十回以上も開閉して自動車とトラクター乗り降り。今期から大型トラクターで行くことにした。イノシシたちを見つけても悲しいばかりだが。耕すと集まってくるのは虫を目当てにした鳥たち。カラス多いがセキレイや雀もいる。(農家の人たちが感謝してくれているようで良かったが見た目は)バードのスターなおれ……(笑) 半日かかった免許追記も万端だ。涼しくて本当助かる。朝は小高富岡の旧友から電話あり。みんな元気だと良い。ローソンのココナッツタピオカ美味かった。筋トレ読書タイム。写真は大熊町にある生垣用の珊瑚樹。


20190831
筋トレ2か月目。猛烈に腹筋ライフなので少し割れてきた。胸筋も出てきた。皮膚の調子さらに良し。20代よりも明らかに素早い筋力成長のお陰で日常生活がとても楽になった。ランニング距離は減っているが真夏と真冬と忙しい時でもパフォーマンスずっと良いほうだろう。書類なんとか。

セブンイレブンで語源本があって、ラーメンは華きょうの人々がラーミェンとそれを呼んでいたそうで、日本では明治初期に浅草で支那そばから始まったとのこと。ヤッホーはドイツ語で山の部族への掛け声johoo(ヨッホー)だったらしい。

近所の中年男性がお一人で亡くなった。家が取り壊しされている。すべての道はローマに通ず。大政だって奉還された。消費税は10月から。しかし投票率は低い。それに日本は他国と言い争っている暇はないはずだ。

西日本水害に関してテレビ。火災保険に水災補償はついてる場合があるようだ。写真はどこかの家のお庭に咲いた百日紅。サルスベリとも言う。花言葉は雄弁、愛嬌、不用意。……毎日生きてるだけでありがたい。



20190831
ぼくだって人の子だから、何気ない日常の些細な会話こそが何より大事だし癒される。じつに原発事故や政治の話題でしか(しかも反政権的な意見しか)相手にされないような関係性は正直言って今やあまり有り難いと思ってない。いまでも悲しいことを見るべきだとは思ってるけど、ぼくの人格までそちらしか考えられてない世界って人の子に何を強いていることになるのかを少しは思いやってもらいたいものだ。無理か。知ってる(笑)けどおれは負けないぞ。絶対に政治へ媚びないで生きるんだよ。そんな自分の意志は鋼鉄です。

20190830
静かな時間を味わう。時おり離散民は手続あっちこっち役所行きで書類を揃える。ゴーカート草刈機、、草刈機まさおの運転を覚えたり、本の段ボール箱をどしどし運んだり。多くの作家を乗せた前回のトヨタ乗用車も好んだが今回は大きい車にして良かった。移動と運転そして仕事。いもようかんにお茶が美味い。ランニングと筋トレ良好。

20190828
南西日本は水害が大変そうだが、日本は政治も何も無関心が多いので、自己責任論どころか、関心すらあまり持たれていないのが現状なのかもしれない(例えば病院の人々は浸水で大変そうだ)。これから毎年こんな状態だろうか。関心が増えて防災政策が増えれば良いのだが。

ところで今日は日記帳に丁寧に手書き字を書いている。握力が昔のように回復してきたから非常に楽になったためだ。手書きメモ帳の数は増えた。例えば、「フクシマ・メモ」といった具合に。たとえば大熊町ってのは62%だが浪江町は80%も帰還困難区域があり、双葉町は来春までは96%もある。うち再生区域は現時点で8%しかない。9年目とはいえ、まだまだ道のりは遠いか。大黒摩季を聴きながら。ああポケベルが復活すれば良いのに。ニコット、アーキス……。

中学生のとき新聞でだれが「休み明けに自分で死ぬぐらいなら君は無理して学校に行かなくて良い」と言っても、新聞を読んでなかったから、まったく何も聞こえていなかった。今もそんなに変わってることじゃないだろう。学校に直接的に働きかける又はもっとパブリックな場所つまりデモがそのメッセージを社会に向けて担うのも良いのかもしれない。

20190827
今年は幾度か。猪苗代湖に漫画ナルトのカカシという教師忍者のTシャツで訪れて将棋を勉強した(双眼鏡はお店の)。写輪眼あったら良いな。我が家の巴系の家紋に似ている。むろん訓練それ自体が楽しい。

春からやってきた本の整理がそろそろひと段落しそう。ラヴィの30kgグリッパーを買った。握れるが堅い。100円ショップ20kgのも健在。遊び用でテニスラケットなどを買った。

マラソンと筋トレ以外にもスポーツ趣味が増えそうな気配あり。禁煙禁酒だからだろう。筋力がついているのを実感する。腹筋、腕立て、懸垂、ダンベル、握力、そしてマラソン着実に。筋トレし始めて1か月が経った。

それと数か月で壊れた2台目ランニングマシーンとほぼ新品のエアロバイクを廃棄した。今日は妻作のラーメンが美味かった。辛い食べ物に最近はまり中。メンテナンス忘れずに。


20190824 メモ
なぜ男性誌『GQ』は家族を特集したのか。 編集長、憲法改正草案を語る。「自由な家族」に込められた本当の意味。GQ JAPAN

ーーー 『GQ』の鈴木正文編集長は、最新号の「エディターズ・レター」で、自民党の憲法改正草案の家族法について、「僕は受け入れることができない」と意見を表明。ライフスタイル誌の編集長による“踏み込んだ”言葉は、SNSでも話題を呼んでいる。---

長文は読む時間ないよというかたには、10秒で分かるよう、私なりに超訳して言うと多分、「家族っていろんなカタチがあるんだから、血とか地とか、無理に古い美徳を法のなかに持ち出すといつか人々の暮らしに無理がでますよ。今の自由で多様な方向性を崩さないよう育てていきましょう」と言ってもとりあえず大丈夫だと思います。

20190823
大熊町のイチゴを食べるのが楽しみ。コーヒーや紅茶に合うだろう。ギリシャ語はΦράουλα(ふらうら)。いちごの由来は古代大和言葉の「イチビコ」などだそうだ。https://www.iijan.or.jp/oishii/sp/products/fruit/post-693.php

最近は握力や腹筋にハマっているが、小沢選手の動画で思い出すのは、高校時代のぼくらがしたゲーム「じゃんけん腹パン」である。多分そんな名前だ。じゃんけん(英語では「トス」とか「ロック・ペイパー・シザー、シュート!」)で負けると、両腕をつかまれて腹にだいぶ強めのパンチを食らう。腹筋を鍛えてないと参加できないゲームであった。もうしない。苦笑ものである。

双葉郡で名門と言われる双葉高校はとくに野球部が有名であり野球部の人達の運動神経は凄かった。観ていて気持ちが良いぐらい素晴らしかった。スポーツマンはぐだぐだしない。試合と練習中、ただスポーツを背中で見せてくれる潔さがあるから好きだな。昔からだが、最近もK-1やボクシングなどの格闘技を見ている。試合時間が短いのが助かる。試合前の煽りまくりも面白い。因縁の対決みたいになってくるとわくわくだ。最近はクラッシュ王者の小沢選手が会津出身だと知って嬉しい。

武尊選手は懸垂しまくっているようだが、意外にも細い体格。それならば一般人の私が少しぐらい懸垂しても大したことになれないだろう。筋肉の体積を増やしてしまうとフェザー級じゃなくなってしまうから、質を強靭にしていくのが良いと思われる。いま人気の選手たちはフェザー級が多いようだ。わたしとほとんど同じ身長体重なので見ていて面白い。なんかこう、一所懸命なところが、励みになるね。天心選手もみんな20代の人達だ。30代後半の自分も負けられないぞと思う。休みも重要ながら。


20190822
数年ぶりに花火

で遊んだ。夏らしい。節約のため久しぶりに自分で洗車をしたら花火がしたい気分になったのである。農機具は手入れするのに自家用車を自分で手入れしないのはおかしい気もしないではないからだ。懸垂をやりすぎないことにした。過剰だとコブラな上半身になってしまうようだ。私には不要である。

