和文日記2019
※まとめて見ていると、非常に多数の共感コメントを頂いたんだと分かった。こころよりありがとうございます。 20191229 くよーなーら。まるまーさん。 (「おはよう、こんにちは、こんばんは」「すごく美味しい」やいま言葉、やいまむに、すまむに)。「いっぺーまーさん」だったら「とても美味しい」うちなーぐち、となる。 ーーー 写真は、お肉屋さんのトンカツ定食(松)@「みふみ屋」。いわき市平田町(たいら、たまち)。さっくり、じゅわっと、やわらかいトンカツだった。また行きたい。1トン勝つ。すばらしい名前。 昨日けんすい器具を買って車で運んだ。妻曰く「ぶら下がり健康器」。わかる。うちの縁側にも昔あったものだった。この辺りには若松みたいに大公園がない。これで懸垂しまくれる。 ーーー 沖縄と福島は、ご縁がある。遺伝子、念仏踊り、そして貧困とアメリカ、さらに個人的にはチョンダラーの歴史。戦後の「オフリミッツエリア」(立入禁止区域)もそうだろう。漆もだ。たぶん枚挙にいとまがない。 会津でぼくらが暮らしていた家にもいつか誰かが暮らすようになる。「明日の夜はいづこの誰か眺むらん なれしお城に残す月影」八重を思い出した。新島八重さんは大熊町を悲しんでくれただろう。 ーーー くとぅば、じんじけえ。 (「言葉を使うことは銭を使うことと同じぐらい重要だ」うちなーぐち)。 肥後もっこす、津軽じょっぱり、土佐いごっそう。まるで戦隊ヒーローだ。言葉は面白い。土地の息吹が聞こえてくる。 ーーー 今日は「くれる」という言葉を「自分→相手」という順でぼくは使うのだが、それが伊豆方言にもあると知れて嬉しかった。伊豆は自分の文化的ルーツの1つだ。 ばー(「私」すまむに)は非政治的に暮らしたいと思っているのだが、政治はそうさせてくれないかもしれない。しゃああんめ(仕方ないだろう)。なんとか穏当に社会づくりをしていくべ(いこう)。 「義理至微、義理至微(ぎりしび、ぎりしび)」って、よく怒られる自分で、まあその、「褌(ふんどし)欠いても義理欠くな」と言われていて、たまに耳がもげる(とれる)ほどだ。 そのぐらい社会のことに無関心な自分で、ぎっちら(「沢山」相馬弁)とはいか