今年はお盆前に墓参りへ行けた。あれから9年目は除染で思いのほか効果が出て測定して明確になり高速道路での移動に慣れてきたことが確定的になったことが理由だ。それまではひとさまがお盆に墓参り行くのを眺めている日々だった。お墓は新築されていた。訪問客のための石造り休憩所をうちで作ったようだ。死者たちの魂が少しは鎮まれば良いと思って祈った。


20190821
活けるのが楽しい。

自宅ミントの花。不明の葉。蔓の葉。今日は10kmを走って、近くの公園で懸垂が出来た。反動つけながらだが10回だったので腕力も高校一年時ぐらいにまで回復しつつあるようだ。まずは反動なしで出来るようになりたい。スケボーの練習をしている大人の男達が居た。

帰宅して徹底的にまた掃除や整頓をした。洗面所、台所、特にお手洗いは完璧にした。廊下、水ぶき徹底。ところで一部のひとたちは私の肉体年齢について誤解しているかもしれない。今の体力こそが人生において最高であって若いころが良かったとか若いころを懐かしんでいる意味ではない。若いころマラソン走れなかった。

わたしは30代後半の今が最高記録である。成長したり成熟させていきたい。人にマラソンが趣味だと言うと「大会に出るんですか」と言われるのだが競争のために負荷をかけることには関心がない。単にマイペースでマラソンや筋トレを楽しみたいだけなのである。

最近は腹筋がお気に入り。逆境は学びの場でもある。大抵の人には成長する機会がある。自分なりに人生を楽しんでいきたいものだ。今夜は有難いことに妻に調理を教わりつつラム肉を食べたから夜更かしした。ああエアコンなくても湿気のない日々が待ち遠しい。


20代のころ筋トレ自体はよくしていた。あるとき友人から相談があって、「うつになったみたいなんだけど、どうしたらいい?」という質問に「筋トレしたら治るよ」と答えたことがある。それはK君にだった。K君は今でもそれを笑い話にして時々する。さっくりした話も時に良い。--- という話をFBに数年前に書いた記憶がある。若いころ私は脳に関する本を少し読んでいたからというのもある。

というわけなので筋トレを震災後に初めてしたわけではなく、知っていたが精神的不調を解消しようとしてしたのでもなく、初めてしたのはマラソンの日々のほうである。日々20kmマラソンというのは福島に関わった私の周囲でだれもやってないだろうし真似されもしないだろう。たいてい5kmぐらいに違いない。オンリーワンだ。ははは。でも真夏と真冬は厳しすぎる。無理しないことにした。

20190820
なんとか夏も過ぎ去りつつあるようだ。一昨日ぐらいから猛暑でなくなった。腹筋、握力、指力、4kgダンベルと、上半身の筋トレを初めて一か月が過ぎた。特に変わったことは無いがパイプをやめたからこそできることではある。筋トレがたのしい。この感覚は20代前半だ。

近くの公園で懸垂が出来たら良いなと考えている。腕立ては結構してしまったが心臓を労わって最低限にしたい。本や家の片付けや掃除も徹底していきたい。最近は味噌汁を毎朝作るようにしている。写真は今夏おとずれた松平氏の園にて。


20190818
今年もいなわしろ湖に行った。同じカフェに行って同じ知恵の輪を遊んで同じ紅茶を飲んだ。しかしこの美しい湖には毎度あたらしいダイアモンドのようだと思う。湖で泳いだ。パニーニを食べた。(写ってないけど)磐梯山も目の前。

ーーー(メモ)パニーニとは本来複数形であるので単数形のこれとして用いるのは英語圏の呼び方だそうだが、イタリア語で具を詰められた小さいパンは、パニーノ・インボッティート(panino imbottito)「詰められた小パン」となるようだ。このカフェは英語圏からのパニーニである。メニューにそうあるし店舗名は福音書の著者ルカの英語名である。


20190813

2012 summer Aizu

がんばれ会津
まけるな大熊

と、盆踊りのやぐらに大きく書いてあって嬉しかった。


20190811
空調服というのが出てるので買ってみたが、猛暑には、まずまずだった。前にもファンつきは珍しいタイプだがリュックのために必要だった。腕まくって腕カバー出して涼しい。まるで修行中の真夏スタイルは『風の谷のナウシカ』に出てくる「森の人」であり、しかも仕事は(大熊町での)「禁止域内農地保全者(Agricultural Conservationist at off limit area)」だから、何だか「其の者」という気がしてくる。クールベストは短時間しか使えないが大変良い。町のユニフォームは名誉なので素晴らしい。先月20頃から上半身の筋トレを再開した。ランニングと共に学業に励もう。けっきょく早朝または夜は危険を感じず普通に走れるので最も良い。夏に早寝は簡単でないが。日常を楽しもう。


ブラジルのカワカニの子どもが最も良いものを食べているように思われる。恐らく最も現金がないはずの人達だ。あらゆることに影響するだろう。世界の子どもたちは毎日何を食べている?写真で見る現実と理想 Gabriel H. Sanchez

20190810
2018年7月23日、猪苗代湖にて泳ぐ。紅茶のみながら知恵の輪で遊んだりギリシャ語を覚えたり。撮影:博子


20190810
かなりの背の高いひまわり。数年前に大熊の友人が種をくれたのが今になって若松の小さな庭に所せましと沢山咲いた。うちいくつかはこんなに高く咲いた。シャボン玉じゃないのに屋根まで咲いた。一日中ドライブは疲れる。昨日は久ノ浜駅前「梅月(ばいげつ)」の柏餅うまかった。柏餅こどものころから好きだ。


20190805
불고기 맛있었어요。명동에 갔다。プルコギが美味かった。こないだ会津坂下町にある焼き肉店「明洞(ミョンドン)」に行った。お客さん結構来てた。その名は妻曰く韓国で有名なショッピング街でもあるそうだ。帰るときごちそう様と言ったら店員さんが笑顔だった。箸が個性的。ホットコーヒーがたぶん無料で飲み放題もありがたい。プルコギは歴史的な料理のようだ。スープは冷やし。韓国語文の読み方:プルコギ マシソッソヨ。ミョンドンエ カッタ(「プルコギ美味しかったです。明洞に行った。」)#한식 (ハンシッ)(韓国料理)


20190801
こないだ本好きな友人たちと会津東山温泉で宿泊した。翌日は新撰組、土方歳三の絵を見ながら入れる無料の足湯スペースに久しぶりに妻と入った。民俗研究会でのヴェルト聞き書き二幣地が近い。温泉街で盆踊りも開かれる。2012年アメリカ独立記念日に越してきたとき、東山温泉の盆踊りを踊ったのがつい最近のことのようだ。土方歳三も傷を癒したという。わたしの敗戦の傷もここで癒えた、と思う。新たなる旅路へ。克己心に突撃だ。日英筆記。写真:博子

20190731
会津の桃が美味い季節。黄泉の国だろうと鬼ヶ島だろうと女児の成長だろうと、これさえあれば生きていけるという果実である。山から流れてきて桃太郎も作り出す。原産は中国西北部黄河上流の高山地帯だそうだ。仙人の香りもする。英語のピーチとはペルシャの意味であり、西欧にはペルシャのリンゴとして伝わったとされていて、やわらかく傷つきやすいから「若く魅力的な娘」だとか「ふしだら女」「乳房」などの意味にも転じるとのこと。桃太郎がスクナヒコナ的なのかはさておき、僕が子どものころは「桃太郎電鉄」という双六電車ゲームが流行っていて友達と遊んだものだった。そのゲームはシムシティよりも富裕層的であり、電車で移動した先の町や村で不動産物件などを物色して資産を増やしていくという、おそらく一種の近代バブル幻想の桃太郎である。今日すごく暑い。15kmは走りたい。


20190730
7月8日頃は実家にて「Uハンドル肩掛式刈払機」の使い方をえた。普通には草刈り機と言うがトラクター接続のモアーや自走式斜面用それから乗用タイプとは違うので正式名称を覚えておきたい。古代ギリシャ語なども牛歩で学びつつ現場での実践についても日ごろから学びを深めていこう。なんでも基礎足腰が重要だ。
虎刈りで下手だけど安全第一。動画も見た。新潟創業の丸山製作所のを使ってるのでそれを。https://www.youtube.com/watch?v=O38wvVI97mU ゼノアのはキックバックを観れる。日本農業機械工業会 刈払機部会。https://www.youtube.com/watch?v=_oJRr-DwAv0 
左に動かすときだけ刈る。停止のしかた、止め方を忘れない。ヒヤリ・ハットのニアミスやキックバック事故などを防ぎたい。防振手袋などもある(万が一長時間の場合、オートレーサーや作業員などは振動病(白蝋病)に気を付ける)。
今日30日は気温35度。会津若松市でランニングして民俗学について少し学び、イギリス産ケンブリッジシャーのブルー・スティルトンやイタリア産アジアーゴ・ヴェッキオがシチリアのオリーブやイランやアメリカのピスタチオとともに美味い。会津べこの乳チーズ美味い。
そのうちに土壌学や植物学、物理なども学べたら良いなとチラ見しつつ思うだけは思っている。今は柳田の定本や赤坂さんの著作を学んでいる。寝るまで全力疾走だ。時間が増えたら時間がない。
思えば150年前。東日本は敗戦国として始まった。千年前にも敗戦国であった。それから75年前の敗戦があって敗戦三昧であり、8年前には大惨事である。人は生き延びねばならん。

20190729
どんぐりコナラだろう。コナラ(小楢、学名:Quercus serrata)はブナ目ブナ科コナラ属の落葉広葉樹。別名ホウソ。このなかでいちばんばかでめちゃくちゃで、まるでなっていないようなのがいちばんえらい、それはどれかな。これは実生で、かつここは薪炭林かもしれない。確かに椎茸の木はこんなだった。かわいらしいものを見つけた(大熊町)。昨日はトラクターとモアーの説明書2冊を読んだり農業の勉強をした(いわき市)。そして会津若松に着いた。

20190727
今日は炎天下で暑かった。ぐいぐい運転しているとエンジンは回転数やなにかで生き物だと感じられ、乗り物と運転者とのシナジー効果みたいなものがあるかもしれない。体幹や腹筋、足や腕そして全方位確認なので、全身を使う。轟音が続くのはなかなか大変で神経が消耗する。けだし労働は良い。畦で昼飯。箸を忘れて手掴み。水も電気もガスもなにもない、ここはゲートの内側、フロンティア。時々奇妙な感覚になる。お高いトラクターを手入れ。アイスノン保冷剤だけでは足りないので今日はクーラーボックスを買った。アメンボや紫の花に木々に緑にはたいへん癒された。塵も積もれば山となる。いろいろ考えるが、楽しむことは大切だ。バナナの隣は豆乳。よく見るとヨーロッパ原産の白詰草クローバーあり。夜は腕立てなど。少し疲れているが今日も日記を書けた。

20190726
今日は炎天下で暑かった。ぐいぐい運転しているとエンジンは回転数やなにかで生き物だと感じられ、乗り物と運転者とのシナジー効果みたいなものがあるかもしれない。体幹や腹筋、足や腕そして全方位確認なので、全身を使う。轟音が続くのはなかなか大変で神経が消耗する。けだし労働は良い。畦で昼飯。箸を忘れて手掴み。水も電気もガスもなにもない、ここはゲートの内側、フロンティア。時々奇妙な感覚になる。お高いトラクターを手入れ。アイスノン保冷剤だけでは足りないので今日はクーラーボックスを買った。アメンボや紫の花に木々に緑にはたいへん癒された。塵も積もれば山となる。いろいろ考えるが、楽しむことは大切だ。バナナの隣は豆乳。よく見るとヨーロッパ原産の白詰草クローバーあり。夜は腕立てなど。少し疲れているが今日も日記を書けた。

20190725
途中雨季で大変だったがもう軽く今季分のうちの「一町(いっちょう、1ヘクタール 、3000坪、 1万㎡)」は終わった。軽く5倍は働けそう(だけど今なし)。今日は暑かったがエアコン効くキャビン式なので乗車時だけは何ともない。まるでガンダム操作みたいな音がしてコックピットに居る感じは不思議だ。宇宙作業だ。この余力は学問と運動に。富岡町で比較的良い長靴を買った。町の組織名入りユニフォームは暑いのでお預け。@オリジナル自宅

20190721
8年ぶりに、仮設ではない大熊町役場(今年から運営開始の新庁舎)で投票した。投票所が狭いけど同級生で職員のH君に久しぶりに会えた。参院選2019。今度は双葉郡の投票率が高いと良い。ぜひとも紳士淑女のみなさん無理なく清き投票に行ってください。

20190720
ふるさとの風景。大熊町の公共事業に参加し始めた。今のところ量は少ないが期間は相応に長くなる。現在の内容は避難区域内の農地保全。効率的スケジュール通りにいかない天候という現象を相手にしながら主に自己購入の近代農機トラクターをてきぱきと運転し続ける。ユニフォームをもらった。例えば牽引するロータリーの爪に田畑の泥草が絡まりやすく畑によっては石に乗り上げたりして爪がブレたり折れたりするので常に安全確認した手入れを欠かさない。防犯しっかり。まるで百姓のレクサスに乗馬だ。7月20日「海の日」由来日が私には「土の日」となった。


地図等に加え地域の大小田畑を観て周り調査する。傷ついた家々、終える家々、杉や桜の木々、紫陽花や金木犀と話す。青い空に太陽が輝き、虫や鳥が戯れて花の咲く大熊町まで通うのに時間はかかる。すてきな人達がわずか居るものの、ほとんど人口なく牛達がいて、たまに猪も居る世界最先端の辺境だ。今こそ、自ら主体的に郷土に関わることで先達の叡知を受け継ぎ、他よりも被災している当地を蘇生させ、大熊の復旧と多様な復興に尽力、わずかでもなにがしかの貢献ができれば、幸甚である。

20190714
ふくしま本の森での読書会で思ったことを妻との会話で思い出した。自分が良いと思った本を図書館にこつこつ納本請求してくれる知的な女性たちがいて、その集積によって実は救われている人々というのが居る。じんわり社会変遷のカギでもある。

20190623
昨日で禁煙1年を達成した。今までの人生ではあり得ないほどの運動量とともに身体が3年前には考えられないほど回復している。うれしい。人間なせばなるものだな。走り出してからは半年間ほどが経った。光陰矢の如し。新鮮な空気。人様世間様に感謝。キウイとコーヒーが美味しい。

20190622
日の豪雨マラソンは過酷だった。豪雨の直前は睡眠不足で走りながら何度も眠ってしまい宜しくない時間帯があった。転ばなかったが。豪雨、強風、豪雪、どれもマラソンにとっては命に危ない現実感が半端でない。終わらない豪雨の轟音も厳しい。人間は小さな存在だ。謙虚に居たい。

20190620
ストレートで合格できた。会津若松、平和自動車学校の先生たちによる素晴らしく優れたご指導のおかげ。大型特殊免許。通称「大特(だいとく)」。個人的にはミスなく卒業検定を無事に終えられて一安心。レッスンは全てこの内輪差がない中折れ式のホイールローダーで行われた。これから作業系免許取得のため、さらに行ってみたい気持ちあるがそこまで必要というわけでもないので今のところ未定だ(でもやれば安全操作の度合いが高まって充実だろう)。新しい体験ができて嬉しい。お世話になりました。ありがとうございます。

20190610
教習所で実技を習って居たら適性試験の結果を教えてもらった。非常に良いらしく10%以内に入るとのことだった。私は最初の問題をぼうっとしていて全然できなかったのにあのクイズ的なものをどんだけみんな適当にやっているのか(笑) 避難者も結構来たらしい。先生は避難者と友達になって遊びに行ったとか教えてもらった。会津すばらしい話で盛り上がったり。試験の結果はどうあれ、性格的に相応の人数が混乱しやすい傾向あるというのはもしかしたらあるのかもしれない。しかしながら、じっさい私は運転が苦手である。なんとか2時間連続を受け終わったところ。疲れることを予測して15kmだけ走って受けたが疲れた。次は10kmか5kmだけにしておこう。けっこう連続受講は疲れる。だが先生たちは非常に優しくて嬉しい。会津弁も聴けて楽しい。次はまた少し先となる。この感じこそ会津の素晴らしい楽しさ。民俗や郷土愛がすさまじいところ。

20190609
CNNで隣国でのデモ100万人を報道している(毎日新聞も報道)。100万人という数字を香港でたたきだすには「必死」でなければ不可能だっただろう。そりゃそうだよね。隣国は民主的にコワイというのが、やはりあるし。アメリカだってコワイと思うのに、ましてや、、隣国たちについては閉口するしかないのが日本のリベラルである(かといって国内から威勢が良いだけにも憂鬱になる)。庶民の人達おつかれさまだなあ。こればかりは今の日本に生まれて良かった。左翼の偉大なる歴史人たちに感謝である。ありがたいね。それだけまあ、、日本でも左派の人たちが死んで来たということではあるんだがね。いわゆる「穏健派」とか「穏当左派」なんぞで居られるのは、かつて勇敢な抵抗をして命を失ったり酷い重傷や障碍を負わされたりしてきた偉人たちがいたからに他ならない。忘れちゃいけないね。人が犠牲になったのは戦争だけじゃないんだ。民主主義を勝ち取るのだって数々の命が犠牲になってきた。有難し。

20190608
この惑星において近代的ウルトラザウルスのライダーになるのには自動車学校に入校する必要がある。地上や海など幾つかのジャンルでプロの親には敵わないがせめて1つぐらい物理的なものを私もとっておいても良いだろう。減ったけどまだ家に重機が多いから。

どっとお金かかるね。今日は適性試験を受けた。ストレートで行くと良いんだけど。今は中型8t免許。しっかし、いま普通免許とる人は2回の改正後だから小さいのにしか乗れず損だよね(その分、安全性は向上するだろうけど)。参考 https://tr-iwate.com/1256

20190605
今日は暑く、午後からの雨風雷鳴はハーフマラソンの終わりごろだったが厳しかった。傘は壊れたに近い。いまウソのように静かで夕空が美しい。最近は暑さが一番きついが雨風も中々。まさに生きている。

20190603
2017年3月末から2019年6月5日までで、総計10000kmとなった。2019年からは走っているが、2017年と2018年は歩いていた。これからは「歩いていたが」を略し、全て「走った」で統一する。ほとんど会津若松市。ごく初期のころ、3kmを歩いただけで筋肉痛だったものだった(笑) 今や重さ3~4キログラムを背負って長距離を走れる。アメリカ横断を1往復ぐらい。シベリア鉄道よりも長く歩いて走った。だがまだまだ先人は居るので精進したい。

20190529
インドに関する事典が届いて面白い。インドでも酷暑だけでなく北部は日本の東北南部ぐらいであり、雪も降るそうだ。正式名称も「バーラト・ガナラージヤ」であり、インディアは英語名だ。ところで修行の明らかな良い影響が出てきた、酒とタバコをやめたためだろう。40に差し掛かっているのだが記憶力だけでなく思考力も飛躍的に伸びていると自覚する。memoradoにてIQテストをしたら上位1%の134だったことが本当なら嬉しい。知的作業の地位高い者や博士は126までぐらいだそうだ。平均値は100だそうだ。テストによって相性もあるだろう。他のゲーム的なサイトではIQ200などが取れるようで逆に信頼できない。しかし1問ぐらい間違えたのかもしれないと思う。とにかく、その分、人様が楽しむ嗜好品を私は楽しんでいないのである。ただIQよくてもバカはバカであるから、思いやりを目指し社会に役立てるよう精進したい。ところでこのIQテストや数学パズルみたいなの面白いなあ。昔は嫌いだったのだが。おそらく進学にも使えるに違いないから塾長としても少しぐらいやっておきたい。楽しいなあ。

20190510
擬古日記。何(なん)ぞ二十で揃(そろ)ふ。緩々(ゆるゆる)と日(け)に二十粁(きろめーとる)を走りて二十言語を学びて、とふ点なり……。二十粁は五里ばかりなり。而(しこう)して五つ程のふみ読みて忙し。然れども思ふこともまた忙し。何ぞ、ただ今の一念において、直ちにすることの甚だ難(かた)き。わたくしの様子(やうす)が是(これ)を増す。嘆(なげ)かし。ふみ、憲法学、哲学、宗教学、民俗学、随筆、面白し。若白駒之過郤(はっくのげきをすぐるがごとし)。

20190509
社会においては、一つ一つの論点について多様な意見が共存していることが大切だ。多様な意見というのは「この人と自分は全く違う意見だ」ということでもある。ここまで言い換えて初めて分かる人は多い。違う意見ということを認め合うことから社会は始まるのであり、違う意見やその人々を排除しすぎることではない。排除しない=肯定する、という図式でもない。短気を起こして極端化してはいけない。まず聞くこと、聞く耳の無い者は口出す権利なし。

20190506
たまに日英日記
雨、風、寒い。今日はいつも通り20km走るのが大変だったがやりきって体が冷えたので風呂が最高だ。私が採ってきたふうちばーで妻作ふうちばあじゅうしいとこごみの味噌汁を頂く。美味い。最初は雨に夏の匂いがしたがやはり寒い。

20190412
去年の2月から続けてきたFacebookで和英日記を最近は書いてない。なので、誰かに限定で表示させているとかさせていないとかでない。5~10言語などの多言語日記に出来るだけ移行したいと考えているので更新の頻度は少なくなっている。生活以外で私の持ちえる可能な限りを学習や運動に費やしている。私が管理しているfbページでは時にニュースのシェアなどをして皆様の便利に役立てれば幸いと思っている(※誰かライターのかたがwebに執筆したらもちろんシェアします)。ただいま執筆等は休憩に入った。SNSに関して、fbをこの使い方にしてから約7年半は続けてきて、人様世間様のおかげで多大な成果が出たことで、さらなる成長のためにも区切りを持ちたいとも思うようになった。そこで節度をもっと自律して、時間とチカラの集中をより強固にしたいと思っている。繰り返しを厭わない日記を読んでくれる奇特な人にありがとう。最近はミントアイスが美味いです。毎日20kmを走る運動は続けて居ます。……ではまた何かすぐ投稿します。


20190325
2回10kmを走る。寒い暑いの中間の気温で、何を着て良いか悩みどころ。語学は、英語、ドイツ語、フランス語、現代ヘブライ語、古典ギリシャ語、ロシア語。掃き掃除、風呂掃除、いつも食器洗い。朝は0.3℃。昼に向けて10度を超える。イチロー46歳。カズ52歳。

20190323
日英日記を減らそうと思うに至る。その分、今年は多言語日記に絶対挑戦しようと決意する。

20190321
っしゃー。いよいよ人生初の最高状態を作り出している。今日も7時半に起きる。5kmを4回走る(休憩を増やした)。英語、ドイツ語、フランス語、古典ギリシャ語、現代ヘブライ語、日本の古典と漢文と漢字を勉強して、ギリシャ神話を読み、福島に関する原稿も進めた。どんどん増やしていく。調子がまあまあでも1言語は学ぶが。益子焼にハーシーチョコレートかき氷純生クリーム2個、そして薄味の炭酸水フロートも作った。3つも食べて冷える。湯種ロールパンも美味い。ヒーターの傍で筋トレだ。

20190320
快晴。7時半起き。10kmを2回走る。床を掃き掃除と拭き掃除をして気分よし。筋トレ使用。鳥肉のソテーを作った。他いつも通り。一昨日は家庭菜園を耕して種を蒔いた。今日は手作り生クリームを既製のワッフルクッキーに。

人間には価値観というものがある。うまく調和が保たれるには無理をしないことだろう。ディベートの前に全く作法を守れないのは違法であって別に議論とか主張では無い。

議論の振りをしているだけだ。ドイツ法学者のゲオルグ・イェリネク曰く、「法は倫理の最小限である(Georg Jellinek, "Das Recht ist nichts anderes als das ethische Minimum.")。」



20190319
いやはや絶景なり。会津の人がここに住むことを決めたのも頷ける。朝7時半に起きる。過ごしやすい晴れ。10kmを2回走る。メンテナンス重要だ。最近は脹脛(ふくらはぎ)。語学して読書した。

平穏が一番であるが、これは通常よりもずっと仮である。原発事故被災者の将来への不安はフラッシュフォワードというらしい。そういう人も居るかもしれない。明日をも知れない状態。

今日はバイクも乗って腕立て腹筋もしよう。新刊の件も進める。けんぱく文化庁LMNアーティストの2件について自分のはほぼ終えた。

春に自家製かき氷が、美味い。マンゴーミルク。うーん。冷たい。

写真は林檎の木。


20190318
8時半起きる。2回10kmを走る。古典ギ、現代ヘブ。いつも通りが一番だが、足がだいぶ疲労気味である。今日は山の……いや、山の景色が素晴らしい。(※SNSに「山の幸ふきのとう採れた」などと書こうものなら大変だ。やめておいた)



20190317
・実物の日記帳は33冊目。この日英日記を書いているわけではない。この日英日記はパソコン内部に保存している。

・7時半に起きる。半年ぶりに生活リズムが戻ってきた。残雪に椿が良かった。ツツジも一輪だけ咲いていた。けっこう種付花が咲き始めて居る。古典ギリシャ語の進めたところまで復習した。現代ヘブライ語も復習する。原稿を推敲する。今回は早く終えたいが、何でも書けば良いというものではない。

・つばきは、文化が豊かなようである。オランダ商館やイエズス会の人達も関わっていたり日本文化としても歴史深い。

和名:ヤブツバキ(別名ツバキ)
学名:Camellia japonica
英名:同じ
http://www.ha.shotoku.ac.jp/~kawa/KYO/SEIBUTSU/syokubutsu/SogoZukan/hishi/tsubakika/tsubaki/index.html

・葛飾北斎は、冨嶽三十六景《江戸日本橋》を観た。
とうしがほう【透視画法】
肉眼にうつる像と同じように投射線が一点から発するように描く画法。西洋で写実的技法として発展。日本の浮絵うきえもこの画法に属する。(大辞林第三版)

擬宝珠 ぎぼし
本来は「ぎぼうしゅ」と読んだ。建物の高欄や橋の欄干の柱頭部を飾る宝珠。(ブリタニカ国際大百科事典)

文化遺産オンライン(文化庁)
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/197838

木下尚江という自由民権運動の歴史人がFacebookフレンドのかたの投稿によって気になり始める。サムライの子だったが、ずいぶん劇的に変わったのは、おそらく祖母の影響だろう。

おばあちゃんが、そういう人だったのかもしれないと、新宿中村屋のサイトを見て思った。セブンイレブンでたまに食べる中村屋だろうこれ。新宿で食べたい。木下はキリスト教徒になるが最後は仏教に傾倒するそうだ。
https://www.nakamuraya.co.jp/pavilion/founder/people/p_004.html

ワシリー・エロシェンコとは、ヴァスィリー・ヤコヴレヴィチ・エロシェンコのことであろう(ウクライナ語:Василь Якович Єрошенко;ロシア語:Василий Яковлевич Ерошенко;ラテン翻字例 Vasiliy Yakovlevich Eroshenko。

「恩義のある中村屋に母国仕込みのボルシチのレシピを教え、1927年の喫茶部開店の折には、ボルシチが人気メニューとして食通に迎えられているほか、店員の制服として彼の着用したルバシカが採用されている。1921年5月1日にメーデーと日本の社会主義者の会合への参加を理由に逮捕され、国外追放となり、敦賀からウラジオストクに送られた。そこからハルビン、上海、北京と移動し、魯迅などの知己を得て、1922年には北京大学でロシア文学について講演したり女子師範学校で講演したりした。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%B9%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B3

ラス・ビハリ・ボース(ヒンディー語:ラース・ビハーリー・ボース रास बिहारी बोस、英語:Rash Behari Bose

日本に本格的なインドカレーを伝えた人物でもある。「中村屋のボース」とも呼ばれる。インド独立運動家。過激派として指名手配され、日本に逃れてインド独立運動を続けた。頭山氏とかが出てくる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%B9

高村光太郎も出ている。他の人達もざっと読みたい。ふむふむ、歴史が、美味い。実物の日記帳は33冊目。この日英日記を書いているわけではない。この日英日記はパソコン内部に保存している。

それからキーノ(Кино́)というロシアのロックバンドのアルバムを聞いた。



20190316
9時起き。晴れ時々ぱらつく雨。ときどき強い風あり。10kmを2回走る。ほぼ雪なし。かなり着こんでも寒かったので途中帰りたくなったがぎりぎり行けそうなので行った。しかしこれ以上に風が強かったら危険だった。古典ギリシャ語と現代ヘブライ語を学ぶ。推敲す。新しい原稿も書かねば。

冨嶽三十六景《凱風快晴》
通称「赤富士」とも言われる。凱風とは夏に吹くやわらかな南風のことを言い、紀元前約8世紀より前の西周時代に孔子が編纂したとされる詩経(Shī Jīng)からとったものと思われる。詩経は韻文であり文学であり歌謡であり漢詩の祖型とされ、儒教である。夏から秋にかけての晴れた早朝に、富士が山全体を赤く染めて輝くことがあるようだ。葛飾北斎 (1760-1849)。木版多色刷。ちなみに英語だと”Fine Wind, Clear Morning” とされている。

参照 

文化庁
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/241943/1

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%B1%E9%A2%A8%E5%BF%AB%E6%99%B4

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%A9%E7%B5%8C

ある国で最悪の銃乱射事件が起きて、容疑者撮影と思われる映像がSNSで公開されている。最悪である。一軒となりのSNSはこんなもん。ときどき戦争だって公開されている。だがあるひとが「悪人たちのせいで、良い人であることを決して諦めるな」とFacebookビデオにて英語で言っている。その通りだ。(ここ重要)その彼も言っているがSNSだってそうだ。もし私が解説するならこう言うだろう。議論と憎悪を履き違えるな。嫉妬と被害を履き違えるな。ノイローゼはスマホのスイッチを切って病院へ行くべし。そうでなくてもオフ時間を作って休みを取るべし。より平和な世界を維持せねばならない。確固たる意志。

20190315
9時起き。晴れ。今朝の気温5度だが雪があったので体感温度が高くはなかった。10kmを2回走る。天気が良いのは気分が良い。新しい古代ギリシャ語文法の本といつもの現代ヘブライ語文法を学んだ。今日はあと読書して眠る。



20190314
いきなり雪が15cmぐらい少し積もった。だいぶ疲れがたまっているなか今朝は走ろうとしたら突風に吹雪いてきてうっかり死ぬかと思った。普通に店舗というか助け小屋だらけの若松で良かった。今日は養生しよう。

ネットに居ると他人のノイローゼが移るときがあって頭痛がしてくること何度目か。これはもう見ている自分のせいだと思う。そういうのは意識的に見ないようにしなければ身が持たない。

意識的に暮らしを改善しよう。未来は輝かしくも短いのである。すばらしいものを見て過ごす一日を希望しよう。なにを食べるかだけで自分は形成されていない。

なにを見てなにを読んでというように、すべてが自分を育成する。呪詛ばかり見て居たら呪詛のような人間になり、呪詛のような作品をつくってしまう。

悲しみを見続けるのとそれは異なる。お腹いっぱい。この世もあの世もともに捨て去り、私は自分を維持して、自分を回復させ、それから福島や日本と世界のことなどを考えていこう。

とりま塩を盛り。吉田、祈り瞑想す。



原稿を推敲できた。今度こそ編集も終盤に差し掛かっている。思ったより延び延びになってしまった。10kmぐらいを室内で走る。ブレグジットはいよいよだ。

オランダのステフ・ブロック外相が公式ツイッターに投稿した、青いモンスター「ブレグジット」とのツーショット写真だそうだ。(2019年2月14日公開)。(c)AFP PHOTO / Netherlands Foreign Ministry https://twitter.com/ministerBlok/status/1095938503983226880

https://www.afpbb.com/articles/-/3211280


「おもろそうし」(※和文日記のみ)

沖縄・奄美諸島に伝わる古い歌謡のことである。外間さんによれば「おもろ」の語源は、「思ふ」である。『「言う」、口に出して「唱える」という意味の日本古語「思ふ」を原義にし、その体言化したものが神の言葉、神言という意味を背負わされたものである。

すなわち、オモロは、神が人に授ける言葉、あるいは共同体の心を神に申し上げる、宣(の)り奉る言葉で、共同体と神と自然とのかかわりあいの中から発生し、発展していったものである。』

オモロの実例として七巻七三九が挙げられている。

いちいではふへのとりの節 
一 天に鳴響(とよ)む大主(ぬし)
  明けもどろの花の
  咲い渡り
  あれよ 見れよ
  清(きよ)らやよ
又 地天(ぢてん)鳴響む大主

現代語訳
天をどよもす太陽よ
明けもどろの花が
咲き渡っていく
あれ、見よ!
なんと美しいことよ
天地に鳴りとどろく太陽よ

日の出の壮観を讃えるオモロであるそうだ。「とよむ」は、万葉語の「とよむ」と同じで、とよもす、響かせるの意味。オモロ語では原義を離れ、名高くなる、評判の、立派なというような美称辞になってきているとのこと。

出典
「沖縄の歴史と文化」外間守善 中公新書 127~128頁

20190313
8時半に起きた。サンチャ事件を観察記録する事をして以来、半年間も遅寝になってしまっていた。だいぶ早起きに戻れてきた。パラつく雨に傘をさしながらハーフマラソン20kmも一気に走った。足の疲労たまってきている。シガーフラを食べる。夜は雪。古典ギリシャ語の易しい本は1周した。2周目を学びつつ現代ヘブライ語をもう一度始める。

ーーー

【いってみっか】「いばらきで歩みはじめた私たちの想い 3・11から」byふうあいねっと+茨城大学学生たち

ーーー

 という冊子を、ヴェルトガイスト・フクシマのデザイナーをしてくれている天井優志さんが送ってくれた。天井君とは多分2011~2年ぐらいからの付き合いで、ぼくのあらゆることを知っている友達。画家で詩人である。

天井君は転勤の関係で福島県民でもあったし茨城県民でもある。最近は浪江のかたが営んでいる「マルイ装美」にて働いているそうである。いろんな特殊技術をもった清掃のプロフェッショナルなのである。県外でも福島でも活動している。事務所は陸前浜街道にある。

今日は私も家の日常的な掃除をして楽しかった。それから原稿を書いて推敲をする。それから新しい原稿に着手する。南相馬で活動したことがあるアーティストのかたに寄せる原稿であり、福島県立博物館関係である。

ブレグジットの膠着状態について人々はいら立ちを感じているようである。だがみんな知っているのは、みんなが幸せであるべきだということであろう。
https://www.bbc.com/japanese/47549775
https://www.bbc.com/news/business-47546925



画像出典
ブレグジット協定否決に産業界が「へきえき」 合意なし離脱除外求める BBC 20190313
梶谷食品 シガーフライ 20190313閲覧

20190311
益子町で出会った友人のK子さんと蔵カフェで談話する。いろいろと伺えて勉強になった。ささやかながら応援している。

20190310
乾田を見る。今日も2回に分けて20kmを走る。9時起き。そろそろ古代ギリシャ語の入門本は一周しそうだ。明日は311。あのときからの歴史を私たちが共有してきたそのことが大事だと感じられるのであって、やはり今日この新しく迎えた9年目の祈念の日というのが、また気持ちを新たにする日という、程度なのだろう。じっさい、一日は一日であって、実行と修練しか今の私にはないし、そうしてきた者ほど当日はそんなにやたらのことはないんだと思う。だが死者と友達のことを思えば、揺れる。さあ!Γνῶθι σεαυτόν! (汝自身を知れ!) 深夜に強めの風あり。



20190309
昨日も風あり寒かったが10kmを2回走った。今日は非常に暖かく10kmを走り10kmを歩いた。歩いたほうが膝が痛かった。帰宅してごはんを食べて、妻の手製お菓子と一緒にしたプリンアラモードを作った。ヒメオドリコソウとオオイヌノフグリが春を告げている。今日は8時台に起きられた。まさかこのプリンがGHQ機会とは今やだれも知るまい。

オオイヌノフグリ
学名 veronica persica
英名 Commonfield speedwell, Creeping speedweed, Iran Speedwell
越年草
ユーラシア・アフリカ原産。

ヒメオドリコソウ
学名 Lamium purpureum
英名 Red deadnettle

出典1:国環研の侵入DB
http://www.nies.go.jp/biodiversity/invasive/DB/detail/80360.html
https://www.nies.go.jp/biodiversity/invasive/DB/detail/80300.html

出典2
https://matsue-hana.com/hana/ooinunohuguri.html

ファイアモス(fire moss)も居た。


もう少し見た目を気にしたい。


20190307
凍えるような寒さだった。雨、風。10km走った。それからごはんを食べて休憩して10km走り今に至る。妻はパフェを作ってくれた。

LMN県博庁のを今日こそ仕上げる。それから編集業務をした。古代ギリシャ語が結構進んでいる。今日の平均は5度。イギリスのスウィンドンではホンダに撤退するなというデモが起きた。

NHKニュース
「メイ首相、ホンダの工場閉鎖はEU離脱が原因ではないと述べる」。
(イギリスが合意なきEU離脱に踏み切った場合でも、企業の事業活動に与える潜在的な影響はそれほど大きくないと主張しているテリーザ・メイ首相は、ホンダがイギリスにある工場を閉鎖する決定をしたことについて、イギリスのEU離脱とは無関係だと述べました。

メイ首相は、議会で行われた党首討論でホンダの工場閉鎖の発表に触れ、「ホンダが今週行った決定は非常に残念なことではありますが、ホンダはこの決定がイギリスのEU離脱とは関係がないと、はっきり言っています。これはあくまで、世界の自動車市場で起きている変化に対応するための決定なのです」と強調しました。

しかし、イギリスの多くの議員は、こう着状態に陥っているEUからの離脱交渉が、産業界の信頼を失う結果になっていると主張しています。日本のパナソニックもすでに、イギリスを拠点とした事業の一部をヨーロッパ(のEU域内)に移していて、4月にはソニーも同じように移転する計画です。

今回のホンダの決定は、(工場で働く)およそ3,500人の雇用だけでなく、潜在的には関連企業に携わるより多くの人々に影響を及ぼすことが懸念されています。)




「ホンダ、英国から行かないで!」 従業員ら、英議会前でデモ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190307-00000024-jij_afp-int
ホンダ工場閉鎖の英スウィンドン、3500人に失職の危機 街の声は
https://www.afpbb.com/articles/-/3212017?utm_source=yahoo&utm_medium=news&cx_from=yahoo&cx_position=r1&cx_rss=afp&cx_id=3214638
英の「合意なきEU離脱」で60万人失職の恐れ、独研究所
https://www.afpbb.com/articles/-/3210673?utm_source=yahoo&utm_medium=news&cx_from=yahoo&cx_position=r2&cx_rss=afp&cx_id=3214638

20190306
今日は午前10時ぐらいに起きて午後は公民館で東電の従業員たちと話をする。賠償の件で事情を伺ってからこれからどうするか決めるらしい。ごく少額である。

本当は怒りたかったのだが彼らの罪と失敗を憎んで、しかし人間存在を憎むことはできない。そもそも私は世界を愛しているからだ。疲弊もあるが。そんなわけで、普通に復興の話をして談笑して終わった。だいたい日常生活で急に見知らぬ人達である。

でも、「まだまだ怒っている人達は沢山いますよ」とは伝えておいた。今思えば、悲しんでいる人達は沢山いますよにしておけばよかった。「私も厳しいことは言いますよ」とは言った。ただ今日は別にそんな気分じゃなかった。私の書籍や雑誌も教えた。知らないのか!とは思ったが。それから歴史や政策論の話もした。フクイチ辺りをどうするかとか。

彼らはお酒を飲むらしいので先達が営んでいる大和川酒造のお酒をすすめておいた。三人に講義でもしたかのような1日だった。意外にも知らないことが多いようなのでいろいろ教えてあげないといけない、機会あれば。特に若い方は知らないこと多いのが普通でもあり。

今日は10kmを2回走った。走っている帰り、非常に気まぐれで本屋に寄ったところ、たまたま立った本棚で、隣同士になった人が居て、パッと見たら友人である。あまりの久しぶりに二人とも驚いた。お元気そうで私も嬉しい。やさしくてすてきなかたである。その繋がりで先達の話したり。

今日もライフミュージアムネットワーク(文化庁、福島県立博物館)の仕事をする。まじで急ぎなのである。さらにアート関係の小さな仕事が1つできた。日記に付箋を貼って。時間ができたらヴェルト管理を整頓しないといけない。そして新刊だ。これも急ぎである。星さんと会話したり。ある出版社の編集部と連絡したり。

時間できたらヴェルトでまだまだ書いていくぞ、と思いはいつもある。今日は北海道の生クリームをつくってバナナで食べた。いつかケーキ作ってみたい。写真、この糸杉が、好きでね。私の将来はどうなっていくか。曇りか、晴れか、雪か。まあ、一息、こだわりなく。みんなと生きていくだけさ。

まだ午後9時。いつも通り、寝るまで動く。まあ飲むことも吸うことも、もうないし。年中全力疾走である。スーパーマンになれるかもしれない。


つまり、おそらく世界共通で、法律というのは徹底的に強者に寄り添っているとも言えるので、今日の私が何を言うべきだったんだという話である。彼らが組織として我々の立場に立つのは簡単でない。

20190305
9時45分おき。10km走り10km歩き。世の中には住民が必要な自治体もあれば、世界には難民になった普通の人達がたくさん流れて居たりする。ニーズの出会いがケミストリーするまでには時間と費用がかかる。

今日はライフミュージアムネットワーク、文化庁と福島県立博物館からの仕事をしたりヴェルトの受注を整理したり、フクシマ発の編集をした一日で、盛り沢山だった。田中さんの記事を書いた。

もやい展の開幕すばらしき。私も一部に居るのでありがたし。ニュースではゴーンさんが保釈10億円。イギリスブレグジットは工場が閉鎖した。大事件だ。スウィンドンにあるトヨタとサンダーランドにあるニッサン。経済難民。これからどうなっていくのだろうか。

ある犬が小さな犬を助ける動画を見つけた(こちら)。

NHKがネットで観られるのは非常に助かる。Eテレはどうなのだろう。ブースターを買った直後なのだが。ものすごく眠い。英語で毎日日記を書くは時間がかかる。

春が待ち遠しい。良い気温。しかし光陰矢の如し。急ぐべからず。ご自愛ください。おやすみ。


NHKより引用2枚  「メーカーに見捨てられる!イギリスの恐怖」20190301










20190304
もちむぎうどん。美味い。私が山芋をすっている間にうどんがだし汁を吸ってしまったが。

20190303
たのしい昼下がり。会津若松の蔵カフェにて、大学教員かつ風景デザイナーの廣瀬俊介さんが会津でのお仕事の合間を縫ってお立ち寄りくださった。千葉県にて風土形成事務所を運営なさっている誠実多才な先達である。廣瀬さんのご経験を博子さんが伺ってくれたり、僕はパフェ食べながら自分の悩みを聞いて頂けた。いろんな灯台下暗しが照らされて充実した。大きな転換点になる。ありがとうございました。

20190302
本の編集がだいぶ進んだ。今朝は起きるのが遅かった。8000kmを歩いた脚力でも走るのはまた別で慣れないハーフマラソンなんてしたあとにさらに翌日走ったら筋肉痛になった。今日は休める意味で軽く歩いたり走ったりにとどめた。原稿やる。前からだが明らかに保守系の人達との交流も続く。それでも私の言論スタイルは特段変わってない。独立した思考を築き上げていくとはそういうことだろう。

20190301
10時起き。10km走り、会津民俗研究会の講演会に出席し、帰宅してから10km歩く。今日も古典ギリシャ語を6日目?忘れたが続けている。現代ギリシャ語だと花はルルジ(Το λουλούδι)だが古典ギリシャ語だとアントス(τὸ ἄνθος)。この違いは何に基づくのか。アントスは特に果物の花のようだ。古典ギリシャ語のキーボードも打てるようになった。現代のはシンプルだが古代のは複雑である。今日はカレーとドーナッツが美味かった。



20190228
昨日は10時おき。今日は朝8時起きる。もういちど夏以来の早起きをし出す。曇り。気温3度。雑炊いただく。テレビ見てたらシガールを食べたいが違う菓子を買うだろう。すると東電から今頃電話がかかってきて近いうち会いに来るとのこと。すごい今頃。あぁ疲れる。さて走ろう。日々を愉しみ生きる。人生は短い。人生は一度。桜待つ曇りの空に梅が崎。書いてる間か雨が降ってきたので室内に。

早起きできてよかった。2月最後の今日は小雨になったので走ったらまさか20kmいけて良かった。昨日休んだからだろう。2月21日に初めての屋外ランニング5kmだったのでそう考えると屋外を始めてからは1週間でハーフマラソン達成したことになる。早い。風呂が楽しみだ。食事も楽しみだ。さて今日のことを。



20190227
暖冬だが曇りの一日だった。今日は免許講習更新を忘れて妻に運転してもらって講習を受けた。10日ほど期限が過ぎていた。1600円ぐらい多く支払った。合計5千円ぐらい。この池が目の前にあって美女池という。義経に惚れたばかりに辛いことになる静御前が入水自殺したという悲劇の地だからだ。悲劇繋がりでは神奈川の由比ヶ浜もあるが、そこは他にも悲劇がある。この伝説は全国にある。よほど知れ渡った話だったのだろう。センター内部では待ち時間のドライバーが大勢ひまそうだった。更新おわってスッキリしたわい。一日使うからなあ。自転車の規則が前より厳しくなったりしたらしい。飲酒運転は県内年間400件以上検挙されてるらしい。どこかで止めたほうが自分に絶対プラスだよと、ここで教えてあげたい。悲劇の伝説じゃ済まなくなる。入水自殺と言えばハムレットのオフィーリアもそうだった。

写真は上が磐梯山で下が美女池。


20190226
しゃー。寒い風のなか何とか屋外で5kmゆっくり走って5km歩いた。室内で5kmを楽に走った。考えて考えて生身の問題に自らぶつかって突撃したら突き抜けて、いつもの暮らしに戻る。また純な生クリーム作るかな。ロックを聞きながら。



20190225
今日は昨日の無理がたたったか走り5km歩き5kmが精いっぱいだった。膝も痛く、歩いている時間が長かった(※走り4kmにしても良いぐらい)。しかし時速はおそらく8km毎時だったので、気づかないうちにペースが上がってしまっていたのだろう。

古典ギリシャ語3日目。ところで今日は初めてホイップクリームというのを手作りした。震災前も昔やったような気はするが忘却の彼方に飛んでいた。妻に教わってすぐ出来た。北海道の純脂肪乳だとか(「フレッシュ北海道産生クリーム使用」メグミルク)。砂糖も色がついているやつだ。美味い。嬉しい。自分でやってみるとよくわかる。

20190224
走り5kmを2回、歩き5kmを2回。総計20km歩き走り。自発的に10kmを一日で走ることは人生初。よくやった。古代ギリシャ語も学んだ。今のところ時速は6km毎時~7.5km毎時ぐらいのようだ。5kmを50分~40分ぐらい。速く走れば走れる距離や日数が短くなるし遅く走ればタイムが伸びない。当たり前だが。その都度で自分に合ったペースが重要である。今のところ走るほうが膝は疲れにくい。



20190223
丸一日眠る。筋肉痛を癒す。合計30時間ぐらい眠った。

20190222
12時間も眠って朝見た夢は、下半身が龍のようにめきめき強くなる。現実の道で一気に負荷が上がったからだろう。5km走り5km歩き。総計2時間ぐらい。歩きだと40~45分ぐらいで5kmだからゆっくり。午後4時に8度もあった。

だが今まで走ること自体が高校以来だから20年ぶりであり、そもそも生まれてこのかた、まともに走ったためしが記憶にない。そう考えると、38歳になって人生初のマラソンなら、すごい伸びだろう。前向きに考えたい。

だが走りは夢中に成り過ぎるため余裕がないのが痛い。20km全部走りではつまらないかもしれない。まず5kmずつの2回での総計10kmマラソンをひとまず目標にしよう。そして残り10kmは歩いて風景を楽しむ。ランナーというより、一生たのしめる趣味が良い。

追記メモ
両陛下 憲法 50周年


20190221

6℃もあったので昨日こそ初の屋外ランニング。現代でなく古代ギリシャ語も今年から始めた(まだキーボードに打ち込めない)。

歩きは半分だから合計10km。息は切れなかった。しかし勾配や節々が疲れ、かつ、休む場所がないので途中から汗が寒い。

室内マシンでの負荷も来年の冬は上げる必要がある。勾配が低いと鍛えられない部分があるようだ。今年は一ヶ月も早く外に出られて嬉しい。

走るのか、歩くのか、どちらでも別に良いので悩ましい。しばらく外は節々が鍛え終わるまで五キロだけ走ってあと歩きでも良いかもしれない。

合計20kmに持っていくにはもう少し時間がかかりそうだ。それで早く寝たが12時間も眠ってしまった。




20190220
昨日は15km総計。こう見えて不動産に関心がある私です。名建築の福西本店にて斎藤清美術館より学芸員の伊藤たまきさんの斎藤清LOVEな解説を対談相手の赤坂憲雄さんとみんなで楽しみました。福西本店は建築美や歴史感が素晴らしいです。アーティストの半沢政人さんから松田松雄のことも聞けました。ぼくはあの「星空の絵」が「雪に見えた東京の人」の件で思ったのは、確かにリアル感では雪は曇り空から降るでしょうけれども、若松市内だったら星空のなかでも雪が風に吹かれて降りてくるはじめということはあり得ると思いました。あと最後の木の枝は鹿の角に見えるので鹿踊りに見えました、ユダヤのハヌカーにも見えましたが。いずれにしても、日本を代表する、すばらしい木版画に存じます。それを機会にして皆様にお会いできてよかったです。ぜひ皆さま福西本店や柳津へ遊びに行ってください。

20190219
休憩がてら同い年なマルクス・ガブリエルの気軽な新書を読む。世界的に知られた、若き天才哲学者とされるかたである。何の理由もなく、たまたまNHKが紹介するならと思って読んでいる。彼が言うには世界が存在しないとか日本はアメリカナイズドをまだとり続けているがドイツは別の方向を進んでいる。京都学派含め、あのときは深い交わりもあったけれどと。チャイが美味い。チキンソテー国産が美味い。言うまでもなく小さな変化が大きな変化を生むかもしれない。塵も積もれば山となる。英語が上手じゃないがだからこそ下手のままでも書き続ける。それから今日はシェフィールドのムア・ストリートを見ようと思ったがネット回線が繋がり悪く断念。光回線なのだが。

20190217
今年初めて外を走ろうとしたら吹雪いてきてきて頭が激しく寒いのでものの15分で帰ってきてしまった。1~2kmだろう。おそらく私の血管年齢は長い長いあれのせいで若くないし万が一でも脳溢血なんぞしたら困るから帰宅。それでもつい速いペースで走ってしまって息が切れやすいことに気づく。体は全く疲れていないので呼吸法と速度のことを考えておくと良いだろう。例年だと雪が沢山積もっている時期であり、3月後半からぎりぎり外を歩きだせるぐらいの寒さだから今回は早過ぎた。午前中ならできるかもしれない。

今日はGoogleでイングランド中部ヨークシャー州のシェフィールドという場所について少し学んだ。ここは鉱物がとれるためベッセマー製法が盛んになったとき製鋼効率が飛躍して産業が伸びる。ナイフとフォークが有名だ。ピースガーデンという場所があり、もとは教会の庭だったが教会が取り壊しになり、ミュンヘン会談などの件からピースガーデンと名付けたという。近くにあるカフェ・レストランは「ブレンド・キッチン」でありピンストーンストリートにある。魚料理もあったりTwitterアカウントもある。https://twitter.com/blendsheffield サッカーチームは最古で、江戸時代末期に出来たシェフィールドFCがある。福島県の4分の1倍でありゴールデンステイトの70分の1である。そう言えばカリフォルニアは先進的な政治で知られるギャビン・ニューサム知事がトランプ政治の件でニュースに出ている。イギリスでは合意を持てないないままEU離脱が3月末どうするか半々で世論が分断中。日本からは1000社もイギリスで商売していることもあるが、イギリス全体での取引、交通、株価、雇用、通貨安定などへの深刻な影響が懸念されている。分断された世論は大変だ。オランダの菊やイギリス国境付近のニシン漁業はどうなる。様子を見よう。

ながしまゆみさんの最も野蛮な瞬間2018が面白かった。英語文化圏での確実な意味あいというのは私にとって不確実だけれども。

20190214
遅く起きた。昨日20kmを走る。韋駄天は仏舎利を取り返したらしい。ピアノが素晴らしい。原稿続く。

20190213
8時に起きて嬉しい。庭を見れば夜に雪が降る。床掃除は気分良し。麻婆豆腐が美味い。二月中旬になった。

20190212
小分けで20km走る。いつかマラソン大会に出られるのではないか。明日は早起きしたい。サンチャイルド事件のせいで夜型になったまな半年も経ってしまった。

20190211
晴れのち曇り。髪を切ってボブに。昼に焼肉と買い物。本日は建国記念日。

20190208
大きな流れの中で予想通り、かつて百万の炎上がまるで嘘のようである。夏草や兵どもが夢の跡。国破れて山河あり。あれから10年へ向けてこう思わない人もあまり居ないだろうが、今年についてもそれについても始まったばかりだ。

20190207
昨日は20kmを走った。いつも一日かけて小分けにして汗ぶんながし走っている。今日も15kmぐらい走って数kmは歩いた。それなりに足に来ているのでそろそろ休みが必要だ。今日はまたどーるのプリュッツェルとすずぱんのチョコケーキを食べた。焼きそばも食べた。原稿しまくった。原稿原稿。短期間……。いつも思う。「やっておけばよかった」と、そんなうまいこといくかいっての。次からうまくしていこう。はい。

20190206
昨日15km走る。昼間すずぱん。今夜は全粒粉パスタ・グリーンハバネロが美味い。

20190202
昨日20km走。ひよこ豆カレーが美味い。気温が低くなってきた。

20190131
今日は寝坊した。走っていることで疲れが来ていたのだろう。早く眠れるか。昨日総計20km。晴れ。1月は晴ればかりだった。2月5日ぐらいから冷えるようだ。アメリカの友人が心温まるユダヤ関係の物語を話してくれた。シャローム。

20190130
1時起き。早寝早起きに戻りすぎた。毎回作るわけじゃないが今回はたまたま講演の原稿が完成した。昨日10km走った。

寒くなく眺めているのは積もる雪

20190128
それなりに雪だ。積もるかもしれない。昨日は5kmを走った。

睦月末忘れる勿れと雪が降る

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